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魔法に支配された世界で~The name of magic~  作者: かんのやはこ
第一章カフェ・レコロ
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暗い部屋の中で

 夕暮れに染まるアパートの部屋は、涼斗が訪れた時と比べ、見違えるほどきれいなものとなっていた。

 日菜乃が堕落したとはいえ、最低限の整理は出来ていた為、掃除は容易にでき、今ではすっかり新居同然のものとなっていた。

 そんなこんなで部屋も片付き、涼斗と日菜乃は落ち着いて話を交わすことができたのであった。


「最近の調子どうだ?」

「大丈夫。こう見えてもちゃんと三食食べて、お風呂にも入ってるから」

「そうか」


 どうやら基本的な生活習慣は乱れていないらしく、実際に日菜乃の顔色は普段通りのものであった。

 しかし髪の毛の調子を見るからに、髪の手入れは行き渡っていないらしい。どうやら細かい作業は面倒くさがっていたのであろう。

 そんな些細なことが、涼斗にとっては気掛かりであった。


「学校には行ったか?」

「行ってない。涼斗君も行ってなかったの?」

「まあな。気分が乗らなかった」

「そうなんだ」


 涼斗と同じく、日菜乃も学校に行けていないらしい。当然といえば、当然のことであった。任務で酷い経験をし、その上学校でいじめられているとなると、学校に行かないのは当然であろう。

 何にせよ、日菜乃はここ数日間ずっと引きこもっていたらしい。それでは運動不足だろうと、余計な心配もしたが、雑念はすぐさま振り切った。日菜乃に余計なプレッシャーは与えたくないのだ。

 それから涼斗は日菜乃の暗い表情を見ながら、本題を切り出すのであった。


「レコロには来れそうか? 前田さんも店長も、すごく心配してたぞ」

「うん……」

「まあ無理して行く必要はないけどな。いっそのこと、もう任務から逃げたっていい。逃げることが正しい時だって、俺はあると思う」

「うん……」


 なるべく日菜乃の負担にならないように、涼斗は慎重に言葉を選び、なるべく優しい口調で告げた。

 しかし涼斗が何かを言っても、日菜乃にとっては心に響かず、何も感じていないようであった。それでも日菜乃は何かを必死に考えており、俯きがちの暗い表情に、微かな葛藤の色が見られた。

 そんな日菜乃の表情は険しくなる一方で、間違いなく何か気掛かりになっていることがあるらしい。

 日菜乃は、最後には短い溜め息をついて、自らの心の内を打ち明けてくれた。


「合わせる顔がないの……」

「……そうか」


 ボソッと呟く日菜乃に、涼斗は納得したような苦しいような表情をして、窓の外に目をやった。

 涼斗が来た時と比べ、辺りはすっかり暗くなっていた。電気もつけていない暗い部屋で、涼斗と日菜乃は互いに顔が見えず、その視線は両者とも暗がりの先へと向けられていた。


「……気絶して前田さんには大怪我をさせて、しかも人を殺したことが、頭の中で何度も引っ掛かって、自分を攻めた。覚悟が出来てないことは明白だし、これくらいのことで立ち直れないのは自分勝手で、酷い事だと思う」


 やはり日菜乃は人を殺し、そして仲間に迷惑を掛けた事を気にしていたらしい。そして以前、自分自身に誓った、強くなるという約束を、日菜乃は破ってしまったと、自分を責めているのであろう。

 自分を責め続けて、自分で自分を追い詰めた結果が、このありさまなのであろう。それは気の毒であり、日菜乃の未熟さでもあった。


 この仕事も詰まる所は、自分との闘いなのだ。負の感情に打ち勝ち続けなければならない。そうでなければ、死が待っているだけであった。


 だが日菜乃の誓った約束は、まだ破られていないと、涼斗は思っていた。

 まだ日菜乃の力は残っていると、根拠はなくとも、涼斗はそう感じていた。なので今は黙って話を聞き、日菜乃の心境を知る事が重要であった。


「どうしたらいいかな、涼斗君。私が任務に行っても、足手まといだし、田中さんみたいにハッキングをできるわけでもない。どうすれば迷惑を掛けずに済むかな? どうしたら役立たずじゃなくなるのかな」


