少年とカロン
訂正作業終了いたしました!
色々と見直して、ほとんどの箇所に修正を加えたのと、
クライマックス部分に大幅な変更が見られます。
なるべく指摘された内容には応えたつもりです。
誘惑と大乱闘をしつつ、ちびちび訂正していたらこんな時期になってしまいました……すみません。(10/12 編集)
その日は快晴だった。
真夏なので本来ならバテてもおかしくないはずの天気だったが、隣を歩く少年はバテるどころか流れる汗も気にせずはしゃぎまわっていた。
彼は少し前に公園で仲良くなった友人だ。普段は病弱で大人しい少年で、公園で子供達の輪に入れず寂しそうにしているのを見て、気の毒だったから話しかけてみたらあっという間に仲良くなり、今に至る。
「俺さ、海ってあんま見たことないんだ! どうせ長くないだろうし今のうちに見ておきたいんだけど、この近くできれいな海が見れるとこってない?」
僕はそれを聞いて真っ先にあの場所を思い出す。
静かできれいで、僕のとっておきの場所。一瞬その場所を教えてしまうことに抵抗を覚えたが、彼は僕にとってたった一人の友達だから教えてあげてもいいと思った。
「いいよ。とってもいいとこを知ってるんだ……皆には内緒だよ?」
「もちろん。誰にも言わないよ!」
秘密の場所、秘密基地というようなものはこの年頃の少年なら誰もが憧れるものだ。それは目の前の少年も決して例外ではなかったようで、内緒と聞いて好奇心に満ちた笑顔を見せた。
そこは町のはずれにある大きな崖の上だった。彼は着いた途端に目を輝かせて崖っぷちへと走る。
「すごいでしょ? 夕暮れ時に行くと夕日がすごいんだよ」
彼は答えない。どうやら、目の前の光景に夢中になっているようだった。
僕が座ると、しばらくしてそれに気づいた彼も同じ姿勢で座る。僕らは同じ姿勢で景色を眺めた。
遠い海には汽笛を鳴らす船が見え、透明な空にはかもめが羽を広げて自由気ままに飛んでいた。
「せっかくここまで来たんだし、日が沈むまでここにいたいな」
ぽつりと彼は呟いた。
「え? それはだめだよ。ここだと何かあってもすぐ病院に戻れないし」
彼は厄介な病を患っていた。突然倒れてもおかしくないはずなのだが……
「平気。今日は調子いいからね。お母さんやお医者さんには怒られるだろうけど」
当の本人は全く気にしていないようだ。彼は笑って答えた。
僕は何も言わない。会話が途切れ、僕らはまた景色に視線を戻す。
そのまま、澄んだ水色から燃えるような橙色に染まっていく空を、太陽を映して赤くなった海を、夕日が沈んでしまうまでお互いに無言で、ずっとずっと見つめていた。
太陽が水平線の彼方に沈み、青紫に点々と星が見え始めた頃、僕らは約束をした。
そのときの彼の弱々しくも、奥に強い意志が宿った瞳が妙に印象に残っていた。
――――これは数年前の話だ。僕らがあの日何を約束したのかは、もうわからない。
忘れたわけではなかった。
僕はあの後崖から転落してしまったのか、記憶のほとんどを失ってしまっていたのだ。
あの夏の話は残された数少ない記憶の一つで、その他でわかる事といえば、僕は人ではないということだけだった。
だが、転落が原因で死んだ霊なのか、そもそも最初から人ではない何かだったのか、それは覚えていない。
気がつくと僕は海岸に流れ着いていて、どうすればいいかもわからず、ここで毎日を過ごしている。
今日はあの日と同じ快晴で、僕はだんだんオレンジに染まりゆく空をぼーっと見ていた。けど、あんなにきれいに見えた空は、今の僕には単なる日常風景のひとつにすぎなかった。
それでもこの景色を見ていたら何か思い出すんじゃないかと思ってここで記憶を辿ってみたりもするが、全く思い出す気配がない。
ため息をついたとき、
「まだ思い出そうとしてるの? いいかげん諦めたら?」
