表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/68

獣を閉じ込める檻

江戸に戻って十日。

鉄斎は、奉行所から再び密命を受けた。

標的の名は「小坂与一」。

博打場の取り仕切りから身を起こし、今では賭場と香具師を牛耳る小悪党……だが、口の悪さと狡猾さで、捕縛に来た者を何人も返り討ちにしてきたという。


「挑発好きな野郎だ。気をつけろよ」

片桐新左衛門は釘を刺した。

鉄斎は、鼻で笑って返すだけだった。


***


夜の浅草裏。

提灯の灯りが、路地の奥で小さく揺れている。

鉄斎は音を殺して進む。

瓦屋根の上から別動の同心たちが見張る中、標的はあっさりと姿を現した。


「……与一」

鉄斎が低く名を呼ぶと、そいつは口の端を吊り上げた。

「おう、噂の犬っころか。休養から戻ってきたばかりだってな?」

「……」

「てめえが殺った奴らの顔、まだ覚えてるぜ。楽しかったろ? あの感触……」

与一の舌打ち混じりの笑いが、闇に響く。

胸の奥に、かつての衝動がじわりと滲む。

「またやってみろよ。俺の首も、派手に飛ばしてみな」


鉄斎の右手が、無意識に柄を握る。

与一は一歩踏み出し、鼻先で笑った。

「怖えのか? それとも、飼いならされた犬は噛みつけねえのか?」


***


刹那、鉄斎は前に出た。

閃光のような動きで間合いを詰め、刀を引き抜く。

与一が抜刀する間もなく、刃はその手首を正確に斬り落としていた。

血飛沫が夜気に舞う。


与一は絶叫した。

「ぐああああッ!! この野郎!!」

膝をつく与一の眼を、鉄斎は無言で見下ろす。

……ここで首を落とせば、楽になる。

自分も、町も、こいつの悪から解き放たれる。


だが――刀は動かなかった。

鉄斎は深く息を吐き、刃を納めた。

「……生きたまま引っ立てろ」

背後から駆け寄った同心たちに、短く命じる。


***


奉行所への帰途、鉄斎は自分の右手を見つめた。

震えていた。

首を斬る寸前まで行った。

ほんの一言、ほんの一瞬の感情で、また獣に戻るところだった。


片桐新左衛門が後ろから歩み寄る。

「……よく抑えたな」

「……獣は、まだ檻の中だ」

鉄斎は、わずかに笑った。だがその笑みは、自分に向けた警告でもあった。


こうして鉄斎は、獣を完全には殺せぬまでも、飼い慣らす術を少しずつ身につけていった。

だが――檻の鍵は、今も脆く、油断すれば容易く外れてしまう。

それを知るからこそ、鉄斎は再び刀を握り、町の闇へと歩み出していった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