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少女の名を呼ぶのは

作者: 衡之

※ひたすら淡々と主人公が回想し、もやっとエンドを迎えます。

 大円団のハッピーエンドを期待される方は、ご注意ください。

 

 高く上った太陽の下、王城前広場には多くの人が集まっていた。

 陽光に明るく照らし出された彼らの顔に浮かぶのは、驚喜とも祝福ともとれる眩しいものばかり。人垣を構成する人々の姿は老若男女様々だったが、皆一様に何かを叫び全身で喜びを表現している。

 人々の視線の先にあるのは、王城の中ほどに存在する一つの窓。人一人の全身を映し出す程大きなものだ。窓の奥には人影が佇んでいる。明るい屋外から薄闇に包まれた部屋の中を窺うことは出来ず、その人物が男か女かは判然としない。

 そんな曖昧な姿であっても集まった人々の関心が散ることは無く、絶えず人の波が前へ前へと蠢き続けるために、広場と王城を遮る門は今や打ち破られる寸前だった。無骨な鎧に身を包んだ王城の兵士達が、必死に奮闘している。

 しかし、抑える側であるはずの彼等もまた時折天を仰いで、窓の向こうに目を凝らしていた。現王の結婚が告げられた時ですら、こんなに盛り上がらなかったのにと苦く笑いながら。


 ○ ○ ○


 窓の向こうには一人の少女が居た。

 泰然とした翡翠色の瞳が特徴的な、小柄で可愛らしい顔立ちの少女だ。

 人々の関心を一身に集める彼女は長く繊細な赤毛を揺らすこともせず、眼下に広がる人の群れをくすんだ窓越しに眺めている。

 厚いガラスが音を通すことはなく、彼等が何を叫んでいるかを少女は聞き取ることが出来ない。それでも表情や動きから祝福の意味を込められた行動であることは明らかであり、少女もまたそのことは理解していた。

 

 だが、彼女はその事に気づきながらも何の感情をも浮かべようとはしなかった。黙って人々の顔という顔を見返すことに努め、特に口元を観察している瞳は一つの単語を確認すると、すぐ隣へと移される。


 少女が居る冷たい石造りの室内は薄暗く、外の喧騒に対しひっそりと静まり返っていた。部屋内を彩る金銀があしらわれた煌びやかな調度品の数々も、今はその存在を潜めている。

 大きくかけ離れた世界同士を繋ぐ唯一の窓は固く閉ざされており、相容れない異なる世界が二つ並べられているようだと、表情も変えずに少女は思った。


「どれも、違う……」


 やがて、諦めを滲ませた言葉が静寂を破った。

 わかっていたことだと、少女は続けて呟く。

 結局この世界でその名の音を発してくれたのは、一人だけだったとも。

 少女は軽く瞼を伏せて、遠い過去の光景へと思いを巡らせ始めた。

 過去の世界に己の名前を求めるかのように。 



 最初はリーニャという名前だった。

 リーニャという名の、神託によって魔王を倒すと予言された貴族お姫様の身代わりとして、少女はそう呼ばれることになったのだ。


 まだ幼いリーニャが愛おしくて仕方なかった彼女の両親は最初、神託を受け入れようとはしなかった。しかし、魔王の脅威は日に日に増しており、王城からの圧力も言うまでも無く――両親は最後の手段として、身代わりをたてることにした。幸い幼い少女は未だ社交界への顔見せを果たしておらず、彼女の顔を知る者は身内と僅かな出入りの者のみ。上級貴族に列する彼等にとって、難しいことではなかった。

 ただの身代わりではいけない。神託と同様の希望を秘めた娘でなくては。

 そう考えた両親は秘術に手を出した。伸びしろ溢れる幼い娘が神託を受けるだけあって、リーニャの家の人々は代々術式を扱うことに優れていたのだ。彼らは平和への祈りを込めて、秘術であり禁術でもあった召喚の儀を発動させ――

 そうして異界から呼ばれたのが、少女だった。

 赤髪に翡翠の瞳が印象的な、まだ幼さの残る顔を怯えに歪ませた少女。

 彼女は最初からリーニャと呼ばれていた。

 うっかり事情を知らない者と邂逅した際に違う人物であることを悟られぬため。また彼女にリーニャの名を馴染ませる意図があったのだが、混乱から脱しきれない彼女が察することは無かったようだ。

