4.オタクとひきこもりとコミュ障と「宅女」
先日とある中華料理屋さんに行きましたら、メニューにこんなものがありました。
その名も『宅男饭』。私が言うのもなんですが、いろいろ振り切っています。
メニューは中国語と英語なのですが、写真と説明文から推測するに海鮮チャーハンが小さなフライパンに乗ったまま出てくるようです。別のチャーハンを頼んだので味は知りません。ごめんなさい。
中国語で『宅男』『宅女』と言えば、オタクを指しますから、直訳すればオタクメシ! 家で食器を使わずに手軽にご飯を食べるオタクをイメージして作ったのでしょうか。
もちろん早速このことを家庭教師の先生に報告しました。ついでに私が『宅女』だと言ってみたのですが、なぜか話が噛み合いません。
「『宅男』『宅女』がアニメや漫画好き?! そういう人もいるかもしれませんが、一部ではないですか。私も『腐女』ですけど、アニメはちょっと……」
思ったよりもアニメが市民権を得ていなくて辛いです。『腐女』の先生ならわかってくれると思ったのに。まあそれはいいです、お国柄もありますから。けれど、なぜ私の説明した『宅男』『宅女』のイメージに対して、こんなにも微妙な反応なんでしょう。
おかしい……。この『宅男』『宅女』という言葉は以前会社員時代に、大枚はたいてベルリッ◯で習ったものなんです。それこそ死語とは違う、生きた単語のはず。
そこで私は気づいたのです。つまり、この『宅男』『宅女』という言葉の意味も変わってしまったことに。
何ということでしょう、私が習ったときは最新語扱いだった『宅男』『宅女』という言葉の定義がもう変わってしまっているなんて。数年で意味が変わってしまったことに、驚きを隠せません。
つまり、『90后』(=90年代生まれ)の先生からすれば、『宅男』『宅女』をオタクと訳すのはもう古いのです。古すぎてもともとあったその意味を知らないのです。
今の若い方というかほぼ全般的に、『宅男』『宅女』を『ひきこもり』という意味で使うのだとか。『ひきこもり』を表す言葉がなかったので、すでにあった『宅男』『宅女』という言葉で代用していたら、すっかりそちらの意味で定着してしまったようです。
ちなみに『ひきこもり』というと『ニート』をイメージしますが、『宅男』『宅女』の意味はそれだけではありません。この言葉には、仕事をしていて、仕事が終わった後や週末に友達と外で遊ばずにパソコンの前で過ごすという意味で使うことも多いので、仕事の有無は定義に含まずに『インドア派』としても広く使われるのです。
つまり、会社が終わった後や週末に一人で部屋でゆっくりするのが好きということでいいんですかと尋ねた私に、先生はこうかぶせてきました。
「『好き』つまり、『喜欢』と訳すのは適切ではないですね。一人で過ごすのが好きなのではなくて、性格の問題で誰かと一緒に過ごすのが『得意ではない』のです。『不善于』なのです。友達がいなかったり、一緒に友達と過ごせない人なのです。だからあんまりいい意味では使わないですし、高齢の方なんかは外で活動しないなんてとっても良くないっておっしゃいますよ」
先生それ、日本語で言うところの『コミュ障』ですわ。うまく言えないけど。
『オタク』と伝えたつもりが、『ひきこもり』や『インドア派(しかもコミュ障)』だと思われる。
そんなびっくりな可能性を垣間見た、『宅男』『宅女』という言葉なのでした。まあ『インドア派(コミュ障)』なのは私自身は事実だから、別に気にしませんけどね!