非神さんの信仰履歴
「その願いは聞き届け――」
突然のドラムロール。是非もなく聞かされる側の身になって頂きたい。
「られませんでしたァ!」
「勿体ぶってんじゃねーぞオラァ!」
そしてこの扱いである。目の前のそれが『神様』に類するものじゃなかったら俺は多分殴っていた。
そうでなくとも、境内から思わせぶりに顔を出した時なんぞは浮浪者の類かと思って反射的にシャープペンを投擲したぐらいである。
この動揺ぐらいは理解しろと言いたいが、目の前のそれにとっては至極どうでもいいらしかった。
「仕方ないじゃないですかー、信心ひとつない私みたいなモンが他人様のお願いを聞き届けるなんて出来ないんですよー、それより何よりー?」
「半疑問形じゃねえか何よりなんだよ」
「この国、もう神様とか居ませんから」
それこそ耳を疑う話だ。お前誰だって話なのだ。
寧ろ、わからないことばかりなのでひとつ整理したい心持ちである。
先ず立地。
寂れた神社。規模としては鳥居と本殿があるだけマシ。地元からもほぼ寄り付く人がいなくなり、あろうことか心霊スポットの扱いすら受けて久しい。貴船神社か地主神社へ行けというのだ、そんなもの。
だが、時折本殿周囲に人影があるとかないとか、そういう話は以前からあった。
信心深い人間が足を向けたのかはたまた……まあ後者か。
周囲一体を囲む林は間伐や枝打ちすらされない、よく言えば「自然のまま」、悪く言えば「育つに任せた乱雑な」植生ということになる。
ところどころ雑草に侵食された石畳は既に用をなさず、足首ほどに延びたヒメジョオンが花をつけているところなどはどこの道端だと言いたくもなる。
僅かに漂う匂いはドクダミだろう。……本当に、ロクな場所ではない。
次に、俺がここに来た動機について。
特に深い理由は無い……などというと嘘になるか。
ほんの数日前に降って湧いたように我が身に起きた不幸を憂え、怖いもの見たさと僅かな信心との両天秤の挙句にここまで来てしまったというべきだろう。ただ、その不幸を払拭するだけの理由付けが欲しかっただけなのだ。
お願いというには余りに稚拙だし誰かに頼むものでもない。
願いというよりは確認作業に近いそれは、成就を確認するのに最も面倒なものの一つといえるだろう。
最後に、目の前に唐突に現れた『それ』について。
まず、着ているものは当然のように襤褸である。
一見すればあからさまに浮浪者然としているが、それにしては肌身に不潔さが一切見られないのが逆に不気味である。
丸みをおびた肩や腰元をみるに女性なのだろうが、伸びるに任せた髪の合間からみえる眼光は決して女性らしい奥ゆかしさではなく、挑戦的なそれである故に少年的なものを覚えもする。これは単に自分の対人鑑識能力が低いせいだろうが、性別がはっきりしないのだ。コミュ障とか言うんじゃない。
彼女(便宜的にそうする)曰く、この神社の神である……らしい。
俺は『神様』と認識したが、そう言えば彼女は自分に『様』なんて付けなかった。そして今しがたの発言であるわけだが……はて。
「はいそこ、余計なこと考えない!」
「人の心読んでんじゃねーぞコラァ!」
何はともあれ油断も隙もない。
すこしぼーっとしただけで全てを見据えていますよと言わんばかりに突っついてくる彼女をどうあしらうか、だけで既に十数分は費やしていた。
「っていうか貴方の目とか顔とか読むもクソもなく色々深読みしてる顔ですよ?人間なんて人生で考えられる思考の数が限られてるんですから、大体私に全部任せて飲み込めばいいじゃないですかー、もう!」
「勝手に俺の願いの成就に口挟んどいてそれかよ!お前神様としてそれはどうなんだよ! むしろさっきの話ちゃんと続けろよ!」
自分に任せろといいつつ話が右に左に逸れているのはどうかと思うが、話は遡って遭遇した時はといえば、先ず「お悩みですね」から始まって「危ないですね死ぬじゃないですか」と続き、最後に「神頼みですかー、このご時世に?」となった気がする。
因みにシャープペンなら目に刺さっても死なないだろう。書くたび芯が鋭くなる例のアレとか製図用ならまだしも。
「いや死ぬとおもいますけどね普通に」
