運気0の憤怒
闘技場の盛り上がりは最高潮に達していた。
当然だ。これから始まるのは今までの、通常時の戦闘とは比較にならないほどの激戦と死線を潜り抜けてきた猛者たちによる一騎討ちなのだから。
ジゼルの体は氷のように凍て付き、されど心は烈火の如く燃え盛る。元々あがり症だった精神が、ここに来てさらに暴走し始めていた。
ジェネシスの時はこんなことはなかったのだが……。準決勝と決勝戦では、掛かる圧力のようなプレッシャーはワケが違うと言うことなのだろうか。
ともかく。今のジゼルは、とてもではないが、戦えるような心持ちではなかった。張り詰めた緊張感が、逆に張り裂けそうな勢いである。なんなら吐きそう。
しかしレディたるもの嘔吐にはプライドを持つべきである。無論、データ世界では吐瀉することは万が一にもないが……ゲロにプライドってなんなん?
もはや死に体と言うか、もう死にたいと思ってしまう境遇にあるジゼルは、目の前のなんかよくわからないくらいに恍惚とした表情でジゼルを見ている男に視線を向ける。
「……貴女は、いえ、貴女がジゼルですね?」
「えっ、あっ、はい」
今日はよく名前を聞かれるなぁ……と、もはや達観の域に達して賢者になりかけようとしている脳内を、急転換させて返事を返す。
「やはり! では先ほどの戦いはまさしくあの一戦の再現……否! 続きだったと言うわけですね! 素晴らしい! こんなチンケなゲームの中で、最強達の邂逅を目の当たりに出来るとはどれほど幸運なのか……! そうは思いませんかジゼル!」
「あ、うん……?」
なんか……なんかよくわからない悪寒が、ジゼルの背筋を凍土の大地のようにゾワッと襲う。
目の前の男は目を子供のように輝かせているのに、嫉妬が刻まれている羨望の眼差しを向けてくる。何故だかわからない。けれど、彼の視線はジゼルを本能の内から震え上がらせた。
――彼は危険だ、と。
というか、今チンケとか言わなかったかこの男。仮にも運営主催の大会でゲーム批判をするなんて、問題発言以外の何物でもないのだが、それはジゼルが介入するべき事案ではないので、取り敢えずは無視する。
「……申し遅れました、わたくし、このゲームでは『ジゼル』と言うプレイヤーネームでやらせてもらっています、貴女のファンです。どうぞ以後お見知り置きを」
「なっ、ジゼ……!」
「ええ、まあ、不思議に思うかもしれませんがわたくしも不思議がっていますのでお相子です。なんで同じプレイヤーネームを使えているのか、不思議で堪りません」
豚のよう……ああいや、猪のようにに細い目を、鋭い眼光に変えてジゼルを見据える男のジゼル(仮)。
嫌悪感のような何かを胸に抱きつつ、とにかく距離を測ろうとするジゼル(女)に、生き生きとした溌剌な声で、テンションが高くなっているジゼル(男)はさらに畳み掛けるように問いかける。
「どうやらフランスのバレエ音楽『ジゼル』では、Gから始まるジゼルが使われているようですが、もしかしてそれです?」
「あ、ううん、どうだろう……」
「――というか、なんで距離を離しているのですか?」
カッと瞳孔を開く。瞼の内に光が無くなって、ホラー映画もかくやと恐れ慄くレベルの恐ろしさが、元来の恐怖を天元突破していた。やっぱ怖いのは心霊じゃなくて人間ではないだろうか……
「わたくしはこんなにも貴女に語りかけているというのに! なんで当の貴女はわたくしを恐れ怖れ畏れているのですか! わたくしは、こんなにも貴女を愛しているというのに!」
「ひっ……」
主人公、涙目である。
得体の知れない恐怖は前に、それも自分へと爪先を向けて歩いてくる。恐怖のピエロや呪いのビデオのような、背後から襲いかかってくる感じの恐怖とは違う、狂気を孕んだ得体の知れない何か。
(もうやだぁ……)
これは熱烈なファンと言うか、もう新手の精神攻撃ではないだろうか。狂信者のような血走った眼を見せつけられ、ジゼルは恐怖と戦慄で身が竦む。
自分を付け回していたストーカーを目の当たりにしたような恐怖が腑の底から湧き上がり、憤りの炎を煮えたぎらせるには充分だった。
いくら最強と相対し、一騎討ちで打ち勝ち、今なおNo. 1プレイヤーの位置に座している最強のプレイヤーである以前に、ジゼルはいたいけな女子高校生である。ストーカーに追い回されるとか普通に嫌なのだ。
そんなジゼルの内心を知ってか知らずか、いやおそらく知らずにジゼル(男)は闘技場の真ん中で愛を叫ぶ。
「ジゼル……ジゼルジゼルジゼルジゼルジゼルジゼルジゼルジゼルジゼル! ようやく出逢えた愛しい幻想! 絶対に……わたくしの物に!」
「ひぇっ……!」
彼の言葉に悪戯がない。
つまり全てが真実であると言うこと。
ジゼルにとっては、未知なる天敵と言うことである。
ジゼル(男)はタンッと一歩踏み出す。すると姿が消えて残像だけが残り、ジゼルの視界内から行方を眩ました。
「……は?」
「――後ろですよ」
「〜〜〜〜ッ!?」
背後から肩に手を置かれる。突然の事にジゼルの肩が跳ねて、大型犬に出会った子猫のように跳ねる。心なしかネコ耳がぴょこぴょこと、ジゼルの頭の上で跳ねているような奇天烈な幻覚まで見えた――否、それは、
――幻覚では、なかった。
「……? っ!?」
「やはりわたくしの目に狂いはなかった。可愛らしいですよ、ジゼル」
ドッと会場中に笑いが巻き起こる。
戦闘中とは程遠い可愛らしい姿となったジゼルに、モニターを通して見ていた観客達から笑いと嘲笑が漏れ出ている。しかし、笑いの渦中にいるはずのジゼルは、ネコ耳を外すでもなく恥いるでもなく――ただ、ネコ耳に手を当てて2つの疑念の海に浸っていた。
――感覚がなかった?
