運気0の魔法奪取
メラメラと炎が燃えている。
赤竜から掠め取った紅蓮の業火は、今や剣の形を為してジゼルの力の一端として君臨している。
ジゼルは炎の剣を白竜に向けて構える。
魔法奪取と呼ばれるシステム外スキルがある。
他プレイヤー、あるいは魔法使い系のモブの魔法と、自身の持つ得物となる武器を接触させ、ゲーム内データでの肉迫を行う。肉迫した際に生じる一瞬のホワイトアウトで『付与魔法』を行使すれば魔法を奪うことが可能なチートスキル。
しかし使うにはコンマ1秒の隙を逃さない、並みの人間以上の動体視力――つまり先天性のゲーム外パラメータが必要となり、常人には不可能な領域とされる。だがシステム的には可能とされていた。
ジゼルには常人以上の化け物染みた反射神経がある。動画投稿サイトに投稿されていた動画を視聴してからというもの、脳内シミュレーションを行い、いつでも使用出来る様に備えていた。
――そして、見事ぶっつけで成功させた。
『――なっ』
「グゥルル……」
赤竜は驚き絶句し、白竜は目の前で起きた人外が行うような光景に警戒度を高める。
ジゼルは業火の剣を上段に構え、腰を半分だけ上げて中腰になる。猫のように細い目をさらに細めて白竜を睨みつける。こんな構えであれば、魔法を撃ち込めば倒せてしまう。だというのにまったく隙がないように見える。
白竜は認識を改めた。
この人間は餌ではない。自分を倒し得る、強大な敵なのだと。
「グルラァァアアアッッ!!」
憤懣の咆哮を一つ上げると、口内を燕尾色に光らせる。獄炎を溜め、毒を生成し、目の前の敵を殺すことのできる技を繰り出す。
自身の脅威たり得る攻撃を前に、ジゼルは恐怖を捨てて前へ前へと走り出す。その俊足は人間の領域を超え、神速へと到達し、システムと呼ばれる実数間の空間から白いスパークがバチバチッ! と弾ける。
目が充血したかのように紅蓮に染まり、赤い軌道が背後へと流れ、一条の赤い流星となって走る。
ガキィンッ! 剣と鱗がぶつかり合い火花を散らす。装甲が崩れている腹部を狙ったはずだった。しかしジゼルが速すぎるために、剣を振る間合いを間違えたのだ。ジゼルはバク転で後退して体勢を立て直す。
その隙を逃す白竜ではない。然も待っていたかのように口内に溜め込んだ獄炎を吹き出す。放出される先は体勢の崩れているジゼル。
「――『逃走者』!」
言霊でスキルコマンドを素早く打ち込むと、ジゼルの体が勝手に動いて押し寄せる炎を回避する。
『逃走者』は回避に特化したスキルだ。使うと一定の確率で攻撃を回避することができるスキルで、ほとんど運ゲーとなってしまうスキルなのだが、その過程には『一部を除く』という説明文が必要となる。
完全にランダムで回避を実行するわけではなく、2つの条件をクリアしていれば確実に回避することが出来る。『逃走者』を使っているプレイヤーは、それを感覚的に知覚することができる。
まず1つ目に攻撃者か一定以上――おおよそ10メートルほど離れていること。
2つ目に攻撃の対象が自分1人だけであること。
この2つを満たしていれば避けることができ――今のジゼルはその2つを満たしていた。
「ッ!」
「ツッ……おおおおぉぉお!!」
スキル行使の反動によってよろめいた体を叱咤して無理やり起こし、脚に負荷をかけながらジゼルは突貫する。
データの体が唸りを上げている。
もう無理だと嘆いている。
やめてくれと苦しんでいる。
――知らない、知らない、知らない!