「だから読むなよ」
「シャープペン片手に怪しい笑み浮かべてる時点で読むもなにも無いと思うんですよね……それで続きですが」
「あァ?!」
思わず荒げた声とひきつった頬、加えて表情筋を認識した時点でまずい、とは思ったが、彼女は一切気にしていないように見えた。
見えた気がするだけかもしれないが。
「いえ、ですから先程の。この国はもう『神様』は居ないって言ったじゃないですか。私は嘘吐きませんよー?」
「……それとお前が成就できないことと何の関係がある」
「大有りじゃないです?先ず、そうですね……貴方は『不幸』を前にして何を思いました?その不幸が自分に降りかかった理不尽? 不幸を与えた環境?それとも」
「…………それは」
言葉に詰まる。
身に不幸が起きた、とは今の今まで言っていない。
唐突に願いがあることを気取られて、唐突に「それはかなわない」と宣言されただけなので、事実として本当に『見透かされた』のはこの瞬間が初めてなのだ。
そして、本当に不幸が起きた時にこう、思った。
――なんだ、神様なんていないじゃないか、と。
「……まあ、そんな貴方の考え一つでこの国の人間が向こう千数百年かけた理論が崩れるわけないですけどね」
「今割と本気で心が折れかけたことについて謝れこの野郎」
「嫌です。取り敢えず、ですね。そもそもの話、何故『神様』が居て、居なくなったのかを考えるべきです。それを理解してからでも、遅くないと思いますよ」
「それは俺の『願い』に関係あるのか?」
「ありませんね」
「おい」
関係ないらしかった。神様の発生論を押し付けられてどうにかなるわけではないと思ったが、やっぱりそうらしい。
「先ず、前提として知っておくべきなのは、神様という存在は……というか、それに限らずオカルト全般は、人間の想像力から生まれた存在にすぎないということです。自発的に生まれたわけではなく、飽くまで受動態。本来は自分の意思で動くことはなく、『願い』に反応する適合装置の意味合いが強いのです。
だから現代でも、他国のそれは人格を持たないか、或いはそれが希薄につくられているわけですね。『全知全能』という無私の理由付け、というわけです。ですが、この国、あと北欧あたりでしょうかね。
世界創世に関わった類。あの辺りは話が違ってきます。あれらは人が作った物語の枠内に当てはめられた超自然的存在なので、必然的に人に近くなる。人格も在って欲求も在って、勝手な側面もあったりする。 人に近いということは、人にかかわらないと存在できないということになります。
『若者の○○離れ』じゃないですけど、忘れられても独立できる全能系と違って、関わりがないと消えてしまうわけですね。そして、それに拍車をかけるのがまあ、貴方の『それ』です」
……ああ、つまり『信じない』ことと『関わらない』ことの徹底が、この国の『人格ある神格』との縁を切り離すに至ったと。
目の前の相手はそう言いたいわけか。
「で、話を最初まで戻しましょう。願い、とは言いますが。貴方はそれが神頼みで治るものだとお思いですか?」
「……思っているといったらどうする」
「まあ、とんだ過信だと笑うことも出来ましょうし、他人任せだと罵ることも出来ましょうよ。現状からして自分主体の不幸なのに、それを解消するのに他人の、しかも不定形の何かに頼むなんて愚の骨頂ですよ。
そんな状態で、わざわざ視覚的刺激に頼るのが難しいこんな場所に来たのがありえないというか。
口では希望を吐きながら、心中絶望と厭世で塗り込めたタイプが一番面倒くさいんですよ」
あーヤダヤダ、と首をふるこの相手の言葉は、実に苛立たせてくれるものだ。
何しろ、見透かされているのが気に食わない……原因も現状も自分にあるという事実が。
「自動装置の方なら、それも実現出来るでしょう。
けど、それって根本的な解決になりますか?将来の夢とやらに視線を向けたら眩しかった。目を閉じて耳をふさいだら夢の見方がわからなくなった。そもそも、夢が何だったか忘れてしまった。
なので、元に戻りたい。……傲慢じゃないですか、それ」
「じゃあ、俺にどうしろっていうんだ、何を求めてるんだ、お前は」
