君の優しさに鼻血が出そう
「神様はいると思う?」
道を行く女子生徒がそんなことを話していた。
その一言に至る脈絡なんて、アタシは知らないけども。
アタシ自身は、神様はいないと思っている。
☆
私立青咲高校の校門の前まで来ると、すっかり見慣れた後ろ姿があって、思わず顔がにやけてくるのが自分でも分かった。
紺色のブレザーの背中で揺れる黒いストレートロングの髪は枝毛の一本も見受けられず、同性のアタシから見ても触りたくなる程にさらさらで、グレーのスカートから伸びる足は対照的に白く、全身のシルエットは細くも女性独特の優しい曲線を描いている。
「も〜えりんっ!」
――そう、ある凶悪な一部分を除いては。
「ひあぁっ!?」
背後から抱き締めるような形で手を回すと、ブレザーの肩がびくっと大きく上に跳ねた。
「相変わらず、立派なものをお持ちで」
まるで小玉のメロンが二つ突っ込まれているかのようなサイズだが、何ともマシュマロのように柔らかい。
ふにふに。
「ちょっ……どこ触ってんのよ、この変態っ!」
さすがに肘鉄が飛んで来たので、名残惜しくも離れる。
左腕に風紀委員の腕章を付けた緑川萌は、耳まで真っ赤にして、丸く大きな瞳で睨み付けてきた。
「南田ぁ〜! あんたね〜!」
「おはよっす、もえりん♪」
「何事もなかったかのように爽やかに挨拶すんな! つーか、そのもえりんって呼び方止めろ!」
どうやら『もえりん』ではお気に召さないらしい。やれやれ、仕方がない子だ。
「うん、分かったよ……愛しの萌」
「すまないけど、救急車を呼んでくれる? ここはもうすぐ血の海になるから」
風紀委員の後輩らしき女子に話し掛ける萌。やれやれ……仕方がないツンデレだ。
「――それはそうと、萌は今日、何で風紀委員の腕章を付けてんの?」
「気安く下の名前で呼ばないでって言いたいけど……まぁ、いいわ」
呆れたように萌はため息をつき、
「朝早く登校して来たら、校門で風紀委員の後輩が服装チェックなんかやってるもんだから、手伝ってたんだけど、そしたら後輩に腕章をどうぞって譲られちゃったのよ。おかげで皆にあんたと同じ質問を浴びせられてるわ」
「その割に嬉しそうじゃん」
ドスッ
「殴るわよ」
「そ、そういうことは殴る前に言って欲しい……」
鳩尾を的確に捉えた一撃だった。萌……恐ろしい子!
「うぅ……酷いよもえりん……ちょっとからかっただけなのにぃ」
「金髪で学校に来てる時点で十分にからかってるわよ。スカートの丈も短いし」
「ふふん、アタシは不良だからね」
「胸を張って言うことか」
ふにふに。
「ふーんだ。どうせ私にはもえりんのような山はありませんよー。せいぜい公園の丘がいいところですよーだ」
「ふあっ!? コ、コラ、どさくさに紛れて何を! ひっ……あっ、い――」
すっと片手を口元に寄せる萌。横から見える顔は赤く染まっている。
「い……?」
「――いい加減にしろやコラァァアアッ!!!」
裏拳が飛んで来た。
アタシは校舎に向けて逃走を開始する。
「逃げんな南田壮子ぉ! 朝っぱらからあんたって奴はぁぁぁ!」
怒りの咆哮を上げる萌はしかし、追っては来ない。予鈴までは校門で服装チェックを続けなければならないからだろう。本当、真面目だ。
周りの風紀委員の後輩達は、くすくすと笑っている。
三十メートルくらい距離をあけた所でアタシは足を止め、振り返った。
「おーい、萌! 朝っぱらからってことはさぁ――」
校門の萌が一瞬、怒鳴るのを止める。
「――夜ならいいの?」
今度はマジで追ってきた。
☆
体育館での校長やら何やらの長〜い演説が終わって教室に戻ると、空気がやたら湿っぽかったので、窓を開けることにした。
「ふぃ〜、いい風だこと」
湿気は好きじゃないんだな、これが。髪もあらぬ方向へ跳ねたりするし。
窓枠に腰掛けると、無性に煙草が吸いたい気分になったが、もうすぐ先生も来るだろうし、放課後まで我慢することにした。
青咲高校はもともと地形の高い場所にあり、校舎の四階に位置するアタシのクラスの教室からは、校庭と、その先に広がる街の全景を見渡すことが出来る。
今日は雲一つないような快晴ということもあって、澄んだ青をキャンバスにした良い絵が拝めた。
ああ、片手に煙草が欲しい。ついでに、チューハイも。
「おっ、窓際壮子さんだ」
教室の中に視線を戻すと、同じクラスの足利千紗が手を振ってこちらにやって来るところだった。
細長い目と八重歯がキュートな、笑顔がフォーマットの明るい少女で、黒髪が地毛なのにも関わらず、茶髪が地毛であるという申請を生活指導の先生に出していることは、アタシを含め、ごく少数の生徒しか知らない秘密である。
「ちさたん、やっほー♪」
「やほー♪ ……それにしても、窓枠に腰掛けてる壮子って絵になるよねぇ。さすがは窓際壮子さん」
口元から八重歯を覗かせ笑う千紗は、出会った当初はいつもクラスの女子勢の中心にいて、ぶっちゃけて言えば、八方美人で腹黒な『女狐』のイメージだったのだが、付き合ってみると、実のところ純粋に人生を楽しもうとして生きている奴だということが分かった。
まぁ、ずる賢い一面があるけど、悪い奴じゃないってことだ。アタシとは割と頻繁にショッピングに出掛けたり、カラオケに行ったりする仲である。
