呼び出し
時は巡り、十一時の鐘が事務所内に響く。
「遅い」
八重はしびれを切らして少し苛立っていた。客は約束の十時には来ず、遅刻の連絡も無く、とうとう一時間も待たされている。
「七瀬。ちゃんと地図はホームページに書いてあるのよね?ホームページ見ろって言ったのよね?」
「うん。まぁ、駅前からそう遠くもないし、分かりやすく描いたんだけどなぁ」
七瀬は、デスクについてチョコバー片手にペンを走らせている。だが、絶対にその内容は仕事関係じゃないな。怒りよりも呆れを強く感じて、八重はまた読み終わった雑誌を最初から読みはじめた。
「客に連絡はした?」
「したけど出ない。いたずら半分ですっぽかされたかなぁ」
ため息をついてペンを置く。あと一口のチョコバーを食べきって、横のくずかごに棒を捨てた。
「見て見て、八重ちゃん。俺が考えた最新作」
「仕事中になにしてるの……って、なにそれ、可愛い」
七瀬がどや顔で見せてきた白い紙には、まだ下書きだが、可愛らしいゴスロリ調のワンピースが描かれていた。
「黒と紫を使って、あと、スカートの裾の部分には歯車とメリーゴーランド。で、上のネクタイには八重ちゃんの好きなうさぎがいます!」
「……なかなかやるわね。できたら着てあげてもいいわよ」
「素直じゃないなぁ。まぁ、そんなところも可愛いぞ☆」
「何か語尾に星マークが見えて気持ち悪いからやめてくれる?……にしても本当に遅いわね」
話を逸らしたかった八重は、また壁の時計を見る。それほど時間は経っていない。また大きなため息をつこうとした。
着信音。
七瀬がデスクの電話をとる。
「こちらテラーの番号になります。…はい。あぁ、やはり……。では改めて死神協会東京支部の七瀬です」
それを聞いて、八重ははっとして立ち上がり、電話に耳を寄せる。表向きの『テラー』というのは、何も知らない一般人向けの所謂何でも屋だ。だが、『死神協会東京支部』という本当の顔は、一般人は絶対に知り得ないこと。
そして、人間ではない者との対峙を意味する。
「変更ですね。はい、わかりました。今すぐそちらに向かいます。……はい。……分かりました。失礼します」
受話器を置き、七瀬は大きなため息をついてデスクに突っ伏す。が、後頭部に八重のチョップがお見舞いされて「いてっ」と起き上がった。
「で、なんなの。よく聞こえなかったんだけど」
「例の客から。とてつもなく申し訳ないんだけど、品川のホテルのレストランに来てくれだってさ。遠くね……?」
確かに、事務所から品川までは車で二十分程かかる。しかも。
「その客に、死神協会の名前出してたってことは、怪異の依頼ってこと?ってことは、例の不審死事件は怪異関係ってことになるわよね?」
「その通り。本業の依頼だから、八重ちゃんにも来てもらうしかないけど、いい?」
「いいわよ。この私を待たせた相手がどんな面をしているのか見てみたいし」
そう言いながら、八重は電気を消してうさぎリュックを背負った。
「八重ちゃん、先に車乗ってて。便所行ってから行くわ」
七瀬が車のキーを八重に投げる。それを上手くキャッチして「分かった」と言って事務所を出ていった。
「さてと……。便所便所」
七瀬が奥のトイレに入る頃、八重は外に出ていた。
「……暑いわね。まだ五月なのに」
鍵を開けて助手席に乗り込む。うさぎリュックを抱き抱えて、中から鏡を取り出した。
「三神にぐしゃぐしゃにされたとこ、ちゃんと直ってるよね?大丈夫よね?」
髪のほつれがないことを確認して鏡を仕舞う。回りに人、主に七瀬が居ないことを確認して、八重は背もたれに寄っ掛かった。
レディたるもの、人様に会うときは身だしなみに気を付けること。昔から、彼女が信条としていることで、ここの同僚にも言われたことだった。
「そういえば、他のみんなは大丈夫かしら」
テラー事務所、改め死神協会東京支部には、七瀬、八重、三神の他に数名の在籍者がいる。それぞれ出張だったり潜入調査をしているのだが、連続殺人の件もある。忙しいとはいえ、音沙汰ないのは心配だ。そして、友でもあり、情報提供者でもあるユリアが脳裏を横切った。次に、無惨な状態で放置されていた、ユリアの身体が。
「ユリア……」
昨晩、ユリアの敵はとった。だが、悲しみも怒りも苦しみも、まだ八重の心を縛っていた。その混じりあった思いが、下唇を強く噛ませた。
「お待たせ、八重ちゃん。どしたの?」
はっとして見ると、七瀬が隣にいた。噛んだ唇をさっと舐めて平静を装う。
「七瀬。ううん、なんでもないわ」
「そっか。じゃあいこうか」
赤の車が出て、駅方面へ向かった。そして、車が角を曲がって見えなくなると、ビルディングの陰から、人影が現れ、ビルディングの階段を上っていった。