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落ちこぼれの二重人格  作者: 木嶋隆太
第一章 トーナメント
10/19

第10話 後処理


 体が痛い。

 意識が戻った俺の最初の感想だ。


 治癒魔法では表面上の傷しか治らない。時間をかければ内部まで癒せるらしいが、詳しいことは専門外なので知らない。


 止血などには強いが内部のダメージには弱いというのが俺の治癒魔法への認識だ。


 手は……動く。グーパーしっかりできる。

 身体はちゃんと俺に戻ったようだ。 


「櫂!?」


 愛音が俺の顔を覗き込んで。

 がし。

 

 抱きついてきた。

 びりっと電撃のような痛みが走る。


「い、痛っ」


 小さく一言漏らすと、愛音は「ごめん」と小さくなって離れた。


「お、櫂! 目、覚ましてくれたか!!」


 骨に響く野太い声。

 将也だ。


「よかったぜ! 心配したんだぜっ!」


 ぬおおおお! と抱きついてきやがった!

 やめろ! お前のは洒落にならない。


 止めをさされた俺はふたたびベッドに倒れる。

 轢かれた蛙のように俺は身動きがとれなくなる。


 将也、人の身体に気を遣おうな。


「どうした櫂!? まさか、ダメージが残ってんのか!? くそ、あの男め……っ!」


 殴るぞ。

 俺は全力で睨んでやるが、将也は自分の的外れな考えを続けている。


 なんか、バカバカしいな。


「櫂、目を覚ましたわね」


「理事長?」


 我らが学園の理事長がいた。

 将也と愛音は後ろに下がると、理事長が俺の顔を覗き込んできて、


「あら、元気みたいじゃない。よかったわね」


 にかっと笑う。


「内部は相当痛むんですけどね」


「若いんだから気にしないの」


 一つ咳払いをしてから、理事長の表情は鋭い物へと変化する。


「愛音から多少話は聞いたわよ」


「そうなんですか」


 俺もまだ話してもらってないのにな。


「敵は――アウトラルらしいわね」


「アウトラルですか……」


 愛音が闘技場内で零してたな。


 あの時は熟考する時間がなかったが今なら分かる。

 ニュースなどでよく聞くのだ。


 世界のあちこちで犯罪を行っている集団。 

 世界中を敵に回した犯罪のスペシャリスト共だ。


 愛音に顔を向けると、すまなそうに面持ちが暗くなっていく。

 悪くないだろ、と慰めてやろうとするが、理事長が切り出してくる。


「今日の襲撃では怪我人はでたけど、死人はいなかったわ」


 それは、よかった。

 俺たちのせいで帰らぬ人ができてしまったら、申し訳なくてどうしようもなくなる。


「でも、この先も危険はなくならないわ。愛音がいなくなるまではね」


 理事長は厳しい目つきで俺たちを交互に睨む。

 確かに、そうだけどさ。


「愛音をどうするつもりなんだよ、先生さんよぉ!」


 将也が切れた。いつもなら胸倉を掴みあげるのだが、将也も相手が相手なので自重している。

 

 ただ、両手は奇妙な動きをしている。たこの足みたいだ。

 相変わらず沸点の低い男め。


「私としては転校してもらいたいのだけど……」


 一理あるな。

 学園にはたくさんの生徒が通っている。


 将来有望な生徒たちにアウトラルが襲ってきて、死人がたくさん出れば。

 目も当てられない。


 理事長には責任が付きまとう。不安要素は削り取っておくほうがいいのだ。

 だけどな。黙って、はいそうですかと受け入れられない。


 理事長に屈しないために、俺は目に力を込める。


「理事長。この学園の目的は対人戦に優れた生徒の輩出のはずです。将来は犯罪を止める側の人間を育てるのでしょう?」


 特殊魔法は、対人戦に優れている。

 だから、三良坂学園の卒業生は警察や騎士などの犯罪者たちを捕まえる所に就職する人が多い。


 この学園を他校の連中は、人間兵器育成学校と呼ぶ奴もいるぐらいだ。


「そうね。でも、それは将来の話よ」


 分かっている。


「多くの三年生はすでに活躍してる人もいます。少数ですが優秀な二年生も」


 三年生からの授業は、自習だけだ。

 学園に届けられた、主に対人戦の任務を請けて相手を捕らえる。


 依頼を毎日行っていれば、それが単位となる。卒業するには自分で考えなければならない。


 本来一般市民が持つ逮捕権は現行犯や即座に警察などに引き渡すのが前提の一時的な力しかないのだが、学園に届く依頼は逮捕が許可されている。


 どうせ最終的には引き渡すだが。


 警察は事件が起こらなければ動けない。

 騎士は、事件が起こらなくても動くことは出来るが魔物の退治やダンジョンの探索なども仕事に含まれている。


 盗賊程度の人間に対しては学生が逮捕することも少なくないのだ。

 三年生の中にはもっと凶悪な犯罪者を捕まえたことがある人間もいるらしい。

 