「なぁ、千紗。今更思ったんだけど、その『窓際壮子さん』ってあだ名、誰が付けたの?」
「んー、確か男子だったと思うよ? どこのクラスの誰とまでは分からないけど」
「男子ぃ? 何だそりゃ」
「えっ、知らなかったの? 壮子って男子の間で結構人気なんだよ?」
「んな馬鹿な」
と、そこでいつの間にかブレザーのポケットから煙草のケースを取り出している自分に気付く。
「おっと、いかんいかん」
「煙草は程々にしといた方がいいよー。そうだ、今日もチョコあげよっか?」
そう言って、千紗は一旦自分の席に戻る。
そういえば、彼女はアタシが煙草を我慢しようとする度、必ずと言っていい程チョコをくれた。
「悪いね、千紗」
果たして、千紗は黒色の包装に包まれた、いつものビター味な板チョコを持って現れる。
「いつもありが――」
ビニール袋に山程詰め込んで。
「これ、壮子に全部あげるよ」
「……今日ってバレンタインデーか何かだっけ?」
「まぁ、好意を物で示すという点では同じかな」
アタシは千紗を見て、板チョコぎっしりのビニール袋を見る、という行為をしばらく繰り返す。
「千紗……何か企んでたりする?」
「う〜ん、企みって言うと大袈裟かなぁ? 簡潔にまとめると、これからもよろしくってことですよ♪」
ふと開眼した千紗の瞳は、初めてということもあってか、やたら優しげに見えたが、すぐにまた、すっと細められてしまう。
その後に浮かべられた頬笑みを見て、アタシは千紗という人物が今更ながらよく分からなくなってしまったのだった。
☆
「ねぇ、壮子さん壮子さん」
HRが終わり、さて放課後ですよという時に、千紗がアタシの席へ駆け寄って来た。
「何だい千紗さんや」
ノリでお婆さんっぽい声真似で返すと、千紗は「壮子、それウケる!」と馬鹿笑いし、涙を拭きながら、
「ひー、可笑しい……そうそう、この後さぁ、女子で集まってどこか食事しに行こうって話になってるんだけど、壮子も来ない?」
「んー、すっごく魅力的な誘いだけど……ごめん。アタシ、この後用事があるんだ」
「そりゃ残念……んじゃあ、また約束の週末に! といっても、今日の夜もメールするけど」
「あいよ。映画だよね」
千紗は手を振り、クラスの女子達と教室を後にする。
アタシはそれを見届けてから、机脇に提げてある鞄の中に手を突っ込み、千紗から貰った板チョコを一枚取り出すと、再び光差し込む方へ移動し、風を室内へ招き入れて『窓際壮子さん』になる。
ちなみに言っておくと、アタシの教室は四階だが、窓の外にはベランダがあって、転落の心配はない。誤って窓枠から滑り落ちても、ベランダのコンクリートに身体を打ちつけるだけである。
「……あれは痛かったなぁ……」
パキッと板チョコの一部を折って、口に放り込む。
う〜ん、ビタァ。
不意に、ブレザーのポケットが振動する。マナーモードにしていた携帯電話である。
液晶画面を見ると、メール受信の文字。
チョコ食べ過ぎて鼻血を出さないように
――from 足利千紗
「君、の、優しさ、に、鼻血、が、出そう……と」
返信メールを送信する。
……千紗にはああ言ったけど、本当は放課後に用事なんてなかったりする。
ただ、何だろう……今日は気分じゃなかったのだ。
「そういえばアタシ、萌のメールアドレス知らないなぁ……」
板チョコが変な風に折れた。銀紙の中に手を突っ込んで取り出そうとするが、上手く行かない。結果、チョコが溶けて、親指と人差し指にへばり付く。
それを舐めていると、
「あの」
声が掛かった。顔を上げれば、そこにいたのは男子生徒。
「えっ、あっ……と」
「えっ」でブレザーのポケットに板チョコを突っ込み、「あっ」でチョコの付いた指を背に隠す。「……と」でもう片方の手を使い、口周りを拭いつつ、
「……何?」
改めて向き直ると、見知らぬ男子だった。少なくとも、クラスの奴じゃない。
しかし、そのくらいならばアタシも戸惑ったりはしない。思わず体裁を取り繕ってしまったのは、その男子の放つオーラが尋常じゃなかったからだ。
アタシには某少年漫画のスーパー何とか人に見えた。帯びた気の塊がまるで炎が上げるように逆立っていた。
……やっぱ、大人しく千紗について行っとけばよかったかも。
額に流れる一筋の汗を感じ、背中の後ろに隠していた五指をコキリと鳴らしながら、アタシはそう思った。
☆
「南田さん、俺と付き合って下さいッ!!!」
びっくらこいた。
体育館裏まで男子について行き、「で、結局、用って何?」とアタシが尋ねた矢先の出来事だった。
今の二人の状況を解説すると、男子は足と胴が直角になるくらい深く頭を下げ、アタシはその真ん前で、某特撮の銀色の巨人みたいに、デュワッっとファイティングポーズを取っていたりする。
「え……喧嘩じゃないの?」
「喧嘩……?」
男子が頭を上げたので、アタシは慌てて両手を背中に隠す。
「い、いや、何でもない! こっちの話! あはははは!」
ち、ちょっと待ってよ。壮子さんね、今、頭の中整理するから。
……何だこれは。聞いてないよ? 一点集中して今すぐにでも気弾を放てそうなオーラ纏って来るから、てっきり決闘か何かだと思っちゃったじゃん!