そんなことがあるはずがない。
体外的感覚と言うのは、VRゲームに置いて基本中の基本。感覚が無いゲームほど、『クソゲー』扱いされやすい。視覚や聴覚だけで敵の位置を把握する従来のゲームとは打って変わって、VRゲームは五感全てで楽しめるように設計されているのだから。
今までの敵――最初の侍も、少女魔法使いも、カナデも、アヤメも、そして――わたしに唯一拮抗できるジェネシスだって、わたしと感覚を共有して戦っていた。
どんな仮想猛者であれ、相手に感覚を伝えないなんて珍妙なことは、それこそ天地がひっくり返っても起こり得ない事態なのだ。それをこの男は、その限界を突破している? システムの域を超越するほどの力を得ている?
――そして、あのネコ耳カチューシャは何処から出した?
この大会では不必要なアイテムの持ち込みは禁止だ。アイテムでの回復無しで武器は一つまで。アイテムに関する規律はきちんとしている。明らかに不必要なネコ耳なんて、持ち込めるはずがない。
この場で作り出した? そんなことこそあり得ない。相手に感覚を与えないほどの芸達者なプレイヤーのはずなのだ。鍛錬以外の他のことに時間を割くほど余裕があるはずがないだろう。
「おやおや、怖い顔してどうしたのです? うさ耳はお気に召しませんでしたか? ではうさ耳や犬耳のような動物耳、果てはエルフ耳のような物までも――」
そもそもなんのアイテムも持ち込めない状況で、無から有を作り出すなどそんなことを出来るのは――
「――ハッカー?」
「……!」
思い付いた言葉に、男が動揺した。
明確に。疑念は確信に変わる。深海の闇のように漂う疑念は、口にした推測によって動揺した男の、灯火のような微かな動きで、辺り一面に燃え広がる。
「……はっはっは。そんなことあるわけないじゃないですか。このZDOはかなり高度なセキュリティーシステムでミジンコのように微かな害虫も逃さないくらいレベルなのですよ。わたくし如きがハックなんて出来るわけが――」
ジゼルはふるふると首を横に振る。
「うん。でもそうじゃないと話が繋がらないの。感覚のない動きとネコ耳を締まっていたはずのストレージ。普通ならそんな不公平な要素を、厳格にゲーム内を管理する運営が作るはずがない。当たり前じゃん。そんなものがあったら、他の……わたし達みたいなプレイヤーもこぞって手に入れに行くはずだからさ」
「――」
「今回の大会は不必要なアイテムの持ち込み禁止。武器は一つまで。わたしの剣だって折れてるのに、いまでも変えれないで、原型を保ってるくらいなんだよ?――片刃の剣状態でね」
帯刀していた鞘から剣を引き抜く。その切っ先はすでに無く、まるで大きな柄を持つナイフのような佇まいの剣だった。
普通なら壊れた時点でポリゴンと化し、虚空へと消えてしまうはずのシステムなのだが、しかし今回の大会に限り、武器は壊れても消えない仕組みとなっている。
この形状の剣になってくれなければ、ジゼルはきっとドラゴンに打ちのめされ、それを超えたとしてもジェネシスに殴り飛ばされていたことだろう。『魔法奪取』は、武器でなくなったこの剣でしか、おそらく出来ない芸当だから。
――『武器替え無し』。そして『回復無し』。
その恩恵は呪いとも祝福とも取れるような、絶大な効果を発揮して、ジゼルの今までを守り通していた。だからこそ、その恩恵の渦中で戦い抜いたジゼルだからこそ、彼の所業は身に余る行いだと考えた。
「――で、あなたは何処からこれを出したの? 運営の目を掻い潜れるくらいの凄いアイテムなんだったら、わたしも欲しいからさ」
ただの知的好奇心です、とでも言いたげな笑顔で、ジゼル某に死刑宣告を告げる。この事実を告げても、告げなくてもおそらく、彼女は自分に襲いかかって来る。襲われる恐怖を彼に伝えるために。
「――」
タンッと男は地面を蹴る。
それだけでジゼルの真上へと、獅子が獲物に飛び掛かるかのような姿勢で、振り下ろせばジゼルに当たってしまいそうなくらいに早く。鬼気迫る顔で。
「っ!」
「さよならです。またお会いしましょう、ジゼル」
