帰宅
学校の校門を出ると、千駄ヶ谷が七瀬の赤い車の運転席から顔を出した。かれこれ一時間ほど待ちぼうけを食らい、イライラしている。
「遅かったな。……で、隣のやつ誰」
本人はイライラが気づかれていないと思っているらしい。だが、めちゃくちゃ顔に出てる。
千駄ヶ谷の視線が、三神の隣の女生徒に向けられる。目付きの悪さに、少し悠里は視線をそらした。
「クラスメイトの入間さん。探偵事務所に用があるんだって」
「よろしくお願いします」
悠里はぺこりと頭を下げる。お下げ髪が揺れた。
「えっと、あたしの、兄貴の、千だ……千兄」
千駄ヶ谷、と死神の雅号を口走りそうになった三神は言い淀んで、なんとか言葉をつなぐ。
悟以外に肉親のいない三神は、学校にてプライベートのことはあまり口外していない。だが、たまにある授業参観に来てくれる七瀬や千駄ヶ谷のことは『兄』と言ってある。
その『兄』の名字が自分と違っていてはおかしい───ということでだ。ちなみに、七瀬は名前とも取れるのでそのまま呼んでいる。
「じゃあ二人ともはやく乗れ。どこで誰が見てるか、分からねぇからな」
「見てる……?」
「早く乗ってー、入間さん」
悠里も首をかしげながら後部座席に乗り込む。
「じゃあ、とりあえず事務所に向かう。そこで、お前のはなしを聞くとする」
「あの、千兄さんが探偵をされていらっしゃるんですか?」
「俺は、どっちかっつーと手伝いだな」
車が発進。
「では、三神さんのお父様か、お母様が」
悠里が言いかけた瞬間、何かの警告音。シートベルトをつけ忘れた三神が「やべっ」と急いでシートベルトを装着。警告音はすぐに鳴りやんだ。
「……別に、三神の両親がやってるわけじゃねぇ。俺の連れがやってるってだけだ。まぁ、あんまり詮索?すんな」
「千兄が、ムズカシイ言葉を使っている……」
「お前、帰ったら腹筋五倍な」
「……なんだと」
「減らず口が気に入らない。出てくるの遅すぎ。背筋と腕立て、十倍な」
「なんでよ!ってきゃあああ!!?」
車が急カーブ。三神は思い切り窓ガラスに右頬っぺたを打ち付けることになった。
「ぷ。三神ダッセー」
「危険運転すんじゃないわよ!このバカ!」
「ちょ、おま、運転の邪魔すんな!」
「あんたが悪いんでしょー!!」
「一時間も待たせたお前が悪いいででで!!!」
三神が身を乗り出して千駄ヶ谷の邪魔をすると、シートベルトをはずしたからまた警告音が鳴り響く。
悠里は取り残され、ただ一人苦笑いを浮かべて耳を塞いでいるしかできなかった。
なんかのコントみたいだなぁ、と彼女は思ったけど、口には出さないことにした。
▼▼▼
「到着」
車が駐車場に入る体制に変わる。それを見て、悠里はえ?と声をあげる。
「もう到着したんですか?」
車が到着するのが早すぎる。まだ十分程しか立っていない。
車で十分なら徒歩や自転車で通える距離だし、その距離を通学する生徒だって多いのだから。
あぁ、と千駄ヶ谷は嘆息。悠里の心を読むように後部座席に視線をやる。
「いつもなら歩かせる距離なんだが、最近は何かと物騒だからな」
「通り魔事件、ですよね。まだ、犯人も捕まってないってやつ」
半月ほど前に廃墟街での爆発事件から、通り魔事件は成りを潜めている。
すると、隣に座る三神は顔を曇らせる。
「三神さん?」
悠里は三神の顔を覗きこむ。
「なんでもないよ。通り魔、怖いよねー」
三神は目を細めて笑う。だが、その胸中は表情とは裏腹に曇ったままだった。
「怖いですよね……」
「はやく降りろ」
先に降車していた千駄ヶ谷が後部座席の窓を叩く。
慌てて二人は両方の扉から出て来る。
悠里は車から降りて、天を仰いだ。
「『有限会社テラー』?」
「……ネーミングセンス、無い奴がつけたからね、それ。探偵事務所って書かないから、滅多に仕事は来ないの」
「お洒落……だと思いますよ、……フォント」
「あ、そこは同意。そこはセンスある人がやったから」
後ろで千駄ヶ谷が鼻で笑っていた。
「おら、はやく来い」
「むう、なんでこーゆー時とかは面倒くさがらないのよ」
「うるせー」
二人は外階段を上がっていく。悠里もそれに続いた。あまりメンテナンスがされていないのか、手すりの部分が腐食している。
三階まで上り、三神が鍵を開けた。そして、扉を開ける。
「……なんですか、これ」
「あ」
「やっべ」
悠里が驚くのも無理はない。
二人がマズイと思っても遅かった。
事務所は荒らされてからというもの、まともに、いや、全く掃除されていない状態にある。
観葉植物が横になり、本や書類がちらばり、何故か奥の部屋たちにつながる通路だけご丁寧に確保されている、そんなしっちゃかめっちゃかな探偵事務所。
「……泥棒にでも入られたんですか?」
「どっちかって言うと……空き巣かな」
「どっちも同じだぞ、それ」
そう言って、千駄ヶ谷と三神は掃除をしなくてはいけないという現実に引き戻され、ため息をつくのであった。




