海の恩返し
お題:海、恩返し
「せめて、今年のだけにしなさい。それは着け過ぎだと思うんだ」
「だって、全部着けたいじゃない」
若い夫婦が喧嘩をしていた。
妻の指には、ほとんど指が見えないほど指輪が着けられている。
二人が纏う空気は、不思議と教会の中のそれに似ていた。
荘厳で、信心深くなくても不思議と身が引き締まる。そんな空気。
靴磨きの少年は、目の前で喧嘩する夫婦を前にどうしようかと悩んでいた。
明らかに彼らは商売の邪魔になっていた。
しかし、今日ばかりは場所を移動する訳に行かない。
今日は祭で、あちらこちらで出店が出ている。今朝は、皆場所取りに必死だったのだ。
少年だって、苦労してこの場所を確保した。
ここを離れても、もう空いている場所などないだろう。
「ねぇ、貴方はどう思う。夫から指輪を贈られたら、全部着けたくなるわよね?」
「そんなことないよな。指輪なんて、少ない方が女性の魅力が引き立っていい」
どうしようかと悩む少年に、矛先が向けられた。
少年は正直どうでも良かった。が、それを言える雰囲気でもない。
「それより、場所を取らなくていいんですか? 海沿いの見晴らしのいい場所は、あっという間になくなってしまいますよ。
今年は船を新しくしたとかで、より一層豪華になってるから観ないと損です」
少年は、必死に話題を逸らした。
祭のメインは、海を行進する船にある。
綺麗に列をなして渡るゴンドラ、それに続く巨大で豪華な船。
これを観る為だけに多くの観光客が集う。
「ふふ、心配は無用よ。私は、いつも特等席で見せてもらってるもの。
でも、ありがとうね」
妻が楽しそうに笑った。そして、指輪を沢山つけた手で、旦那の腕を掴む。
よく見ると、指輪のいくつかは錆びていた。
まだ錆びてない指輪には、何か文字が刻まれているのが読み取れる。
その文字を読んで、少年は思わず息を飲んだ。
「でもせっかくだし、今年は地上から望むのも悪くないわ。
素敵なパレードに答えて、私も貴方達の安全を守りましょう」
「そう言って、毎年癇癪起こす癖に」
「今年こそは、今年こそよ」
そんな言い合いをしながら、夫婦は海へ向かって歩いて行った。
指輪に書かれた文字。それは、祭の最後に海へ投げられる指輪に書かれているのと同じだった。
「われわれは汝、海と結婚する……か」
指輪の文字を声に出し、少年は空を見上げた。
海との結婚。それが、航海の安全を祈願するこの祭に付けられた名だった。
小説が書けない.com(現在閉鎖)で、
「恩返し」、「魔法」、「海」
の中から少なくとも一つお題を選び、掌編を投稿するという企画がありました。
その中から、「海」、「恩返し」を選択した作品です。
夫婦の正体ですが、妻の方は「海そのもの」です。
でもって、旦那の方は「祭が行われている町そのもの」。
海との結婚は「海と町が結婚する祭」なので、二人は夫婦で登場しているのです。
奥さんの正体をいかに遠回しに伝えるかに全力を注いだせいで、それ以外の部分が描写不足、結果奥さんの正体も分かりづらいという……。
ちなみに「海との結婚」自体は、ヴェネチアに実在するお祭り。
今回はそれをモチーフにしてますが、細部は構造が混ざってます。
ARIAが好きで書いた作品なので、ARIAっぽいかも。