ホラ吹き辰之助弐
江戸の町に春の気配が漂い始めた頃、辰之助の「万病に効く水」の評判は徐々に色あせていた。かつて町人たちの耳を引き、驚かせ、金を巻き上げた声も、今や疑念と不信に塗り替えられつつあった。
「おい、昨日の水、全然効かねえじゃねえか!」
「返金しろ、この嘘つきめ!」
町中の客たちは、口々に辰之助を責めたてた。しかし辰之助は、かつての陽気さはどこへやら、焦燥と怯えに満ちた顔でごまかすことしかできなかった。金はすでに女と酒に消えてしまい、返金どころではなかったのだ。
夜な夜な辰之助は長屋や裏路地で金を数える代わりに、密かに女を囲い酒に酔い、日が昇るまで騒いでいた。だが、その遊興の代償は大きかった。返金を求める客の怒りは日ごと増し、ついに怒りを抑えきれぬ病人の家族たちが、辰之助を取り囲むことになる。
ある晩、辰之助は路地裏で突如として捕えられた。力任せに押さえつけられ、声も出せぬまま連れ去られる。女や酒に耽る彼は抵抗もできず、ただ悲鳴を上げることすらできなかった。
その後のことは、町では噂として伝えられるだけだった。辰之助は連れ去られ、拷問を受けた末に命を失ったという。血の匂い、泣き叫ぶ声、絶え間なく続く怒号の影が、彼の短くも破滅的な生涯を示していた。
鉄斎の耳にも自然とこの話は届いた。路地の噂、奉行所の者からの小言、町人の囁き――全てが辰之助の破滅を告げていた。鉄斎はただ眉間に皺を寄せ、長屋の戸を閉めながら呟いた。
「自業自得だな。」
調べることも、助けることも、鉄斎の手は動かなかった。彼の目には、辰之助の虚勢や欲望、無計画さが明らかに映っていた。己の行いに責任を取れぬ者が、己の欲に溺れた末路を迎えるのは、当然の帰結だと鉄斎は思ったのだった。
それでも鉄斎の胸には、どこか虚しさが残った。人の弱さに触れるたび、江戸の闇の深さを痛感させられる。辰之助のような男は、金も、知恵も、勇気もないままに己の欲に突き進み、そして散っていく。だが、彼らが残す混乱の波は、確実に街を揺らすのだ。
鉄斎は肩をすくめ、再び夜の街へと歩を進めた。路地に響く足音、遠くに灯る明かり、そして誰も知ることのない物語の痕跡を踏みしめながら、今日も江戸の悪を追い、捕縛の仕事に戻っていくのだった。