ふいに背後から聞き慣れた声が聞こえた。振り向くと、セーラー服の長い黒髪の少女が僕のそばに立っていた。何かを隠すように、両手を後ろにまわしている。
「……美代。いつからそこにいたの」
「やっぱり気づいてなかったの? ずーっとうしろにいたよ」
くすくす口に左手をあてて笑っている彼女は美代だ。
外見は僕よりも五つは年上に見えるが、美代いわく僕と同じくらいの歳らしい。
数日前に海岸で記憶を辿っていると、先程のように突然後ろから声をかけられたのだ。
最近幽霊になったと本人は言っているが、詳しいことについては教えてくれない。
僕は目の前の少女に文句を言った。
「美代はたまに怖い。いつのまにか後ろにいたりするし」
「そりゃ幽霊だもの。怖くて当たり前よ……話戻すけど、まだ気にしてるの?」
「何か大事なことを忘れているような……そんな気がしてならないんだ」
大事なことは、きっとあの日交わした約束の事だろうと思っていた。
美代が少し呆れたような顔をする。
「でもね、知らぬが仏ってあるでしょ。思い出って良い物ばかりじゃないんだよ。忘れたいと思っていた記憶も、一緒に閉じ込められているんだよ。私はこのままでいいと思う。その方が幸せに決まってるよ」
僕は首を振った。
「だめなんだ。きっと忘れられた思い出の中に僕がここにいる理由がある。それを思い出さないと僕は前に進めない。たとえ、それが暗い記憶だったとしても」
「……」
「僕にとって、それぐらい大事なものなんだ」
「……真面目なのは変わってないのね」
少し間をおいて、美代が口を開いた。
「いいよ。そんなに知りたいなら一緒に探してあげる。あなたの記憶。一人じゃ思い出せないから困ってたんでしょ?」
思いがけない言葉だった。
「……いいの? 美代も未練があるんでしょ?」
「私の事は気にしないで。それに」
彼女の表情は夕日の逆光で影になって見えない。
「あなたには感謝してるから」
急に照れくさくなって僕は思わずうつむいた。
「なんか……ありがとう」
「お礼はいいよ。それよりも、私になんか出来ることある?」
案内人。それが最初に浮かんだ。
崖とか公園とか、覚えている場所はあってもそこの道がわからないから行きようがなかったのだ。
美代がいればそのような場所にも行けるし、僕が覚えていない場所にも行けると思った。たとえば。
「僕と美代は同じ学校だったの?」
「まあ、同じ学校にいた時期はあったよ」
「その学校に行ける?」
美代の顔が一瞬だけ曇ったような気がした。
「……いいよ。それがあなたのためになるのなら」
そう言うと美代は右手で持っていた何かを海へ放り投げ、左手で僕の腕を掴む。
夕暮れの海に、ぼちゃんという音が響く。海は赤く染まっていた。
僕らは走り出した。
僕が振り返ってもそこに足跡は残ってはいなかった。
僕らがいるのは四年二組と書かれた教室の前だった。全員帰ったあとらしく、いるのは僕と美代の二人だけだ。
「なぜ四年二組?」
「私達が初めて会った教室だよ。隣でさ、よく話したじゃない」
「……えーと……」
「ほら、まだ思い出せない? 一緒に同級生の話とかしたよ。私はみんなから嫌われてたけど、あなただけは優しくしてくれたよ!」
美代は僕に懸命に訴えかけるけれど、まるで誰か別の人の話をしているようだった。
「……ごめん。思い出せない」
「嘘!? あんなに話したのに……」
うつむく美代がなんだか気の毒に思えて、僕はもう一度ごめん、と謝った。
「……あれ? なんで君は嫌われてたの?」
うつむいていた美代が顔をあげた。
「私のあだ名わかる?」
「……なに?」
まるで何かがはじけたように美代は叫んだ。
「死神だよ死神! もうすぐ事故に遭って死んじゃう子がいたから忠告してあげたのに、私のこと死神って言って笑ったんだよ!」
「……」