 アウトラルレベルの凶悪犯を捕まえれば、他に依頼を受けなくても卒業できるだけの単位を貰うことも可能だ。


「そうね。でも、学園に通ってる櫂くんなら分かるでしょ? 一年生はまだ、自分の役割を意識していない」


 この学園の校風を正しく理解していない人は多い。

 卒業すればいい場所に就職できる。それだけ聞いて入学する人も少なくはない。


 三年生になってから退学する人、せざるを得ない人も多い。


「今の時代はみんないつ死ぬか分からないくらいの覚悟は持ってるはずですよ」


 昔は、魔法も魔物も何もなかったらしい。

 安全な昔を俺は伝承でしか知らない。


 だが、今は違う。

 結界の外に行けば魔物はいるし、稀に魔物が街にはいることもある。


 犯罪者だって徒党を組んでいるし。

 逮捕する側が孤立していては勝ち目などない。


「そうよ。でもね、皆が皆覚悟を持ってはいないのよ」


 分かっている。自分が所属する平和ボケしたクラスを見ていれば。

 俺は馬鹿にできない、クラスの連中を頭に思い浮かべる。


 あいつらは、明日も平等に自分たちに訪れると知っているような学生たちだ。


「持たせるべきですよ。将来、命を気にして失敗しないためにも」


 おかしいのだ。

 威張り散らしてばかりの奴らは。


 いつ死ぬか分からないのが、今の時代の人間の生き方のはずなんだから。

 力の差があることを理解して、弱い奴と組まないのなら全然許せる。


 俺だって足を引っ張るような奴とは出来れば遠慮したい。

 だが、三良坂学園の人間や他の高校の連中は違う。


 自尊心を守るために見下すのだ。


 弱い奴は弱い者同士で組み、毎日を全力で生きろ。

 強い奴は強い奴同士で組み、さらなる高みを目指せ。


 この地球に魔物や魔法が生まれた時代の、何とかっていう人が残した言葉だ。

 名前は正しく伝わっていないから知らんがな。


 突然に現れた魔法と魔物。

 人々は戸惑い全力で戦ったが、魔力を持たない攻撃は一切通用しない魔物の軍勢。


 人と魔物の長い戦争を生き残り、俺たちは生まれたのだ。

 三食と安心して眠ることが出来る世の中に。


 当時は科学の力もすべて魔物に破壊されていたような時代だ。

 明日を生きていられるかも分からない。まだ結界の技術も作られていなかったしな。


 段々と平和になり、何とかって人の言葉は歪んだ形で皆に浸透していったのだ。


 弱い奴とは組まずに、見下す。

 強い奴には媚を売って、仲間になる。


 それが今の世の中だ。


「そうね……」


 理事長は黙りこんで何かを考えている。

 一体どれだけ複雑な思いをしているのだろうか。


 理事長は悪くはない。守るために必死なのだ。

 俺だってこの学園を離れたくはない。


 愛音は友達で守りたい。

 犯罪の常習犯でも何度も簡単に進入することは出来ないぐらいに警備は頑丈ではある。


 たまたま、あの男の魔法と相性が悪かっただけなのだ。

 じゃければもっと早くに愛音は連れ去られていたはずだ。


 俺は理事長の口元をじっと見つめる。

 早く決断を聞きたい。


 引き下がるわけには行かないのだ。

 俺の目つきに、理事長は苦笑を漏らす。


「なら、守りなさいよ櫂くん」


 折れてくれた。

 よかった、俺は安堵から身体の力が抜ける。


 おっと、痛い。油断すると体が軋む。


「理事長、ありがとうございます」


 頭をさげると、理事長は右手を身体の前で振る。


「いいわよ、気にしないで。だって櫂くんが自分の意見をはっきり言うなんて珍しいもの。そりゃ贔屓したくなるわよ」


 仮にも教師のような存在なんだからそれは駄目なんじゃないか。

 とは口が裂けてもいわない。


 俺には不利にしかならないからな。

 

