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元奉行の内木

内木悠太――江戸南町奉行所の役人の中でも、彼ほど奇妙な出世を遂げた者はいない。

 奉行職というのは、本来ならば幕府や藩政で長く務め上げた者、才覚と実績を兼ね備えた者が就くべき重職だ。しかし悠徒は違った。

 彼の父はかつて幕府の勘定奉行を務めた実力者。政商とも繋がりが深く、その権力を惜しみなく息子に注ぎ込んだ。悠徒は若くして奉行の座に押し上げられたが、本人は政務よりも夜の吉原に心を奪われていた。


 勤務態度は怠慢そのもの。登城日ですら酒の匂いを漂わせ、調べ物は手代に丸投げ、訴え出た町民の話を最後まで聞くことはなかった。

 やがて、遊郭での豪遊や博打での負けを補うため、彼は賄賂を受け取るようになった。商人や同心からの袖の下は日常茶飯事。金だけでなく高価な着物、珍味、そして女までもが彼の懐に入った。


 それが数年続き、ついに上役の耳に届いた。ある日突然、評定所より免職の沙汰が下る。

 奉行所の門を出たとき、悠徒は初めて己の足元が崩れ落ちたことを悟ったが、その反省は長く続かなかった。



---


 職を失った悠徒は、市井で新たな稼ぎ口を見つけた。

 盗人や詐欺師の根城に顔を出し、「俺の口添えがあれば罪は軽くなる」などと脅しては金や品物を巻き上げる。相手は罪人、役人に逆らえぬと思い込み、黙って金を差し出した。

 肥え太った体に贅沢な羽織をまとい、往来をふらつくその姿は、まだ権力者であるかのように見えた。


 だが、そのやり口は長くは続かない。

 ある日、被害者の盗人が奉行所に自首してきたのだ。

 「俺は牢に入っても構わねぇ。だが、あの内木だけは捕まえてくれ」

 その目は真剣だった。こうして悠徒の名は奉行所の手配書に記され、市中に回された。



---


 手配書を受け取った鉄斎は、眉をひそめた。

 「……こいつ、元奉行か。面倒な相手だな」


 数日後、下町の酒場裏で悠徒を見つけた。

 背丈は高くない。だが腹回りは大きく膨らみ、二重顎が揺れている。見た目は完全に怠惰の塊だ。

 「内木悠太だな」

 鉄斎の声に、悠徒は振り返った。その動きは意外にも軽やかで、武家としての訓練を受けていた面影を一瞬覗かせた。


 「ふん、ただの町方風情が俺を捕らえられると思うか」

 そう吐き捨て、刀を抜く。抜き際こそ鋭かったが、刃筋は甘く、腕も昔日の冴えを失っている。

 鉄斎は一歩踏み込み、柄頭で悠徒の手首を叩きつけた。刀が石畳に転がり、次の瞬間には肩口を掴まれて地面に押し伏せられる。


 「……終わりか」

 鉄斎はため息をつき、縄でその手足を縛った。



---


 数日後、奉行所の評定。

 元奉行という立場から、罪状の扱いは慎重に進められたが、被害者の証言と証拠は揃いすぎていた。

 判決は――無期限の牢。

 「期間は定めぬ。改心が見えるまで出すことはない」

 その言葉に悠徒は青ざめ、護送の役人に引き立てられていった。


 かつて権勢を誇った男の末路を、鉄斎は無言で見送った。


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