勇平之助という詐欺師
夜の吉原は、灯籠と三味線の音に包まれていた。
通りには香の煙が漂い、格子越しに艶やかな女たちの笑い声が漏れる。鉄斎は人波をかき分け、一軒の遊郭の前で足を止めた。
中から響く大声。
「はははっ、これが武士の飲み方ってもんだ!」
鉄斎は眉をひそめた。声の主を知っている。勇平之助──三河の生まれ。かつて同じ藩に仕えたことがあるが、当時から札付きのろくでなしだった。人の懐を探り、面の皮の厚さで生きる男。数年前に勘当され、江戸に流れてきたと聞く。
障子を開けると、そこにいたのは酒で顔を真っ赤に染めた勇平之助だった。
片腕に遊女、もう片腕で銚子を抱え、足元には無造作に金子が散らばっている。
「……勇平之助」
鉄斎が名を呼ぶと、勇平之助は振り返り、赤ら顔に薄ら笑いを浮かべた。
「おお、鉄斎じゃねえか。まだ日銭稼ぎなんぞやってんのか。哀れだなあ」
鉄斎は返事をせず、一歩近づく。
「お前に手配が出ている。詐欺と金銭騙取──町の者が被害を訴えている」
「手配? ああ、あれか。ちょっと金を借りただけだ。返すつもりはあった……いや、無かったかな」
薄ら笑いを浮かべたまま、勇平之助は脇差に手をかけた。
「俺に刃向かう気か」
「お前は嫌いじゃないんだがな……こうなりゃやるしかねえ」
抜き放った刃が灯りを反射する。しかし鉄斎は微動だにしない。次の瞬間、鋭い足運びで間合いを詰め、勇平之助の手首を掴み、捻り上げた。
「ぐっ……!」
脇差が畳に落ち、鉄斎の膝が勇平之助の腹に沈む。酒で鈍った体は抵抗もままならず、あっけなく畳に転がった。
鉄斎は膝で背を押さえつけ、素早く縄を掛ける。
「……三河の恥さらしが」
その一言に、勇平之助の笑みは消えた。
吉原の通りに引き立てられる勇平之助を、遊女たちが興味半分に見送る。
「鉄斎さん、あんなの捕まえても銭になるのかい」
「銭にはなるさ。だが、こういう捕物は胸くそ悪い」
吐き捨てるように言い、鉄斎は奉行所へ向かった。
北町奉行所の詰所では、与力と同心が目を見交わした。
「勇平之助……またお前か。しかも脱藩に詐欺とは、派手にやったな」
調べは早かった。勇平之助は地方の商人や旅籠から大金を騙し取り、そのほとんどを酒と女に費やしていた。勘当されたとはいえ、元武士である身で脱藩しての所業──奉行所は重罪と判断した。
三日後、評定所の裁きが下った。
「罪人・勇平之助。元武士の身にて脱藩し、詐欺を常習す。罪重し。よって浅草刑場にて磔刑に処す」
判決が読み上げられると、鉄斎は何も言わず席を立った。
数日後の朝、浅草刑場の空は鉛色に曇っていた。見物人が群れ、囃し立てる声が風に乗る。
木柱に縛りつけられた勇平之助は、やつれ果て、かつての尊大さは微塵もなかった。
「鉄斎……」
群衆の向こうで目が合ったが、鉄斎は何の感情も見せず背を向けた。
その日の夕刻、鉄斎は小袋の銭を手の中で転がしていた。
「……これも日銭か」
呟き、次の獲物を探すように、また江戸の雑踏へと歩き出した。