(6)最終回
「俺達にそんな事を言う資格は無いんだよ。俺達は雄介に対して酷い事をしたけど、同時に木内亮子さんに対しても酷い事をしてたんだよ。
彼女が丁度都合の良い日に死にますようにと強く願ってた。法律に触れる事じゃあないかも知れないけど、これって恥ずべき事じゃないのか」
「分ってるわよ。だから私、木内亮子さんには謝ったわよ。涼子にも勿論謝った」
「えっ、それはどういう事だ? 二人とも死んでるんだぞ、何を言っているんだ?」
孝雄には早紀の言葉が理解出来なかった。
「さっきの木内留美の霊の事なんだけど、最初は涼子だったの。次に木内亮子さんになって、最後に留美になったのよ。
涼子にも亮子さんにも本当に本気で謝った。でも木内留美だけは許せない。何の関係も無いトラックの運転手二人に大怪我をさせた罪は、私なんかより遥かに重いわ。絶対に裁かれるべきよ!」
「留美さんが色々な事件の張本人だと言うのか?」
「そうよ、彼女が言ったのよ、トラックの運転手やその他の人達が見たものと同じ霊を見せるってね」
「変だな、それは何時だ?」
やはり早紀の言葉が理解出来なかった。
「何時って飛行機の中で私と彼女が話していた時よ。貴方の目の前でよ。聞いたでしょう?」
「俺は聞いてないぞ。お前は彼女と一言、二言話をしただけで寝ちまったんだぞ。やっぱり覚えてないのか。嘘だと思うんだったら近くの席だった人達を探して聞いてみるか、ちょっと大変だけど」
「私は夢を見ていたの? いいえあれは夢なんかじゃない。あんな夢があって堪るもんですか! 絶対に木内留美が何かをしたのよ。さ、催眠術かもしれないわね」
「ふーん、そうか。……ちょっとだけ良いか?」
埒が明かないと感じた孝雄は自分の考えている事を先に話そうと思った。
「な、何よ」
「早紀が寝ている間に、俺は留美さんと彼女の着ている赤いワンピースについて、少しばかり話をしたんだ。赤いワンピースが何かと話題になるからね」
「そ、それで」
「彼女が着ているのは、お姉さんの形見なんだそうだ。でもちゃんと着たのは今回が初めてだそうだよ。彼女がりがりに痩せてたからね。一度だけ着てみたんだけどサイズが合わなかったらしい。最近漸くふっくらとして来たので本格的に着てみたんだそうだ」
「ああ、それは良かったわね」
早紀は皮肉たっぷりに言った。孝雄は聞き流して話を続ける。
「あの赤いワンピースはね、木内亮子さんの退院祝いのものだったんだそうだよ」
「退院祝い?」
「うん、一時的に病状がとても良くなって、これなら大丈夫と医者にも言われてたらしい。そこであの赤いワンピースを仕立てて貰って、留美さんにだけは打ち明けてたんだけど、それを着て雄介に告白する積りだったらしいよ」
「えっ! そんな事があった訳! だけどお金持らし過ぎて嫌味だわね。それにどうして赤いワンピースなのかしらね。白でも緑でも良いんじゃない?」
「ライバルに負けたくなかったからなんだろうね。涼子は何時も白いワンピースだったよね。またそれが良く似合ってた。彼女に勝つ為には、燃えるような赤でなければと思ったんじゃないのかな」
「孝ちゃんにしては随分気の利いた事を言うわね、『燃えるような赤』なんて」
ちょっと疑った言い方をした。
「まあ、留美さんの、その、受け売りなんだけどね」
「やっぱり。それから?」
「木内亮子さんがその燃えるような赤のワンピースを試着して、留美さんと雄介の話をしている最中に強い発作が来て、次の日の朝彼女は亡くなった。亡くなる前に約束したらしい。留美さんがその赤いワンピースを着て雄介に告白する事をね」
「信じられない! ……私の大胆な推理を言っても良いかしら?」
「ああ、良いけどそろそろバスの時間だから乗ってから聞くよ」
二人は大急ぎでリムジンバスに乗りこみ席に座ってからまた話し続けた。
