高知~馬路村魚梁瀬地区~
朝七時十五分。
定刻よりも早く到着した小田急の夜行バス「ブルーメッツ号」から手荷物だけを持って降りる。
さすがは県庁所在地の駅だけあって拓けている。ロータリーが整備され、恐らく最近きれいにしたであろう駅舎が目の前にでんと建っている。
夜行バスに乗って迎えた朝特有のけだるさを覚えながらバスのトランクに入れた大荷物を取りに向かう。
三二四という番号の書かれた札を車掌に渡し、自分の荷物を受け取る。
愛用の黒いショルダーバックを肩にかけるとずっしりとした重みを感じ、旅が始まるという感覚を改めて実感する。
JR高知駅に向かって歩き始めて、旅が本格的に始まった。
JR高知駅の電光掲示板を見ると次の電車は山田行の七時三三分。
次に土佐くろしお鉄道直通の安芸行きがその約十分後に出る予定だったのだが駅のアナウンスが後免駅で一本前の安芸方面の電車に乗れると言っていたため、改札を入り階段を上がって入線していた山田方面への列車に乗り込む。
思いのほか車内は混んでいて、大きな荷物を持っていることもあり席には座らずドア脇のスペースに荷物をおき、その脇に陣取る。
私は旅先でこの時間帯の電車に乗るのが嫌いではない。むしろ気に入っていると言ってもいいかもしれない。
この時間帯の電車には地元の学生や会社員、路線によっては自分の畑で採れた野菜等を駅に売りに来ているおばちゃんなどその土地の生活を感じることができる。
もちろん、旅に来ていつから非日常を十分に体感したいという前提はある。しかし、その前提を達成できる上で、同じ日本でも地域によって違う「生活感」を感じるのは私にとって旅の楽しみの一つだ。
ドア脇から車内をさりげなく見渡す。学生が全体の約二割、会社員が三割、残りは地元のおじいちゃん、おばあちゃんだ。
地元高校生はどうやらこれから小テストらしい。ターゲットで英単語の出し合いをしている。日本語には高知の訛りが聞かれる。
彼らの言葉はなんとなく聞き取ることができるのだが、おじいちゃんやおばあちゃんの会話は半分くらいしか理解できない。どうやら最近温かくなってきたという話らしいのだが細かい話は全く理解できない。早口の英語でネイティブの人が会話しているのを聞くのに近い感覚だ。
定刻になると列車が発車した。普通東京に住んでいると、電気で走るというのが当たり前だが、この列車は電化されていない区間を走るためディーゼルエンジンで走る。列車が走り出すと、ディーゼルエンジン特有の低い唸りと車体全体の震えを全身で感じる。
高知からしばらくは住宅地と田園風景が広がり、普通列車で約二十分乗ると後免駅に着いた。ひらがなで書くと「ごめん」となる。ユニークな駅名だ。
ここで土佐くろしお鉄道の「ごめん・なはり線」に乗り換える。一両編成の列車だ。
後免から奈半利までの約五十キロを結ぶ路線でアンパンマンの作者であるやなせたかし氏が各駅に一つずつがデザインしたキャラクターがいたり、阪神タイガースのキャンプ地として有名な安芸の球場の前を通ることから阪神タイガースをモチーフにしたデザインの列車が走ったりと、とても個性的な路線だ。
どうせならその個性的なデザインの列車に乗りたいとも思ったのだが、この日は時間的に余裕がないため却下し、後免駅の到着した向かい側に止まっていた列車に乗り込むと、間もなく発車した。
この列車は利用者が少なく、この日は私を含めて四人。それも途中からは三人が降りてしまい私一人になってしまった。あまり利用されていないのかと思ったが、途中すれ違った列車を見るとかなりの数の乗客が乗っていたため、朝の時間帯は後免や、高知方面に向かう利用客がメインなのだろう。
後免町、立田といった駅を過ぎて、のいち駅のあたりになると進行方向に向かって右側に海が見えてくる。九州や沖縄のように白い砂浜との美しいコントラストがあるわけではないが、岩場に波打ち、しぶきをあげる海の色は十分に美しい。
車内に掲示されていた各駅の見所を見てみると、この周辺の海はサーフィンをするには最適の波が来るらしく、シーズンになると数多くのサーファーが訪れるとのこと。また、海底の地形が特殊でしかも海も綺麗なためダイビングにも適しているらしい。
