対馬広居
あれから数分後、前田がレコロに帰宅し、改めて日菜乃の自己紹介が行われた。
名前は奏多日菜乃。年齢は16歳で、誕生日は八月九日。
趣味は読書で……それ以外は特に紹介することはなかったらしく、日菜乃は申し訳なさそうに自己紹介を終えた。
「歓迎会を開こうじゃないか。いいだろ杉本」
「ああいいぜ。そんじゃあ明日の夕方ここに集合だ」
そんなこんなで一日が終わり、次の日の朝。
目を覚ました涼斗はいつも感じている憂鬱さが、いつもより弱くなっていることを感じた。
原因は恐らく日菜乃が仲間に加わったことだろう。
そんな目覚めの良い朝。
今週最後の学校へ行くと、気分は一転した。
涼斗が二年のフロアに着いてすぐに、日菜乃が雑巾を持って廊下を忙しく行き来している姿を見つけた。
「どうした、日菜乃」
「なんでもない……」
素っ気なく、何か問題があり気に答える日菜乃は、昨日に比べて酷く具合が悪いようだ。
恐らく教室で何かあったのだろう。
その原因を突き止めるべく、涼斗は二年五組の日菜乃の席を探し、その酷い有様を目の当たりにする。
「なんだ、これは」
思わず息を飲む涼斗の目の前には、汚水で汚された机が浮き立って見えた。
その机は予想通り日菜乃の物であった。
怒りがこみ上げてきた涼斗は、何の躊躇いもせずに怒鳴る。
「おい! お前ら、他人の机があの有様でどうも思わないのか!」
教室中からの視線が一斉に涼斗に移り、直後に口々に意見を発する。
「なんだあいつ。何出しゃばってんだよ。気持ち悪りぃ」
「いじめられてる奴の手助けをできるほど、俺はやさしくないんだ。さっさと帰ってくれ」
ほとんどの人間が声を潜めて、勝手な発言をしていたが、その中で一人だけ勢いよく椅子を飛ばし、涼斗の方へと歩いてくる人間がいた。
「他の組の奴が何の用だ?」
ボサボサな黒髪を掻きむしりながら、涼斗へと乱暴な口調で話し掛けてきた。
「俺は二年二組の谷田涼斗だ。お前の名前は何だ?」
すると口の端を吊り上げ、ニッと笑う男は堂々と名乗った。
「俺は対馬広居だ。よろしく」
対馬と名乗る男に、涼斗は眉間にしわを寄せ、相手の顔を睨んだ。
そして半ば脅し目的で、腹の底から憎悪の声を出す。
「お前が対馬か。噂は聞いているぞ。日菜乃をいじめているのはお前らしいな」
すると対馬は人差し指を立て、涼斗の顔を指差した。
「それがどうした? 朝っぱらから騒いでたけど、あれってもしかして奏多をかばおうとしてるのか? はっ! バカバカしい。あいつが何をしたか知っているのか?」
対馬が、廊下で立ち尽くしている日菜乃を指差して言った。
当然涼斗は日菜乃が何をしたかなど知らない。
だが理由がなんであれ、日菜乃が間違っているわけではないだろうと、確信していた。
「こいつはクラスの人間から金を奪っては、全部遊びの為に使ったんだぞ! そんなことを凝りもせずにいつまでも続けて、そのせいで俺がどうなったのか知らないだろ!!」
手を振り回し、怒鳴る対馬は、今にも人を殴りだしそうであった。
「違う……やめ……て……」
その光景を見て顔が青ざめる日菜乃は、叫ぼうとしても恐怖で声が出ていなかった。
その全てを黙って聞いていた、否、対馬の思考を予測していた涼斗は、再び喋りだす。
「クラス全員の金が盗まれたってのは本当らしいな。だがそれを日菜乃がやったという証拠はないはずだ!」
「ぐっ……黙れ……」
「やめなさい!!」
叫び返す涼斗に、対馬が悔しそうに歯噛みをしていた時だ。
突然廊下の遠くのほうから駆け付けた、恰幅な教師が怒鳴り注意した。
そのだらしない恰好をした教師を、涼斗は侮蔑するように睨んだ。
「まったくお前たちは朝から騒ぎやがって。毎日問題に振り回される私の気持ちも考えてほしいよ。まったく。良いよな、お前たちは朝から騒ぐ余裕があって、しかも我々大人に迷惑をかけても何も感じない」
日菜乃、涼斗、そして対馬の顔を交互に見て、先生は小さな声で脅すように言った。
「ここで退学にならず楽しく生活できているのは、誰のお蔭だと思っている? 舐めた態度でいるとどうなるか分かってんのか?」
そんな脅しに、日菜乃は足の震えが止まらない様子で怯えており、対馬は日菜乃を睨んで、お前のせいだと訴えかけていた。
そんな中で、唯一平然としている涼斗が、その教師の機嫌を取りつつ質問をする。
「そこの対馬が嘘をつくもんで、喧嘩をしていたのです。本当に迷惑を掛けてすいませんでした」
適当に頭を下げる涼斗には興味が無いらしく、鼻を鳴らして悪態をついていた。
そして怒りに顔を歪める教師は、表情とは反して落ち着いた声色で質問をした。
「噓ってのはどんなものかな?」
「こいつが言っていた噓とは、日菜乃がクラスの人間から、金を巻き上げていたというものです」
今にも倒れそうな日菜乃に、涼斗は視線を送るが日菜乃はまるで気付いていないようだった。
そして怯える日菜乃に、少しくたびれる涼斗は、視線を戻して教師の表情を覗った。
すると例の教師が勝ち誇った表情で、ニンマリと嫌な笑みを浮かべて口を開いた。
「ああ、そのことか。それならしっかり証拠があるぞ」
そう言って教師は、ポケットから一枚の写真を取り出す。
それは日菜乃が教室で誰かの、(日菜乃の物ではない)鞄を探っている写真だ。
その写真を目にし、日菜乃は涙目で涼斗の方を見ていた。
そして涼斗はその写真を見つめ、すぐに加工写真と見破ったが、それを証明する術がなかった。
やがて涼斗は、諦めるように舌打ちをした。今ここで派手に動けば、この事件は大ごとになってしまう。そうなれば研究所にバレるリスクも高まり、それは涼斗にとっても日菜乃にとっても良くないことであった。
「分かりました。今回は俺が悪かったようです。本当に申し訳ありませんでした」
短くお辞儀をし、その場を去ろうとした。
そんな涼斗を、日菜乃は悪魔でも見るかのような、おぞましい目の色で涼斗を睨んでいた。
そのことに、涼斗は不覚にも気付くことができなかった。独りよがりの思考に耽っていたからだ。
「待ちたまえ。」
涼斗が思考を巡らせ、先程の証拠の写真について考えていると、例の教師に声で動きを制され、涼斗は仕方なく立ち止まる。
「次に同じようなことがあれば上の連中に連絡するからな。谷田涼斗。いや、唯一の成功品。誰に生かされているかをしっかり考えろ」
「はい。今後は気を付けます」
周囲には聞こえないような、ねずみのような声で告げられる事態に、涼斗は機械的な返答をし、その場を去った。
薄々、涼斗も気が付いていたのだ。この学園の闇に。
一刻も早くレコロに行き、前田と杉本に報告しなければならない。
それはそうと、この時一瞬の間だけでも、日菜乃の存在を忘れてしまったのが、涼斗の犯した失敗だった。
思考に、夢中になりすぎたのだ。