天才プログラマーと黒騎士
リィアンが死んだ。
現実ではない。ゲームの世界でだ。
ただのゲーム。たかがゲーム。
されどゲーム。
この世界は、既に娯楽ではなくなっていた。
この世界で死ぬと、装着したゲームハードから高電圧の電流が流されて即死するそうだ。
このゲームをデスゲームとするなら、それが唯一の手段だろうと、リィアンさんが――友凪莉愛は言っていた。
そのリィアンが、ポリゴン化して消えた。
一瞬。刹那。その隙を突かれてリィアンは消えてしまったのだ。
――もう、しくじらないよ。
誰が言ったか、その言葉。
よくよく思い出してもみろ。
強さ故の慢心か。
それとも傲慢か。
ともかくわたしの油断がリィアンを死に追いやったことだけは明白だ。
やらかした。やってしまった。
そんな軽い言葉では、到底追いつかない焦燥感と罪悪感が、ジゼルの心を色濃く蝕み始める。
「…………」
「残りはキサマだけとなったな、ジゼル」
電子の世界には存在しない嘔吐感が、ジゼルの喉の奥から込み上げてきている。足が竦んで動かない。
「ぁ……ぁ、あ……」
嘔吐感と共に吐かれた声は、とても人間から発される物とは思えないほど弱々しく言葉として形になっていない。
どうする。どう償えばいい。
人を1人殺した。わたしの油断で知人を殺したのなら、命を以て贖罪を――
「……っ」
ギリ……
歯が痛い。歯噛みしていたようだ。
その痛みでジゼルは我を取り戻し、周囲の状況を把握する。
すでにジゼルクローンが接近してきており、その差は僅か10センチにも満たない。
「ごめんなさい……」
ヒュン、と。ジゼルクローンの持つ刃が、ジゼルを殺めるために振るわれる。
すでに1センチにも満たず、その距離はおよそ、ジゼルがリィアンを助けられなかった距離に値する。
「……ごめんなさい」
他人を助けられなかった距離。
だが今は状況が違う。助ける目標が他人ではなく、己であるならばそれは違う。
「ごめんなさい、リィアンさん」
涙を流して笑う狂人。
いや瞳孔を開いて敵を睨む阿修羅が、己に振るわれた刃を弾いた。
「わたしは今、悲しむことができないみたいです」
ーーー
「怒りの中でも笑みを浮かべるか……」
ヴォーディガーンは悟る。機械的だった少女に感情が戻ったのだ。
ここに至るまで無感情だったジゼルは、確かに並の人間を遥かに上回る力で、速度で肉薄してきた。
だがしかし、感情を見せた状態のジゼルは、恐らくそれ以上の未知数を保ち、その勇猛的なまでの力を隠している。
「…………刻限か。出てこい、そこにいるのだろう?」
背後を一瞥し、この戦いを傍観していた者へ問いかける。
黙っているのなら、それでもいい。ただ、それでもこの戦いに関係しているのならば、傍観するだけでなく言葉を発して欲しいと問いかけた。
「それ、僕のことッスよね?」
聞こえてきたのは軽薄そうな男の声。
予想の斜め上の言葉と声にヴォーディガーンは舌打ちながら、対話をしようと心掛ける。
「貴様らアスラのことだ。既に手を打っているのだろう? リィアン……友凪莉愛は無事か?」
「さて、どうッスかね? アンタのせいで脳みそが関電してるかもしれないし、してないかもしれないッスね?」
「ふん。その余裕そうな声を聞く限り、無事なようだな」
「いやまじで違う場所にいるんで、僕にゃわからないンスよ」
どうだか。敵に塩を送るほど優しくない、と言っているようなものだ。
この世界で死んだら現実でも死ぬように設定はしているが、その後の動行は全くわからない。
「まあいい……。それで傍観者よ。キサマはジゼルをどう見る?」
「ジゼルちゃんッスか? あー……めちゃくちゃ優勢なんじゃないッスか? すんごい暴れてるし」
「阿呆が。そういうことではない」
「……壊れてるッスね」