「そりゃ、ねえ。自分と向き合うべきじゃないでしょうか?人の願いなんて大体は自己実現の末に出来上がるものですから、誰かが手を出す問題ではないでしょう?現実と向き合いたくないから、それを一足飛びに解消したい。虫が良すぎではないですかね?」
夢。夢があった。
色彩豊かな世界に屹立したただひとつの目標であり、それが全ての色彩を担っている、といってよかったのだろう。それを彩ることが自分に許された才能であり日常だったのだろうと信じて疑わなかった。
世辞にも出来た人間ではなかったが、それでも人との関わりが出来、恋人が出来、人並みより少しはいい人生を送っていたのだろうと思う。
「一緒の夢を見ていたい」、だったか。そんな言葉を聞いた直後にその人物は死んでしまった。本当に、あっけなく。悲しみを覚える暇もなかったし、悲しいと思うこともなかった。
死を乗り越えることで成長する近頃の安っぽい感動話なんてどうでも良かった。
相手が死んだこととほぼ同時に、自分にも二つほど異常が起きたのだから仕方ない。
ひとつ、利き腕が潰れた。
形容ではなかった。彼女が命を落とした二時間後には、切断を余儀なくされていた。
ふたつ、ある感覚を喪った。
致命的だった、と思う。人生には。
……ところで、あの夢はなんだっただろうか?
「……夢を叶えることが出来ない、なんて貴方の傲慢ですよ。恋人の死を悼めとは言いませんけれど、事故ひとつで見失うほど貴方の夢って希薄なのかなあ、と」
「何が、」
言いたいんだ、と返そうとしたところで、その相手は軽くフィンガースナップを挟み、俺の方に指を向けた。
「ですから。貴方はセピアアートや旧来の写真、或いはモノクロームに対して全否定するんですか、ということになりましょう。戻れないなら進むしか無いですし、貴方自身、それを不幸とも思っていないフシがある。
……ところで、人としてその『能力』を喪った上で、それを貴方は取り戻したいのです?神様なんて信じてないものに縋ってでも?」
「……わからない」
「おや? そこは一も二もなくイエスなのでは?」
目元に手をやり、自問する。
色彩を喪った人生というのが象徴ではなく事実として存在する以上、それを素直に受け容れること、利き腕が無くなってそれを形にすることも困難になったこと。その理不尽に光明を得るのに、不定形の何かに縋るのは間違いだと言うのだろうか。
或いは、俺自身が縋りたかったのか、否定したかったのか。分からないのだ。
「考え方ひとつ、思いひとつでこの風景に色が戻るならそれはとても素晴らしい事だと思う。腕は戻ってこないけど、代替手段はあると人は言うだろう。けど……けどそれは、俺自身がこの間までと全く違う何かになるようで、恐いんだよ。既に違っている世界で生き続けるのが恐いんだ。
当たり前だった隣人が死んでも悲しくなかったのに、自分が変わってしまったことばかりが耐えられない。それは酷薄だと思わないか? 神様の有無の認識を改めてまで、元に戻りたいと思ってる。
自分勝手だよ、間違い無い……」
「そういうことですよ。喪ってしまった現実を前にして、新しい自分を詰め込むことが恐いだけなんですよ、貴方。だから奇跡があって、神通力があって、神様がここに居たとしても貴方の願いは叶えられません。『貴方の願いを叶える神』なんて居ないんですよ。空っぽの容器に指向性を詰め込んだらどうなります? それこそ貴方じゃなくなる。貴方の器をした何かでしかなくなる。
そういうわけですから、貴方の願いは叶えられない」
――遠くからヒグラシの声が聞こえる。
モノクロに灰褐色が強くなり、夜が近いことを伺わせた。こういう時、色盲となったこの目が疎ましい。
相手の姿はもう、無い。そもそもそれが実在したのか、俺のイマジナリーフレンドだったのかも解らない。
森の青さも、社の木目も、ただモノクロでしか無い。
腕が生えて来るわけでもなければ、義肢を付ける見通しも考えも今はない。
何も解決しては居ない。多分、これからも。
だから、先ずは喪ってしまったものに対して悼み、痛むことから始めようと思う。
夕闇がすっかり風景を塗りつぶすまで。