聞いてはいけないことを聞いたと思ったときにはもう遅かった。
「しかもあいつらね、私が一人で誰かと話してるとか変な噂流したんだよ! 不気味がられて、無視されて、あいつらのせいで……」
僕はこれ以上は聞かないことにした。
「……で、なんだっけ? なんのために来たんだっけ?」
恨みつらみを言い終えたらしい美代はまだ機嫌悪そうに僕にたずねた。
――――どうやら取り戻してしまったのは、彼女の暗い過去だったようだ。
「何か思い出せるかなと思って来たんだけど……」
「ああそうね。で、だめだったんでしょ? ここはもう用ないからさっさと出ましょ! 次どこ行く?」
「そうだな……あ、崖は!? なんで最初に出てこなかったんだろう」
「また落ちたらどうするのよ。しかも道わからないし」
「僕の事は大丈夫だよ。それにここら辺からなら公園が近いから道もわかる」
「……じゃあ、私をそこまで連れてってくれる? 私もその景色を見てみたいの」
「いいよ。行こう」
僕が彼女の腕を掴んだときだった。
「待って、やっぱ明日にしない? ここに来たら用事思い出した」
「え?」
「じゃあまた明日、校門前でね」
僕が何かを言う暇もなく、彼女は窓から飛び降りて走り去ってしまった。
美代はたまにやらなきゃいけないことがあると言って先程のようにいなくなるときがある。
何をやっているのかを訊ねても何も教えてくれない。
静かな校内で、僕は一人きりになった。
そして、なぜかこの取り残された感覚がとても懐かしいような、そんな気がした。
次の日。今度は僕が彼女の左手を引いて走っていた。
「そういえば、なんで僕を手伝ってくれるの?」
少し間があいて、美代は答えた。
「……あなたと一緒にいたいってだけ」
振り向くと美代は目を逸らすようにうつむいたが、口元はかすかに笑っていた。
「……自分の事は大丈夫なの?」
「うん」
「……ねえ、君は一体何をやり残したの?」
それは僕が一番気になっていたことだった。何度聞いても同じ答えだったから、今日も同じ答えだと思った僕は答えも聞かず、再び前に向き直る。
けど、今日は少し違うようだった。
「……聞きたい?」
僕は返事ができなかった。
再び前を向いた僕の前に見覚えのある道があったのだ。
そこだけ時が止まっているかのように、変わらない姿でそこにあり続けている。
「……どうしたの?」
美代が訝しげな声で聞いてきた。
「崖に着いたみたいだよ」
はやる気持ちを抑え、なるべく冷静に言った。
「ほんとに?!」
美代の声が上ずった。僕は黙って頷く。
「ねえ、早く行こうよ!」
『ねえ、早く行こう!』
美代の言葉がいつか誰かが言った言葉と重なったような気がした。
夏のある日、僕はそう長くない友達と共に崖に行った。
そして今、僕は今度は自称幼馴染の少女と共にあの崖にいる。
今日はあの夏の日ととてもよく似ていた。空は相変わらず透明で澄んでいるし、海も水平線の彼方にまで広がっている。聞こえる音も岩が波を砕く音と、かもめの鳴き声や船の汽笛の音だけ。
「静かな所ね。なんか、すごい落ち着く。色々とどうでもよくなってきそう」
美代がうっとりしたように言った。
「うん。特にね、夕暮れ時が一番きれいなんだよ」
「せっかくだし、日が沈むまでこうしていたいね」
いつかかわしたやり取りを、もう一度繰り返していた。
本当に今日はあの日とよく似ている。
「……ね、手繋いでもいい?」
美代が僕と反対方向を見て言った。
僕は彼女の右手を握ってあげようと僕の左手を差し出した。
そして気づいた。
彼女の右手に、赤黒くなった血がこびりついていることに。
僕は出しかけていた左手を引っ込めた。
「美代、右手……」
美代がはっとしてあわてて隠すが、もう遅かった。
「……なんで血がついてるの」
理由なんかとっくにわかっていた。
美代は何も言わない。
