運気0の帰還
カエデを背中に乗せたジゼルは、青い粒子体となって外に設置されてあるもう片方のリスポーンパットへと転移した。
そこには数人の人達がいて、短剣や杖、あるいは戦斧を向けて待っていた。前へと出てきた一人の男が、ニヤニヤした笑いを浮かべながら近づいてきた。
「よお嬢ちゃん達。疲れてるところ悪いな。すまないけど、クリア報酬を置いてってもらえるか?」
「CK……!」
「……しーけー?」
聴き慣れない言葉に、ジゼルは首を傾げる。
「クリアーキラー。攻略者殺しの卑怯な連中よ。ダンジョンを攻略して疲れている人達の、売れば高い値になるアイテムの横取りを狙うプレイヤーキラー」
「プレイヤーキラー……」
VRMMOというジャンルの初心者であるジゼルには、『PK』という概念が良くわからなかった。
何故、プレイヤー同士が協力するゲームの中で、プレイヤー同士が戦わなければいけないのだろうか。
しかしプレイヤーを倒すプレイヤー集団に目をつけられたと言うことは――
「私達は不幸ってこと?」
「……うん。まあとにかくアイツらは、確実にアタシ達の敵ってことよ」
「違うぜ? アンタらが報酬を置いてってくれたら、俺達はアンタらを殺しゃあしない」
数と物量の差で優位を取っていることに慢心しているのか、先頭の頭にバンダナを巻いた斧使いが、ニヤニヤしながら言ってくる。
「ジゼル。ここは逃げた方がいい。もしくはアンタ一人で逃げて。アンタが持ってる報酬は何がなんでも渡したくない」
「……無理だよ。カナデと一緒に帰りたいもん」
「でも!」
「――うぅん……。こうなったら、しょうがないか」
「カッコよく使いたいのは魔法なんだけどなぁ……」そう言って笑ったジゼルの目には明確な敵意が浮かんでいる。笑っていても笑っていない。殺意にも似た明確な敵意。敵を見据えた剣闘士の目だった。
「……ぇ?」
ジゼルの目が、紅蓮の色に染まっていた。
「まったくもぉ……しょうがないなあ!」
ジゼルは短剣を両手で携える。目尻に涙エフェクトを溜めて目を据わらせるジゼルに、一連の光景を見ていた者達からザワめきが生まれる。
「魔法使いが剣を持ったぞ!」
「何をするつもりだ!?」
言葉を発している者達にはわかるまい。声を出さず息を飲む者は、脳裏にとある情景が過ぎったのだろう。彼の有名な対戦シミュレーションゲームでの、伝説的な一戦を。
【ショートファイト・コロシアム】と言う、有名な対戦アクションゲームがある。
VRの仮想世界で繰り広げられる想像を絶するほどリアルに近いグラフィックでの戦いは、観る者を熱狂させ、【SFC】のEスポーツの大会などはテレビで特番にされるほどの人気振りだ。
そのゲームには当時No. 1プレイヤーだった【ジェネシス】と言うプレイヤーがいた。あらゆる状況に対応し、凄まじいほどの反射神経はチート行為を疑われるほどだった。
ジェネシスは、ある時ふと思い立って、気紛れでランダムマッチを行い、それを動画投稿サイトを介して三人称視点でネットに配信していた。その最中に彼は一人の女剣闘士アバターのプレイヤーとマッチングした。
アバターのランクは『10』だった。ランクだけならば誰が見ても駆け出しも良いところの初心者だ。不幸にも初心者がジェネシスとマッチングしてしまったのだ。そしてマッチが始まって数分後に――
ジェネシスは完膚なきまでに叩きのめされた。
ジェネシスは誰に対しても『手を抜かない』ことで有名だった。No. 1プレイヤーとしての義務と責任、そして矜恃を一手に担えるほどの胆力の持ち主だった。
しかしジェネシスを上回る反応速度、ジェネシスの出す技の一つ一つに臨機応変に対応する数々の剣術に、No. 1プレイヤーとして君臨していたはずのジェネシスは対応出来ず完封された。
それを見ていた視聴者によって、そのマッチがネット上に出回ると、ゲーム界隈に激震が走る。
あのチート行為さえ疑われていたNo. 1プレイヤー【ジェネシス】が、HPゲージを減らすことなく敗れたのだから。
女剣闘士の出所を探ろうとする者、女剣闘士のチート行為を疑う者、ジェネシスに対して露骨な誹謗中傷を行う者。実に様々な人間がネットには溢れかえっていた。
チートコードも確認されず、チートアイテムを使った時に生じる不自然なラグも無い。残ったのは女剣闘士の実力が確実に本物だったという事実、そして【ジゼル】というプレイヤー名だけだ。
この事件はゲーム界隈全土に激震を走らせた。まさに神話のように伝えられている都市伝説――【最強の女剣闘士ジゼル】は、一躍脚光を浴びる対象になったが、それきりマッチングに出てこなくなり、ジェネシスの仇を討とうとした者も諦めざるを得なかった。
