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競馬の面白さ

作者: 馬路キレ子

実名がチラホラ出てますが。

だいたいはフィクションです。


 競馬というのは実に面白い。

 それは、誰もが思い描かなかった奇跡が起こるからだ。


―――


 平成の駿馬オグリキャップ全盛期。

いわゆる平成初期の競馬ブームの時は、こう言った地方競馬にもスポットライトが当たり、週末となると活気や人気も爆発的にあった。だが今、強く稼げる人気馬は全て中央競馬に進み、地方出身の馬は見下されて、その成りを潜めている。例えば隔週で行われる開催レースであっても、自分の入れ込んだ競走馬がゲートインする時は普通、観客のざわめきや熱気に包まれて場内の温度が上がるのだが、今やそれも無いに等しい。


 昔は…いや『今も』と、言ったほうが良いだろうか。

見渡せば馬と人の波に沸き返る場内には、本当に色んな人が競馬を見に来ていた。


 道楽ついでにやれ本命だ穴馬だと大金をつぎ込む金持ちも居れば、明日の銭さえ満足に稼げないのに、浪漫だ何だと理屈をこねて賭け事に狂う貧乏人も居た。だがどんな人でも、入るための整理券を持ち、入場料五百円を払えば、職業身分に差別なく隣に座れた時代だった。古くから地方競馬に出入りしている人は「良い時代だった」と言うが、これも時代の流れと思えば仕方ないとも考えられる。


 競馬場には『ゴンドラ席』と呼ばれる固有スペースもある。広いスペースを有し、レース場全体を見下ろせる少々値の張る指定席だ。だが、本当の競馬ファンはゴンドラ席を率先してとろうとしない。やはり賭け事というのは、勝負の気風を肌で感じれる距離、馬蹄の音が身近に聞こえる距離で、興奮して身を乗り出す人の肩と擦れ合うぐらいでないと面白くない。外野にある予想屋(どの馬が良いか詳細を乗せた小冊子を売る的中屋)から夢を買い、馬券を汗でクシャクシャになるほど握り締めて、自分の入れ込む馬達の走る姿を血眼で見つめる。これこそが競馬の醍醐味だと私は思っていた。


 久々に開かれたレースを見に、私は近場の競馬場に来ていた。

覗き見る人だかりの無くなったパドックを後にして、久々に満杯になった場内に戻った。パドックと言うのは、レース直前の馬達を間近で覗ける最後の面会場であり、熱心に予想する人にとっては、普段見ることの出来ない毛艶や当日の馬の調子など、非常に重要な場面であった。


 「良い馬だ。今日は、あの馬にしよう」


 地方紙の窓際記者をしている私は、当て馬を決めると馬券を買いに行った。もっぱら休日の暇を見つけては、競馬場に駆け込みレースを直向に走る競走馬達を眺めて過ごすのが数少ない趣味の一つだった。だが滅多に馬券を買ったりはしない。今日は、特別な馬が居たから買った。


 私は昔から公営競馬の『賭け事』という形態に興味は無く、レースのために仕立て上げられた競走馬という動物の生き様が好きだった。数分…早ければ一分を切る勝負のために、数ヶ月に及んで調教され、故障や怪我を覚悟で長いレースを走り抜き、走る事を辞めるその日まで戦い続ける。レースを座巻するサラブレッドの寿命は、長くても6歳。その六年間の間に、命の優劣が決まってしまう…そんな競走馬の強さと儚さに憧れていた。


 馬券を上着のポケットにしまった私は、クリーム色の気に入りのハンチング帽を深めにかぶって、予想屋の書いた新聞を読みながら気になる競走馬の評価を見ながら、場内へ帰った。


 「ややっ、ミスター万馬券!今日はどの馬に賭けるんだぁ?俺にも教えてくれよぉ」

 「あ。安藤さん」


目の前に馬券を握り締めた男が現れ、私の通り名を呼ぶ。


 「賭けてませんよ。今日は」

 「またまたー嘘いっちゃって。さっき馬券買うところ見ちゃったんだから」


 私は、嫌な奴に出会ったと思って一度会釈をすると場内に紛れて消えようと思った。だが安藤は、私の行く先を手で塞ぐ。安藤は知っていたのだ。私が、勝算確立の低い馬を当てるのが得意だということを。