「大胆な推理ってどういう事だ?」
「つまり、……留美が亮子さんを殺したのよ」
「あははは、亮子さんは病気で死んだんだぜ。何とかと言う難しい病気でね」
「本当にそう? 彼女の病気は治ってたのよ。医者が太鼓判を押したのよ。それがどうして病気で死ぬのよ」
「え、ま、待てよ。あれえ? そう言われてみると早紀の言う事にも一理あるな」
孝雄は考え込んだ。早紀は自分の説に必ずしも自信があった訳ではない。何か確認する方法が無いかと彼女もまた考え込んだ。
すると目の前に赤いスカートが見えた。見上げると、燃えるような赤のワンピースを着た留美が立っていた。
「はあーっ! る、る、る、る、留美!」
早紀の顔は引きつった。孝雄はただ呆然としていた。このバスに留美が乗っていない事は確認していた筈である。
「私は姉を殺してはいません。そこまではしないわ。でも早紀さんの推理は半分当ってる。姉が死ねば良いと思ってた。だけど本当に死んでしまって、とても後悔しました。
だから今まで雄介さんには会いに行けなかった。でも最近漸く姉の形見のこのワンピースが、着れるような体形になって来たので思い切って着てみたの。そしたらあれは夢かも知れないけど、姉が許してくれました。私に雄介さんを譲るって。
私にだって早紀さんの気持ちは良く分かります。でも雄介さんだけは譲れません。邪魔はしないで下さい。私がこのワンピースを着ると、姉の怨念を感じます。
そればかりじゃありません。私が子供の頃から持っている、ささやかだけどちょっと不思議な能力が何千倍にも増幅されて、霊なんていうものを人に見せる事が出来るようになったの。
あなた方が今見ているのは私の幻よ。他の人には全く見えないわ。それからトラックの運転手さん達には本当に申し訳ありませんでしたが、あの当時はまだこの力のコントロールが上手く出来なかったんです。
一応二人の運転手さん達には、匿名で謝罪文と幾ばくかのお金を治療費として送らせて頂きました。もしどうしても許せないのでしたら、警察に訴えても結構です。それではさようなら」
留美の姿はスーッと消えて行った。早紀と孝雄はこれ以上留美を追及する事は止めにした。何をどうする事も出来ないし、彼女が決して悪意ばかりの人間ではないと判断出来たからである。
数年後、子育てに忙しい今村家に一通の写真付きの葉書が届いた。やっと定職についた孝雄は今夜も残業である。早紀が葉書を手に取って見ると、それは小山雄介と木内留美の入籍の知らせだった。
前略
もう何年も会っていないけど元気ですか。俺と留美は夫婦になった。結婚式は無い。彼女は両親の反対を押し切っての事なので大変だと思うけど、年明け早々には母親になる。
二人とも同じ保育園で働いている。住まいは近くのボロアパート。どうも俺はボロ家に縁があるらしい。過去には色々あったけど全部水に流して、未来に向かっての合同パーティーでもやれれば良いなあと思っている。
大分先だけど子供の手が掛らなくなったらまた葉書を出すよ。じゃあ皆さんに宜しく。尚、写真撮影も印刷も園長の御好意によるものです。ではまた会える日まで、さようなら。
敬具
葉書の上半分位に二人の写真が載っている。雄介の言うボロ家の居間だろう。手前にテーブルがあって、奥の左に雄介、右に留美が並んで座っている。楽しげな二人の写真を見て早紀は相当に嫉妬した。
『……でも雄介さんって何時見ても素敵だわね。過去の事を全部水に流したんだったら、私の事もすっかり許してくれたのよね。……いっその事会いに行こうかしら』
無理矢理忘れようとしていた、雄介への思いが再び燃え盛ろうとしたその時である、
「ああっ! 駄目よ! 行けない!」
写真の左端にごく一部分だけ写っているのは、あの燃える様な赤のワンピースだった。
完