 少女は何度も訴えた。自分はリーニャではないと。

 しかし、彼女が必死に叫んだ名を呼んでくれる者が居なかったのは勿論のこと、その度に少女にはきつくお灸が据えられた。

 いつしか少女は訴えるのを止め、黙々と鍛錬をこなすことだけを考えるようになる。

 きっと、全てを終わらせた際には労いと共に己の名前を呼んでくれるだろうと。それだけを胸に魔法のような術式から武術の類の技法まで、ありとあらゆる力を身につけていった。

 やがて、この世界でも珍しい燃えるような赤髪を束ね、少女はリーニャとして旅立った。

 遠い地であろうと異民の地であろうと。彼女はリーニャとして役目をそつなくこなした。神託で示されたリーニャでないにも関わらず。

 仲間の一人であった王子だけにはバレてしまうというアクシデントはあったが、陽光のようだと称される温かな人柄の彼は旅が終わるまで隠すことを固く約束してくれた。大義を為すまでリーニャでないとバレることの危険性を切々と諭してくれ、バレないよう協力までもしてくれたため、以後の旅程は至って順調に進んだのだった。


 少女は過程にあった凄惨な戦いを思いだし、己の腕をそっと撫でる。

 象牙色の肌を切り裂く痛々しい戦いの跡を見つめ、僅かに唇を噛んだ。


 次は勇者という言葉だった。

 いつからだったかはもう少女自身は覚えていない。

 ただ旅を続けるうち気が付いた時にはそう呼ばれていた。


 気づいた時、勇者なんて言葉未来の令嬢には相応しくないと、頑なにリーニャ姫と呼ばせるよう言い含んできた、リーニャの両親の姿が少女の脳裏に浮かんだ。確か、周りの貴族にもそう民衆へ広めるよう頼み込んでいた気がするのだがどうしたのだろう、と。

 しかし、リーニャではない少女には、渾名の勇ましさ等どうでもいいことであったので、彼女は特に気にすることも無くその渾名を受け入れた。勇者と己の本来の名前を並べ、存外悪くないとほくそ笑みながら。

 そう、この頃の彼女はまだ、己の名前をいつかこの世界の人々が認識してくれることを夢見ていたのだ。

 希望は力へと変わる。

 勇者と称されるようになったリーニャ姫は、その渾名に恥じぬ目覚ましい活躍を各地で上げて、遂に――魔王と呼ばれる怪物を倒すに至ったのだった。


 そういえばリーニャ本人はどうしているのだろう。少女は僅かに思考を逸らす。

 魔王討伐を成し遂げた後、少し猶予時間が与えられたのだが、その際リーニャ本人はもちろんのこと、両親をはじめとした彼女の関係者すら一人も姿をあらわすことはなかった。彼らは王に次ぐ権力を持つ。こっそりと自分に会おうとすることなど他愛も無いことのはずなのに……と、少女は考えかけて、止めた。

 次の旅への出発を求められた時の事までも思い出してしまったからだ。終わったら解放されるという彼女の淡い期待を打ち砕いた、その旅路を切欠を。


 魔王の災禍から解放されて王宮内外で祝賀ムードに包まれていたある時。

 勇者一行の栄光を湛える祝賀会に突如飛び込んできたのは、新たな神託の預言書の発見を知らせるものだった。料理に舌鼓を打っていた少女は最初、他人事のように騒がしくなる一部の人々を眺めていた。しかしすぐに彼らの目が己を振り返りことに気づき、リーニャ姫らしくなく顔を歪めることになる。なんだか嫌な予感がする、と。

 王族の書庫から王子が見つけてきたという古文書には、こう書かれていた。


『神託を受けた赤い勇者が、邪悪の残滓を払い清めるだろう』


 魔王がいなくなった後も、彼がもたらした淀みは未だ各地に残っていた。

 ピンポイントに己を指した預言に、彼女が次の旅を命令されることを予感し、それが現実になるまで――そう長い時間はかからなかった。


 そして今度は聖女だった。淀みを払う聖女として、彼女は再び旅に出ることになった。

 その翡翠色の瞳が暗く濁っていたことを知るのは、本人と共に旅をした王子だけだったことだろう。聖女らしくない陰鬱な表情すら神秘的と捉えさえる程までに、人々の彼女に対する期待は高まっていたのだ。