「あ、あのさ……これって、つまり、その……告白、なのかな?」
「は、はい」
マジですかぁぁぁ!? 君、正気!? 正気なの!?
「で、でもさ……アタシ、一応不良の部類だよ?」
「知ってます。けど……好きなんです」
そこで顔を赤らめないでぇぇぇ、お願いだからぁぁぁッ!!!
「えっと……ちなみに、アタシを好きになっちゃったきっかけとかは……」
「その……南田さんって、いつも教室の窓枠に腰掛けてるじゃないですか……あの姿が何というかその……綺麗っていうか……格好良いっていうか」
窓際壮子さぁぁぁ――んッ!!! いや、アタシ本人なんだけども! 分かってるんだけども!
「さ、さいですか……」
「あっ……でも、それは単に意識し始めたきっかけに過ぎなくて! 中には怖いって言う人もいるけど、南田さんはいつも明るくて、口には出さないけど凄く思いやりがあって、と、とにかく、南田さんには良い所が一杯あって!」
アタシが呆けてるのが、がっかりしたように見えたらしく、必死にフォローしようとする男子。
……結構、良い奴じゃないか。
と思った途端、アタシは冷静にその男子を観察出来るようになった。
背はアタシよりは高いが、百七十センチくらいで、ネクタイの色から私と同学年だということが分かる。身体は細身、髪は黒色で少し長め、清潔感のある真ん中分けにしている。顔は……悪くない。いや、むしろ……。
「ああ、何言ってんだ、俺は! そんな些細なことはどうでもよくて!」
しどろもどろになっていた男子が頭を横に振り、深呼吸する。
再びアタシに向き直った男子は、とても凛々しく見えて、アタシは――
「南田壮子さん、好きです。俺と付き合って下さい」
アタシは――。
☆
板チョコを食べ過ぎて鼻血が出た。
一瞬、出血多量でマジで死ぬかと思った。
ポケットティッシュで鼻を押さえ、校舎一階の保健室に向かう。
「あら、どうしたの?」
ドアを開けると、明るい色の髪を頭の後ろで一つに束ねた保健医――白石小梅が、こちらに椅子を向けて、天使のような笑顔で出迎えたが、
「うめりん、鼻血出たぁ〜」
アタシを一目見、
「いたって健康よ。今日はもう家に帰って早く寝なさい」
「酷っ!」
何事もなかったかのように机の書類に注意を戻した。
「ちょっと、うめり〜ん。アタシ鼻血出たんだってばさ〜」
「うるさいわねぇ。私は今忙しくて、あんたのような鼻血娘にいちいち関わってる暇なんかないの。おわかり?」
「とても保健医の言葉とは思えないんですが」
天使の皮を被った悪魔である。
「ああ、もう、それくらい自分でやりな。脱脂綿鼻に詰めて、鼻の上の方摘んどけば止まる。ベッドに寝転がったりするなよ。上も向いたりすんな。大人しくそこら辺の椅子に座っとけ」
「へいへい」
小梅ちゃんの後ろを通り過ぎ、脱脂綿の入っている引き出しを開ける。授業をサボる度に保健室に入り浸り、頻繁に治療の手伝いをやらされていたので、どこの引き出しに何が入っているか、今では手に取るように分かる。
脱脂綿を鼻に詰め、小梅ちゃんの近くのベッドに腰掛けると、彼女は口を開いた。
「……全く、こんな日まで南田と会うなんてね。ついてないというか、何というか」
「会うに決まってんじゃん。ここは教室と並ぶ、アタシの学校でのライフスペースよ?」
「で、何で鼻血なんか出したわけ?」
「チョコ食べ過ぎた」
「……馬鹿なんじゃない?」
「うわっ! 仮にも保健医の先生が、生徒と面向かって馬鹿なんて言うかね普通!?」
「お黙り鼻血娘。私だって、好きでこんな学校勤めてるわけじゃないわよ。仕方なく勤めてんのよ、し・か・た・な・く!」
「やーい、不倫女ぁ〜! いで、痛でででで! 暴力反対! 暴力反対ぃい〜!」
小梅ちゃんはアタシの頬っぺたを容赦なく抓ってくる。
「あれはね、向こうの学校の教頭から先に手を出してきたのよ。それが奥さんにバレた揚句、自分の身が可愛いからって、私のせいにしやがったの! あー、今思い出してもムカつくわ!」
腕を組んで踏ん反り返る小梅ちゃん。
あー、痛かった。
「小梅ちゃ〜ん、一応アタシ、病人なんだけど」
「チョコ食って鼻血出した風情が何言ってんの。つーか、書類書類」
小梅ちゃんは、カリカリとシャーペン片手に作業を再開する。
……小梅ちゃん、黙ってれば綺麗なんだけどねぇ。
年齢は二十代後半らしい(前に詳細を尋ねたら抓られた)。毎日の手入れを欠かさないという髪は艶やかで、いつも良い香りがする。顔とかは結構化粧をしているんだけど、それにしたって美人だとアタシは思う。胸も大きいし。あと個人的に、小梅ちゃんの太腿は人を魅了して止まない何かがあると感じている。
