脱走
「で? この僕に。大天才ハッカーのこの僕に。ネコ探しを手伝えと」
「うん! この通り!」
暗い部屋のなか、三神は両手をパン!と合わせてそのまま土下座。それを見下ろすかたちの悟は、呆れたようにため息をついた。
「僕もね、そんな暇じゃないの。八重の追跡に。事務所荒らしてった奴の捜索に。で、今度はネコを探せと? あの入間とかいう奴の」
「そう」
「……却下だね。僕はネコなんか探さない」
キャスター付きの椅子を回してパソコン画面に向き直る。
「そこをなんとか……」
「やーだね」
ふんと鼻を鳴らして、話を聞く気はないらしい。
悠里の飼っているネコを探してほしいという依頼。悟が町中の防犯カメラから、ネコを追跡して見つけて大成功!というサクセスストーリーが三神のなかにはあったのだが、それは叶わぬものとなった。
「てかさ、ネコなんてそのうち帰ってくるよ」
「それでも心配なの! ほんっとあんたといい千駄ヶ谷といい、乙女心が分かってないんだから」
起き上がったついでに、腕を組んで愚痴る三神に「あーやだやだ」と言いながら悟はまたため息をつく。
「てかそれよりブラックプレイの情報だよねぇ? 千駄ヶ谷の【同調】もあまり役に立ってないし。どうなのその辺」
八重と感覚を共有している千駄ヶ谷。だが、特に体に異変はなく、普通に生活している。痛みなどを感じていない、ということは、まだ八重はなにもされず無事ということでもあるが、それでも全く動きが無いというのも不自然だった。
要するに、手がかりがない。
「……分かるわけないじゃん、そんなん」
三神は口を尖らせて呟く。死神やアンデッドでもなければ、悟のような技術もない。三神はただ、無力であった。
その無力さを実感しているからこそ、心が痛い。
「でも、あんたなら分かるじゃない」
不意にパソコン画面がロード中のため黒くなる。三神の暗い表情が映って悟は目をすがめた。
「八重のいる場所を、突き止めた。監視カメラが音声を拾っていることを突き止めて、あいつらの目的も分かった。あんただから出来た」
「だから何」
「だから何って……その。あんたをみんな頼ってるの。頼るしか、ないの。あんたは嫌かもしれないけど……」
「ネコを探せって言いたいの」
「確かにそれもやってほしい。あんたが忙しいのも知ってるよ。でも、入間さん、あんなにケーキちゃんを心配してて……。てか、あんたはどうせ、聞いてたでしょ?」
悟はマウスに伸ばした手を止める。それを見て三神は「やっぱり」と頷いた。
事務所にセットされた監視カメラ。来客のことを知っているのだから、悟が内容を聞いていない訳がなかった。『あの入間とかいう奴の』。悟は、入間悠里のことを知っているのだから。
「……で? だったら何なの」
「お願い悟。あたし、入間さんの力になりたい。入間さんの気持ちがわかるから、だから、入間さんを助けてあげたい。だから、悟。ケーキちゃんを見つけてあげて」
三神はネコを飼っていた時期がある。五年前まで生きていたそのネコは、交通事故で天国に旅立った。あの時の三神の泣き様を思い出して、悟は胸の内がチクリと痛むのを感じた。
「……条件がある」
「何」
「……飯、食いたい」
タイミング良く、腹の鳴る音がした。耳を赤くした悟を見て、三神はぷっ、と吹き出す。
「そりゃああんた、毎日ポテチとコーラで生きてたらそうもなるわよねぇ」
「ぎゃっ!? ちょ、離せよ」
三神は立ち上がって弟を後ろから抱き締めた。久しぶりに、こんな感じで話した気がする。いや、一週間ぶりか。でも、あの時は本当に忙しかったから。
「ご飯、食べに行こっか。みんなで」
ご飯を作るという決意は、あっさりと打ち捨てられた瞬間であった。気楽さの勝ちである。
「……拉麺食べたい」
「じゃあ、準備しなー。千駄ヶ谷たち呼んでくる」
鼻歌混じりに三神が出ていくと、悟は側に置いてあったマスクを装着し、パソコンの電源を落とす。代わりに、スマートフォンにUSBメモリを突き刺し、数秒後、取り外してメモリをパソコンに突き刺しておく。
「……一ヶ月ぶりだな、外に出るの」
そう自嘲するように言いながら、悟はスマートフォンの電源を入れる。煌々とブルーライトが輝き、六個のカメラ映像が映る。
追跡は怠らないように。繋がったままのイヤホンを片方耳に。
「行くよー引きこもりー」
もう準備が出来たのか。三神が楽しそうに言った。
「引きこもりって言うんじゃねぇよ! 万年ばーか」
悟はフードを目深にかぶり、自身の部屋を後にするのであった。
その途端、悟の耳を警報がつんざいた。
▼▼▼
事務所の入るテナント、すぐ下の階。
そこが七瀬が普段暮らしている部屋である。物は決して多い方ではない。最低限の生活ができ、パソコンの環境が整っているだけの簡素な部屋だ。だからだろうか。事務所と同じ広さのこの部屋は、どこか物足りないような、虚ろな気がする。
窓からの景色を眺めながら、七瀬はまた一つ舌を打つ。
思い返されるのは、八重が拐かされた日のこと。
もっと自分がしっかりしていれば。
あの時自分が日和ったりしなければ。
あの時、八重から目を離さなければ。
「畜生が……!」
目が覚めて、三神たちから事情を聞いて、すぐにでも八重の奪還に動きたかった。
だが、怪我を理由に謹慎を言い渡されていた。
死神の癖に怪我の治りが遅くて、死神の癖に力がなくて。八重を救ってあげられなくて。
自分の不甲斐なさを、呪いたかった。
この室内から脱け出して八重を探そうとしたが、それは叶わなかった。脱出しようとするたびに警報が鳴って、千駄ヶ谷か三神のどちらかが駆けつけてくる。
「……軟禁状態じゃないか」
飯はインスタント食品が主だった。正直言って、八重が作ってくれる菓子が食べたくなっていた。
「八重ちゃん……」
奴等は、八重を殺す気でいる。それを、止めなければならない。それまでに、八重を助け出さないとならない。
こんなところで舌を打っている暇はなかった。
「……賭けに、でるか」
七瀬は、クレセント錠に手を伸ばす。
上着の中に銃が入っていることを確認して、クレセント錠を下に。
窓を開け放った瞬間、警報が鳴り響いた。
それを気にも止めず、七瀬はベランダから飛び降りた。