私は基本的に陸地でやろうと、雪上でやろうと、海上でやろうと、スポーツは全般的に好きだ。体を動かすことが好きと言ってもいい。ただし、運動神経は人より下だと思っている。普通の人が一時間あれば習得できるとこを二時間かかったり、人が難なくこなせる段階のことを難なくこなせなかったりするのだ。そのため、誰かと楽しもうと思うと、誰かと一緒に来る前に自分一人でこっそり練習をしないと呆れられてしまうほど何もできないことがしばしばある。いつかはここでサーフィンもダイビングもやってみたいが、誰か気の長いコーチを捕まえるか、独力である程度練習してからではないと友人と来るのは無理だろう。
そんなことを考えているうちに終点安芸に到着した。私が今回とりあえず目指そうと思っているのは奈半利なのでここで一時間乗り換え待ちだ。
安芸のホームに降り、階段を下って一度改札を出る。改札を出ると狭いながらも綺麗な待合室があり、コインロッカーも併設されている。さらに観光客向けに駅に簡単な市場が併設されている。中を覗いてみると地元特産のゆずを使ったジュースやお酒、軽食用のおにぎり、パン、さらに野菜なども売っている。
いわゆる観光地のように土産物屋が立ち並んでいるというわけではない。買い物ができるのは駅前ではこの市場だけだし、駅の反対側に行けばそこには何もない。しかし、それでいて観光客のことを考えている。清潔感のある待合室に観光客用に地元の特産品を売る市場、そして綺麗なトイレ。大型の観光地では逆に見ることがなかなかできない「もてなし」の心を感じ取ることができ、個人的にはとても好印象だ。
しかしそれにしてもあいかわらず地元の人たちが何を話しているかは半分くらいしか聞き取れない。訛りが強烈なうえに最後にくっついてくる「~じゃき」といった語尾が文全体を濁しているようでなかなか聞き取りにくい。テレビで見た坂本竜馬とは大違いだ。
それでも駅の待合室で楽しそうに世間話をしているおばあちゃん達を見ればこちらの頬も思わず緩む。
約一時間後に奈半利方面への列車が入線してきたため、改札に入り、それ乗り込む。奈半利まで約三十分。安芸までと同じように進行方向に向かって右側に綺麗な海を見ながら列車に揺られる。先ほどの列車はほとんど私しか乗客がいないような状況だったが、この列車は座席の約八割が埋まっているというなかなかの乗車率だった。
途中で車掌が回ってくる。笑顔が可愛い女性の車掌だ。私は特に用事がなかったので声をかけなかったのだが地元の人が声をかけるのに笑顔で対応している。そこに五十代くらいの女性の観光客の二人が声をかけ、三人で談笑が始まった。
地元の人はもちろんバリバリの方言で、そして話を何となしに聞いていると観光客のうち一人は佐賀の出身ということで恐らくその地元の方言、もう一人は出身はわからないがかなり標準語に近いしゃべり方。高知の方言だけでも半分程度しか聞き取れないのに、他の地域の方言も混ざり、その中にかろうじて標準語が混ざるという面白い状況になった。
恐らく「こんな田舎によくきたねー。」「うちの家もこんなもんさ。」「私は都会の方出身なんで新鮮だね。」といったことを話していると思われる。
そんなこんなで三十分ほど電車に揺られると奈半利駅に到着する。
奈半利駅は高架式のホームで、一階部分はここも観光客向けの市場になっている。先ほどの安芸駅といい、観光客への配慮が行き届いている。
ここでは今回たまたまバスに接続する電車に乗ってきたため市場を見ることはなかったのだが、電車やバスの本数が少ないことを逆に利用して駅をとても有効に活用していると思う。通常、電車やバスの本数が少ないというのはデメリットだ。せっかく観光に来たのに電車やバスの接続がうまくいかず、時間を有効に活用できないとせっかくその土地に来ても損をした気分になることが多い。
私などはその電車やバスを待っている時間も決して嫌いではなく、待っている時間も「あー旅に来ているなー。」と一人でにやにやしている。しかし、たいていの人はそうではないだろう。その待ち時間を利用してほかの場所に行きたいと思うのが普通だ。
そんな人たちにも地元の特産品を見てもらったり、観光案内図を見てもらったり、場合によってはその市場で買ったものを駅の待合室で食べたりなんてこともできる。
安芸駅も奈半利駅も大体四十分から一時間に一本程度はどちらの方面に行くにしても電車かバスのどちらかが来るので、ゆっくり買い物をして少し休むのにはちょうど良い時間だろう。
しかし、今回奈半利駅での電車からバスへの乗り換えがスムーズにいってしまったので奈半利駅の市場は残念ながら行けなかった。また機会があればぜひ寄りたい。
