ホワイトチェイサー
「紹介しよう。こいつが例のハッカーの、田中聡美だ」
「私の名前は田中聡美。ハッカーネームはホワイトチェイサーです。よろしくおねがいします」
礼儀正しく腰を折るこの女は、杉本が連れてきたハッカーである。170cmの長身で、見た目はマダムのような印象を受ける。歳は杉本と同い年らしく、杉本が信頼を寄せているのも頷ける。
「彼女とは高校の時からの仲で、その時から裏社会に関わっていた奴だ」
「よろしく。いつも杉本がお世話になっているわ」
「よろしくお願いします、田中さん」
「君が涼斗君、ね。杉本が言うようにイケメンだね」
「はあ……」
マダム田中が涼斗に近寄り、その顔をマジマジと見ていた。その為、涼斗は困惑するばかりであった。
「そして、こっちが日菜乃ちゃん、ね。よろしく」
「はい。よろしくお願いします」
「日菜乃ちゃんも、杉本が言った通りかわいいねえ」
「ありがとうございます……」
田中が涼斗から離れたかと思うと、次は日菜乃のもとに寄って行き、またしてもスキンシップを行っていた。その為、杉本は頭を掻いて申し訳なさそうにしていた。
「ああまったく……こいつは昔からこんななんだ。それよりも次の任務について、田中から連絡してくれ」
「はいはい。私が見つけた情報によると、桜坂町中央支部は桜坂町5丁目の、菊祥山の麓にあるわ」
中央支部の情報を教えてくれる田中は、とてもハッカーとは思えない立ち振る舞いであった。礼儀正しく、そして大人の雰囲気を出している。
「菊祥山の麓……あの6階建てのビルのことでしょうか、レディー」
「そう。あそこにこの街のすべての住人のデータと、他の中央支部の在り処も判るわ」
前田の紳士的な態度には何の反応も示さず、田中は淡々と続ける。その姿はさながら経験豊富といったところだ。
「奴らは数少ない基地で、多くの人間を活動させている。だから奴らの拠点に行けば、きっと皆の悲鳴が聞こえてくるはず。研究所で苦しむ人たちの悲鳴が」
「……」
「やめろ。そういうのは俺の前だけにしてくれ」
田中が何かを暗示しているので、涼斗と日菜乃は警戒をする。しかし杉本はまたしても溜め息をついて、やれやれといった雰囲気でいる。すると田中はクスクスと笑って、少女のように楽しんでいた。
「そういえば直子があんたに助けられたみたいね」
「直子? お前の弟子のことか?」
呆れかえっていた杉本に向かって、田中は聞き慣れない名前を出す。どうやら杉本も知らない名らしく、目を丸くしていた。
「そう。私の弟子の子よ。あの子がお友達と一緒に、研究所の連中の隠れ家に入って、危うく命を奪われかけたらしいわね。助けてくれてありがとう」
「感謝するなら、お前の弟子をきっちり叱っておいてくれ。奴らに関わるなんて絶対に許さない」
「うふふ。そうね。でもあの子ったら、師匠に恩返しがしたいからって言って、聞かないの」
「まったく……研究所と関係していることを分かって尚、突っ込もうとしたのか……まあ余計なことに首を突っ込もうとするのは、お前に似たようだな」
長年の付き合いがある2人は、互いのことをよく理解しているようだ。ならば杉本が、田中という外部の人間を信頼したのも、頷ける話だ。
それからカフェ・レコロは、いつも通りの営業を行った。田中は客として席に座っており、まだ杉本と話をしていた。
一方で涼斗は、厨房で前田と日菜乃の手伝いをしていた。今日は田中の他にも客がいる為、涼斗も日菜乃も仕事を行っていた。
「そういえば前田さん、関係者の方から新しい情報はありましたか?」
「ああ彼のことか」
「あの、関係者って誰のことなんですか?」
涼斗がふと気になっていた事を聞いた。しかし日菜乃にとっては初めて聞いた事実なので、首を傾げて質問をする。
耳をたてる日菜乃に、前田はゆっくりと関係者について話し出した。
「関係者ってのは、研究所で仕事をしている、内通者のことだ」
「内通者……そんなことが可能なんですか?」