 考えがまとまらない日菜乃は、涼斗に意見を求めた。日菜乃は自分がどうすべきなのか、そして自分が何者なのか、まだはっきりと分かっていないらしい。考えに考え抜いても、自分のやるべきことが、自分の存在意義が、見えてこないらしい。故に焦って、空回っていたのだろう。


 その辛さは涼斗にも理解できた。

 しかし涼斗は、日菜乃がどんな言葉を欲し、何をすれば救われるのか、見当もつかなかった。

 それでも涼斗は必死に考え、日菜乃にとって最も必要であろう言葉を考え、まとめた。時間は掛かり、日菜乃も我慢できずにいたが、涼斗は勇気を振り絞って、日菜乃に自分の考えを打ち明けた。


「日菜乃が出来る事だけをやればいい。任務に行かずとも、研究所の連中に近づけるのであれば、任務に出る必要はないし、人を殺す必要もない。だが自分のできることなんて、結局は努力で積み上げるしかないと、俺はそう信じているんだ。けど日菜乃は強い。こんな短期間で努力を重ねて、ここまでやってきた。だから俺はもう十分だと思う。もうレコロに戻る必要はないし、もう任務に出る必要もない。これからは好きに生きてもいいと思う」


 涼斗の拙い言葉の数々を、日菜乃は黙って聞いていた。きっと涼斗を信じていたのだろう。

 それから涼斗は息を整えて、日菜乃の顔を見た。きっと日菜乃は逃げるつもりなんてないのだろう。そう勘付いた涼斗は、先程の言葉と変わって日菜乃のやるべきことを、正直に伝えた。あくまでも涼斗の考え方の範疇ではあるが、それでも日菜乃にとって必要と思われる言葉を、掛けた。


「好きに生きてもいいと思うが、ただ研究所の連中は、決して日菜乃のことを忘れることなどないはずだ。だからどちらにせよ、奴らのことを頭の隅で意識することに変わりはない。だからもし任務に行きたくないとしても、レコロには定期的に通うようにしてくれ。そうでないと日菜乃の身が危ないからな。それに、俺を含めたレコロの人達が、日菜乃を忘れることなんてできないからな。それだけは覚えててくれ」


 結局、涼斗は日菜乃が取るべき行動を教えなかった。それは他人である涼斗には、想像し難いことであると同時に、これも訓練の一環であった。

 自分の取るべき行動なんて、自分で考える他ないのだ。だから涼斗は、日菜乃がどんな存在であるのか、それだけを告げて口を閉じた。


 日菜乃は胸に手を当てて、涼斗の言葉を噛みしめていたが、やがて心の整理ができたのか、徐に立ち上がった。そして細い手を伸ばして、部屋の電気を付けた。明かりに照らされた部屋の中で、涼斗と日菜乃の2人は、互いの顔を見つめ合った。わずかな時間ではあったが、互いの視線が交わる時、その時間は止まったように長く感じられた。


 呼吸の音すら聞こえてしまう静かな部屋で、日菜乃は少しだけ口端を吊り上げて、何を言うでもなく台所で晩ご飯の支度を始めた。そして涼斗に向かって、明るい声色で言葉を放った。


「晩ご飯まだでしょ。食べていかない?」

「ああそれじゃあ。手伝おうか?」

「いい。今日は1人で作るから、適当に待ってて」


 日菜乃の返事はまだ聞けていないが、それでも日菜乃の明るい笑顔を見て、涼斗は安心していた。日菜乃が立ち直ったのであれば、それだけで十分であった。


 日菜乃は冷蔵庫から野菜を取り出し、献立を考えているようだ。そんな姿を見せられると、涼斗は晩ご飯は何だろうかと、期待で胸を一杯にさせた。また日菜乃に料理を教えてもらおうと思えた。

 それから日菜乃が晩ご飯を作る合間、涼斗は仮眠を取る事にした。ここ最近は寝不足な気がしたのだ。そんな姿を、日菜乃は目の端でしっかりと捉えていた。


「お節介だね……でも……」


 そんな日菜乃の呟きを、涼斗は耳で捉えつつも、何を言っているのかは聞き取れずに、眠りに着いた。疲れていたらしく、時間をかけずに寝息をたてる涼斗に、日菜乃はほっこりと温かい何かを感じた。