いつのまにか全ての音がやんでいて、妙な沈黙が僕らを包んでいた。
「多分あなたの想像通りだよ……洗っても落ちなくて」
やがて、観念したように美代はそう言った。
「美代の未練って……」
「否定しないよ。私の事を悪く言ってた奴らを、殺してたの」
彼女は満面の笑みを見せた。そんな恐ろしいことを言っているなんて想像もつかないくらいに。
「……何人」
「二十人くらい。当時のクラスの人ほとんどだね」
ぞっとした。
クラスメートを皆殺しにした事が怖かったんじゃない、そのことを平然と言ってみせた美代が一番怖かったのだ。
美代は昔死神と呼ばれ不気味がられていたが、多くの人々を死へと追いやった今の彼女はまさにそれだと思った。
いや、もしかしたら――――
「……君は、何者?」
「え?」
予想外の質問だったのか、彼女はきょとんとした顔をする。
「思ったんだ。君は最初から人間じゃなくて、死神だったんじゃないかって。君は死期の近い子供の魂を奪い取ろうと思って人に化けてその子に近づこうとしたんじゃない? でも、そのうちに情が移って、死期が近いことをその子に警告したけど、それが原因で皆に馬鹿にされるようになって、それでクラスメート達を……」
「死神……か。まさかあなたにそんなこと言われるなんてね。でも殺すっていう点ではたしかにあってるよ。私はきっと、人を殺しすぎて神の領域に行っちゃったんだよ! 怨霊を神として奉るなんてのはよくある話だからねえ……あ、死神じゃないね! 神には違いないけど……アハハ、アハハハハハ……!!」
美代は狂ったように笑い続けている。
「……僕も」
「はあ?」
「僕も殺したの? 崖から突き落として」
美代は笑うのを止め、なんともいえない表情で僕をまっすぐに見つめた。
「……そんな悲しい目であたしを見ないでよ。たしかにあなたを突き落としたけど……記憶を奪っただけよ。あなたはその記憶のせいで苦しそうだったから、自由にしてあげただけ。それに、記憶が無くなったら、ずっと一緒にいてくれるって思ったの。嫌われ者だって、誰かを好きになる位いいでしょう?」
「……」
僕は何も言うことができなかった。
「あとね、今まで馬鹿にしていた奴らを殺していたの、復讐でもあるんだけど、あなたのためでもあったんだよ。奴らはあなたの事も馬鹿にしてたんだから。だからあたしはあなたのために死を選んだ。こうしてあなたを否定するような奴はみーんな呪い殺してあげた」
僕は一歩後ずさった。
彼女は狂っている。いや、愛情、憎悪、怒りがごちゃまぜになって一つの塊になってしまったような感じだ。
「ねえ、それもこれも全部あなたのためだったんだよ? そんな怯えたような顔しないでくれる? 後ろになんて下がらないで。あなたにまで否定されたら、あなたのために全部捨てたあたしは一体どうすればいいの?」
僕が後ろに下がった分だけ美代がゆっくりと僕に歩み寄ってくる。距離は一定を保ったままだ。
「ねえ逃げないで、逃げないでよ。ずっとここにいようよ。他の所に行っちゃうなんて許さないよ」
「こっちに来るな!!」
思わず叫んだ。
美代は一瞬目を見開いて、すぐに悲しみに顔を歪めた。青白い頬に涙が伝い落ちる。
「……ひどい。なんでそんなこと言うの。こんなにも好きなのに……」
僕は泣いている彼女を黙って見つめていた。
「ひどい……ひどいよ…………あ」
彼女が突然、にこおと笑った。
「そっか。あのとき崖から転落したせいで頭おかしくなっちゃったんだね」
美代がふらふらと近寄ってくる。
「なら、もっかい落としてあげなきゃ……」
焦点の定まらない真っ赤な目に微笑んだ口元。僕は以前にもこんな体験があるように感じた。
段々不気味な少女が近寄ってきて、僕は崖っぷちに追い詰められていて、少し遠くに少年が倒れていて――――あれ?
これは落ちる寸前の記憶?
