ホラ吹き辰之助
江戸の下町、細い路地の奥に、辰之助という男がいた。
町人の平凡な家に生まれた彼は、体格も学力も際立つものはなく、誰からも「普通」と評される青年だった。だが一つ、並外れた能力があった。――口八丁、手八丁。
辰之助は幼い頃から、嘘を作り上げることに天才的だった。
「昨日、師範から一本取ったんだぜ」
「関取を軽々と投げ飛ばしたぜ」
「神社の権現様が夢に出てきて助言をくれたんだ」
誰が聞いてもあまりに大げさで、笑うしかないような話を、彼はまるで自分の体験であるかのように語った。
顔の表情は至って真剣で、声の抑揚も完璧だ。話を聞く者は半ば信じかけ、半ば呆れながらも、口を挟むことすらできなかった。
辰之助の噂は町中に広がり、「あの辰之助、今日もすごい話をしている」と子供たちの話題に上ることもしばしばであった。彼の作り話は、町人たちの空虚な日常にささやかな刺激を与える小さな娯楽でもあった。
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だが辰之助の人生は、十代後半になると徐々に色を変え始める。
平凡な生活では満足できなくなったのか、彼は「怪しい商売」に手を出したのだ。
ある日、辰之助は自ら売り込むための小さな樽を抱えて町を歩いた。中身は透明な水。しかし彼は声高らかに告げる。
「これぞ万病に効く水だ。頭痛、腹痛、関節痛、疲労――何でも治る! 効かぬなら返金いたす!」
言葉は爽やかだが、顔には自信と強引さが混ざっていた。病人や老人、弱った者の前に立つと、辰之助はまるで医者のような口調で説き伏せ、半ば押し売りの形で水を手渡した。
「ちょっと試してみなされ。今日飲めば明日には体が軽くなる」
町人の多くは、彼の若さと陽気さ、そして大げさな説明に一瞬心を揺さぶられる。しかし水の効果など、もちろん一切ない。病人の苦しみは変わらない。辰之助の「効く効く」の声だけが、町中に響き渡った。
彼の商売は次第に評判を呼び、町の小さな薬売りや商人からも嫌われるようになる。だが辰之助本人はそれを気にもせず、今日も誰かに話を売り、噂を膨らませては笑いを取り、金を巻き上げることに余念がなかった。
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鉄斎の目にこの男の存在が入ったのは、偶然のことだった。
小道を歩く鉄斎の耳に、辰之助の大声が飛び込んだ。
「おおお、聞け聞け! 我、昨夜、師範の剣を一閃して――」
鉄斎は眉をひそめ、足を止めた。
これまで江戸に悪党や詐欺師は多く見てきたが、辰之助のように「自分の噓で人を丸め込むだけの男」は珍しい。だが、これもまた放置できぬ。後に、この男がどれほどの迷惑を町にもたらすか、鉄斎はまだ知らなかったのである。




