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本物の回答

 倒れ悶え苦しむ男に追い討ちを掛け続けるジゼルを、カナデとアヤメは観客席から見ていた。


「か、カナデ殿……あれは、いくらなんでも……」

「うん、むごいね」


 引き気味のアヤメの隣で、カナデも顔を痙攣らせる。古馴染みであるカナデもドン引きするほど、ジゼルの興奮状態は凄まじかったらしい。


 男が許しを乞うても、気にせず剣を取って追い討ちを掛けている。泣き面に蜂とは言うが、蜂の大きさと数が尋常ではない。オオスズメバチの大群にでも襲われているのではと、無駄に良いはずの眼を信用出来なくなる。


 幼馴染みにサディストというか、サイコパスな一面があったとは、流石に気付きたくなかったカナデは目眩を感じた。

 すると横からスッと華奢な腕が伸びてきて、カナデの身体を下から頼もしく支えてくれる。


「大丈夫ですか」

「うん、貴女が王子様に見えるよ、アヤメさん」

「……私は女なのですが……」


 嬉しくも悲しい気持ちが入り組んだ、複雑な表情をアヤメが浮かべる。中性的な整った顔立ちで優しく扱われたら、いくら同じ女であるアタシでも惚れてしまいそうになる。女のプライドにかけて絶対にならないが。


「……あんなジゼルは見たことがないんだよ。いったい何が起こってんの? 外部からの精神的な攻撃が行われてるとか? なにそれ、何処のインベーダー? 星に帰れよ」

「落ち着いてください。それはないでしょう。外部から内部のプレイヤーへ攻撃を仕掛けているとなれば、アスラのスパコンのインターセプトシステムが感知、迎撃を行わないはずがないですから」

「……くノ一がスパコンだとかインターセプトだとか言うの、新鮮すぎるんだけど……」

「リアルの私は、一応現代っ子ですよ?」

「でしょうね」


 ここまで現代用語を使われたら、戦国だか江戸だかに存在した忍者なんて設定も何もすっ飛んでいってしまう。文明の曙光に当てられた忍者の面影は、跡形もなく消え去ってしまっていた。


 キャラ崩壊ここに極まれり、と言うやつである。アヤメさん曰く、あの話し方や雰囲気は素らしいのだが。


「じゃあ、何がジゼルをあんなに動かしてるのか、アヤメにはわかるの?」

「さあ……強いて言えば感情、でしょうか」


「――感情?」


 アヤメの答えにカナデは首を傾げる。

 感情だけで人が変わるものなのか、そう疑問に感じたカナデは、少し昔を思い出した。


 誕生日に友人達からサプライズを受けて、喜びを隠しきれずに笑っている顔。飼っていたメダカが死んで、悲しみを堪える涙の浮かんだ顔。友達と遊園地に行った時に、ジェットコースターに乗って楽しんでいた顔。


 多くの顔を見たことがある。けれど彼女が今浮かべているあの顔だけは見たことがない。


 喜・哀・楽の3つは何度も見たことがあった。けれど、長年一緒に居続けていたはずのカナデでさえも、ジゼルの――月花の怒りの表情を、感情を、ただの一つでさえも見たことだけはなかった。


 そこまで考えを回らせたカナデは、一つの可能性を脳裏に浮かべる。


(ジゼル……もしかして、アンタは怒っているの?)


 月花が怒ったところを、カナデも知らない。見たことがない。怒ることがなかったジゼルは、何処で怒りを発散することが出来たのだろう。


 人は喜び、悲しみ、怒り、楽しむことが出来る生物だ。だのに彼女は怒ったことがなかった。――いや、そもそも怒ることがなかったのだろうか?