ネットでは『ジェネシスに打ち勝った臆病者』『偶々No. 1になった不幸者』と囁かれていたが、晴れて名実ともに謎の剣闘士プレイヤー【ジゼル】は、世界最強のプレイヤーの名を手に入れた。
【ジゼル】は何故消えたのか、そこの議論が尽きず、今もネットの何処かで議論が交わされている。
しかしカナデだけが、女剣闘士が【SFC】の世界へと出てこれなくなる理由を知っていた。
「ゲームハードが没収されてたんだもんねぇ」
チートを使うことなくNo. 1に圧勝した女剣闘士は、高校の英語のテストに負けていた。
ゲームに没頭していたため勉強に集中出来ず、過去最低得点を叩き出した模擬テストの結果を見た両親によって、ゲームハードは没収。物理的に女剣闘士がバーチャルワールドに入ることは出来なくなっていた。
女剣闘士はゲームを諦め泣く泣く勉学に精を出し、バイトにも精を出し、ようやく両親の許可をもらい、バーチャルの世界へと戻ってきたのだ。
その日、剣と魔法の異世界に、世間を騒がしたPVP最強のNo. 1迷惑剣闘士がVRの世界へと帰還した。
「や、やめ……」
そのプレイヤーの言葉は、それ以上長くは続かない。
片手剣を両手で持ったジゼルは、盗賊の膝を、魔法使いの両手首を、剣士の首を切り、兜を被る者の顎を的確に砕いていく。
蹂躙劇を繰り広げる少女は、一言で表すなら【無】だった。喜びも、悲しみも、情も無い。感情の無い顔。ただの【無】。
蹂躙して大量PKをしているというのに、それをさも当然と言った風に殺戮する少女は、まさしく鬼神の如き獅子奮迅の勢いだった。
それは非情であり、残酷であり、当然のことでもある。やられて倍返しは、剣闘士となったジゼルにとっての基本なのだ。
だから負けない。負けることがない。
ジゼルに付いていけない自分には出来ることはない。出来ることと言えば、懸命に応援することだけだった。
「いっけぇええ! ジゼルゥーーッ!」
「――ッ!」
カナデの声援を背に受けて、ジゼルは突貫する。
剣で対抗するプレイヤーの剣を弾き、弾いた勢いを利用して回し切り。反対の刃で胴体を斬り裂く。ポリゴンと化して消滅する。斧使いのプレイヤーが戦斧を振るう前に懐に入り込み、刃を腑へと捻じ込む。
「ひ、ひぃいいい!?」
「――フッ!」
ザシュッ! ズシャッ! ザクッ!
鈍い音を立てて、背を向けて逃げ出したはずのプレイヤーの背には、細い赤い傷エフェクトが描かれて、すぐにポリゴンと化し消滅した。
《『剣術 Lv.1』を習得可能になりました》
《『付与魔法』を習得可能になりました》
《『鷹の目』を習得可能になりました》
《『対人無双』を習得可能になりました》
《『型破り』を習得可能になりました》
流れるログを無視して、次の敵へと狙いを定める。
「……《ロックショット》《ロックショット》! 《ロックショットォオオ》!」
飛来する魔光を帯びた大量の弾道予測不可能な岩石を、魔法職特有のAGIの低い脚と、自前の反射神経と先見の目で避けて掻い潜る。
「……嘘で――」
「……シッ!」
ザシュッ!
魔法使いが漏らした心からの絶望の声は、ジゼルの持つ剣によってポリゴンと化して掻き消される。
「……ハァッ!」
ジゼルに斬られ、散っていくプレイヤー達は気の毒だ。能面のような無表情で斬りかかってくる剣闘士のシルエットは、きっとトラウマになっていることだろう。
切る。キル。斬る。容赦なく、秩序なく、女剣闘士はその場に混乱を齎らした。もとよりいくらゲームであろうと戦場に秩序は無い。だからこそ、PK集団のプレイヤー達には今の状況を把握するには時間が必要だった。
その思考が一瞬の刹那であろうと、ジゼルが斬り伏せるには充分すぎる時間だった。
最後の一人を斬り伏せると同時に、ジゼルは前のめりに倒れていく。
「……ジゼル!」
覚束ない足取りで近寄り、地面に倒れ伏した最強を抱き上げる。意識を確かめるも気を失っているだけだ。問題はない。ジゼルの体が光の粒子となって消えていく。
興奮したジゼルの脳波をゲームハードがキャッチして、意識をリアルの世界へと強制送還したのだろう。カナデは安堵のため息を吐いた。
一人取り残されたカナデは、ふらふらとした生まれたての小鹿のように立ち上がる。どこか遠くを見るように、データ媒体とは思えない群青の青空を見上げる。
「やっぱ私よりスゴいよ……アンタ」
誰に語りかけるでもなく、カナデは独りごちた。
 