「んお? そろそろ鼻血止まったかも」
脱脂綿を取って、ゴミ箱に放り捨てる。
「……ねぇ、小梅ちゃん」
「何」
「膝枕してくんない?」
「それって私に何のメリットがあるのよ」
「んー、例えばねぇ――」
「だが断る」
「早いよ! まだアタシ何にも言ってないじゃん!」
「うるわいわね、同性に貸してやる膝枕なんて私は持ってないのよ」
「じゃあ胸揉ませて」
「もっと嫌だわ!」
「ちぇー、ケチー」
唇を尖らせると、小梅ちゃんは「全く、本当に仕方がないわね」と肩を落とし、ベッドの脇に椅子を移動させる。
「ほれ」
手をペンを握り、机の上の書類に向き合ったまま、彼女は椅子に座り直し、自らの太ももを叩いて見せた。
「……え?」
「何呆けてんのよ。膝枕、いらないの? いらないなら止めるけど」
「い、いります! 是非とも貸させて頂きます!」
まさか本当にしてくれるとは思わなかったので、一瞬思考が停止してしまっていたが、急いで首を縦に振る。
「言っとくけど、変なことしたらすぐに止めるからね」
小梅ちゃんはそれだけ言って、またペンを動かし始める。
「う、うん」
今更ながら、ドキドキして来た。
小梅ちゃんの……柔らかそうな、太もも。
「それでは、えっと……お借りしまーす」
何となく、金髪が変に触れないように、指で長いもみ上げを耳の後ろに退けながら、ゆっくりと頭を下ろしてゆく。
身体はベッドの上で、後頭部だけ小梅ちゃんの太ももにそっと……乗せた。
直後、アタシは「うおぉぉぉ!」と獣のように叫びたくなった。しかしそんなことをすれば、すぐに小梅ちゃんに膝枕を取り上げられてしまうので、何とか喉の奥に押し止める。
――めちゃくちゃ柔らかくて、温かかった。それはもう、思わず顔が熱くなる程に。
世の中の男共が女の膝枕に憧れを抱くはずである。これは凄い。
胸はドキドキしているのに、香水の仄かに甘い匂いで何故だかとても安心する。小梅ちゃんの匂いだ。
……何て心地がいいんだろう。
目を瞑って、口を閉じた。
保健室は静かで、聞こえてくるのは小梅ちゃんのペンの音だけ。
どれくらいそうしていたのか分からない。五分くらいだったのかもしれないし、一時間くらいだったかもしれない。
ただ、自分の身体の芯まで温かくなるのを待ってから、口を開いた。
「小梅ちゃん」
「ん?」
「アタシね、今日、男の子に告白されたんだ」
「ノロケかよ」
ぺしっと頭に手を置かれる。
アタシはその上に、自分の手の平を重ねた。
「……ううん。告白……断ったんだ、アタシ」
「何で?」
「……本当は、満更でもなかったんだ。その男の子と一緒に歩いてる自分を想像して、嫌な気分じゃなかった。……だけど」
「だけど?」
「何かね、今はまだ違うって、そんな感じがしたんだ。贅沢だって分かってるけど……断っちゃったんだ……」
アタシなりに告白の返事を考えた。普段あまり使わない頭をフル回転させて、悩んだ。
次第に男の子の顔を見れなくなって、アタシは最後に「ごめん」の一言を告げた。
男の子がどんな顔をして去って行ったのか、怖くて、申し訳なくて、見ることが出来なかった。
「アタシ……間違ったのかなぁ……」
「後悔してるの?」
「……少し」
「そう……」
小梅ちゃんの手が頭を撫でるように少し、動いた。
「だったら次は後悔しないようになさい」
目を開ける。小梅ちゃんがアタシを見ていた。
「人間は次の時に間違えないように後悔をするんだから」
「……うん」
アタシは眠くなって、再び目を瞑った。
「ありがと、白石先生」
☆
「もう二度と来んな」
という小梅ちゃんの台詞に、アタシは「あいよ。また来るね!」と笑顔で保健室を後にして、教室へと歩き出した。
……あー、それにしても、小梅ちゃんに甘えちゃったなぁ……。柔らかい膝枕を思い出して、少し恥ずかしくなる。
「しっかし、もう夕方かぁ……」
廊下に差し込む日光は既に朱色を帯びていて、生徒の姿は一人も見えない。
四階に上がってもそれは同じで、戻った教室にはアタシの鞄だけが取り残されていた。
ふと、カーテンがはためいて、音を立てる。
そういえば、鼻血が出た時に、窓を閉めるの忘れたまま出て来ちゃったんだっけ。
鞄を持って窓際まで行き、すぐ近くの机の上に置く。
窓枠に腰掛けた。
夕暮れの街は、オレンジの着色を伴ってどこか幻想的に見え、やや冷気を帯びてきた風が頬を撫でてゆく。
放課後だし、誰もいないし、最後だし、そろそろいいか。
ブレザーのポケットを漁り、煙草のケースとライター、鞄から携帯灰皿を取り出した。
咥えた煙草に火を点ける。