奈半利駅から今回の旅の第一目的地点である室戸岬へ向かう。第一目的地点といっても、今日の宿に入るまで思ったよりも時間があったという理由と、フリー切符の範囲内で行けるところという条件で行先を決めたのだが。
奈半利駅から右手に太平洋を見ながら揺られること約一時間で到着。降りたすぐそばに中岡新太郎の像が立ち太平洋を望んでいる。
交通の便の悪さから当初来るつもりがなかったため下調べも何もしていない。とりあえず目の前にあった展望台らしき場所に上ってみる。
上につくと、意外といっては失礼かもしれないが整備された展望だがあり、写真撮影用のスタンドもおかれている。そして展望台からの見晴らしは予想よりはるかに良かった。良い意味で裏切られたといってもよい。
天気が良いという要素が非常に大きいのかもしれないが、目の間に大きく広がる太平洋、目線を落とすとその太平洋の波が飛沫をあげる岩場、風に乗ってやってくる磯の香。そして風が流れる音と波の音が混ざり合いながら耳に流れ込んでくる。
それ以外、何も目に入ってこない。雄大な自然景観を大いに楽しませてもらえる。
おそらく、私が行くつもりでなかったのと同じように交通の便の悪さが理由で人がいないのと、人が集まらないからお土産屋などが立ち並んでいないというのが大きいのだろう。車は時々通るもののそれ以外は本当に波の音と風の音しかしない。
灯台なども見るつもりだったのが結局思いのほか展望台周辺で景色を楽しみ、波の音を楽しんでいたらバスの時間になってしまったため仕方なくバス停に向かう。
奈半利駅から室戸に行くバスの方は私一人しか乗っていない。時々乗客が乗ってくるのだが、それもすぐに下りてしまう。結局室戸から帰りは安芸までバスに乗ったのだが安芸で下りた客は私だけだった。
バスを降りて、そのままバス停で乗り換えのバスを待つ。約二十分。東京では長い待ち時間に部類されるが、ここでは奇跡に近い接続の良さだ。なにせ私がこれから向かおうとしている魚梁瀬地区へ向かうバスは一日二本。これから私が乗ろうとしているバスを逃せば魚梁瀬に到着するのは二十時近くなってしまう。そんな中約二十分でバスの乗り継ぎができるのだ。奇跡といっても過言ではない。
バス停のベンチに座ってバスを待つ。ベンチに座っているのは私と日焼けした白髪のおじいちゃんが二人。その二人はバリバリの方言で競馬新聞を見ながら何やら議論している。恐らく競馬の予想なのだろうが相変わらず方言は聞き取れない。帰るまでにもう少し聞き取れるようになりたい。
そんなこんなで待つこと約二十分。魚梁瀬行のバスが到着する。乗り込むと何人かの乗客はいたが席は十分に空いていたので一番後ろの運転席に向かって右の窓側の席に座り、隣に荷物を置く。車内を見渡すと買い物帰りであろうおばあちゃんや主婦が数人と、前後二つの席に座っている高校生が男女一人ずつ。
しばらく走ると、私と高校生二人以外はバスを降りた。そのころになると男子の高校生が時々私のほうをちらちら見てくる。喧嘩でも売られているのかとも思ったが、そんな雰囲気の子ではない。そして私のほうを見た後は決まって前の席に座っている女子に何やら話している。
私はそこでピンときて、持っていた音楽プレイヤーのイヤホンを耳にはめて、寝たふりをすることにした。しばらくしてからこっそり薄目を開けると予想通り前後の席に座っていた二人が二人用の席に移動し仲好さそうにしゃべっていた。お互い純情さがにじみ出ていて、本当にほほえましい光景だ。
ごめんな、気づかなくて。と心の中で謝りながら本当に眠くなってきたため少し眠ろうと思い目を閉じてバスの揺れに身を任せる。前夜が高速バスで睡眠不足のためか、すぐに眠りの世界に入っていった。
目が覚めると高校生カップルは降りていて、乗客は私一人になっていた。窓の外を見ると海の景色は完全になくなり、山の奥へ奥へと進んでいた。周りは木と川。曲がりくねったすれ違いが困難そうな道が唯一の人工物。こんな山奥に人が住んでいるのかと、疑い始めてから約二十分。ようやく終点魚梁瀬のアナウンスが入った。ここまでの運賃千八百円というのが安芸駅からの距離を物語っている。赤い橋を渡り始めると左側に小さな集落が見える。これが馬路村魚梁瀬地区だ。
面積にしたら東京ドームより小さいのではないだろうか。それが私の第一印象だった。橋を渡り切り、集落に入り操車場のようなところへバスが入りドアが開く。私が唯一の乗客なので特にせかされることもなくゆっくり料金を支払ってバスを降りる。
