甘口カレー
「よし……それじゃあ晩飯にするか! 涼斗、日菜乃。買い出しに行って来てくれないか?」
相変わらずの破綻寸前の客の量に、暇を持て余した杉本は自身の携帯で調べものをしていた。内容はクロッカスの名前についてだ。名づけに四苦八苦していた杉本であったが、どうやら調べ終えたらしく、夕飯の支度を始める。その買い出しに、涼斗と日菜乃は指名されたのだ。
「わかりました。それでは何を買ってくればいいですか?」
「甘口のカレーのルーを買って来てくれ」
「それだけですか?」
「ああ。これだけでいいぞ」
「判りました。それではクロッカスの分のカレーを買ってきます」
「そういうことは声に出すな」
ツンとデレを器用に使い別ける杉本に、涼斗は微笑した。涼斗の微笑に杉本は、キッと歯ぎしりをして厄介そうにしていた。
そんな杉本を横目で捉えつつ、涼斗と日菜乃は近くのスーパーマーケットへと向かった。
「店長、クロッカスちゃんのことが頭から離れないのね」
「そうだな。店長があそこまで照れるのは珍しい」
クロッカスと杉本のやり取りは、やはり見る者を和ませる力があった。その為、この2人も先から頬の緩みが解けない。杉本もクロッカスにかなり癒されているらしく、前よりも肩の力が抜けているように感じられる。
そんな道中でのことであった。街のどこからか、なんだか嫌な会話が聞こえてきたのだ。
「脱走したクロッカスが、目撃された付近のエリアまで来ました。先程から何人もマークしていますが、それらしき人物は見当たりません……」
「日菜乃、ちょっとこっちへ」
「うん。わかった」
クロッカスの話をする怪しげな男を発見し、ただちに物陰に隠れる。間一髪のところで、男の前を通過してしまう所であった。そうしてしまえば、怪しまれて会話は途切れてしまっていたであろう。
「それでは張り込み調査をしましょう。桜坂町一丁目2号辺りの住宅ですね。わかりました」
それから男は電話を切って、近くのパーキングに止めてあった車に乗車した。
「急ごう」
「うん」
日菜乃に合図を出して、涼斗は早歩きになって用事を早く済ませるように努めた。スーパーでなるべく早く甘口カレーを掴みだした涼斗は、任務の時のような手際の良さが目立っていた。それから街中でも研究所の手先を警戒して、早急にレコロへと帰還した。
「お、早いじゃないか。それじゃあ2人も手伝ってくれ」
「それよりも店長、街中で怪しい電話をしている男を見つけました」
「なんだって! その話詳しく聞かせろ」
「はい。その男は電話で、クロッカスが脱走したと言っていました。それから奴らはクロッカスを追っています」
「クロッカスを? 何のために?」
「分かりません。ただ奴らは桜坂町一丁目で、張り込み調査をするらしいです」
涼斗から告げられる話に、杉本はみるみる内に顔を青くした。無理もないであろう。杉本にとっては身近すぎる話題であったからだ。
「まずいな……それはつまり俺の家の近くで目撃されたって事だ。涼斗、今日はお前の家に泊めさせてくれ。クロッカスも一緒にだ」
「勿論です。それでは2人とも帰る時は一応の変装を」
「ああわかった。それと晩飯の後に、次の任務のミーティングを行う。奴らに俺らのことが把握されつつある。ここがバレるのも時間の問題だろうな」
「わかりました……」
杉本の案ずる事は、涼斗にもよく理解できた。研究所の連中は、レコロの情報を豊富に得られているらしい。今はそのことが最大の脅威であった。
「まあそんな暗い顔をするな。俺たちならあんな奴らに負けたりしないさ」
「そうですよね。絶対に、死になんかしないですよね」
「ああ。誰一人な」
杉本に元気づけられる涼斗は、厨房にて包丁を使う日菜乃の方を見た。
(いざという時は、俺の魔法で奴らを蹴散らせばいい。それに日菜乃だって魔法が使えるかもしれないしな)