一つ思い出すと、途端に今まで忘れていた記憶が、思い出が、一気に頭の中に流れてくる。
四年二組の教室で、授業中に美代が窓の縁に座る僕に向かって話しかけている記憶、公園であの友達に声をかけている記憶、そして一番大切な、あの日の記憶。
時間があの日にまで一気に巻き戻ったような気がした。
あの日、海が闇にすっかり沈んで僕らが帰ろうと歩き出したとき、突然そのときは訪れた。
彼が二、三歩歩いてよろけたかと思うと、そのままぱたっと倒れてしまったのだ。
最初はただ疲れが溜まっただけかと思っていたけど、それにしては様子がおかしかった。
息は浅く、顔は苦しみに歪んでいた。
ああ、と思った。いよいよこのときが来てしまったのだ。
僕の友達は、皆すぐに死んでしまう。寂しくてすぐにまた友達を探し始めるけど、動物達には警戒されるし普通の人には姿が見えない。死期が近い人か、または霊感が強い人でもなければ僕は話すことさえできないのだ。
彼はその前者の方だった。
「……カイ。聞こえる?」
僕は親友の名を呼ぶ。
「かの、ん……」
僕は彼に嘉音と名乗っていた。本当の名はカロンだけど、嘉音の方が人の名前っぽいからだ。彼には女の子みたいだと言われたけど。
「俺……嘘ついた……最近……具合、良くなかったんだ……でも、長くないって、言ってんの……聞いちゃったから、どうしても……」
「知ってる。僕は死神だから」
海は虚ろな目で僕を見つめた。とても弱々しい瞳だ。
「死神……そっか。やっぱ俺……死ぬんだ。だから俺に近づいた…んだね」
「それは違う。ただ気が向いたから話しかけてみただけだったんだ……」
いや、本当は寂しかったからかもしれない。カイよりも、ずっとずっと。
だからなのか、僕はとんでもないことを彼にたずねた。
「生きたい?」
「……え」
「数年寿命を延ばす程度だけど……生きたい?」
勝手に人の寿命を延ばしていいわけがないとわかっていながら。
カイはしばらく僕の顔を見ていたけど、やがてゆっくりとうなずいた。
「じゃあ約束。寿命を五年延ばしてあげるから、五年後の今日、初めて会ったあの公園に来て。絶対に」
「……もちろん。絶対に……行…く……よ…」
カイはそういうと、目を閉じた。それを見届けた僕は静かに立ち上がる。
彼は意識を失ったようだけど、あと何時間かすれば、家族が探しに来るから心配はない。
さて、これからどうしようと思った次の瞬間、視線を感じた。
振り向くとそこには黒髪の、カイと同じくらいの少女がいた。辺りはすっかり暗くなって、彼女の輪郭は少しぼやけて見える。
美代だ。元々霊感が強いのか、僕の存在に気づき、こうしてあとをつけてくる。
「美代……いつからいたの」
「ずーっと後ろにいたよ! それよりもなんで学校からいなくなっちゃったの!? あたしすごい寂しいの!」
「もうあの学校に死ぬ運命の人はいないからだよ」
「死ぬ運命の人がいなくなったから遠くに行くの?」
僕は頷いた。
「ずっとここにいてほしいの。だめ?」
「だめだよ。僕には魂を送るっていう大事な仕事があるから」
「そう……」
美代がとても悲しそうな顔をした。
「……ごめん」
「じゃあ、崖の景色、あたしも見たい。見せて」
それくらいだったらいいだろう、と思ったのが失敗だった。崖まで連れて行った瞬間、美代が突然僕を強く押したのだ。
当然、僕の身体は真っ逆さまに海 へ――――。
「……仕事なんて忘れてしまえばいいのに」
そんな呟きが聞こえたような気がした。
ふと我にかえると、僕はいつのまにか崖っぷちまで追いつめられていた。
美代は余裕の笑みを浮かべる。
「思い出しちゃったの? でもいいよ、また突き落とすもの」
そうはいかない。全てを思い出した僕は、大きな鎌を作り出した。美代はその血のように真っ赤な目を見開いた。
本来死神は魂が悪霊になる前に鎌で刈って連れて行く神だ。彼女は悪霊になってしまったようだけれども、まだ間に合うだろうか。救いようはあるだろうか。そんなことを考えながら、鎌を振りあげる。
一方、美代は鎌に怯えて、一歩後ずさった所で腰が抜けてしまった。
美代にそれを振り下ろそうとしたところで、彼女は静かに言った。
「本当にこれでいいの?」
僕の手が止まる。
「これを振り下ろしたらあなたはまた孤独になる。寂しかったんでしょう?」
僕は気がつくと泣いていた。そして笑っていた。
「いいよ、仕方がないよ……僕は死神だから。これが仕事なんだから。じゃあ、ね、さよなら」
彼女が何か呟いていたような気がするけれど、僕にはもう聞こえなかった。
大鎌が夕日に照らされて赤く鈍く輝いた。
僕は一人、取り残されたように海岸に座っていた。夕焼けか、僕は赤く染まっていた。
鎌を片手に静かに立ち上がる。まだ仕事が終わっていない。まだ僕は一人じゃない。
そう、今日が約束の日だ。きっとカイは待っている。すぐ、迎えにいくからね。
指摘をくれた方々、それから最後まで読んでくれた皆様に感謝します!
ありがとうございました!