バスを降りるとすぐにバスのエンジンが切られた。恐らく折り返しで安芸へ行くまではここで休憩になるのだろう。バスのエンジンが切れると周囲から一切の人工的な音が消える。
聞こえてくるのは風の音と水が流れる音、そして数多くの鳥が鳴く声。車が走る音も自転車が走る音さえも聞こえない。
本当に何もないところに来てしまったらしい、と実感したのは集落を一周してからだ。予約した宿のホームページには魚梁瀬地区へのアクセス方法は書いてあったものの、魚梁瀬地区内のどこらへんにあるのかということは書いていなかった。不親切極まりないと通常ならなるのだろうが、なにせ集落を一周するのに二十分もかからない。どうせならゆっくり集落の中を見て回ろうと思い立ち重い荷物を持ったまま集落を歩き回った。そこで発見したものは学校、農協、郵便局、公園、ダムくらいだ。そしてダムの岸に咲いている桜を見つけた時に今日の宿を見つけた。玄関前には池があり鯉が泳いでいる。宿の建物も、かなり立派だ。玄関の扉を開けるとそこには優しそうなおかみさんが立っていた。
「よくきたねー、こんなところに一人で。何もなくてびっくりしてないかい?」
恐らくそんなことを言われたのだと思う。なにせこの方も方言が混ざるので完璧に聞き取ることはできない。しかし誰かの会話を立ち聞きするのではなく、相手と面と向かって話すと相手が何を言いたいか何となく理解できてしまうから不思議だ。
とりあえず部屋に案内してもらう。玄関を上がって正面にある角度がかなり急な階段を上り二階に上がる。部屋の数はかなりあるようだが今日は私だけしか客がいないようで
「何にも無いとこだけど、誰にも気を使わないでいいからのんびりしていってちょうだい。」
と言われ、夕飯の時間の確認と、風呂は集落内にある温泉に行って宿泊者である旨を伝えれば無料で入浴できるということを伝えて夕食の支度に下りて行った。
さっそく部屋に備え付けのタオルと浴衣を手に温泉に向かう。施設は先ほど見つけた公園の中にあるという説明を受けていたのですぐに見つけることができた。
宿の宿泊者である旨を伝え中に入る。私の他にも数人のお客さんが入っていたが、洗い場が空いていないという程ではなかったため体を洗ってから温泉につかる。昨夜は高速バスで風呂に入れていなかったうえに今日一日の疲れがあるので足をのばして温泉につかれるのはうれしい。開けられた窓から聞こえてくるのは相変わらず人工的な音が全くない自然界の声だ。目を閉じてゆっくり体の疲れをいやす。
どれくらいそうしていただろう。気づけば窓の外は暗くなり、星が輝き始めた。体ものぼせる一歩手前くらいになっている。あとは宿に帰って冷えたビールを飲めれば最高、と風呂から上がり、宿へと向かおうとしたときに公園内に咲く桜が目に留まった。九州、四国ではもう散り始めていると聞いていたが、山奥で気温差があるためだろう。ここの桜は今がちょうど満開のようだ。地元の方が飾ったのか、提灯が桜の花を淡く照らし出しているのが心にやさしい。東京での夜桜も美しい。夜に強力な光でライトアップされる大量の桜がお堀や川に移っているのを見るのは毎年の私の楽しみの一つでもある。しかし、そうではなく、提灯で淡く、弱くライトアップされている満開の桜。それをみていると何か心が温まるような気がした。
そんな桜をゆっくり眺めてから宿に帰るとちょうど夕食の支度ができていた。決して豪華ではないが、川魚や高知名物のカツオのたたきなど手のこもった温かい料理だ。冷えたビールをもらい、温泉上がりの喉を潤してからその料理をいただく。時々おかみさんが「おいしく食べているかい?」と声をかけてくれる。そして私が「おいしいです。」と答えるとうれしそうに「そうかい、よかった。」と言ってくれる。そしてそのまま私の愚痴を聞いてくれたりする。食べ終わると「満足できたかい?」と聞いてくれ「はい。」と言えばにっこり笑って「そうかい、よかった。」と言ってくれる。
料理、言葉遣い、その一つ一つに客をもてなす心が見える。
あたたかい。心からそう思える食事だ。
食後は部屋に戻り、のんびりして早めに布団に入ろうかと思い、急な階段を上がりに入る。
きちんと布団が引いてある。先ほど飲んだビールの酔いも回り、布団に倒れこもうとしたとき、部屋の窓から見えた月に目を奪われた。