× × ×
――時は少し遡る。
ジゼルに敗北を喫したジェネシスは、ジゼルの炎に思い切り焼かれた部分に痛みを感じるのか、切り株型の椅子に座って体の至る所をさすりながら、ジゼルとジゼルの名を騙る男の戦闘ビジョンを傍観していた。
隣には彼の相棒である青年が立っていた。名をユーリン。ジェネシスの専属マネージャー兼、業界でも五本の指に入るほど強豪のゲーミングチーム『Dangerous abyss』の社長兼、シミュレーションゲームでは凄腕プレイヤーとしても有名であると言う、非常に異様な経歴を持つ男だ。
そのユーリンは怪訝な表情で、相棒であるジェネシスを、鷹のように鋭い眼光で睨んでいた。
無論、ジェネシスが敗北したことではない。勝ち続ける人なんていないのだから、ゲームで負けたのは仕方のないことだ。問題はジェネシスの発言にあった。
「ハッカー……ですか?」
「ああ、間違いねえな。あの動きは俺たちでも出来やしねェ」
「俺たち……と言うとやはり……」
「ああ、俺とジゼルだ」
ジゼル。
ジェネシスの好敵手にして、2度も敗北させた因縁の相手。現在の最強の座を独占している上に、自分の本領である剣から魔法へと逃げようとしている、ジェネシスを置いて今なお画面内で戦っていられる少女。
ユーリンのなかでのジゼル像はそんな感じだ。しかし思いの外当事者のジェネシスの評価は高く、最近では評価を変えた方がいいのではと思いつつある今日この頃。
無論、ゲームの腕も生半可なものではない。なんせ、このジェネシスを2度も負かしているのだから、ユーリンが戦ったとしても、彼女の掌の上で踊って倒されることだろう。
そのジゼルの相対する相手が見せた行動が、目の前のジェネシスも、ビジョンの先で戦っているジゼルも出来ない行動だと言うのだ。これが驚かないでいられない。
「それは能力の程度ですか? それともシステム的に?」
「両方だ。俺たちはシステムなんてモンは飛び越えられるが、流石に物理法則は越えられない。そもそも重力がなかったら戦えないからな」
「あの方は重力を無視したと?」
「ああ。アイツ、システムハックしてやがるぞ」
珍しくジェネシスの顔が歪む。
彼は苛烈であるが、その実短気ではなく、喧嘩っ早いわけではない。ジゼルを除くと説明する必要があるが、それ以外では意外にも理知的な一面も持ち合わせている。
しかし今のジェネシスの言葉には、色々と無理がある。そもそもZDOのサーバにはハッキングなんて誰であろうと出来っこないのだから。
「詳しいこたァわからねえが、流石に今のをシステム内の物理法則に則った行動、なんて言葉で片付けられるほど俺は馬鹿じゃァねェ」
「ではZDO運営が――いえ、アスラ社が所有するスーパーコンピューターがバグを見逃していると?」
「そこまではわからねェよ。わかるのはアイツがチートを使っているってことだけだ。ほら、ジゼルも気付いたみてェだぞ」
ビジョンを見ると、何か言葉を発したジゼルと、その言葉に動揺したらしく微かに肩を震わせたジゼル某が映っていた。何を言ったのかはわからないが、けれどジェネシスと似たような内容なのだろうか。
会話内容を聞き取ることは出来ないが、しかしジゼルの言葉は男の図星を突いたことだけは、はっきりと確認出来た。
「まァ、こうなったらアイツは十中八九負けるだろうな。身が持たねェだろうしよ」
「あなたの考察が当たっていたら、の話になりますがね。ハッカー相手に数々の強敵を相手取って来た彼女には、彼の相手は身が持たないでしょう」
「――あァ? 何をジゼルが負けるみてェなこと言ってんだ? そんなことを言った覚えはねェぞ」
平然と。ジェネシスはジゼルの敗北を否定した。
しかしユーリンから見てもジゼルの劣勢は明らかだったのだ。さらにジェネシスの考察から察するに、相手取っているのはハッカー――言い直してみれば一部システムを書き換えている卑怯者である。
どう考えてもジゼルの勝利は、ない物だとばかり思っていたのだが……どうやらこの男はそうではないらしい。
