死に損ないたちの勝手
ベッドに寝転んでいた八重は、すっと起き上がる。
誰にも見られていないことを確認して、次に、天井を仰いだ。
カメラの位置を確認。そして。
自分の手首を噛みきった。
すぐに血が垂れ、ネグリジェを汚していく。
ビ───────────
けたたましく鳴るサイレン。
瞬く間に駆け込んできた兵たちを見て、八重は薄笑みを浮かべる。
「なにをしている、【緋狐】」
「私は、扉を開きたくないわ」
どくどくと流れる血と、少しずつ近寄ってくる八重をみて、兵たちはたじろいだようだった。
「動くな……っ!」
「黄泉帰りの扉は、絶対に開かせない。大量殺人に加担するなんてごめんよ」
「なにごと!?」
絨毯に大きなシミがついたところで、チハヤが駆け込んできた。兵たちは彼女のために道を開ける。
八重の傷を見て、すぐに駆け寄った。
「私は、黄泉帰りの扉を開かないわ」
「なっ───!七瀬さんがどうなっても良いっていうんですか!?」
「……黄泉帰りの扉の【代償】について知らないとは言わせないわよ」
チハヤは息をのむ。戸惑っているらしい。
「そ、それが何だっていうんですか!あなたには関係無いことですお姫様。早く止血を」
医療班を呼ぼうとインカムに伸ばしたチハヤの手。だが、彼女の手はインカムに触れる前に。
「……え?」
チハヤの右手首に、傷がついていた。
ちょうど、八重が噛み切ったあたりと同じ位置に。それを見たチハヤは、その場にくずおれる。
今、八重と同じ痛みが彼女にも流れている。
「動かないで。私の通り名、忘れたわけじゃないんなら……あんたらの上司を殺されたくないんだったら」
仲間のために武器を持って八重に襲いかかろうとした後方の兵たちの喉元に、血でできた刃を突きつけた。
【緋狐】につけられた傷は治らない。その事実を知っている者は、歯を食い縛りながら引き下がる。
「安心して。細い血管しか切られていないから。私が止血をすれば、あんたの方もじき治る」
「【同調】。それが、あなたの魔法ですか……?」
「答える必要はないわね。さて、私もすこしふらふらしてきたから、手早くすませたいわ。言ってごらんなさい。あんた、どうして扉を開きたいの?」
「答える、必要は……」
「あるわよ。大動脈引きちぎられたくなかったら答えなさい」
チハヤは絨毯に自分の爪を食い込ませる。兵たちは、それを見ていることしかできない。
「……ボスの、娘さんを生き返らせるためです」
「それは、ブラックプレイのボスのことね?」
チハヤはこくりとうなずく。あっさりと答えたことに、周囲はざわついた。
そう。ためらうことなく、簡単に。
チハヤに、ボスや組織への忠誠などない。自分の身可愛さに、情報を売った。信頼だのなんだのは、八重とチハヤの間にはないというのに。
「……それで、ここ一帯の人間の魂はどうでもいいと」
「……はい」
黄泉帰りの扉から、一人の死者を引きずり出すのに勿論、無償ということはない。
扉を開くのに十二人の生け贄。おそらく、昨今巷を騒がせている連続通り魔事件の被害者たちと見た。
開け続けている間は、生と死の境界線が無くなる。よって、逆に引きずり込まれるという可能性だってある。
悪霊の類いが出て来て、人々に魔がさして、そこから事件に発達することだって。
「だから、私はあんたたちに協力なんかしない。扉は壊させていただくわ」
「あなたはここから出しません。……私が死のうとも。第一、あなたは、ここがどこかもわかっていないくせに!」
「別に、私は分かってなくてもいいのよ。私は、ね」
そういって天井を仰ぐ。監視カメラが、二台。
「確認させてもらったわ。私が手首を切ったのにすぐ気がついて飛び込んできて、ここは監視されてる。そして、音声もね。いやぁ、色々おしゃべりできて楽しかったわ」
そういって笑う八重を見て、チハヤは唐突に理解する。そして、己のいたらなさに舌打ちする。
「仲間が、ここを監視していると!?」
「たぶん、ね」
たぶん。その、なんとも言えぬ答えに、思わず八重は笑ってしまう。
「ここが、どれだけの警備システムかご存知で!?警察や、協会でも見つけられなかったこの設備が───!」
チハヤは、はっとして、それからまた舌打ち。
「ブラックプレイの情報は結構入りやすかったわ。そういう依頼も少なくなかったしね。あなたの手配書とか、どういう行動パターンを取るのか。あなたたちが東京に上陸してきて、ここを根城にしたのはつい二ヶ月くらい前。でもね」
八重は、そこで言葉を切って。
「私たちは、ずっと前からこのシマ守ってんのよ。土地勘なめないでくれる?あんたらがなにしてんのか、わかってるんだから」
「ハッタリだ!姐さんに、目的とか聞いてきたじゃねぇか!お前らはどこの組織とか、情報を───!」
「馬鹿!」
兵士のひとりが耳まで真っ赤にして吼える。チハヤの制止と同時に、八重はわらった。
同時に、兵たちの首元に突きつけた刃が、瞬時に肉を切り裂く。
鮮血が飛び散り、周囲を濡らす。それを、チハヤは目を見開いて見ていた。
「あ、ああああああああ」
「……これで、この部屋の音声がどうなっているか分かったわね。それは、七瀬を傷つけたお返し」
死体を指差して言う。このバケモノは、生命を『それ』と言った。事も無げに。
なんて恐ろしい、とチハヤは心のなかで思ってしまった。
こいつは、危険だと。脳が警鐘を鳴らす。
八重が自分の腕を止血して、すると、チハヤの傷も止まった。いつでも襲えた。だが、それよりも恐怖が脳を支配する。
この部屋に今までこの兵士が来たことはない。
なのに、何故知っているか。答えは、この音声の内容を知っているから。
八重の勘は当たっているし、上手く、話させられた。
「さて、もう話は終わりよ。あんたらの負け。すぐに、家の精鋭が来るんじゃないかしら……来なかったらぶっ飛ばす」
最後のはカメラの向こうへのメッセージ。
「殺すこと、なかった……」
「は?」
チハヤの声に、八重は思わずそんな声を出す。
「……それ、本気で言ってるのかしら」
八重は、チハヤの胸ぐらをつかむ。泣き顔が、静かに八重を見つめ返していた。
「あんた、人をさんざん殺しておいて。人を殺して、傷つけて、自分の仲間が殺られたら殺すことなかった!?泣いてる!?ふざけんじゃないわよ!」
突き飛ばされたチハヤは後頭部を打ってうめいた。
「私も、あんたも。アンデッドっていうのは人殺しなの!人殺しが、そんなふうに泣くんじゃないわよ……!白々しい」
でもそれは、八重だって同じ。七瀬を殺したと嘘をつかれ、それでも、やっぱり心配せずにはいられなくって。胸のなかがざわついて。
正義という名の殺戮を振りかざして、誰かのためにって殺す。
結局は、八重もチハヤも、少し立場が違うだけの殺人者。それを、八重は分かっていた。つもりだった。わからなく、なりそうだった。
先のユリアを殺された件も、重く肩にのし掛かる。
だから、これは同時に自分への言い聞かせ。
傷つけて、殺して、それで仲間を大切にしたいとかほざく、どこまでも自分勝手な死に損ないへの戒め。
だから、これから言う言葉も、結局は。
「七瀬に何かあったら許さないから」
ただの自分勝手に過ぎないのだろう。