きれいな満月だ。
そしてよく見れば下のほうにもう一つ満月が出ている。目の前にある湖に移る満月だ。
気づけば上着を浴衣の上から羽織、外に出ようとしていた。もっと近くで見てみたい。その一心だった。
外に出てみると、相変わらず人工的な音が全くしない。そして山奥のためだろう、かなり肌寒い。桜の満開時期が高知中心部と比べて遅いのも納得だ。
そんな中、満月が暗い湖とその周辺の山々を明るく照らし出していた。都会のネオンサインや町明かりが全くない中で見る月はとても明るく、温かい。
宿の前に一本だけ桜の木が植わっている。湖の湖畔に近いところだ。夜の暗闇の中、月明りだけに照らされた桜の木と、満月が移る湖。
気づけばどれくらいそこにいたのだろうか。目の前に広がる景色に見入っていた。壮大さや、荘厳さはない。豪華絢爛な夜景でもない。
しかし温かさがあり、どこか繊細な、たとえば車の音が少しでも聞こえてしまえばすべてが台無しになってしまうような、そんな風景だ。月というのは昼間の太陽のような力強さや明るさはない。それでも不思議な体がつつまれるような感覚がする。
その風景を思うままに独占し、満足してその日は眠った。
次の日は目覚ましもかけなかったのだが、朝食の時間として指定されていた時間よりかなり早くに目が覚めた。窓を開けて部屋の空気を入れ替える。
夜の間に浄化された澄んだ空気が部屋いっぱいに入ってくる。空を見上げると、今日の天気は花曇りといったところか。しかし、昨日の天気予報では高知は朝から天気が崩れるようなことを言っていたが。ここまで山奥に入ってしまうと高知市内の天気を見たところで意味ないのだろう。
朝の澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込み昨夜の夕食と同じ食堂へ向かうとすでに朝食の準備ができていた。魚とサラダとハムエッグ。ハムエッグの卵が半熟というのが個人的にありがたい。
朝食を食べながら今日の三時くらいまで何をするといいか女将さんに聞いてみる。なにせ集落内は昨日で大体見尽くしてしまっている。昨日公園で見た桜をもう少し見たい気もするが、三時になるまではバスが出ないため村を出ることができない。朝六時台のバスに乗って帰ってしまうという手もなくはなかったのだが、せっかく来てそれもさびしいと思い、三時のバスで帰ることにしたのだ。ちなみにそれが本日の最終バスになるというのだから交通の便の悪さがわかるだろう。
女将さんは「東京の人が面白いと思うのかどうかはわからないけどね」という前置きをしてから集落内で今日桜祭りが行われるから見てみればどうかと勧められた。
聞くところによると、昨日温泉帰りに見た桜の辺りで小規模ながら出店を出して公園の周りを、保存してある森林鉄道が走ったりするそうだ。
とりあえずそれ以外の選択肢もないためそれを見ながらのんびりバスを待とうと、荷物を預けて公園に向かう。すでに祭りは始まっているようでテントを張って作った出店が並び、ブルーシートの上では地元の方が飲み食いを楽しんでいる。
決して大きな祭りでもなく、楽しいイベントがあるわけではない祭りだ。ジャズの生演奏が一応あるものの、出店は三、四つ。他は温泉の入場割引があるだけで特にこれといったことはない。それだけの祭りだ。
しかし、それでも地元の方々は本当に楽しそうにしている。おじいちゃん、おばあちゃんに会いに来たのだろうか、孫らしき五歳くらいの子供が出店に並んでいる名物、ゆずジュースをおじいちゃんたちと飲もうと一気に三つ持とうとしている。久しぶりに故郷に帰ってきたらしい息子を母親らしいおばあちゃんが出迎えている。地元の方々が長いこと用意してきたであろう料理やジュースを女性たちが楽しそうに売っている。
自分ははっきり言ってほとんど何にも参加できていない。出店からビールと焼きそば、そしてゆずジュースを買ったくらいだ。それなのに、見ているだけなのに心が満たされていく。なぜこんなに心が見たされていくのか、よくわからない。しかし、それでも満開の桜に囲まれて楽しそうに酒を飲み、物を食べ、カラオケを楽しむ人たちを見ることに不満を全く感じていなかった。
そして午後三時。本日の最終バスに乗り込み、橋の上から集落を見渡した時、「また来たい。」と思える。何もないよさ、何もないからこそ見えてくるよさというのを再認識した旅だったと思う。