「何でもないと思ってたけど、意外に感慨深い気分になるもんだ」
保健室のはアタシらしくなかったかな。あはは。
吐いた煙はしばらく浮いて、外からの風に揺らめく。
「教室で煙草とは、いい度胸じゃない」
凛と聞き慣れた声が教室に響いた。
腰に両手を当て、仁王立ち。風紀委員の腕章を付けた、黒髪の少女。
「もえりん、まだ残ってたんだ」
「もえりんって言うな!」
緑川萌は、相も変わらず眉を吊り上げていた。
「萌はさ、どうしたの? 見回り?」
「そうよ。あんたみたいな不良がまだ残ってるかもしれないからね」
携帯灰皿に煙草の灰を捨てる。
「真面目だねぇ」
「それより、煙草吸うの止めなさい。あんたは未成年、ここは教室よ」
「えー、今くらい見逃してよー」
本当に、最後の最後――
「卒業式の日の、放課後なんだからさ」
萌は眉間に皺を寄せたまま、
「卒業式の日だからでしょ。最後くらい、きちんとしなさいよ」
「分かったよぅ」
萌は頑固だから、アタシが煙草を手放さない限り、いつまでも忠告を続けるだろう。
煙草セットを片付けて、鞄の中に押し込む。
それをしっかりと見届けてから、萌はようやく息をついた。
「やれやれ、これでようやく私の役目も終わりね」
そう言って、腕章を外す。
「役目?」
「あんたの監視よ。あんたは知らないでしょうけど、この三年間、私はあんたの担当を任されてたの」
「ええっ、酷いなぁ。それじゃあまるで、アタシが風紀委員のブラックリストに載ってるかのような扱いじゃん」
「あんたはブラックリストよ」
「そんな馬鹿な!?」
最後の最後に明かされた衝撃の事実!
「散々停学を喰らっといて、よく言うわよ全く」
駄目だ、反論出来ない!
ちなみに停学の原因は、一に煙草、二に喧嘩だったりする。
「うぅ……これでも最近は、結構改心したのに」
勉強頑張って、一応、大学にも合格したし。
「ま、これに懲りて、進学する大学では問題起こさないようにすることね」
「うん、そうする……」
アタシも努力で勝ち取った合格を無駄にしたくはない。
「さてと、じゃあ、私はそろそろ行くわ」
萌は肩に掛かった長髪を後ろに払い退け、背中を向けた。
「えっ!? もう行っちゃうの!?」
「うん。もう特に思い残したこともないしね。じゃあね、南田」
軽く手を振る萌。
「あっ……」
手を伸ばしたアタシの指の間を、
『後悔してるの?』
黒髪がすり抜けて、
『だったら次は後悔しないようになさい』
萌の背中が教室の扉の外へ――
『人間は次の時に間違えないように後悔をするんだから』
「……南田?」
萌が驚いた顔をしていた。
「どうしたの?」
そりゃあそうだろう。アタシがしがみつくように、両手で萌の腕を掴んでいるんだから。
「えっと、さ……」
多分、人生で一番勇気が要った思う。
「萌……この後、時間ある?」
☆
自分自身で引き起こしたイベントだけれども、アタシは未だに目の前の状況を実感出来ずにいた。
「南田は何食べる?」
今まで見たこともないような朗らかな表情をした萌が、メニュー片手に小首を傾げながら、そう尋ねてくる。
場所は、青咲高校からあまり離れていない場所にあるファミレス。アタシと萌はその中の二人席で、向かい合うようにして座っている。
卒業式という日の不思議な力がそうさせるのだろうか。千紗が大量に板チョコをくれたり、男子生徒に告白されたり、小梅ちゃんが膝枕をしてくれたり、萌がアタシと食事に付き合ってくれたりするのは。
加えて、萌については多分アタシのこと嫌いなんだろうなー、と思っていたから、尚更である。
「南田、南田ってば」
「……えっ、あっ、どうかした?」
「どうかした、じゃないわよ。注文。何食べる?」
トントンと人差し指でメニューを叩く萌。
「あ、ああ。どうしよっかな……」
注文もそうだが、アタシとしてはわざわざファミレスに入ってまで萌と何を話すべきかという点で、どうしようかな、である。そもそもアタシは何故萌を引き止めたのか。
……分からない。分からないけど、あのまま帰らせてしまったら、一生後悔しそうな気がしたのだ。
まぁ、いいや。考えているだけじゃ先に進めない。
とりあえず、何か頼もう。
「あっ、一緒にメニュー見る?」
萌がメニューをテーブルの上に置き、二人で見れるように横にする。
「ん、サンキュー」
少し前屈みになってメニューを覗き込む。
自分からファミレスに誘っておいてあれだが、お腹はそんなに空いてはいなかった。鼻血が出る程に板チョコを食べ過ぎたからかもしれない。
「アタシは『若鶏のグリル』……かなぁ」
ライスは無しで。
「私はどうしよっかなー」
