地下
轟音と共に鉄道車両が地下空間を走り抜けていく。帰宅ラッシュのこの時間帯はサラリーマンや学生たちでごった返していた。
目的地につくまで暇を持てあましている学生たちはスマートフォンをいじったり、参考書を読んでいる。
「……」
おもむろに、単語帳を読んでいた女学生が顔をあげる。彼女の降車駅はまだ遠い。けれど、なにかが気になって。
「どしたー、ユイ」
「いや、なにも……なんか今、トンネルに誰かいた……ような?」
首をかしげる女学生に、隣の学友は一瞬目をパチパチさせ、「見間違いでしょー?」と笑う。確かに、暗いトンネルの中を走っているのだ。そういうこともあるだろう。
「うん、見間違い……だよね……」
そうして、女学生は何を知ることなく、学業に励むのであった。
▼▼▼
暗がりと吹いてくる湿り気を含んだ生暖かい風。とても不気味なものである。
その不気味な地下トンネルを疾走する、二つの影。姿を識別することは出来ない。人間の出せるスピードではないのだ。
外国人の青年と、黒ずくめの少年だ。
「にしても、本当暗いし臭いな。ここ通らなきゃなんねーの?」
『うん。そこが近道だし。ネズミとかいるんだろーなー』
インカムの向こうで咀嚼音が聞こえる。全く、物を食べなから話すな。千駄ヶ谷は走りながらため息をつく。
「そう思うなら遠回りしろ。俺は近道できるならなんでもいい」
七瀬が振り返らずにそれだけ口走る。その様子に、千駄ヶ谷は目を細める。
「はーっ。これだからパッキンは。八重がらみになると、周りがどーでもよくなる」
いつだってそうだ。
七瀬は八重が絡むと前しか見ない。
もしこの拠点の情報を事前に手に入れていたら、たぶん手負いで単身潜入するだろう。
『次に目に入った開閉扉を開けて』
「了解」
七瀬は急に停止する。あっぶね、と口走ったが、千駄ヶ谷は止まりきれない。その顔面を、七瀬は鷲掴みにして踏みとどまらせた。
「……パッキンてめぇ」
「止まれただろ。文句言うな」
しっかりと指の赤い痕がついた顔を抑え、千駄ヶ谷は七瀬は睨み付けーー
「お……」
「ここだ」
鉄扉のプレートには煤けているけれど、『旧地下鉄道連絡通路』と書かれている。
「ねぇ、悟。この先どうなってんの」
『少し広い空間。その先一本道。突き当たりまで約百メートル。そこが一番広いね』
「本拠地、にしては小さくない?」
取引の際、千駄ヶ谷はブラックプレイ本拠地に行っている。そこのほうが、広かったような。
『でもー、ハッキングしたら、一応そこだよ』
「中の様子は?」
『ごめん、結構前に作られた通路で、ろくに整備もされてないから、手に入ったのが通路の簡単な構造だけ。設計図はないみたい』
「八重の【同調】はどうなんだ。なんか分かんないのお前」
「……全然。同調率は最低に設定されてるし、余程のことがないと分からない。俺が生きてるうちは、八重も生きてる。そんだけ」
「……やっぱ情報なしか。不利だな……罠とかなきゃいいが」
迎え入れられる立場。あちらだって、こちらが八重を奪還し、扉をどうにかするため乗り込んでくる、そのくらい、向こうだって分かっているはず。
何かしら用意はされているはずだ。
「顕現せよ、我が咎、我が罪。我が願いを叶えたまえ」
千駄ヶ谷は鎌を顕現し構える。七瀬も、外套の中から拳銃を取り出した。
「行くぞ、千駄ヶ谷」
「あぁ」
脚を振り上げる。そこに人間離れした力が宿る。鉄扉など、人間が破壊できるものではない。
けれど、人ならざる彼は、その鉄扉すらも。
「ーーふッ!」
がたん! と大きな音を立てて、鉄扉は外れる。
二人はそれぞれの得物を手に、その暗がりのなかへーー
だが。
「は!?」
『え、なに!?』
「……チッ」
七瀬は舌打ちして銃をしまう。代わりに、ケータイを取り出し、カメラに切り替える。
監視カメラもなく、夜目が利かない悟のために赤外線を通じて見せる。きっと、悟も見たのだろうその光景を。
ひっ、と喉の奥が掠れるような声がした。
「おい情報処理。どーなってる、これ」
『分かんないよ。なんで、なんでこんなーー。だって、周辺のカメラとか、色々……!』
「そんなこと言ったって……」
慌てる悟の声を聞きながら、千駄ヶ谷は後頭を掻いて目をすがめる。
目の前に広がっている光景。
それは、血みどろの死体が吊るされた部屋だった。
まるで人形劇の人形のように。
【残念はずれでした】と汚いフランス語で書かれたそれと黒猫の落書き。
「……ふざけんな」
そう吐き出した千駄ヶ谷を尻目に、七瀬はそっと目を伏せる。
次に目を開けたとき、その目には。憎悪の色が宿る。
直後、強い風、轟音と共に、二人の背後を快速列車が通りすぎていった。




