オーバーワーク
放課後、涼斗は今日の出来事を全て話すためにレコロへと向かった。
勿論、追手が居ないか入念に確認した上での話だ。
レコロに入ると、涼斗はすぐに話を始めた。涼斗が包み隠すことなく話すと、段々二人の表情が歪んでいることに気が付く。
当然、今回の件には前田と杉本も、悠長に構えている余裕はないのだ。
「まずいな。日菜乃が金を巻き上げたってのは明らかな噓だが、まさかお前の通ってる学校が研究所と繋がっているとはなあ……それも奴らの狙いなのか? ……まあとりあず、今後は学校での派手な行動を極力控えるようにしてくれ」
「はい」
外部に情報が握られているのは、完全に涼斗の失敗であった。
その事を本人もよく理解していた為、涼斗は自らの不手際を責めつつ、次の目標を見ていた。
すると前田が、涼斗がこれまで気が付くことができなかった、ある問題点について指摘した。
「そういえば日菜乃ちゃんはどうした。涼斗君と一緒に来たんじゃないのか?」
「日菜乃は、もう1人で大丈夫だと思ったので、別々で来るようにしていたんですが……」
前田と杉本に事情を話していると、涼斗はある点に気付く。
(そういえば俺は、あのクズ教師に怒られた時から今に至るまで、日菜乃と全く話をしていない。それどころか、姿すら見ていない)
そう考えるや否や、涼斗は悪寒を感じる。
ようやく自らの失敗に気付くことができたのだ。
「前田さん、俺は今から日菜乃を探してきます。日菜乃がもしレコロに来た場合は連絡をください」
「ちょっと待て。日菜乃ちゃんがいないことに何か心当たりがあるのかい?」
「話は後でします。それでは行ってきます」
「おい! 待ちたまえ!」
前田に引き留められながら、涼斗は手を挙げて返事をしただけで、止まりはしなかった。
止まっている猶予は、少なくとも涼斗には残されていなかった。
レコロから飛び出し、涼斗は今日あった出来事を思い返す。
その中でも主に、自分が日菜乃に対して行った行為を思い返していた。
思い返せば思い返すほど、涼斗の後悔の念は増えてゆく一方であった。
教師が写真を取り出した時。教師と話を終えた時。教室に戻ろうとする時。
そして放課後や休み時間の直接かかわることができる時間。
その全ての中で、涼斗は日菜乃のことを意識した時間は、一秒たりともなかった。
あの教師が自分の正体に気付いていたことや、レコロの人達の安全のこと。
そしてあの教師を引きずり下ろす方法。これらのことを考えていると、自然と日菜乃のことなど二の次になってしまっていた。
そして不幸なことにそれらの涼斗の行動が、日菜乃にとってはショックだったらしく、連絡が来る気配は皆無であった。
(もしこれで日菜乃の気が変わってしまえば……いや、それ以上の事態も考えられる)
この時の涼斗は初めて日菜乃のことだけを考えていた。
それだけ無我夢中になって涼斗は走り続けた。
(今思えば俺が日菜乃のことを本気で考えていた時間はまったくなかった。守るとか言っておいて、本当は日菜乃のことなんてどうでもいいと、無意識の内に考えてしまっていたのかもしれない。だとすれば俺はとんだ糞野郎だ)
自らの失敗を咎めるために、涼斗は厳しく心に鞭を打ち先を急いだ。
正直日菜乃を見つけられる保証はどこにもなかった。全くの運まかせである。
公園、学校、家。思い当たる場所は全て向かった。
しかしどこにも日菜乃の姿は見られず、じれったく感じ始めていた。けれど涼斗は決して諦めようとしなかった。
そして一度も訪れていない場所を虱潰しで捜索してゆく内に、いつの間に日は暮れかかっていた。
喉は乾き、足には気色の悪い感触が走っていた。
しかしそんなものは気にならなかった。その程度の痛みよりも、自分の失態で大切な仲間が失われる可能性の方が、涼斗にとっては恐ろしい。