頼もしくもある日菜乃のことを思うと、やはり今でもとても不安で心配であった。だがこれ以上の心配は無用の為、涼斗は胸の内の暗い気持ちを振り切って、レコロ一同はカレーを食べた。
「美味しい……!」
「良かった。私と涼斗君と、パパと一緒に作ったんだよ」
「そうなんだ……私、パパの作る料理好き」
「そうか。クロッカスがカレーが好きって言ってたからな。食べられるだけ食べろ」
「うん!」
「クロッカスはカレーが好きなんですね……そういえば俺も、研究所のカレー好きでしたよ」
クロッカスが喜ぶ姿を見て、涼斗はふと研究所の、食堂についてを話題に上げた。おそらくクロッカスは食堂のカレーが、今でも心残りなのだろう。
そして食堂に纏わる記憶は日菜乃も覚えている為、徐にその話をする。
「そういえば厨房のおばさんは優しかったなあ……写真のこととか、いなくなった友達についても相談に乗ってくれた……でもそれは演技だったのかな……」
「そんなことはないぞ」
「え……?」
卑劣な研究所の中で唯一の逃げ場であった食堂も、本当は研究所の一部なのだ。研究者と同じで穢れているに違いないと、日菜乃は思っていたのだ。しかし涼斗がそのことを否定したものだから、日菜乃は瞬時にして戸惑う。
「食堂の人達はみんな生かされているんだ。実験体に健康的な食事をさせる為には、専門家を集めるのが効率的だろう? だから料理を作れる人間が、あそこに収容されているんだ。それにあそこの人達だって、自分たちの安全を優先することで、実験体にならずに済んでいる。そう考えたら、生きているだけで世界の為になっていると、食堂の人達は考えているんだ」
「そんな……酷い……」
「そうだな……死ぬまで研究所にいるか、誰かが助けにくるのを待つだけか……そんな人生なら死んだほうがマシだろうな。けど死ねば実験に利用されて、その糧になる。そして自分の換わりが地上から引きずり込まれる。だから死にたくても死ねないってわけだ」
「……どうにかできないのかな……」
「方法はただ1つだ。実験体として利用されている人達と一緒に開放することだ。どちらかが欠けたなら、もう片方の人達には破滅が待っているんだ。安楽死か餓死か、実験。最悪だろう?」
「うん……」
残酷な運命を背負う者は、どうも被実験体の人間だけではないようだ。そんな事実を知らされ、日菜乃は苦しくなった。かつて、自分の悩みを聞いてくれた、母親のような人たちが思い浮かべられたのだ。
「だけどそんなことが本当にできるのかな……? だって料理が出来る人はいっぱいいるはずなんだから、研究者の中にも料理ができる人がいたはず……」
「それはそうだな……ただどちらにしよ、俺たちには分からない事情だ」
「そうだね。ただ食堂の人たちは尊敬に値するね。日菜乃ちゃんの悩みを聞いてくれた恩人。そんな人には是非とも会ってみたいものだ」
「そうだな。会って礼をしなきゃな」
心底悔しがる日菜乃に、涼斗もなるべく寄り添おうとしたが、その弱った心の内が上手く読めず、結局黙ってしまった。
だがどうやら前田と杉本も日菜乃の弱った姿に胸打たれ、日菜乃の恩人を助けたいと思っているようだ。もっともこの2人が、命を軽く見た事など一度もなかったが。
「それじゃあ今から次の任務の連絡を行う。次の任務では情報の錯乱と、奴らの傷口を開くぞ。防御と攻撃を一斉に行うんだ」
日菜乃の恩人の話から転じて、次の任務のミーティングが開かれた。主謀者は杉本だ。
しかし普段から丁寧な杉本の計画に、前田を含む他の面々が戸惑っていた。とても現実的ではない計画のように聞こえるからだ。そんな中で、クロッカスだけは耳を貸さずにカレーを味わっていた。
「防御と攻撃を一斉なんて可能なんですか?」
「ああ。可能だ。ただしかなりの準備が必要だ」
「準備ですか」
「ああ。まず防御ってのが、俺たちについての情報を欺く。そして攻撃ってのが、奴らの基地に攻撃するってことだ」
