付喪神の幸せ――彼の場合――
お題:旅
――傍から見たら、不審者なんだろうなぁ。
男はそんな事を思いながら、林に潜んでいた。
そして、そこから見える神社を注意深く監視する。
月が中天に昇る。
日が沈む頃から隠れていた男の顔には、少し疲れが見えていた。
そんな頃だった。神社から少年が出てきた。
少年の荷物は、身に着けている着物と一振りの刀だけ。
文字通り、身一つだった。
男は少年の背後にそっと近づいていく。なるべく音をたてないように、気づかれないように。
悪戯をする少年のような笑みを浮かべながら、男は唐突に少年へと声をかけた。
「どこに行くのかな?」
少年の肩がぴくりと跳ねる。その反応に、男はくすくすと笑った。
「出雲に行ったとばかり思ってたのに。いいのかよ、行かなくて」
少年が罰の悪そうな顔をして、そっぽを向く。
男はそんな少年に優しく微笑んだ。
「だって退屈だし。大体、僕は恋愛は専門外なんだよ。それに、こんな弱小神社の神様一柱ぐらいいなくても気づかないだろう?」
今日は十月。神々が出雲へ集い、縁結びの会議をする月。
男も本来なら出雲へ向かうはずだった。例年なら、面倒くさがりながらも会議に参加していた。
そうしなかったのは、少年を見送る為に他ならない。
「ずっと気づいてたのかよ。俺が出て行こうとしてることに」
「そりゃ、君ずっとそわそわしてたもの。面白かったよー。
十月はまだかと日表を何度もめくって、僕が近づいたら慌てて日表から離れてさぁ。
あれで気づかない方がどうかしてるよ」
「あんたのそういうとこ、大っ嫌いだ」
思い出し笑いをする意地悪な男を少年は軽く睨んだ。
「うん、知ってる」
優しく微笑んで、男は少年を見つめた。
その眼差しはどこまでも温かく柔らかく、子供を見守る親のようだった。
「あんたには感謝してる。ここでの生活だって、それなりに楽しかったと思う。
でも、俺はここで平和に生きて、錆びていくのはごめんだ。
刀として生まれた以上、刀として戦って散りたいんだ」
神社に奉納された刀の付喪神である少年は、真っ直ぐに男を見つめる。
奉納されて百年。この神社で大事にされた少年は、しかしそれが不満で仕方がなかった。
鞘に収まり、錆びて朽ちるのを待つだけの生涯。
それは少年にとって、生き地獄だったに違いない。
「知ってるよ。だから、止めない。
僕はただ、別れの挨拶をしにきたんだ」
どんな言葉をかけても少年は出て行く、それを男は知っていた。
力づくで止めたところで、そんなものに意味はない。
少年に生き地獄を与えるだけだ。それは、男の望むところではない。
「僕は、君に幸せになって欲しいんだよ。
ここを出て行くことが君にとっての幸せなら、そうするといい。
いってらっしゃい。悔いのないようにね」
少年は意表を突かれたように、数度瞬きを繰り返した。
やがて、いってきます、と元気に言うと外の世界へ走り出した。
それが、男が最後に見た少年の姿だった。
小説が書けない.com(現在閉鎖)で、
「冬」、「旅」、「長い一日」、「接吻」、「風紀委員」
の中から少なくとも一つお題を選び、掌編を投稿するという企画がありました。
その中から、「旅」を選択したものです。
自ブログにある「九十九神の幸せ~追想歌~」と同じテーマです。