己の獣を飼い慣らせ
「……鉄斎、お前、このままだと潰れるぞ」
夕暮れの奉行所裏手。片桐新左衛門は、低い声でそう切り出した。
鉄斎は黙って煙草をくゆらせる。
「潰れる?」
「刀じゃねえ。心だ」
新左衛門の目は真剣だった。
「お前が悪党を斬るのは構わん。だがな、この数月で、お前の目つきは変わった。狩る獣の目だ」
「……」
「休め。しばらく仕事から離れろ。金はあるんだろう?」
鉄斎は頷いた。討ち取った首や捕縛した賞金首で得た金は、使い切れぬほど溜まっている。
「……分かった」
短くそう答えた。
***
翌日から鉄斎は休養に入った。
最初の数日は江戸の町を離れ、箱根や伊豆へと足を伸ばす。
温泉に浸かり、地酒を飲み、川魚を肴にする。
表向きは贅沢な旅だが、心の奥は妙に冷えていた。
旅先での夜、鉄斎は自問した。
――何故、俺はあそこまで感情が爆発するのか?
――何故、あくまで「正しさ」にこだわるのか?
翌日も、その翌日も、答えは出なかった。
景色は美しく、酒は旨い。だが心の渇きは潤わない。
ある晩、伊豆の宿で独り酒をあおっていると、ふいに幼少期の記憶が蘇った。
まだ髷も結えぬ頃、何をしても叱られる日々だった。
庭で木刀を振れば、「乱暴者になる」と眉をひそめられた。
相撲で年上を投げれば、「野蛮だ」と蔑まれた。
柔術で賞を取っても、母は喜ばず、父は口をつぐんだ。
――ああ、これだ。
鉄斎は盃を握り締めた。
自分は、生まれてからずっと「正しさ」に飢えていたのだ。
認められたい、褒められたい――それが満たされぬまま、武を磨き続けた。
だからこそ、外道を斬り、悪人を倒すときだけ、胸が満たされる。
それは自分が正しいと証明される唯一の瞬間だった。
「……獣だな、俺は」
呟きとともに、盃の酒を一気に干す。
衝動の正体が分かったところで、それを止める術は無い。
ならば、この牙と上手く付き合っていくしかない――鉄斎はそう観念した。
***
休養は一月続いた。
旅の終わり、江戸へ戻る道中、冬の冷たい風が頬を打つ。
町の輪郭が見え始めると、不思議と心は静かだった。
渇きも、飢えも、まだ消えてはいない。
だが、それを飼い慣らす覚悟は、もう出来ていた。
こうして鉄斎は再び江戸に戻り、獣の牙を胸に抱えたまま、己の正しさを貫く日々へと戻っていった。