そしてレコロから少し離れた、街中にある橋の上のことであった。
日菜乃が一人川の中を覗き、ぼんやりと考え事をしていた。そんな日菜乃にすぐさま声を掛けようとした、その時であった。
日菜乃は石造りの手すりに足を掛け、そのまま川の中へと飛び込もうとしていた。
「ダメだ! やめろ日菜乃!」
心の底から出した声も、今の日菜乃の耳に入ることは決してなかった。
そして最悪の事態が、涼斗の目の前で起きてしまった。
日菜乃は絶望に呑み込まれてしまい、川に向かって身を投げ出してしまった。
「日菜乃ー!!」
反射的に手を伸ばし、叫んだ涼斗は、直後に足からバランスを崩し倒れた。
動こうにも上手く体を操れず、ただ意識だけがその場に取り残された。足が強くしびれていた。
動かそうにも身体は動かず、周囲には助けを求められる人はいなかった。
そして何よりも、一秒でも早く動き出さないと日菜乃の命が危い。
そんな条件下では、涼斗もあの男との約束を守ることはできなかった。
「ブースト開始。シーカーシークエンス起動。」
あの人体実験は、失敗ではなかった。実際は成功していた。
しかし魔術の危険性に気が付いていた開発者が、魔術の力を政府の手に渡らないように、特別な操作をしたのだ。
その特殊な操作とは、この世でその研究員を含めて、三人しか知らない魔術の真実である。
それは自己コントロールシステムと呼ばれ、魔術を操る本人でしか魔術回路の起動を行えないというシステムだ。
このシステムを利用し、涼斗と日菜乃は能力検査を乗り切り、廃棄処分が決定したことをきっかけとして研究所を抜け出した。
すべてはあの男が仕込んだ、計画の行く末にすぎなかったのだ。
そして二人の脱出が成功したその日、涼斗と日菜乃はあの男と約束したのであった。
公の場では魔術を起動するな。これを守らなければ、お前の周りは危うくなる、と。
「約束を守れずにすまない、我が命の恩人よ。しかし仕方がないんだ。どうか我の不始末をお許しください」
魔術の起動が終了する間際、涼斗は男へと祈った。
「サージ!」
魔術の起動が終わり、体内の回路に通常時の倍に近い量の電流が流れ込む。
それと同時に魔術は発動された。
速度上昇魔法。涼斗の持つ魔法は基本、詠唱は不要で、脳から信号を送るだけで魔術は使える。
そして今回涼斗が使った魔法は速度上昇魔法。つまり一時だけ、移動速度を上昇させるという、非科学的で、現実味のないものであった。
それから涼斗は己の移動速度を上げ、向かう先は言うまでもなく、日菜乃が落ちた川の中である。
(日菜乃が落下を始めてからおよそ二・二秒。まだ間に合うはずだ)
脳内で計算を済ませ、後は日菜乃を川から引っ張り出すだけである。
そんな涼斗には、周囲の動きが少しだけ遅く見えるようになる。
そして魔術によって研ぎ澄まされた視力によって、涼斗は確実に捉えてしまった。
道路を挟んで反対側の歩道に、嘲笑うようにして笑っている対馬広居の姿が。
どうやら日菜乃が川へ飛び込んだことを喜んでいるらしい。
しかし涼斗にとってはそんな事はどうでも良かった。今はただ日菜乃を助けることだけが大切だ。それ以外のことはその後でも遅くはない。
「すぐに助ける。だからそれまで耐えててくれ、日菜乃」
そう呟き、涼斗は自由落下を始める。
(落下にかかる時間は約一秒。水の中で日菜乃を見つけるには二・五秒あれば十分だ。頼むから間に合ってくれ)
心から仲間の無事を願い、涼斗は音を置き去りにして川の中へと飛び込む。
普段から空気中の流れに敏感な涼斗は、水の中で以上な流れを作り出している日菜乃を、あっという間に見つけ出した。
そして間髪を入れず、日菜乃を抱えて川から勢いよく飛び出した。
水面から飛び出す際の跳躍力を利用し、橋の上へとするりと着地した。
「シークエンス終了」
それと同時に、涼斗はすぐに魔術回路をシャットダウンした。