「ああ何とかね。何も研究者の全員が、あの狂気的な実験に賛成というわけではないんだ。中には主謀者を殺そうとして、逆に殺された人間だっているらしい」
どうやら研究所内では、卑劣な実験に加えて正義による争いも起きているらしい。そんな実態は、日菜乃にとっては初めて聞くものであった。
「その上、研究所内では互いに疑い合う毎日らしい。誰がどんなことを思っているかは、誰にもわからない。だから関係者は、我々レコロに手を貸してくれるんだ。もっともその姿を見たことはないがな」
「そして俺たちは、研究所のその弱みに付け込むだけですね」
「その通りだ、涼斗君。奴らには味方と呼べる味方がいないんだ。つまりチームで動ける以上、我々の方が何千倍と有利ということだ」
完全無欠と思われた研究所も、どうやら欠けている部分はあるらしい。そんな勝機にも思える話が、実際に彼らの唯一の希望なのであった。
「何がともあれ、関係者の彼とはまだ会えないだろうし、今は情報を待つばかりだ」
そう言って立ち上がり、前田は客席へとナポリタンを伴って出て行った。それから厨房には涼斗と日菜乃だけが取り残された。
「なあ日菜乃、最近学校では大丈夫か?」
2人きりになって黙々とした空気が流れ、涼斗がたまらずそんなことを聞き出す。ここ数日間の学校生活は、お互いに関わる機会が少なくなっていたのだ。
日菜乃は一瞬皿を洗う手を止めたが、すぐに手を動かし始めた。
「うん。大丈夫。なんだか対馬君も大人しくなってきたし、それ以外の人達も前みたいな距離感じゃなくなったよ。ただ先生はやっぱり研究所の手先だから、まだ厄介払いしてくるけど、私にとってはどうだっていいことだから」
「そうか」
日菜乃が明るい笑みを浮かべて、「大丈夫」と言ってくれたので、涼斗もホッとして微笑んだ。それから前田も厨房に戻り、昼休憩に入った。
客がいない隙を狙って、一同は体を休める。その視線は、レコロと戯れるクロッカスに釘付けであった。
「おいでレコロちゃん」
そう言ってクロッカスに抱き上げられるレコロは、調子良くニャーと鳴いていた。
「この子が例の、杉本の家で引き取ることになった子?」
「ああそうだ。名前はクロッカスと呼ばれていたが、研究所の連中が勝手に付けた名だ。だから満場一致で俺が決める事になったんだ」
「そう。それで名前は決まったの?」
「ああ。だからここで、クロッカスの名前を発表しようと思う」
杉本はクロッカスの名前を、もう既に決めていたらしく、皆を呼び集めて公表する。その発表に一同は鼓動を高めて期待した。
「クロッカスの新しい名前は、姫花だ。クロッカスという花にちなんで花を入れて、レコロの姫のような存在だからだ」
杉本から告げられるクロッカスの真の名に、一同は驚くと共に関心していた。実に杉本らしい命名であった。
「なかなかいい名前じゃないか。君は今日から姫花ちゃんになるわけだ」
「そうだよ。パパが付けてくれたの」
「そうか。良かったな」
「えへへへ」
前田が心からホッとしたような笑みを浮かべて、クロッカスの頭を撫で回していた。そんなクロッカスは、心から嬉しそうであった。
「あと名前の中に花を入れたわけだし、クロッカスって名前も、ただのコードネームじゃなくなるわけだ」
「なるほど。それはすごいですね」
「そうだね。クロッカスって名前も可愛らしくて、良かったよね」
「そういうことだ。これ全部を思いつくのに、けっこう時間掛かったんだぞ」
「それはまさに、いいものは時間をかけないといけないってことだね」
「まあそうとも云うかもな」
クロッカスという名前が、誇れるものにするための、姫花という名前なわけだ。この名前もそうだが、杉本は普段から掛け言葉を多用し、温故知新を重んじている男なのだ。
誰もがクロッカスの新たな名前を気に入り、それと同時にクロッカスの研究所からの縛りを、真の意味で解いたと云えよう。
「良かったね、クロッカスちゃん」
「うん!」
かがみ込んで頭を撫でる日菜乃と、クロッカスの明るい返事がその場を和ませ、今日からレコロは新たな仲間と共に、新しいスタートを切るのであった。