自分のことを、誰よりも自分がわかっていないジゼルは、苦しみ悶える己に向けてこう叫んだ――「是非もなし!」と。
「ぉ、がっ……!? ……ぁあああ!?」
「グゥルルラァアア!?」
その技量は人間の域ではなく、システムを超え、人を超え、およそ唯一神さえも超えるであろう。
先天性の天才は、運はなくとも光り輝く。
その一歩は極致にして無窮。人類の頂にして、神域への出発点。ジゼルが常人であったなら倒れているであろう好転の一歩。システムに則ってプレイしていたならば、確実に敗北へと繋がった地雷上の一歩。相手方の勝利に繋がる己の歩みを、確実にジゼルは踏み終えた。
だとするならば、後はジゼルのターンである、
ゲームクリエイターの予想を遥かに超え、1人の元最強プレイヤーは『プレイヤー』と言う概念の限界へと挑戦する。
――天才は、竜にも、あるいは神にさえも届く。
赤竜アドラは悟った。彼女の一挙一動は、人類が届き得る一つの可能性であり、決して届くことが出来ない神技なのだと。
竜の吼えた炎剣に、さらなる炎が燃え盛る。ジゼルの視界では、如実に炎剣が白竜の腹部を捉えた形を見定めた。スパークが迸る。轟々と炎が燃え盛る。
「終わ、り……だぁあああ!!」
ジゼルの咆哮にも似た叫び声とともに、加速度的に火力が倍加した。炎はさらに大きくなる。大きくなる。大きくなる。大きくなる。ジゼルの背丈を超える大きさとなった炎は、白竜の腹を焼き焦がし、風穴を開けて爆発した!
ジゼルの炎剣が白竜の腹部を貫いた。ぽっかりと大きな穴が空いたその巨体は、力なく前のめりに倒れていき、ドシンッと大きな音を立ててみっともなく倒れ込んだ。
しかしジゼルの本気の攻撃を受けてなお、未だ粒子となって消えていないところを見ると、流石はドラゴンだと言うべきだろう。
苦しさの滲む声を出し、白竜は赤竜を見上げる。
「グァ……ガッ……」
『姉上……』
煉獄によって焼かれ倒れ伏せた白竜を前に、赤竜は空から舞い降りて倒れ伏せた姉竜を見る。その目には同情はないが、怒りや憎しみと言った敵意もない。
仲の良い姉なのだろう。この2体に何があったのかは知らないが、イベントが進むということは、紛う事なき戦いの終わりを告げていた。
ジゼルは、シリアスモードに入る2体の竜を尻目にガッツポーズを天に掲げた。ドラゴンに勝ったのだから、これくらいは別に良いだろう。
勝利を噛み締める少女のそばで、イベントは未だ続いている。
「ア……ドラ……」
『……我が姉よ。気を取り戻したのだな。我は、アドラはここにいるぞ』
「アドラ……ヴォ……ィ、ガンを……たお、して」
『わかっている。彼奴は我が必ず倒してみせよう』
白竜は大きな口を上げて笑う。そして赤竜に向けていたおおきな琥珀の目をジゼルに向ける。
「あり……が、とう……小さな、可愛い、人間さん」
「……っ」
白竜は小さく笑って己を倒したジゼルに笑いかける。その笑顔には、先ほどまでの凶暴な感情は隠されていない。表裏が一体となった優しい笑顔だった。
およそただのAI――NPCとは思えない人間味に溢れた表情だった。
やがて白竜は力尽き、目をゆっくりと閉じて息絶えた。
『……元々、我と姉はウェールズと呼ばれる一つの存在だったのだ。2人で一つの強力な竜だった。それをあの男が……!』
「――あの」
呟くような小さな声でジゼルに語り出したアドラに、ジゼルは右手を出して待ったと制す。
「その話って、もしかして長い?」
『まあ、少しばかり長くはなるが――』
「OK、その話はまた今度にしてくれる? そんなことよりも早くこの渓谷から出たいんだけど」
『む……』
シリアスシーン? そんなのやってられません! とばかりに、時間が押して焦っているジゼルは急かすようにアドラに言う。
それもそのはず、ジゼルのスクリーンに映し出されているカウントダウンの時計の数字は、着々とその秒針を進めていっているからだ。もう後2分程度しかない。
己よりも大きな巨体を誇るドラゴンの前で、はやく! はやく! とウサギかカンガルーと見間違えそうなくらいぴょんぴょんと跳ねて、アドラを急かしている少女を見て、急かされているアドラは苦笑して背を屈める。
『……いいだろう。我が背に乗れ、我が姉を倒せしドラゴンスレイヤーよ。我が貴様を人間の街へと連れて行ってやろう』
「おおっ……!」
これは幸いだ、とばかりに目を輝かせて、ジゼルはアドラの背中に飛び乗った。
赤い竜が羽ばたいた――!