聞きたかったのは戦闘の動向ではなく、他者から見たジゼルの精神構造だ。
悲しいが笑う。護るべき物を護るために戦う。護るべき物を失ったと思っていようが、戦闘を続ける様はまるで武人のようだ。
とてもではないが、現代を生きる人間の思考回路ではない。
怯えることもあるが、それでも立ち止まることはせず。
戦い続けながらも、勝利する可能性を信じて笑みを浮かべる。
悲しんでいようと、怒っていようと、その顔には笑みが浮かぶ普通とは隔絶された感情の少女。
ジゼルとは一体、なんなのか。
それを傍観者の視点から聞けると思ったのだが……
「壊れていると?」
「はい。ジゼルちゃんとの付き合いが短い僕ッスけど、少なくともそんな僕でもわかるくらい、人として破綻してると思うッス」
「人としての破綻……意味するところは?」
「喜怒哀楽の欠陥ッスね」
…………ふむ。
「悲しい時に笑い、嬉しい時に怒る。状況から出るはずの感情と、機械から算出されたバイタル値が一致しない人間なんて、見たことないッスよ。言っちゃえば不安定っすね」
「ジゼルの力の源がそれと。そう言うのか?」
「それを僕が言うと思うッスか?」
「ふん」
喜怒哀楽の欠陥。いや感情の欠落か。
脳と間接的に接続されているゲームだからこそ、このような前代未聞の症状が見つかるのだろうか。
推測に過ぎないが、恐らくこれは新しい時代……第三次産業革命で名称付けされる精神病のような物だろう。
精神と体が不安定に隔絶され、我意識が神経系の中で独立している……
「そういうことか」
「なんかわかったんスか?」
「我が言うと思うか?」
「案外食えないッスね」
やれやれ、と肩を落とす。
鋭い眼差しから滲み出る憤怒が悲壮感に変わり、ポロッと愚痴を溢すように男は言った。
「ってーか僕、敵とのほほんと話してて大丈夫ッスかね?」
「今更だろう、山郷広輝。はたから見たらキサマは我の共犯者であるぞ」
「うぇ。違うのに。一羽サンに怒られそッスわ」
たはぁ、と息を吐いた。
隣の男は眼鏡の奥に潜ませた獰猛な瞳をしている。敵視はしているようだ。
「てか。いま僕のこと広輝って言ったっスよね?」
「キサマの情報はアスラのデータベースに記録されていた。熊本県出身のプログラマーであろう。親族の情報でも言ったら信用するか?」
「いんヤ。…………いやぁ、本当――」
チリ。ヴォーディガーンは、頭に電流が走るような痛みを感じる。
何処かで見たような、あるいは何処かで聞いたような不穏な声音だ。正常に見えて、狂っている。そんな男を、何処かで……
「何処までもデータに素直なんスね。ヴォーディガーン」
ほんの少しだけ男のアバターのポリゴンが乱れる。
強制転移か、現実帰還か。どちらにせよ、これを放っておいては逃してしまうことになる。
「残念スけど。山郷広輝は僕の弟の名前ッスよ。アンタが見たデータは全て偽物です。アスラ社に山郷広輝なんて人物は存在しない」
手を伸ばしたが、遅かった。
掴もうとした手は宙を掴み、手応えのなさにヴォーディガーンは舌打ちする。
「僕に構ってていいんスか? アンタの敵は僕やジゼルちゃんだけじゃアない。一度、ジブンが敵に回した人達を数えてみるといいっスよ」
ドゴォオオン!!
天井から、いや上空から大きな衝撃が、突如として落とされた。
それはまさに烈火の如く真っ赤な躯体であった。ジゼルを、そしてヴォーディガーンでさえも優に越す巨体の持ち主。
「そぉら、救援がやって来たッスよ」
赤竜アドラ。
このゲームのラスボス・ウェールズから分たれた竜の一頭。白竜グウィバーより後に発生した、偉大なる赤き竜。
「無事か! ジゼル!」
ジゼルの救援が到着した。
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