 「どれだ?1枠のビューティーアン?5枠のコロッセオ?」


 安藤が、人気の低い馬の名前を順々と並べてゆく。

さっきも言ったように、私は普段は専ら、賭けずに競走馬の走りを眺めるだけだ。だが、これと思った馬があると、どうしても背を押して勝たせたくなる親心のようなものが働き、馬券を買ってしまう。悪い癖だと自分でも思うのだが、不思議とこれが当たるのだ。


 「安藤さん。何したって教えませんよ」

 「なあぁ?お願いだよ!気に入った馬が居るなら教えてくれよぉ!」

 「ダメですよ。自分の気に入った馬に賭ければいいじゃないですか」

 「今日は負けられねえんだよ!俺っちの娘が結婚するんだ。その嫁入り道具をそろえなきゃならなくてな…ううっ」

 「一ヶ月前も同じような事聞きましたよ」

 「そ、そそそ、そうだっけかなー。まあいいから教えてくれよ先生!」


 頭に捻り鉢巻。でーんと出た中年の腹。

ゆるゆるの薄茶色の腹巻が特徴的な安藤は、しつこく私に当て馬はどれだと食い下がる。

この男は、近所の小料理屋の主人で板前としての腕は確かなのだが、賭け事に狂って妻子を泣かせ、店を傾かせるほどのギャンブル好きだった。競馬は勿論、競輪、競艇、果てはラスベガスのカジノ。ギャンブルと聞けば沸々噴出すマグマの先にも飛び込んでしまうほどギャンブル狂いの男であった。まあ競馬場に関わらず、ギャンブルをする場には必ず居るタイプの男だと思ってくれればいい。


 「絶対に教えませんから。安藤さんも、良い予想屋を探したらどうですか?」


 私は安藤に何度質問されようが答える気は無かった。

競馬という物をギャンブルでしか考えられない安藤という人物が余り好きではなかったからだ。聞く耳をもたない安藤と数分口論していると、レースの始まりを告げるファンファーレが場内に響く。


 強気になる私は、安藤に言った。


 「レース始まりますよ」

 「ちぃっ、しかたねえなぁ!今度また教えてくれよ!」


 安藤は、渋々喚声が満ちてゆく場内に消えていった。

私もそれを追うように場内の観客席に戻っていった。


…ちなみに、私の賭けた馬は4枠8番。

スタートゲートに入る若き14頭の競走馬達の中で、唯一の古馬と呼ばれる七歳馬。

見事な栗毛の古参中の古参、スタリオンだ。


 カシャン!


 白塗りのゲートが開く!

どれも調子が整い、毛艶の良いサラブレッド14頭立てのメインレースは、前日の大雨で生憎の重馬場。スタートからゴールまで、距離にして1600mの長い道のりを走る馬群が、水を吸って重くなる芝生をドドドと馬蹄を鳴らしながら駆ける。


 手綱を緩く握る騎手の体が上下に動くと、場内は溜まりに溜まった熱気に湧き上がる。

寂れた地方の公営競馬場が、今日まで盛り上がったのは、オグリキャップ現役以来であろうか…


 「やはり重馬場では、足の弱い馬には不利か。スタリオンは…最後尾しんがりか」


 予想屋の新聞を内ポケットにしまい込むと、自前の双眼鏡を片手に、私は馬群の先頭を覗いていた。円状の芝生の大地に駆ける12頭の馬群から、青いシャドーロール(覆面)を付けた一頭の馬が逃げるように前に出るのが見える。


 今回のレースの主役。黄枠の2番。配当金1、1倍。

平成以来久々に地方競馬を沸かし、中央競馬から招待試合を申し込まれ帰ってきた、一番人気の鹿毛の5歳馬。逃げ主体の強靭な足を持つサラブレッド『ディープブルー』だ。


 オオオオオオオオッ…!


 一頭の人気馬が飛び出すと、場内はゴールまでまだ距離があるというのに沸く。

流石に中央競馬で『重馬場の貴公子』と呼ばれるほど重馬場に強い競走馬。悪条件の揃った重馬場を何ともせず、ディープブルーは並み居る地方の若き強豪馬達を抑え、先頭を突っ走ってゆく。


 駆けても駆けても、ディープブルーに追いつけない。

 どの騎手も。どの馬も。

 ペースも考えずに鞭を入れ、故障覚悟の勢いで走るが追いつけない。


逃げるディープブルーの俊足に対して、馬群は先行ムード一色となっていた。

突出して最下位に甘んじるスタリオン以外は、皆ディープブルーを追いかけてゆく。

息を荒げる馬と騎手。雨に濡れた重馬場が、競走馬達の足を引っ張る。


 ワアアアアアッ…!