「それじゃあね、私の言いたいことはそれだけだから。じゃ、怪我の療養に努めなさいよ」


 理事長は忙しいのだろうな。 

 速やかに保健室から出て行った。


 張り詰めた空気は霧散し、将也がやれやれと肩をすくめる。


「一時はどうなるかと思ったぜ。ま、オレのおかげで交渉も無事行ったみてぇだし、よかったな」


 なんもやってないぞ。

 将也には何を言っても無駄なので別の話題に変える。


「俺が気絶したあと、どうなったんだ?」


 将也は、憎たらしそうに顔を歪める。


「それがさ――」


 長く、要領の得ない話を纏めると。

 俺が倒れてすぐに学園の警備の者が闘技場に駆けつけたらしい。

 

 戦闘が終わった頃には将也は意識を取り戻していたようだ。

 戦場の有様を見て怪我人の保護。


 ここから、少々面白くなったのだ。

 若葉が瞬間移動男を追っ払ったことになった。


 学園の同級生からは凄いと賛美の嵐。

 若葉が今回のヒーローになり、事件は幕を閉じたのだ。


「ふざっけんじゃねぇっつんだよ」


 将也が怒りを壁にぶつけて、手を押さえる。

 痛いのなら殴るなよ。


「別にいいだろ」

 

 目立つのは苦手だ。

 それに犯罪者集団に目をつけられたら命が百個あっても足りない。


 俺としては嬉しい展開だ。

 まあ、あの男が俺だと仲間に伝えればどうしようもないのだが。


「オレはな、櫂が活躍するって聞いただけでゾクゾクすんだよ」


「……特殊な性癖だな」


「そういうんじゃねぇよ! 感動的なゾクゾクなんだよ」


 首を捻る。

 将也の話に先が見えない。


 答えがないテストを受けているような気分だ。

 やっても無駄、聞いても無駄。


「あ、あたしも分かるよ」


 愛音には通じる所が合ったらしい。


「おー! 愛音も分かるか!」

 

 両腕を広げて抱きつこうとする将也から愛音が高速のバックステップで回避する。


「あたしにハグしていいのは櫂だけなんだから! 気安く触らないでよっ!」


「はい、すいません」


 将也が大きな体をダンゴムシのように縮こませる。

 ……一つ言い忘れたことがあった。


 だけど、本当に言うのか……


 こんなことを言うのは恥ずかしいんだが。

 感謝の心は忘れてはいけない。



「将也。愛音を守ってくれて、ありがとな」


 瞬間移動の男に攻撃されそうになった愛音の身代わりになってくれた。

 あれがなければ愛音はただでは済まなかっただろう。


 俺は頬を掻きながら、顔を逸らす。


「な! んなこたぁ気にすんなって! 気づいたら身体が動いちまってただけなんだからさっ!」


 正面から褒められたことが恥ずかしいのか顔を赤くする将也。

 野郎が頬を染めても魅力はないけど、嬉しかったからな、俺は。


 感謝はしてるさ。


「将也、ありがとね」


 続いて、愛音が言うと。

 恥ずかしさの極みに達したようだ。


 将也は腕時計をつけていないのに、腕を見る。


「ぬおっ! もうこんな時間じゃねぇか! オレは用事が出来たから帰るぜ! 猟奇に努めろよ!」


 奇怪なものを捜し求めろと?

 でかい図体を揺らして保健室から逃げた。


「ああ、療養に努めろよってことか」


 ぽんと手を打つ。

 あいつ猟奇なんて言葉を知ってるなんて。


 間違えよりも難しい単語を覚えてるほうが驚きだ。


「櫂、ごめんね。ごめんね」


 愛音は泣き出した。

 将也がいなくなったことで、感情をせき止めていたダムが決壊したようだ。


「何を謝ってんだよ。お前がいなくちゃ俺は死んでたかもしれないんだぞ。むしろ俺が感謝したいよ」


 嘘偽りなく告げて、目元の涙を拭い取る。

 愛音の謎の力がなければ俺はあっさり死んでいたからな。


「……じゃあ、結婚してくれる?」


「ああ……ってするか! 何どさくさに紛れて変なこと言ってんの!」


「やった! してくれるのね!」


「『するか!』って言ったけども! それは提案じゃなくて否定だからなっ」


「なら、婚約してくれる?」


「意味さほど変わりませんよね?」


 約束かゴールかの違いだ。行き着く場所は同じだ。

 俺が笑うと、愛音も笑った。


「元気でたな」「元気でたね」


 同時にはもって再び声をあげた。


「それじゃ、明るいテンションのまま話を進めようぜ。あの時さ、俺に何したんだ?」


 愛音が何か呪文を呟いてから俺はおかしくなった。

 何かを俺に憑依させる魔法。


 死者の魂とか。似たような特殊魔法は聞いたことがある。

 ただ、死者の魂を呼び出して戦闘のサポートをするものだけど。


 俗に言うネクロマンサー、死霊使いだ。


「ずーん」


 愛音のテンションがどん底に落ちた。

 