 それから数時間後、涼斗は日菜乃に叩き起こされ、目を覚ました。目の前のテーブルには鍋が置いてあり、その中にはクタクタと野菜やら肉やらが、湯に浸されていた。

 どうやら涼斗が寝ている内に準備を終わらし、気を利かして呼び起こしてくれたのだろう。

 涼斗は改めて日菜乃に感謝し、箸を手に持って鍋の具材を突いた。


「旨そうだな。それにしてもこの時期に鍋とは、気が利いてるな」

「そうだね。楽だしちょうど具材があったから。それに涼斗君がどれだけ食べるか、分からなかったし、鍋ならちょうどいいかなって思ったの」

「そうか。ありがとう。そうだな……レコロでも鍋をしたいな……もつ鍋なんてどうだ?」

「そうだね。店長とかは、辛いの好きそうだもんね」


 涼斗が嬉しそうに鍋を眺めていると、元気を取り戻した日菜乃が明るい笑顔を浮かべて、素直な返事をした。

 日菜乃が嬉しそうに笑う姿を見て、涼斗はこの上ないほどに安心するのであった。久しぶりに日菜乃と笑い合って、会話をすることができたような気がした。それが涼斗にとっては、幸せなんだと、気付かされたような気がした。


 体が温まる料理を口にして、涼斗は身も心も満足であった。美味しく、芯から温まることができて、そして何よりも、またこうして日菜乃と話ができることが、涼斗にとっては素敵なひとときであった。


 対する日菜乃は、熱気によって上がった温度で、暑そうな仕草をして顔を真っ赤にしていた。近くで日菜乃の落ち着かない姿を見ていると、なんだか涼斗はいたたまれない気持ちになった。きっと頭の隅で邪念が走ったのであろう。


「ねえ涼斗君、クリスマスは暇?」


 ふと箸を止めた日菜乃が、そんなことを聞いてきた。日菜乃がクリスマスという単語を出して、涼斗は初めて現在の季節を思い出した。12月の上旬。それは街も人々も、クリスマスのムードに冒され、幸せな気分で過ごす時間であった。


 無論、涼斗は基本暇人であり、クリスマスもいつも通り予定はないのであった。だから涼斗は暇だと、日菜乃に素直に伝えた。

 すると日菜乃は嬉しそうな満開の笑みで、涼斗の顔を見ていた。


「良かった。それじゃあクリスマスも、こうしても私の家で料理とか食べて、適当に過ごさない?」

「別にいいけど……日菜乃はそれでいいのか?」

「なんで?」

「他の人との約束とかは、ないのかって意味だけど……日菜乃がいいなら何でもいいぞ」

「私が、レコロ以外の人と約束できると思う?」


 日菜乃がクリスマスにお誘いを入れてきたのだが、涼斗は日菜乃に配慮を配った。しかしそんな遠慮めいた涼斗の言葉も、日菜乃にとっては少し皮肉に近いものであった。

 そのことに気が付いた涼斗は、素直に「ごめん」と謝った。


 それから鍋も空になっていき、涼斗と日菜乃の腹は満たされるのであった。そしてリラックスした様子の日菜乃には、つい数時間前までの悲し気な表情は、消え去っていた。

 その為、涼斗は口端を吊り上げて、日菜乃を見ていた。涼斗が日菜乃を眺めていると、そのことに気付いた日菜乃は、「どうかしたの?」と聞いて、首をひねった。


 そんな姿に、涼斗は「何も」と答えて、そのまま見惚れていた。

 しかし日菜乃は気にした風もなく、そのまま座って感慨に耽っていた。まだ悩みは消え去っていないのであろう。日菜乃は俯いて黙っていた。しかし日菜乃の顔には、もはや一切の不安の色は残っておらず、その目は希望に満ち溢れたものであった。

 

 そんな姿が、涼斗にとっては新鮮で、もう日菜乃から視線を、一切離せなくなってしまうのであった。

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