耳元で声がして、ドキッとした。
見れば、すぐ目の前に萌の顔があった。二十……いや、十五センチもないんじゃなかろうか。
冷静に考えれば、アタシが前屈みにメニューを覗き込んでいるんだから、萌も当然同じことをするわけで。
……いずれにしても近い。彼女の息使いさえ聞こえてくる。シャンプーの香りもする。
「って、今更何を意識してるんだアタシは……」
「うん? 南田、何か言った?」
「い、いや、別に……」
今朝だってアタシは萌の背後から抱き付いていた。その時は、特に何も感じなかったのに。
一体、アタシはどうしてしまったのか。
「よし、私も決めた」
と、萌が顔を離したので、私も慌てて姿勢を正す。
「南田は決めたのよね? じゃあ、呼び出しボタン押すわよ?」
「う、うん、大丈夫」
ピンポーン。
それから一分も経たない内に、ウェイターがやって来る。
「はい、ご注文を承ります」
アタシが萌に視線を送ると、手の平を上にして、「お先にどうぞ」という仕草が返ってくる。
「じゃあ、若鶏のグリルを単品でお願いします」
「ドリンクバーはどうする?」
と聞いてきたのは萌。
「ん……アタシはいいや」
「分かった。えっと、じゃあ私はトリプルハンバーグをお願いします。ライスと日替わりスープ付きで」
メニューを見ながら、萌はウェイターに告げる。
「ご注文を確認致します、若鶏のグリルの単品がお一つ、トリプルハンバーグのライスと日替わりスープ付きがお一つ……以上でよろしいですか?」
「はい」
「では、少々お待ち下さい」
厨房に向かったウェイターの背中を何気なく目で追っていると、
「……でも、まさか南田に食事に誘われるなんて、夢にも思ってなかったわ」
萌がふっと笑って、言った。
「うん……正直、自分でも驚いてる」
「まぁ、いいんじゃないかしら、こういうのも。私も学校ではあんたに注意ばっかりしてたから、こうして落ち着いて話す機会なんてなかったし」
「落ち着いて……話す?」
「そう。風紀委員と生徒の間柄じゃなく、友達として話す機会」
「友達……でも、萌はアタシのこと、嫌いじゃなかったの?」
萌は真面目な生徒の模範となるような存在で、アタシはどちらかと言えば、その正反対の側に立っている人間だ。
「あんたね……」
ため息をつく萌。呆れたように言葉を続ける。
「優等生だからその人のことを好きとか、不良だからその人のことを嫌いとか、本当にそんなことで人の好き嫌いが決まると思うの?」
「それは……」
アタシが言葉に詰まっていると、萌は席から立ち上がった。
「少し考えてみなさい。私は水を取って来るから。南田も飲むでしょ?」
「あっ、うん」
萌はファミレスの奥へと歩いて行く。
……アタシはどうなんだろう。アタシは千紗が好きだ。千紗だけじゃなくクラスの皆も好き。小梅ちゃんも大好き。風紀委員はあんまり好きじゃない。優等生については分からない。
そして、萌のことは……嫌い、じゃない。むしろ気に入っている。アタシの、お気に入り。
学校の廊下や、校門の前で。
萌を見ると、無性に嬉しくなって、抱き付きたくなる。
すると、萌は恥ずかしがって、怒り出す。
叩かれたり、怒鳴られたりするけど、でも、楽しい。
「南田」
萌が戻ってきた。テーブルのアタシの前にグラスが置かれる。
「はい、水。ここに置くわよ」
「うん、ありがと」
「……前に、風紀委員の皆とね、こうしてファミレスに来たことがあったんだけど」
椅子に腰を下ろして、萌は水を一口飲んでから、
「風紀委員にね、同学年の、凄く頭がいい女の子がいたの。ほら、今年東大に合格した子いるでしょ? 風紀委員の仕事も卒なくこなす、とにかく優秀な子だった。だけどね」
そこで、少し不機嫌そうな顔をする。
「その子、すっごく無愛想で、私が今みたいにその子に水を持って来ても、ありがとうの一言も言わなかった――」
最後にアタシの目を見て言う。
「――つまりは……そういうことよ」
「……もえりん……痛ててててててて!」
「とはいえ、あんたのその呼び方だけは頂けないけどね」
そうやって、頬っぺたを抓られながらも。
「へへっ……」
アタシは、何だか嬉しくて仕方がなかった。
しばらくして、先程のウェイターが手に料理を持って現れる。
「お待たせしました。こちら、若鶏のグリルと、トリプルハンバーグ、ライスになります。日替わりスープはドリンクバーの隣にありますので、ご自由にお取り下さい。ご注文の品は以上でお揃いでしょうか?」
「はい! お揃いです!」
「ちょっ、叫ぶな! 馬鹿みたいでしょ!?」
元気良く返事したアタシの頭を叩く萌。
