校内侵入
「……それじゃあ始めるよ」
合図だけを残して、前田は全力で駆けだす。
「……!」
一直線に駆ける前田に視線を置きながら、日菜乃は追い付かれぬよう距離をとる。しかし前田が全速力で距離を詰めようとするため、日菜乃と前田の距離は徐々に縮まる。
「ぐっ!!」
そして前田が日菜乃から1mほどの距離に近づくや否や、素早く蹴りを入れた。その蹴りを遅れながらも視線の端で捉えた日菜乃は、後方にステップをした直後に、手で腹を押さえて防御に徹する。
「っ!」
手で押さえたとは言え、日菜乃の横腹には尋常でない痛みが伴った。それを見届けた前田は、日菜乃へとゆっくり近づく。その事に気が付いた日菜乃は、すぐさま立ち上がり、後ろへと素早くステップを踏み、距離をとる。
再起不能かと思われた日菜乃が立ち上がり、前田は少し驚く。だが容赦はせずに、またしても駆けだした。
前田のアクションに日菜乃は同じ失敗をしまいと、今度は一定の距離を保って前田の攻撃を受け流す。
四方八方から流れる前田の蹴りと殴りを避け、日菜乃は左横へとステップを踏む。そして前田の背後に周り込み、空中に身をまかせながら、前田の背中に右ひじで殴りを入れる。
しかし前田はつきだされた日菜乃の左腕を掴み、そのまま日菜乃の正面に流れ込むようにして、日菜乃の足に蹴りを入れてバランスを操る。
そして次の瞬間に、日菜乃は尻餅を着き、前田に追い詰められる。
「そこまでだ。日菜乃のレベルも分かったし、涼斗がどんなことを教えたのかも分かった。ここまで出来ているなら次の任務に問題はないはずだ」
杉本の一声で前田も日菜乃も闘う姿勢を止めた。そして互いに礼儀良く礼をする。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました。確かにこのレベルなら次の任務には問題ないな」
前田と杉本が少し安心する中、涼斗も安堵の息をつく。そして日菜乃は嬉しそうに少し頬を緩めていた。
「分かりました。それでは次の任務には、日菜乃も連れて行きましょう」
「ああ。ただ今の模擬戦を見て日菜乃に秘められた可能性も十分に感じられたが、それ以上に課題も多くみられた。勿論日菜乃個人だけの問題じゃなくて、涼斗の教え方にもだ」
杉本の厳しい評価に涼斗の表情は硬くなる。その姿を受けて杉本は安心させるためにも、ニッと笑う。
「安心しろ。大したことじゃあねえ。ただちょっとしたことが気になっただけだ。という訳で今からはさっきの模擬戦の反省会も踏まえて、実戦で使える杉本流CQCを教えよう」
どうやら問題点は早急に片付けたいらしく、そのままの流れで対人術講習が始まった。
日菜乃に対して、対人術やステルス術を教えるというのが、講習の主な目的らしい。それから日菜乃は勿論、涼斗も日菜乃と並んで杉本からの指導を受ける事になった。
基礎対人術のやり方、活用法などきめ細やかに指導は行われた。
そして講習が全て終わると、涼斗の手元にあるメモ帳には、新たな知識がたくさん盛り込まれていた。
「以上が対人術の基礎事項だ。次からは日菜乃も涼斗みたく、メモを取るといいだろう」
「はい。わかりました」
講習も終わり杉本から留意点を教えられると、ついに日は沈んでいた。
彼らのバンカーでの作業は終わり、いよいよ日菜乃の初任務の時が近づいていた。
「それじゃあレコロに帰るぞ。レコロに戻って晩飯食って、支度すれば丁度いい時間になるはずだ」
杉本の講習を終え、レコロ一同は急いで桜坂町へと帰宅した。
レコロに着くとすぐに皆で料理を作った。なるべく任務に支障をきたさない為に、消化に良い晩ご飯を食べた。
それから皆で桜坂学園へと向かい、ついに日菜乃の初任務が始まろうとしていた。
桜坂学園の道中、日菜乃はどこか落ち着かないようで、表情に不安を露にしていた。もっとも涼斗も緊張している為、先から妙に体浮いているような気味の悪い感覚が生じていた。