「そ、そんなに話したくないのかよ……」


「……話したくないよ。だけど、話さなくちゃいけないんだよね」


 愛音は苦痛に歪めるようなぐちゃぐちゃな表情を浮かべて、


「あたしが使った魔法は『アウェイク』。他人の魔法の基礎的な力を強化したり弱体化させたりできるんだよ」


 開いた顎が閉まらないとはこのことか。

 間抜けな状態でも確かめねばならぬことがある。


「一時的に、なのか?」


「たぶん、永久的に。ちゃんと調べたことはないからわかんないけど」


 チート能力と認定、判子押してやろう。

 そりゃあ、悪い組織に狙われるな。


「強化の具合とかはわかるのか?」


「人それぞれだよ。でも、一生で一度しかあたしの強化は受け付けないよ」


 俺の場合、どうなんだろう。

 眠っていた力が呼び起こされたの、か?


 あの異常な身体能力と気性の荒さ。

 魔法と認めるなら『二重人格』ってところか。


 二重はダブル、人格は……パーソナリティだっけ?

 正確にはスピリットとか入るけど、分かりやすくすると――『二重人格ダブルパーソナル』って所だな。


 か、かっこいいな。

 自分のネーミングセンスに恐々としていると、愛音がふたたび悲しそうな声をあげる。


「たぶん、あたしが夢で見た櫂はあれだよ」


「異常に強いとか言ってた奴か……」


 確かにあてはまる。魔法は知らないが髪の色とかも言ってたような気がする。

 敵とかの呟きで気づいたが、あの時の俺はどうにも髪型とかも変わっていたらしい。


 鏡で確認はしていないが。


「その夢でそいつはどうなってたんだ?」


「櫂……かは分からないけど、夢の中の櫂は。たくさんの兵士と一人で戦ってあたしを守ってた。それで……敵を全滅させた後に死んだ」


 なんともまあ、洒落にならないな。

 顔が引きつる俺。


 もしかしたら、たくさんの犯罪者に囲まれて殺されるかもしれない。


 想像したくはないが、頭の片隅に置いておこう。

 魔法使いが見るものは正夢になりやすいって言うしな。


 魔力には未来を暗示する効果があるとか、なんとかいう説もあるらしい。

 科学的にも魔法的にも証明はされていないが。


「大丈夫だよ。俺はそう簡単には死なないさ」


 今までだってさまざまな困難があってここにいる。

 ゴキブリのような生命力をいかんなく発揮させてみるさ。


「櫂……うん、分かった」


 にぱっと花が開くような笑みが生まれる。

 愛音には良く似合ってるよ。


 俺もつられて頬が緩む。


「櫂くん!」


 ドアが悲鳴をあげながら開けられる。

 現れた乱入者。まあ、時間の問題だと思ってたけどさ。


「理沙か」


 理沙は顔面蒼白で、血の気が一切ない。

 ちょ、そんなに真剣に心配してくれてたのかよ。照れるだろ。


「櫂くん! 大丈夫? 頭打ってない? 頭大丈夫!? 頭に損傷はない!?」


 ぺたぺたと旋毛を軸に前頭部、後頭部を撫でまくる。


「なぜそんなに頭押しなんだ」


 暗に馬鹿だといいたいのか? 策士な奴め。


「大丈夫だ。筋肉痛に似た症状だけだ」


 あまりにも鬼気迫るものだったので、簡単に現状を伝えると力が抜けたのかへなへなと保健室に座り込んだ。


「よ、よかったぁ……」


 理沙はそのまま、ぺたんとして、


「腰が抜けちゃったみたい。立てないよぉ! 助けて怪我人!」


「なぜ、俺なんだ……」


 さっきまでと打って変わって、俺に力を貸せという始末。


「理沙! 駄目だよ! 櫂は怪我人なの頼るなんて、いただけないよっ!」


 ぐうと、空気を読まずに愛音の腹が鳴る。


「櫂ぃ、お腹すいたよぉ。なんか作ってよー」