 だがこれこそが、先行馬ディープブルーの得意の環境だった。

一気に突き放して他馬のペースを乱し、自分たちの思い描いたレースの方向を喜ぶ観客の声が場内に一杯になった。残り200m。この勝負は、やはり一番人気ディープブルー圧勝。

やはり地方馬は中央場に勝てるはずがない。


誰もがそう思った瞬間だった。



 オオオオオオオオッ…!



 だがそこで、観客の誰もが予想しなかった事が起きた!

一頭の年老いた競走馬が馬群の一番後ろから、スタミナの切れた馬達を掻き分けて、ディープブルーに向かって猛追跡を始めたのだ!


 「スタリオン!」


 場内のどよめきより先に、私は馬の名前をあげてしまった。

馬群を駆け抜ける俊足、老いて尚輝きを増す一頭の七歳馬スタリオン!


 ドドドドドドッ…!


 追い込みをかけるスタリオンの足は、異常なほど速かった!

抜く馬に「退け退け!」と言わんばかりの勇壮さ、最先端スタリオンと最後尾ディープブルーの差、開いた8馬身が古豪の馬が残していた強足にグングンつめられる!


場内のどよめきが私の耳に聞こえ始める。

これが本当に、老いた七歳馬の実力なのか!

一生を地方競馬に窶しながら、勝つと負けるを繰り返し、もう引退を決め込むほど老齢な古馬が、都会の若い者には負けんと意地を見せるように走る勇姿は、私と観客の胸を高鳴らせた。


 「差せ!差せ!」


 最終直線150m!

私の興奮は最高潮に達した!

古馬スタリオンは、生粋の追い込み馬。つまり、最後の土壇場でレースをひっくり返す事の出来る強靭な『足』を残す馬だった。私の双眼鏡を持つ手は、いつの間にか震えていた。さっきまでは軽い親心で買ったと思っていた上着のポケットの馬券が、今では面白いほど私の体に重く感じられる。


 四馬身…三馬身…二馬身…!


逃げる中央競馬の雄ディープブルー、対、追い込む地方競馬の老骨スタリオン!

白熱のゴール前に、馬券を持つ観客の誰もが眼をやった。

スタリオンの最後の走りにため息交じりの観客たちの声。

怒号は、ゴール直前で次第に大喚声へと変わってゆき…!



 ワアアアアアッ…!



 ゴールにほぼ同時にゴールインする二頭の後姿を見ながら、観客たちはクシャクシャになった馬券を握りながら、順位の出る場内中央の電光掲示板を見た。

電光掲示板に勝ち馬の番号が乗る。


 一着 8番 

 二着 2番 ハナ差


 場内の観客席は、大荒れのレース順位に思わず怒号を漏らし、握り締めた馬券が春に舞い散る桜の花びらのように宙を舞った。興奮さめやらぬ私は、古馬を覗きに勝利馬の授賞式に向かった。おそらく最後であろう、この競走馬の勇姿を目に焼き付けておきたかったからだ。



 「オーナーの的場さんに勝利の言葉を…」


 伝説的な走りを見せたスタリオンを持つオーナーにマイクを傾ける場内職員。勝利の余韻に浸り、眼を潤ませながら騎手の横に立つオーナーが観客達に放った言葉は、私の耳に良く聞こえた。



 「スタリオンはサラブレッドの中でも人気も獲得賞金も低い駄馬です。今日勝てたのも、おそらく偶然でしょう。損をしたお客さんには申し訳ないのですが、名馬の中の駄馬が勝つからこそ競馬というのは面白いのでは無いのでしょうか?誰が信じて、誰が予想しても、このような逆転的な奇跡が頻繁に起きてしまうのです。私は、この奇跡を身近で感じさせてくれたスタリオンにありがとうを言いたい」



 中継を見守る私も、オーナーと同じ気持ちだった。

オーナーの話を聞いた私は、ポケットにしまった馬券を払い戻すことなく、そのまま競馬場を後にした。この奇跡の思い出を、数十枚の紙に変えてしまうのは忍びなく思ったからだ。



 競馬というのは、実に面白い…

実際、こんな奇跡に出くわせるのは10年に一回くらいの確立です。

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