3 操作
三月になり、パイロット候補生たちが研究所にやってきた。
基本、研究所内に隣接する寮に住むことになる。
独身の研究員は同じく寮に住むものが多い。
桜井も独身者のひとりだが、通勤圏内に持家があるためそこに住んでいる。
もっとも、徹夜で仕事をすることも多いので、研究室内に簡易ベッドと着替えを置いているが。
候補生たちが入ってきたことで、ここ最近はずっと研究所で寝泊りが続いていた。
二週間ぶりに家に帰ると、たおやかな笑顔で祖母が迎えてくれた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
身内びいきといわれるだろうが、理想的な年齢のとりかたをしていると、桜井は思う。
現代では珍しい平屋の日本家屋に、竹ぼうきで玄関を掃く和服の老婆。
そこだけ、二十世紀半ばにタイムスリップしたかのような光景である。
これも祖父の残した特許の恩恵による。でなければ、箱物に住む人口が九割をこえるこの時代で、小さいながらも庭を持つことなどできない。
脳波を読み取り、直接、端末に働きかけるシステムは、現在さまざまな分野に利用されている。
特許期間はとうに終えたが、祖母の生きているあいだくらいは、固定資産税を払うことはできる。
両親はさっさと売ってしまって自分たちのマンションに移り住んで来いというがそれはありえない。
祖父が死ぬ前に遺言書で書いてくれた。所有権は桜井にうつっている。
「荷物、届いていたから置いといたからね」
荷物はロボット模型に囲まれた中に置いてあった。いうまでもなく、桜井の部屋であり、大量の模型は祖父から受け継いだものも多い。
祖父がこの家をくれたのも、コレクションを守るためだということがわかる。
箱の中身は、桜井が先日ネットで注文していたものだ。
仮想空間を使えば、研究所内でもいくらでも買い物ができる。脳に情報をフィードバックすることで、試着や試食も可能である。
「どうやって、渡そうか」
腕を組んで、考えあぐねていると。味噌汁のにおいがした。祖母のことだ、ほうれん草のおひたしと、肉じゃがも急いで作っていることだろう。
軍用レーションとタブレット以外の食事は久しぶりだ。
研究所に戻ると、朝から候補生たちがランニングを行っていた。
操作系が脳波を読み取り、動きを再現する以上、候補生に必要なのは運動能力である。
瞬発力も持久力もどちらも欠かせない。
無駄に元気なのは、やはり飯田睦実だった。
暑苦しいくらい熱血、いいことである。
でも、無駄に揺れる胸部は邪魔だ、わるいことである。
研究室にはいると、天然助手がコーヒーを床にぶちまけていた。
いつものことなので、無視して椅子に座る。
酸っぱくてどろどろのコーヒーをだすくらいなら、自販機のもので十分なのに、古めかしいサイフォンを使っていつもいれてくれる。
残すと実に情けない顔を向けてくるので、ちびちびと飲むしかない。ここで一気に飲んだほうがましだと思うが、無駄に気を利かせておかわりをいれてくれるので、タイミングを計りながら飲んでいくしかない。
泥のような感触が口に広がる。
実に面倒くさい助手だ。
しかし、資料整理だけは上手く、机の上にはきれいに閉じられた資料がおいてある。
紙にプリントアウトせずとも、端末で見ればすむことだが、桜井はレトロな方式を好む傾向にある。
ここ二週間、候補生たちにはロボの操作系の端末をいじってもらった。グラフの波線はそのシンクロ率を示している。
でっちあげで「多感な若者ほど大きく作用するシステム」といったが、すべてが嘘というわけではない。
脳波というのはひとによってまちまちであり、より反応の大きいものほど操作が円滑に行われる。
パイロットの資質としてあげるなら、身体能力とともに操作系との相性も含まれる。
しかし、これはある意味諸刃の剣で、相性のよいものほどパニック状態になると取り返しがつかないこともおこりかねない。
なので、そのバランスを考えて誰がもっともふさわしいパイロットであるか決める必要がある。
もっとも、それはシステムに恒常性を持たせることによって、あらかた防げる仕様になっているが。
あるページで、桜井は指をとめる。眉間にしわをよせる。
「おかしいなあ」
「なにがです?」
「いや、聞いてないから」
頬を膨らませて怒るには少々痛い年齢の助手を無視する。片手に持ったコーヒーは、桜井のマグが空になるのを待っている。
飯田の資料だ。グラフの波線は、それほど大きな波をうっていない。平均のそれ以下だ。
ゆえに、シンクロ率も低い。
あれだけ、無駄に元気に端末をいじっていたのに。
いじるといっても、操作系端末のついたゴーグルを使い、動きをイメージするだけである。イメージは仮想空間内のアバターに反映される。その動きの誤差が、反応の大きさの違いと比例する訳だ。
桜井の買い物も、アバターを使ったものだ。ほとんど、現実の買い物と変わらない代物だ。
飯田ならば、他の候補生に比べて反応速度がはやいと予想していたのに。
どういうことだ。
男女の性差を視野にいれても、反応は悪いとさえいえる。
桜井は、首をかしげたまま、泥のようなコーヒーをすすった。
「おい、おまえか」
スナック菓子をほおばりながら、澤田が話しかけてくる。
「なんのことだ」
桜井は、メンソールをふかしながら答える。
有害物資のまったく含まれなくなった煙草は、それでも分煙の義務がかせられる。ガラス張りの喫煙室のベンチにけだるげに座っていた。
「あれだよ、あれ」
太い指のさす方向には、ランニングを終えた候補生たちがいる。
その中に紅一点の飯田がいるのだが。
「なんで平べったいんだよ」
無駄な脂肪がついていた飯田の胸部が、とてもすっきりしていた。
かわりに腹回りががっしりしたように思える。
「ああ。強化ギブスだ」
「はあ?」
飯田は実に真面目で素直な熱血馬鹿である。性差を補うために、訓練は他人の倍しなければならないと言い含め、重石の入ったベストを渡した。
実際は、胸部をおさえこむ特殊なベストである。胸の大きさを考慮すると、すべて押さえこむことはできず、かわりに腹部を太くすることでごまかした。そこに、重りをいれるように特注した。
わざわざ女性型アバターまで作って買ってきた代物だ。いかに、ラインを隠して見せるか、試着に三時間もかけたのだ。
ネカマをやっている最中に、里中がやってこないかどきどきしたものである。
「揺れて邪魔だと思ったからな」
「おまえはーーー」
澤田がこぶしを震わせる。実は、こいつも、とある特殊趣味の店で某パイロットの着るタイトなスーツを注文していたりしていた。
どんな言葉で着せようと考えていたか知らないが、おそらく澤田もネカマをやって試着していたりしていたのかもしれない。
いい気味だ。
ヒーローはスーツなど着なくとも、赤いマフラーさえつけていればよい。スカーフでも可。学ランなら着ても悪くない。
平べったい体型の飯田にはよく似合うことだろう。
それにしても。
もう一度、脳波を調べてみる必要があるかな。
メンソールを灰皿につぶしいれると、桜井はぼさぼさの頭をかいた。