「さっきの台詞思い返してくれ」


 愛音のふがいなさに頭を抱える。

 すると、理沙が立ち上がる。


 おい、腰抜けたんじゃなかったのかよ。


「それじゃ、食堂に行こうよ! 今日は奢るよ、櫂くんの全快記念に!」


「やったぁ!」


「まだ、完治してないし、本人参加できないし、お前等ツッコミどころ満載すぎるぞ!」


「「ありがとうー!」」


 殴りたい。この体が朽ち果てても構わないから、全力で殴りたい。

 俺はコメカミをひくつかせる。


「それじゃあ、櫂くん何か作ってくるよ」


 理沙が愛音に連れられながら保健室を出る前に、顔だけ見せる。


「いや、別に気にするなって」


「いいよ、何にもできなかったんだからそのぐらいさせてよ」


 理沙は悔しかったのか?

 俺がやられたのを黙って祈るしかなかったから。


 何が起こっていたのかも分からないだったっけ。

 見えないうちに確実に何か悪いことが起こっている。


 怖いな、それは。


「まあ、ありがとな。でも、別に無理しなくていいぞ?」


「私、料理好きだからね。むしろ嬉しいよ、おいしそうに食べてくれるからね」


 言い残して、理沙は愛音をつれて去っていった。

 嵐が過ぎ去ったような感覚が俺の心に訪れたのは言うまでもない。


 俺はしばらく体を休めようとベッドに寝転がる。

 疲れたな、今日は。


 闘技場で普通に戦っていたら、謎の男――確か、クレイズだったか?――が乱入。

 全員満身創痍の状態で、愛音のおかげで危機を脱出。


 俺には何か分けの分からない力が残された。だいたい、こんな感じか。

 ああ、と俺は目をゆっくりと閉じて、邪魔された。


「か、櫂? います?」


 こ、この高音でどこか威圧するような声は……。


「出たな、三良坂若葉」


「な、なぜ警戒されてますの……」


 若葉がひょこんと現れた。

 相変わらず長い黒髪をふわっと浮かばせながら保健室に入ってくる。

 

 ん?

 いつもの、どこか近づきにくい態度が薄れている。

 

 なんだ、こいつは。

 本当に若葉なのか。


 まさか、アウトラルの手の者が若葉に変装してるとかじゃないよな。

 姿を自由自在に変える事ができる魔道具もある。


 俺はごくりと唾を飲む。

 今、襲われれば勝つことは不可能だ。


「そ、そのですわね。今日はよく、わたくしを守りましたわ。褒めてあげますわ」


 なんていう上から目線。

 若葉は目を瞑って左手をぴんと立てる。

 右手は何かを持っているのか背中に隠したままだ。


 若葉だな、この高飛車加減は。

 威圧的な若葉を見ると安心してしまうのは、俺が変態になったのか。


 いや違う。日常が帰ってきたから安心してるだけだ。


「じゃ、ないですわ。今の訂正ですわ。やり直しですわ。撮り直しですわ」


 ぶんぶん首を振って、若葉は顔をどんどん熱くしていく。

 言いたいことが全然分からない。


 敵に襲われた恐怖で狂ったのかもしれない。 

 元々酷かったのだから治ってくれればよかったのに。


「そのですわね。櫂は、私を守ってくれましたわね」


 あれ? そうだっけ?

 俺は愛音を守るために戦って、でもあれは俺じゃなかったような。


 もう一人の俺が現れて、そいつが戦い始めて――思い出した。

 一番最初の攻撃で助けてたような気がする。


 愛音のことばっかりだったから完璧に記憶から抜けてた。


「確か、そうだったな」


「私はですね。その、ええと、嬉しかったのです」


「くそ! 武器がない! 俺の剣はどこだっ!?」


 こいつは敵だ! 変装してるんだっ!

 剣は……って、壊れたんだ!


