呼び出し Ⅲ
「ここでいいのかしら?」
七瀬の車から降りて、八重は廃墟を見上げる。彼女のワンピースの裾がふわりと生暖かい風に揺れた。
「はい。兄たちはここに入っていきました」
千早も続いて降車し、ショルダーバッグの紐を掴んで身構える。
「ムード満載、って感じね」八重の微笑を含んだ言葉が、葉擦れの音に掻き消された。
千早を乗せた三人は、例の廃墟に来ていた。
「現場を一度見ておきたい」という八重の意見だ。八重以外の人間を乗せたくないと子供のように喚いていた七瀬も、八重が鉄拳を腹にくらわすと黙って後部座席を開けた。大丈夫。ちゃんと手加減はしておいた。
そしてたどり着いた郊外の例の場所。
三階建ての廃墟にはツタが蔓延り、鉄筋入りコンクリートはひび割れている。地面は舗装されていない砂利道で、所々ぼうぼうの草が生えている。まさに真の廃墟の名にふさわしい。
八重と千早は慣れないながらもその中を踏み歩いていく。素足を草がくすぐって、どこからか虫の鳴く声がする。
そして、堪えきれぬように振り返った。
「七瀬!まだ!?」
呆れた八重が車を振り替えって、まだ車から降りない七瀬に叫んだ。開いた車窓から、恐る恐る七瀬が顔を覗かせる。廃墟を上から下まで眺めて青ざめた顔をしていた。
「……や、八重ちゃん。本当にこの中に行くの?」
「じゃなきゃ何も分からないわ!肝心のあんたが来なくてどうするの!」
「だって八重ちゃん!絶対にここ出るじゃん!」
「何言ってるのよ!出るのは黒いカサカサするやつくらいよ!そのくらい自分で何とかなさい!」
「絶対に無理!ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
「あーもう!いいから来なさい!!」
車に戻った八重に半ば強制的に運転席から引きずり下ろされる。
「死神のアンタが来なくて、どう怪異を葬送するのよっ!大体、あんなハッタリの心霊番組を見るから!」
「だ、だってテレビつけたら急に女の幽霊がぁっ!」
「それはハッタリよ!」
八重が地面に転がした七瀬に説教をしていた時だった。
「静かにしてください」
一人前にいた千早が、よく通る、だが海のような静けさを伴った声で言った。七瀬も八重も、我に帰って千早を見る。
「八重さん。七瀬さん。静かにしてください。少し耳障りです」
振り返った千早の顔は至って真剣で、吹いている生暖かい風が彼女の髪を揺らしていて、どこか人間離れしたものを感じた。
「ごめんなさい。少し取り乱しました。行きましょう、七瀬」
言葉に合わせて、八重の纏う雰囲気も変わる。
『人間らしさ』から『何か』へと。赤を帯びた瞳が醒めていく。
その僅かな一瞬の変化に気がついたのか、七瀬も口角をあげて立ち上がり、二人に続く。
そう、「あのとき」から千早のことは信じてなどいない。というか、電話が掛かってきたあの時から、といったほうが正しいかもしれない。