 不幸で何かある度に何かが起こっていたけれど、その度にジゼルは笑ってやり過ごしていた。悲しむことも、悔しがることもあったけれど、決して怒ることだけはなかった。


 何処の聖者だと言いたくなってしまうが、しかしこれはカナデの見てきた真実そのもの。ならばジゼルの怒りは、逆鱗は、何処に存在するのだろう。


 例えば今、ジゼルからイジメにも等しい扱いを受けている男が、ジゼルの逆鱗を踏み抜いて、さらに火に油を注ぐようなことをしていたのであれば、きっと今ジゼルが抱えている感情は――


「――マズい、かもしれない」

「何がですか? 主殿がこの状況から負けることなんて、天地がひっくり返っても有り得ない事態でしょう」

「違う、違うの。そうじゃないの。たしかにジゼルが負けることはあり得ないけど、問題はそこじゃないんだ」


 そう、()()はそこではない。そこに問題はない。例えこの場でゲームのシステム電源が落ちたとしても、明日には復旧して『CHAMPION Giselle』の文字が浮かんでいることだろう。



 ――お願い、ジゼル……



 カナデは願う。

 それが願ってはいけない願いだと言うことも、ジゼルの()()()()()()()()ようなことだということも、わかってしまっている。


 けれど、願わずにはいられない。これはただの我儘だ。だから口に出すことはないだろう。けれど、今のあなたは痛ましすぎる。あんなジゼルは、見たくない。それ以上は……だから――



(――それ以上、()()()()()……!)



 一人の少女に向けられた祈りが届いたのかいないのか、ジゼルの身体はフリーズする。何かを感知したかのように明後日の方向を向いた。


「……?」

「あ、ああ……ぐべっ!?」


 ジゼルの猛攻が止んだ隙を突いて、男は逃げ出そうとするが、すぐさま気付いたジゼルの剣に脚を斬り飛ばされる。斬り飛ばされた脚はころころと転がって、無残にもぼて、と止まる。


 再び男の絶叫が闘技場内に響き渡るが、そんなことよりもジゼルには気になる気配が近づいて来ていることに気付いた。


「……なんで――が?」


 思わずジゼルは呟く。

 意識して発せられた言葉ではなかったことと、男の爆音にも似た絶叫のせいで聞き取りづらいが、口の形は3つ……2種類の母音を発しているのだけはわかった。


 『a』『o』『a』の3つの母音が並んだ単語。


 男は痛みを堪え、涙に濡れた視界を拭って、ジゼルが見上げた東の空を見上げる。バサッバサッと大きな羽音を立てて、赤銅色の物体が飛んで来ているのが見えた。


「ど……どあごん……?」


 男は痛みで回らない呂律を必死に回して、頭にいくつかの疑問符を浮かべるジゼルに問う。


 何故ここにドラゴンが?

 彼女は気付いていたのか?

 彼女はあのドラゴンを知っているのか?


 疑問は尽きない。けれど、何故だか、危険だということだけははっきりと分かる。おそらく、ジゼルに与えられた感情と似たようなものを、あの赤いドラゴンから感じ取れるからだろうか。


 これは誰が見ても、運営からしてみても完全な異常事態(イレギュラー)


 やがて赤銅色のドラゴンは闘技場の中へと降り立ち、ジゼルの目の前に着陸する。


 ドラゴンはジゼルを見ると、挨拶がわりにフシューッと息巻いて一度咆哮を上げる。男は腰を抜かして無様にも驚き失禁していたが、その前で悠然と赤いドラゴンを見上げるジゼルは先程までの修羅のような睨みを利かせていた。


『やはり貴様の気配だったか――ジゼル』

「……いや、なんで貴方が此処に来たの?」

『なに、貴様と別れた後すぐに、この人間の街で憎むべき気配に似た何かを感じ取ったのでな。探しに戻って来てみれば……その男が貴様に痛ぶられていたと言うだけだ』

「ふーん……」


 ジゼルは、目の前の男を痛ぶっていたことに関しては特に言及せず、アドラの言葉をするっと躱す。


 AIであるNPCと、しかもドラゴンと親しいなんて、彼女は何処まで埒外の化物なのだ……! 闘技場にいるプレイヤー、大会関係者全ての疑問を掻き集める結果になってしまった。

 しかしそこはやはりサイコパス・ジゼル。腰を抜かしてもなお本能で危険を察知して逃げようとする男の、もう片方の脚を斬り飛ばして絶叫を上げさせ、ザワついた雰囲気の闘技場を、一瞬で沈静化させた。