「な、なんで武器探してますの! 襲う気ですの!?」


「素直な若葉は若葉じゃない! 偽者だっ」


「わ、私の印象はそんなだったなんて……」


 若葉ががくりと折れた。

 ま、まさか。


「……もしかして、本物ですか?」


「そうですわよー! 馬鹿ー! 櫂のアホですわー!」


 ぽかぽかと弱い拳の連打を浴びせてくる。

 泣きじゃくる子供のような攻撃だが、今の俺には槍の雨のような攻撃だ。


 傷だらけの内部が悲鳴をあげる。

 片手を突き出して、動きを止めるように動作する。


「ああ! 大丈夫ですか、櫂! 死ぬなんて許しませんから!」


「お、お前が止めを刺そうとしたんだろうが」


 何で、こう重症の人間を止めを刺してこようとするんだ。

 Sなのか、生粋のSたちなのか。


「そんなことするつもりありませんわよ! 私はこれを届けに来ましたの」


 顔を横に向けながら、右手に持った袋を押し付けてくる。

 中に入っているのは……冷えピタだ。


 熱とか出たときに貼るものだ。


「これを俺にくれるのか?」


 あわあわと若葉は顔をあっちこっちに向ける。


「か、勘違いするなですわ! 別に櫂の怪我を心配してとかそんなんじゃありませんわよ! ただ、それを貼って傷が早く治ってほしいとかそんな事全然考えていませんわ!」


 一気に捲し立てる若葉。

 な、何を言ってるんだ? そんなに嫌ならくれなければいいのに。

 

 というか、若葉の意図が分かった。

 冷えピタはコンビニの袋に入っている。


 世間知らずのお嬢様はたぶん、友達にコンビニを聞いて買いに行ったのだろう。

 若葉は偉い奴だ。助けられればしっかりお礼をする。相手がどんなに身分の低い奴だろうと、落ちこぼれだろうと。


 目的は……湿布を買う予定だったんだろうな。

 湿布には治癒魔法を応用したものがかかっている。


 人の内部を癒すことができるんだが、結構高い。

 袋にいくつも入っている冷えピタは残念ながら、対熱用だ。


 冷やすという意味では効果がないわけではないが、湿布に比べてかなり劣る。

 とはいえ、だ。


 さすがに善意でやってくれたんだ、からかうというのも気が引ける。

 これ冷えピタだけど、世間知らずだなぁとか。保健室にもあるぞ、湿布。とか言ってやりたい。


 ぐっと堪えて、俺は口角をつり上げる。


「ありがとうな、若葉」


「ひぃっ! なんで笑顔が引きつってますの!?」


 どうやら、完全には押さえ込めなかったらしい。

 駄目だなぁ、俺。


「何でもないぞ。ありがとな、若葉」


 もう一度、今度はちゃんとした笑みを送ると。

 かぁぁと熟れたリンゴを超えるような赤みを発生させる。


「べ、別に感謝されるためにしたんじゃありませんわ! 助けられたから、お礼を言う、当たり前の事ですわ!」


 顔が赤いのは恥ずかしいのか?

 まあ、人に感謝をするのって結構恥ずかしい。


 俺も先程体験したからな。だけど、助けてくれる人がいるのは凄い嬉しいものだ。


「そうだな、だけど。今の時代その当たり前の事を出来るやつは少ないんだよ。お前は凄いよ、若葉」


「あ、わあわあわ」


 若葉は、口の開閉運動を始めた。

 両手をわきわきと動かして、体を震わせる。


「私は! 別に感謝されるためにしたわけじゃないですわ! 例えるなら、チンチラに餌をあげるように、櫂に餌をあげただけですわっ」


 チンチラ、げっ歯類だ。

 ネズミに似たような奴でペットとしても飼われることがあるな。


 東西南北と中央の国立高校の奴が使い魔としても持っている奴もいるらしい。

 10年以上は普通に生きるから使い魔として長い付き合いが出来るな。


 複数を同時に飼うのは危険だからやめたほうがいい。

 以前、若葉が飼っていたのだが殺し合いに近い喧嘩が起きたんだよな。


 若葉がぴーぴー泣いたのはよく思い出せる。


「べ、別に感謝しただけですわ。でも、ちょっと私に何かをしてくれてもいいですわよ!」


 何かをしろということなのか。

 回りくどいな。


 俺は、何かないかと考える。

 何もないな。


「若葉、ありがとな」


 にかっと最高の笑顔を見せて感謝を告げる。

 そのまま逃げるように布団を頭まで被る。


「な! む、むぅですわ」


 若葉の苦悶の声が聞こえるが、俺は知らない。

 リノリウムの床が若葉の足音を俺の耳に届ける。

 どうやら、帰るようだ。


 若葉の突然の性格の変化にはついていけないが、昔に戻ったみたいだったな。



「櫂……ありがと」



 保健室を出る瞬間に。

 物凄く、甘い声が聞こえたが、たぶん気のせいだろう。

 気のせいにしておく。……なんだか恥ずかしかったからな。



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