崇人との再戦
あれから四カ月。
鉄斎の長屋は妙に静かだった。江戸に悪人は絶えぬといえど、ここ最近は目ぼしい手配書も出回らない。鉄斎は畳に寝転び、退屈そうに天井を見上げていた。
「こうも平穏だと、体が鈍っちまうな……」
そうぼやいた瞬間、戸が乱暴に開かれた。
「鉄斎……逃げろ……」
現れたのは片桐新左衛門だった。だが、その姿はボロボロだった。顔は腫れ上がり、唇からは血が滴り、衣は破れ、肩で息をしている。言葉を吐き終えるや否や、その場に崩れ落ちた。
「おい、新左衛門!」
鉄斎が駆け寄り抱き起こすと、背中には無数の打撲と擦過傷があった。誰がこんな真似を――そう考えた瞬間、外から重い足音が近づいてきた。
戸口に立った影、その巨体は見覚えがある。
「……崇人」
「よう、鉄斎」崇人はにやりと笑った。
「お前との勝負、もう一度やりたくてな。偶然あの侍(新左衛門)を見つけたんで、居所を聞いたが……吐かねぇから、ちょっと躾けてやった」
その言葉に、鉄斎の中で何かが切れた。
「……てめぇ、よくも」
「ほぅ、その目。やっと血が騒いできたか」
二人は長屋の外、井戸のある広場に出た。周囲に人影はなく、風だけが埃を巻き上げている。崇人は両拳を握りしめ、戦闘態勢を取る。
だが鉄斎には、前回と同じように正面から打ち合うつもりはなかった。
(素手の殴り合いじゃ、あの打撃にまた骨を折られる)
呼吸を整え、一歩踏み出すと同時に――鉄斎は膝を深く曲げ、低い位置から蹴りを放った。狙いは崇人の右膝。
「ぐあッ!」
骨に響く鈍い感触。崇人は体勢を崩し、その巨体が傾く。膝を抱えうずくまった瞬間、鉄斎は素早く背後に回り込み、捕縄を崇人の首と腕に絡めた。
「なっ……正々堂々……!」
「そんな義理はねぇ。お前がやったのはただの暴力だ」
縄をきつく締め上げると、崇人は苦悶の声を上げ、そのまま地面に倒れ込んだ。
こうして崇人は再び奉行所へ送られた。
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奉行所では、今回は甘くはなかった。余罪を含め、厳しい取り調べが三日三晩続く。
三日目の夜、崇人はふと口を開いた。
「そういや……川で見つかった二つの死体、あれは俺だ」
役人たちは息を呑んだ。その事件は長らく未解決だった。被害者は賭場で崇人と揉めた二人の男だ。崇人は何のためらいもなく、殴り殺して川に沈めたことを語った。
この自供により、崇人の罪は決定的となった。奉行所の裁きは――島流し。生涯江戸には戻れぬ身となった。
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島流し当日、鉄斎は船着き場に足を運んだ。新左衛門の怪我はようやく癒えつつあったが、本人はまだ鉄斎に同行するほどの力は戻っていない。
船の甲板に立つ崇人は、まるで罪人の顔ではなかった。背筋を伸ばし、どこか晴れやかな表情をしている。
「鉄斎!」と声を張り上げる。
「次は正々堂々やろうな!」
その言葉に、鉄斎は一瞬言葉を失った。
「お前……何も悪びれてねぇのか」
「当たり前だ。俺は俺のやり方で生きてるだけだ」
沖へと出る船の上で、崇人はいつまでも笑っていた。
鉄斎はその背を黙って見送った。あの男が本当に更生する日は来るのか――いや、おそらく来ないだろう。だが、再び拳を交える日があるなら、それはそれで悪くはない。
潮風が頬をかすめ、鉄斎は長屋の方角へ歩き出した。
江戸の空は快晴だったが、胸の内には重い影が残っていた。