『……ほぉ、なんだ貴様、怒っているのか?』

「ううん。これは怒ってるんじゃない。楽しんでるんだよ? 悲しんでるんだよ?」

『我には感情が爆発して怒り狂っているように見えるがな』


 痛いところを突いてくる。

 実のところ、ジゼルは自分でも今の自分が『らしくない』ことには、薄々気が付いてはいた。

 ただ、理性で理解していても、強い本能が拒絶反応を起こして、問題を排斥していて、溜まりに溜まったダムが決壊するかのように、理解出来ていた理性でさえも崩壊していたことは自覚出来ていた。


 感情の決壊。

 尊厳の崩落。

 ジゼルの心は崖っぷちを綱渡りするように歩いて、後一歩でも歩み出せば、ジゼルの精神は完全に壊れていた。


「……」

『なにも言わないか……。まぁ、それも良いだろう。……人間の持つ感情と言うのは難儀な代物だな』

「……うん」

『認めるのか。相当参っているのだな』


 心の盛り上がりは駄々下がり。これ以上この男を傷付けても、痛ぶり痛めつけても、ジゼルの心は高揚感で満たされることはないだろう。


『ならば貴様の面倒を一つ受け持ってやろう。この男は我が貰って行く。個人的に……いや、個竜的に聞きたい事もあるしな』

「ヒィッ……」

「でも、そうしたら、わたしはどうなるの……?」

『む? ああ、運営が開催しているこの大会イベントの結果か? 安心しろ。元よりこの男に表彰される資格はない。いま我が連れて行っても問題はなかろうよ』

「……面倒かけるね」

『なに、我が姉の呪縛を解いてくれた御礼とでも思ってくれ』


 観客には話している内容は伝わっていないのか、再び少しずつ騒つき始める。涙エフェクトは現れていないのに、どうしてか眦に温い水滴が伝っているように感じた。


 自分でもなんで泣きそうになっているのかわからない。だから、自分のことが恐ろしくて堪らなかった。

 度重なる不幸の末に感情を完全に制御できるようになって、しかし抱いたことのない感情にだけは何の対処もできない、最強の名が一人歩きしている無辜の化物である自分が、とても恐ろしく感じた。


「じゃあ後はよろしく」

『応とも。任された』


 踵を返してステータスウィンドウを開き、試合を終わらせようとするジゼルに、今までされた仕打ちで湧き上がる恐怖と畏怖を抑え込んだジゼルが待ったをかけた。


「ま、待ってください!」

「……?」

「貴女は……本当に、あのジゼルなのですか?」

「……」


 男はアドラに睨まれ、ジゼルに軽蔑の視線を向けられているのにも関わらず、向けられる殺意を振り切って問いかけた。

 その勇気に心の奥底で感服したジゼルは、『もう休め』と言うアドラの視線に顔を横に振って応答する。


 ポチポチとウィンドウを人差し指で叩きながら、ジゼルはポツポツと答える。

 彼がチーターだと言うことは運営も気付いているだろうから、通報ボタンを押せばすぐに肩が付く。後のことはアドラに任せても良いだろう。


 しかしすぐにでもそれをしないのは、男の胆力と勇気に免じて、問い掛けに答える気になったからだ。

 男がポリゴン化していく中で、剣を鞘へと仕舞ったジゼルは、どう話したものかと考えながら独りごちるように言う。


「……アナタが知っているジゼルが誰なのか、わたしは知らないよ? わたしかもしれないし、もしかしたらわたしじゃない赤の他人かもしれない」


 ジゼルは、男の顔を見ない。


「けれど、アナタがわたしをアナタの知っているジゼルだと思えるんだったら、わたしはアナタの知ってるジゼルなんじゃないかな?……ややこしいね」


 けれど――


「……うん、そうだよ。無理に考えを押し付けるようなことは……。……うん。したくないんだけど、これだけは言っておきたいかな――」


 本物(ジゼル)は目に金色を宿して、泣き目に惑う偽物()冷笑せせらわらう。



「――わたしは()()()だ」



 『WINNER Giselle』



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