 二度目の旅路は少女の重い足取りに反して順調であり、かつて訪れた町から、足を運ぶことはないだろうと思われていた田舎の村まで。世界中の至る所で彼女は祝福とやらを与えた。

 そもそも敵となる存在がもうおらず、彼女の名声を利用しようとする人間の魔の手は、武芸にも政治的手腕も優れているという、少女に言わせればチートな王子が居ることで払われていたのだから、至極当たり前のことではある。その王子は最後まで彼女の正体をばらすことは無く、旅路は何の問題も無く人々の祝福を受けながら終わりを迎えた。

 しかし、そのことが仇になるとは――

 どうして予想できなかったのだろうと、現実に意識を戻した少女は深くため息を吐く。


 少女が窓の外へと焦点を合わせると、変わらず民衆は何事かを叫んでいる。

 リーニャ、勇者、聖女。

 彼らの口がそう動くのを認識するのに、少女は最早然程の時間も必要としていなかった。

 二度に渡り世界を巡る間中、ずっと呼ばれ続けたものであるのだから。

 最近は更に一つ追加された。聖女として王子と旅を共にした結果得た称号。

 だが、どれも違う。

 自分に向かって投げられる自分のものではない名前から逃れるよう、少女は再び意識を過去へと滑らせた。


 取り留めの無い回想は、更に遠くへ。あちらに居た頃まで及び始める。

 思えば、生まれた時から巡り合わせに恵まれていなかった。

 先祖帰りだという、故郷でも異質な容姿。

 兄弟、親戚にもその片鱗すら表れていなかっただけに、自分は家族の中でも浮いていた。

 そんな自分が、たまたま某赤毛の少女の名作ゆかりの町に生まれてしまったがため、アンと呼ばれるようになったことや、赤毛だったという曾祖母の生まれ町に故あって引越した後、今度は赤毛の蔑称で呼ばれるようになったことまで思い出し……。


 少女は気付いた事象に、自虐的な笑みを零す。

 そうだ、あちらでも名前を呼ばれることはほとんどなかったんだ。

 たまたま赤毛が珍しい世界に呼び出され、赤毛すなわち自分だと認知されるようになり、全く異なる名前で呼ばれるようになる。

 自分の生い立ちを顧み得れば順当な事だったのかもしれない。

 所謂、運命というやつだ。


 不意に、閉じられた窓越しにも感じられる程、歓声が爆発的に大きくなった。

 ピリピリと振動する窓ガラスに驚く少女の肩に、宥めるかのように優しく手が置かれる。気配も無く表れたその存在に、彼女は声を上げることも無い。何せ背後に立つのは、彼女にとってはすっかり馴染んだ気配。


「すごい人だな、()殿」


 笑みを含ませわざとらしく妃を強調する彼に、少女ははじめて窓から視線を外し、彼女より大分身長の高い存在を見上げた。

 少女の視線を受けた男性は、柔らかな黄金色の髪を揺らしてくつくつと笑い、彼女を映した瞳を確かめるよう瞬かせた。怪訝な顔をする少女が揺らめくその瞳は、空のようにどこまでも澄んだ青色。それなのに奥に燻る光は、どこか獲物を見定める肉食獣を彷彿とさせる。

 少女が見紛うはずもない。そこに居たのは、彼女のかつての仲間――この国の王子だった。

 そして、現在呼ばれる少女の名前の原因でもある人物。


 最後は、妃だった。

 人望高い聖女と王子。結び付けたいと思うのは何も策謀巡らせるお偉方だけではない。世間からも世話になっていた王城からも望まれて、あれよあれよという間に、少女は王太子妃候補の立場にいた。王子の方も特に拒むことも無く、寧ろ積極的に事を運んだために、気が付けば今日――正式発表の日を迎えていたのだ。

