大男の浩喜
浅草の路地は、昼でも薄暗い。干した洗濯物が頭上を覆い、井戸端では女房たちが桶を抱えて井戸水を汲んでいる。
鉄斎は足を止め、壁に貼られた手配書を眺めた。粗い墨絵に描かれているのは、頬に古傷を持つ大男──浩喜。
「……浩喜が、か」
かつて魚河岸で荷揚げを生業にしていた町人だ。普段は穏やかで、子供の遊び相手になるような男だったが、一度怒れば手がつけられない。三年前、老人から金を巻き上げようとしたヤクザ三人を半殺しにし、牢に半年入った過去がある。
今回は自宅に押し入った盗人を殴り殺したという。
奉行所は人を殺せば理由を問わず手配する。
鉄斎もそれは分かっている。だが、浩喜は悪人ではない。盗人が入り込んだなら追い払えばいいものを、なぜ殺すまでに至ったのか。
日銭を稼ぐためなら迷いは無用──そう思っても、足が重かった。
「……仕事は仕事だ」
自分に言い聞かせ、鉄斎は町を巡り始めた。
昼下がりの米屋裏、木箱に腰を掛ける浩喜を見つけた。
背は六尺近く、肩は岩のように張り、両腕は縄のような筋で盛り上がっている。
鉄斎が近づくと、浩喜はゆっくり顔を上げ、笑みとも諦めともつかぬ表情を浮かべた。
「鉄斎か。来ると思ってた」
「手配が出ている。縄についてもらう」
「分かってるよ」
抵抗もせず、浩喜は両手を差し出した。縄が手首を締める感触に眉一つ動かさず、ただ静かに立ち上がる。
引き立てながら、鉄斎は口を開いた。
「……あの盗人、逃がすことは出来なかったのか」
「出来たさ。でも、女房と子が二階にいた。あいつは刃物を抜いた……頭に血が上った」
それきり二人は言葉を交わさなかった。
北町奉行所に着くと、同心たちが一様に驚きとため息を漏らした。
「またお前らか……浩喜、懲りんのう」
「今回は少し事情が違う」と鉄斎は淡々と告げる。
帳場に通されると、与力が証言を求めた。鉄斎は現場の状況、浩喜の言葉を簡潔に述べ、余計な感情は挟まなかった。浩喜も黙って頷くだけ。
数日後、奉行所の裁きが下った。
「被害者は盗人にて、家宅侵入の上刃物を所持。浩喜はこれを打擲し、結果死亡させた。……よって罪軽く、一月の牢も免ずる」
町では「殺しても牢に入らず」と噂になったが、奉行所の目は冷静だった。盗人の素性と浩喜の行為を秤にかけ、情状酌量としたのだ。
裁きの後、奉行所の裏手で鉄斎は浩喜とすれ違った。
「助けたわけじゃねえ。俺は仕事をしただけだ」
鉄斎の言葉に、浩喜は苦笑いを返す。
「わかってるさ。でも、あんたに捕まってよかった」
それだけ言って、浩喜は人混みの中に消えた。
鉄斎は腰の小袋を確かめた。中にはわずかな銭。賞金というより、形ばかりの謝礼だ。
「……日銭だな」
呟き、再び町の雑踏へ歩み出した。次の獲物を探すように、目は冷たく光っていた。