「ここだな。まずこの時間帯は教員達がいる可能性があるので、くれぐれも警戒を怠らないように。それと先程は伝え忘れたが、杉本と日菜乃ちゃんで校長室付近を見張る。その間に私と涼斗君で資料を探るという計画だ。それじゃあ午後8時に任務開始だ。それと同時に、会話はなるべく控えるようにしろ」
前田からの注意があり、任務は静かな月の下に始まった。
まずは鍵の閉まっていない扉を探し、そこから室内へと忍び込む。それから校長室へと一直線に向った。校長室の鍵は閉まっていたが、鍵を探す暇も取りに行く余裕もないので、ここは施錠破りを行う。
古びた扉ということもあり、難なく施錠は短い音を立てて崩れた。
それから日菜乃と杉本だけが扉の前に残り、前田と涼斗で校長室内を探る。
「前田さん、これ」
ふと涼斗は、見慣れない単語が載った資料を見つける。それを前田が覗き込むと、前田は「うーん」と唸って考えを巡らせていた。
「これは私も見た事がないな…………プロトタイプクロッカス…………恐らく奴らの実験が、進んでいる証なのだろう。新しい兵器か、成功品と考えるのが最もらしいな。取りあえず探索を続行しよう」
前田も涼斗も『プロトタイプクロッカス』という異名に、些か違和感を感じたのだが、ここでは中央支部の鍵が最優先事項である。その為、この件は一度保留する。
しかしそんな心配も束の間の事で、涼斗は机に怪しげな引き出しがあることに気が付く。
「前田さん、この引き出しってどうやって開けるのでしょうか?」
「ん? どれどれ?」
見た事もないような錠前の型に、涼斗は少し戸惑う。が、前田はその錠前を見た事があるらしく、懐からジャラジャラと金属のがらくたのようなものを取り出す。それからその一つをつまみ上げ、錠前へと差し込む。すると鍵が開く音と共に、引き出しの中身が露になる。
「あったな。鍵だ」
その中には、中央支部と書かれたドッグタグを身に着けた鍵が入ってあった。意外な事に、それ以外のものは何一つ入っておらず、その事が却って怪しさを醸し出していた。
「他には何も入っていないのか…………罠という可能性もありえるな…………」
「そうですね…………取りあえず店長と日菜乃と合流して、ここを出ましょう」
「ああそうだな」
それから前田と涼斗で校長室をなるべく元の状態に戻し、杉本と日菜乃を伴って桜坂学園を後にした。
日菜乃の初任務は無事に初成功を収めたのであった。
「これにて任務終了だ。皆お疲れ様」
「おう。それじゃあ今日の所は帰るか。もう遅いし、明日は中央支部に乗り込むわけだから、しっかり体を休めろよ」
「はい。わかりました。それでは失礼します」
「ありがとうございました。さようなら」
それからレコロ一同は、それぞれの帰路へと着き、仕事は終わるのであった。
そして涼斗は自宅に向かって考え事をしながら、1人夜道を歩いていた。
(プロトタイプクロッカス…………プロトタイプという事は新たに敵が誕生したということだろう。それにしても不可解なのはクロッカスということだ)
涼斗自身、クロッカスという単語の意味はわからないが、恐らく研究所の連中は何か意味があって、この名を与えているのであろう。ならばその意味を先に予習することによって、先手を打ったりする事ができるかもしれないのだ。
(クロッカスとは…………花の名前か…………ならば花言葉が関係していたりするかもしれないが…………)
クロッカスという単語について、早速涼斗はインターネットで調べる。しかしそこには幸先が不安になるような検索結果が現れた。
(裏切らないで…………果たしてこれが何を意味するのだ? クロッカスの能力か? それとも研究者からのメッセージか? どちらにせよ俺たちを惑わす為の名前なのだろうな…………)
不吉な花言葉を不可解に思いつつ、涼斗は自宅に到着するのであった。