 民衆にはまだ重要なお知らせとしかお触れが出されていなかった。しかし彼等の盛り上がりから察するに、どこからか情報が漏れていたようである。


「妃、じゃない」


 少女はポツリ、と零して俯いた。

 が、すぐに顎を取られ、自然な動作で上を向かされる。

 否定されたにも関わらず、王子は機嫌を損なうわけでもなく、ただ愉しげに笑っていた。


 決して少女も彼のことは嫌いではなかった。むしろ一般的に言えば好きな方である。

 だがこの声を、彼が瞳の奥に宿している思いを受け入れたならば……。

 少女は王子から目を逸らす。

 翡翠色に浮かぶ、期待に満ちた民衆の姿。

 聖女であり、勇者であり、リーニャだからこそ、彼等は祝福してくれている事を少女はわかっていた。

 どれか一つでも欠けていたら、陽光の王子と人気が高いこの国の希望に嫁ぐのは相応しくないと、やっかみの声が重なっただろうこともわかっていた。

 彼の申し出を受け入れたならば、妃として彼等の信頼を挫くことは出来なくなる。

 もう、少女の本来の名前が彼等に伝えられることは無いだろう。


 だが今、ここから飛び出して、彼の誘いを断って――

 これがきっと最後の機会だと少女は心の中だけで呟いた。

 この王子は決して無理に強いることはしないが、彼女自身の意思で選んでしまったらその責任は求める。

 選んだら最後、心変わり等許さない。長い時間を共にした少女だからこそ、知っていること。


 この世界で名を呼ばれようと努力した結果を想い、少女は表情を曇らせる。

 はたしてその先に、自身の名前を呼ばれるようなことはあるのだろうか。

 逃げた先にまで、運命が追いかけてきそうな予感が少女にはあった。

 というよりも、もう手遅れなのではないか。

 力をつけた時点で、王城からも認識されていなかった時点で、この世界を見限る選択肢を選べなかった自分は、きっともうその選択の責任から逃れることは出来ないのだろう。


 顎に添えられていた掌が頬へ移動したことに気づき、少女は無意識の内、縋るように王子へと目を戻した。

 そんな少女の葛藤を全て見透かしているのかいないのか、王子はただ笑みを深めて彼女の視線に応えた。

 そのまま身を屈めると、艶やかに孤を描く唇を少女の驚きで小さく開かれたものへと近づけて、言い聞かせるようにゆっくりと囁く。


「心配しなくとも、俺が知っている。お前は――アオイ、だと」


 少女が焦がれ続けたその音が、温かな感触と共に伝わってきて。


 迷いは一瞬で掻き消えた。

 飛び込むようにして、少女は王子の胸に縋り付く。

 歓声は一際大きくなり、怒号となって窓を打つ。

 少女は王子を選んだ。

 いや、選ばざるを得なかった。これは不幸なことだろうか。


 自分を囲うよう広げられる腕の存在を感じながら、これは幸運なのかもしれない、とアオイと呼ばれた少女はそう思い直す。

 生まれ落ちた時から運の巡り会わせが悪かった自分が、どこともつかない異世界で唯一名を呼んでくれる存在に出会え、更に生涯隣に立つことを許されるのは、奇跡に近いものなのではないだろうか。

 あちらでもこちらでも異端だった自分が受け入れられるなんて。

 そうだ、幸せ。

 幸せだとわかっている道を選ぶことに、どうして躊躇う必要があったのか。

 幸せだと噛み締めるよう自身に言い聞かせる度に、燻っていた懸念がその姿を潜めていく。 


 少女は王子に身を預け、そっと瞼を閉じた。

 この後行われる結婚報告の儀において、リーニャの名前を謳い上げる自分の姿を想像しながら。


 ○ ○ ○


 暖かな王子の腕の中、胸板に顔を埋めてつらつらと他愛も無い事に思索を巡らせ始めた少女が気づくことは無い。


「そう、俺だけが知っていればいい」


 ――陽光の王子とも渾名される彼が、仄暗い感情を湛えた笑みを浮かべていたことなど。


 勇者という呼称を王城が大々的に宣伝していたことも。

 彼女をこの世界に呼んだ、アオイの名を知る者がいなくなった理由も。

 淀みを消すことが出来たのは、何も少女だけではなかったことも。

 世界の端々まで旅をし、少女の姿と名前を認知させる必要等本来なかったことも。

 

 彼女を翻弄した運命は決して、人ならざる意志によるものではなかったのだ。  

 そのことを知ることなく、少女はいつまでも幸せに暮らしたのだった。

 


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