「アイツは俺と渡り合ってはいたが、その実、本当の力を出しちゃいねェ……いや、出せちゃいねェってのが正解か」
「何故ですか? 彼女はこれ以上に強くなれると?」
「あァ、強くなるってか、イカレるってのが正答だな。アイツは頭を使ってる分、出せる力の半分しか出しちゃいねェ」
「……化け物ですか?」
「はははッ! だとすると俺は勇者かなんかだな! あのバケモンと対等に戦ったんだからなァ! 負けたケド!」
いえ、あなたは怪物ですが、なんてことを言葉にする必要性はない。そんなことを言ったら不機嫌になることは間違いない。彼との間に変な軋轢を生むことは得策ではない。ユーリンは黙って聞き手に回る。
「いいかユーリン。俺たちみてェなプロが出せる力には2種類ある。一つは日々の研鑽で磨き上げたプレイヤースキル。戦闘技術や取得スキルなんかがそうだ」
「……」
「そして2つ目。相手に向ける感情だ。感情は大きければ大きいほど、多ければ多いほど、手札が増えるからいい。恐怖、敵愾心、殺意、エトセトラエトセトラ……」
「……ほう」
なかなか興味深い話だ。
プロゲーマー直々に聞かせてくれる哲学だろう。プロゲーマーは技量だけでは成り立たないと聞いたことはあるが、しかしユーリンは話半分くらいにしか信じていなかった。だからジェネシスの説明には深い興味が湧いた。
「そのなかでも一番抱くべき感情は『怒り』だ。怒りってのは精神構造的に、人間の根源に最も近い場所にある感情だからな。結構抱きやすいんだよ。敵に屈しないパワーにも変えられるから、その分一石二鳥だ」
「それでは、その中のジゼルは何かが足りなかったと言うことですか?」
「その通り。アイツに足りなかったのは『怒り』。例えば「敵が思惑通りに動いてくれない」だの「上手く事が進まない」なんて感じのなァ」
ジゼルは如何なる状況でも『怒り』を抱かず、その分を『喜び』や『哀しみ』に変えてゲームを心底楽しんでいた。自他共に認めるエンジョイゲーマーだ。そして今までの人生が不運続きなこともあって、感情の制御は慣れていた。その結果が『過負荷状態』だ。
しかしだからこそ、彼女は『怒り』を抱かずに、己が技量だけでジェネシスを打倒した……出来たのだ。
「アイツはたしかに強いが、根っこは何処までもエンジョイ勢だ。ただ狡くて、卑怯で、パーティをガチガチに固めることなんてせずに、単純に楽しみたいだけのプレイヤーだ。ユーリン、お前だったら、目の前に楽しみの邪魔を意図的にやりに来た奴が現れたらどうする?」
「怒りはしますがそれくらいですかね。手を下すほど人間性は落ちぶれていないですから」
「だよな。お前はそう言う奴だってことは知ってた。だけどジゼルが立ってんのは戦場。明確に公に『殺し合える』舞台上だ。そんなとこに立っているアイツがすることなんて――決まってんだろォ?」
悪い顔で笑う。おそらく彼も相当腹が立っていたのだろう。
『チーター』は全プレイヤーからヘイトを買う輩どもの総称だ。それは勿論ジェネシスも例外ではなく……それは画面に映っているジゼルにも言えることだった。
男はジゼルへと飛び掛かる。持っている武器はククリ刀か。ブーメラン型の湾曲した形状の変わった形のナイフだ。技術が発達した現代でも使われているだけあって殺傷力は高い。
さらに彼の移動スピードから察するに、攻撃の際にかかる倍率も、特殊倍率の補正が掛かっていて、さらに打撃力を高めていることだろう。
「――戦場での怒りを覚えた戦士ほど、怖いもんはねェぞ」
片手で持っていたナイフのように小さな小刀で、男の攻撃を受け流す。一歩も動くことも退くこともなく、ただ突っ立ったままで受け流した。
「アイツのことだから、どうせ考えてることは――」
「まったくもぅ――」
奇しくも同じ時間に同じ瞬間、同じ考えを抱いた相対する2人の豪傑が、まったく同じ言葉を発した。
『水差されたし、ぶっ殺すか』
「――ってな」
ジェネシスは悪い顔で嘲るように笑い、
「――なんてね」
ジゼルは片目を閉じて、睨むように微笑んだ。
誤字脱字報告、感想、ブクマ待ってます!