涼斗の質問に答えてから、杉本は詳しい説明を始めた。やはり幼いクロッカス以外は皆、真剣に聞いていた。
「まず情報の錯乱だが、ハッカーを雇おうと思う」
「待てハッカーだって? なぜそんなに飛躍した話になった」
杉本の説明に前田は声を上げて驚く。無理もないだろう。
レコロは基本、外部の人間と関わらないようにしていた。それは情報の漏洩を防ぐことは勿論、他人を巻き込みたくなかったからだ。しかしそのルールを破ったのは、ルールを作った本人、つまり杉本だったわけだ。
しかし杉本は落ち着きを払って続けた。
「大丈夫だ。そのハッカーは信用できる奴だ。それにあいつから協力したいって言ったんだ」
「まあ杉本がそこまで云うなら、私も反対はしないさ。それで、ハッカーを雇ってどうするんだ?」
「ああ。まず基地で情報を収集するんだ。そこで俺と前田の情報を確認して、隠蔽する。それが出来たら、今度はクロッカスを死んだことにする」
「私を……?」
先程まで聞き耳を立てていなかったクロッカスだが、固有名詞には反応を示した。なので杉本が説明を行う。
「ああ。クロッカスを守るためだ。ただ心配するな。今の生活は変わらない。誰も死なないし、お前だって幸せに暮らせるようにする」
「うん! わかってる。パパ、私の為になんでもしてくれるから。だから私はパパを信じる」
ほぼ無条件に信頼してくれるクロッカスに、杉本は少し申し訳なさを感じた。クロッカスはこれだけ信用してくれているのに、自分はなにもしてやれないと、感じていたからだ。
「ありがとう。いつか学校にも通えるようになって、友達ができるといいな」
クロッカス死亡の偽造の最も大きい課題は、クロッカスが学校などに行けなくなることだ。クロッカスも大きく育てば、学校に行きたいと思うようになるだろう。そうなる前に、この事件は収束させなければならない。そんな事を含めて、杉本は研究所を早く潰したいと、そう願っていた。
「それに第三者の意見も必要だ。このメンバーだけでやるのも限界があるからな」
クロッカスと笑い合って、杉本は計画の続きを話し始める。
「そして攻撃の説明だが、今度は本物の中央支部を襲撃する。まず涼斗が、電柱の上にある変圧器の中にあるヒューズを、魔術によって切る。すると停電が起こるだろ? その隙に侵入して、施設内の資料を奪いつつ、爆弾を設置する。そして俺たちが退散する頃に、中央支部を爆破するんだ」
非現実的な計画を披露する杉本だったが、不可能ではなさそうであった。
しかし涼斗は不安であった。確かに涼斗の電力魔法を使えば、ケーブルを切断することは可能だろう。しかし変圧器の中にあるヒューズを切るという、細かい作業ができるかどうかは、また別の問題であった。それに変圧器のヒューズの切り方など、涼斗には見当もつかなかった。
「わかりました。やってみます。ただし魔力の細かい作業ができるか自信はないので、バンカーで手合わせ願います」
「ああ。いいぜ」
「それとヒューズを切るって云っても、どうやればいいのでしょうか?」
すると案外、答えはあっさりしたものであった。
「雷みたいに、電柱に大量の電力を流せばいいだけだ」
「本当にそれで大丈夫なんですか?」
「やってみないとわからない。けど不可能ではないはずだ」
少し荒い計画ではあったが、可能ではあるだろうと考えられた。それから杉本は咳払いをしてから、その場をまとめ上げる。
「中央支部を襲撃する際は、例のハッカーの協力をしてもらう。任務中の直接的な援護はできないだろうから、彼女が集めた情報を基に、作戦を遂行する」
今回は杉本も気合を入れているらしく、自信気であった。そしてどうやら例のハッカーは女らしい。
「以上が次の任務の連絡だ。まずは俺からハッカーの女に話を着けておくから、それまで準備と休憩をしておいてくれ」
「はい。わかりました」
業務連絡も終わり、レコロの一同は新たなメンバーとの、新たなスタートを切ったのであった。