ウェイターが苦笑しながら、「ごゆっくりどうぞ」と伝票を置いて行く。
「ていうか、もえりんのトリプルハンバーグでかっっ!!!」
「ふふっ、凄いでしょう? 一番下のハンバーグから順に、ベーコン、ハンバーグ、チーズ、ハンバーグ、目玉焼きを重ねた大ボリュームの一品よ」
「いや……もえりん、でも、これは――」
「大丈夫よ。私、今日はお腹が減ってるもの。この位は食べられ」
「――太るよ?」
ガンッ
「あら、何か言ったかしら、南田さん?」
「い、いえ……何も……」
脛が痛いです、萌さん。
「ていうか、あんたはむしろ食べる量、少なさ過ぎじゃない?」
「そうかな? 普通だと思うけど……男じゃあるまいし」
ピンポーン。
「すいません、こちらの方にもトリプルハンバーグをお願いします」
「ちょっ、何頼んでんの!?」
「うるさい! あんたも食べるのよ! 道連れにしてやるんだから!」
「やっぱ太るんじゃん!」
アタシがツッコんで、萌が笑って。
アタシがからかうと、萌は顔を真っ赤にして、怒る。
その繰り返し。
食べながら話すのは行儀が悪いって言うけれど、それでもアタシ達は話し続けた。
好きな本とか、服のこととか。そうだ、恋愛のことも。
店員さんから注意され、店から追い出されるまで、話してた。
……今なら分かる。アタシがどうして萌を引き止めたのか。
アタシはずっと――
彼女とこうして、笑い合いたかったんだ。
☆
ファミレスから追い出された後、
「せっかくだからさ、このままカラオケに行こうよ」
という萌の一言で、アタシ達はファミレス近くのカラオケボックスに入ることにした。
萌はとてつもなく歌オンチで、アタシは彼女が歌う度、腹が捩れるくらいに笑い転げて、殴られた。
でも、めちゃくちゃ楽しかった。
萌と二人でデュエットもした。
時間を忘れるくらい熱唱した。
「あーあ、学制服じゃなければ、もう二、三時間いられたのに……」
まだ不満そうな萌。
「いや、それじゃ終電の時刻を過ぎちゃうでしょ」
それをなだめるアタシ。普段とは逆の構図だ。
時刻は午後の十時十分。アタシと萌は今、カラオケボックスから通学路を通り、駅へと向かって歩いている。
ファミレス近くのカラオケボックスは、未成年は保護者同伴でなければ午後十時までなのだとかで、二時間弱歌ったところで店から出ることとなった。
まぁ、いずれにしても帰る頃合いだろう。
夜空を見上げれば、明るい楕円の月と、無数の星が煌いている。
そっと吹く夜風は花の匂いがして、もうすぐ春が来るのだと実感させられる。
「卒業式の日なのに……不思議。何か、凄く爽やかな気分」
萌の方を向けば、彼女もまた夜空を見上げていた。
「今日は、本当に楽しかったわ」
「も、もえりん、照れくさいこと言うなぁ……でも、まぁ――」
自然と笑顔が零れる。
「楽しかったよ、アタシも」
そう、楽し過ぎたんだ。
だから気付かなかった。
別れ道となる駅に着いても。
「じゃあ、ここでお別れね」
「うん」
改札を潜って、ホームに上がる階段の前のところで、萌が振り返る。
「南田、大学に行くからには、ちゃんと卒業しなさいよ」
「分かってる。頑張るよ」
「それから、二十歳になるまでは煙草は控えなさい」
「う、う〜ん、それはそのぉ……」
「わ・か・っ・た?」
「は、はい……」
気のせいか、萌の黒髪が蛇のごとくうねっているように見えた……が、
「けど……うん。そういうところも含めて、南田なのか」
ふっと微笑んだ。
「――私、そろそろ行くね」
「萌も、大学頑張ってね」
「言われずとも、そのつもりよ」
そして。
――またね、壮子。
それが、萌の最後の言葉になった。
「元気で!」
階段を上ってゆく後ろ姿に声を掛ける。
萌はそれに、手を振って答えた。
ホームに消えて行く長い黒髪を見届けてから、アタシもまた背を向けて歩き出す。
駅の構内を通って、萌とは反対方面へ行く電車のホームへ。
ホームの黄色い線の内側に立ち、再び夜空を仰ぐ。
月の淵から零れる淡い光と、小さな星々の透き通った輝き。明るい夜。
何で今夜はこんなにも夜空が眩しく、綺麗に見えるんだろう。
「あっ……」
気付いたのは、その時だった。
萌の、メールアドレス。
「しまったなぁ……」
――でも、これでいいのかもしれない。
そうも思った。
だって、今夜はこんなにも明るく、綺麗な夜だから。
「壮子……か」
今のアタシには、それだけで十分。
☆
「神様はいると思う?」
バスに乗る新入生の女の子がそんなことを話していた。
その一言に至る脈絡なんて、アタシは知らないけども。
アタシ自身は、神様はいると思っている。
……あれ? 何かデジャヴ?
まぁ、ともかくとして、バスに乗ってから二十分。
駅前のビル群から離れた郊外に立つ、大学の校舎が見えてきた。
高校を卒業してから約一ヵ月。今日は大学の新入生ガイダンスの日。
気のせいじゃなく、私はドキドキしていた。
高校に入学する時もこんな気持ちになったりしたことはなかったというのに。イメチェンしたからだろうか?
伸び始めた髪を人差し指に巻き付ける。あれから色々と努力してみたけれど、なかなか萌のように綺麗な髪にはならないもんだ。
と、バスが止まる。大学に着いたようだ。
他の新入生達に続いてバスから降りると、柔らかな風が髪を梳いた。
それと一緒になって、目の前を横切る小さなピンクの影。
ひらり、と手の平に舞い降りる。
「……花弁?」
見上げて、はっとなった。
天井を覆い尽くす、一面の、桃色の花園。
校舎の玄関へと続く石畳の脇に、大きな桜の木が立っていた。
「……あっ、いっけね」
桜の花に見惚れていたら、新入生達の集団の最後尾が、校舎の玄関に消えてゆくところだった。
肩掛けバッグを抱えて、追い駆ける。
新入生ガイダンスは校舎五階の大きな講義室で行われることになっているらしい。
実際その中に足を踏み入れると、百人、二百人は同時に入れるのではないかと思われるような広さだが、席は前から何十列も並んでる内の三列程しか埋まっていなかった。
少し、着くのが早過ぎたかもしれない。
携帯を開いて時刻を確認すると、ガイダンスが始まるまでまだ三十分以上あった。
とりあえず、自分もどこかに座ろうと思い、ウロウロしながら席を探す。
ここまで来るともはや、癖というか何というか。
足は自然と窓際の方へ向いていた。
そして出来れば、あの桜が見える場所を。
最前列からは大分離れてしまうけれど、条件を満たす場所を見つけて、腰掛ける。
一息ついて、窓の外の桜を眺める。
「今日からここがアタシの通う学校……か」
アタシが大学に進もうと思ったのは、毎日のように萌を近くで見てきたからだった。
可愛くて、頭が良くて、優しくて。
そして何よりも……眩しくて。
もしもアタシが、萌のようになれたなら。
そんなことをいつしか思うようになっていた。
せめて、彼女のような人に近付けたなら。
そう思って、勉強をして……大学に合格した。
アタシは今、少しでも彼女に近付けているのだろうか……?
「すいません」
桜から目を離し、室内の方に向き直ると、金髪の女子が立っていた。
「隣の席、座ってもいいですか?」
「あっ、ええ、どうぞ」
気付けば、教室内の席はもう埋まりつつあった。片手の携帯に目を落とすと、ガイダンスまでいつの間にか十分をきっている。
「ありがとうございます」
金髪の女子は微笑んだ。
凄く美人な子だなぁ、とアタシは思った。
髪はショートカットで、鮮やかな金に染め上げているけれども、その他のメイクはほとんど見受けられず、根本的に目鼻立ちが整っている。
というか……あれ?
教室の前の方を向こうとして、ばっと二度見した。
「……も、萌……?」
間違いない。
「え……まさか……壮子!?」
金髪ショートカットヘアーを黒髪ストレートロングに置き換えれば、目の前の美人は、紛れもなく緑川萌。
「ももも萌! 何でこの大学にいるの!? ていうか、一体どうしたの、その金髪!?」
「それはこっちのセリフよ! あんたこそ、何で髪の毛を黒に染めてんの!?」
アタシの黒髪なんてどうでもいい! 今はそれよりも――
「萌! 今すぐに病院に行こう! 大丈夫、きっとまだ間に合う!」
「違う、待ちなさい! この金髪は、ちゃんと私の意志で」
「うわぁぁぁ――んッ!!! 嫌だぁぁぁ――ッ! 萌ぇぇぇ、不良にならないでぇぇぇ――ッ!!!」
「ちょっ、マジ泣きすんな! つーか、ウチの両親みたいな反応しないでお願いだからッ!」
その日。
――アタシ達は、大学で再会した。