ミュータント
世間は『ふつう』であることを求める。異分子を「変」と、「特別」であると言い殺しにかかってくる。
『ふつう』なんて理想でしかないのに。
不名誉な「特別」などいらないのに。
一一一ミュータントでなにが悪い?
自分は何故生きているのだろう?
誰もが人生で一度は抱くであろうこの問いは、他人より一層強く心にへばりついて離れなかった。
自分が「みんな」と違う、異分子であると。
心と身体はもう変えられないと。
気づいてしまったのは罪だろうか。
こんなつらい思いをするために生まれてきたわけではないのに。
息苦しく生きるために毎日呼吸をしているわけではないのに。
別にわかってもらいたい訳じゃない。その「理解してあげなきゃ」が鬱陶しいのだ。
ぼくは何も「特別」なんかじゃない。ただのぼくだって叫んだって、ぼくの声を聴いてくれる人はどこにいるのだろう。
なんでそんなに『ふつう』という籠に閉じ込めたがるのか。何故生まれた女の子であることに違和感と疑問を抱え 男の子になりたいと願っては駄目なのか。
「自分らしく生きていい」と大人は言っている。が、「周りに合わせていなさい」「君は少しみんなと違うから」と矛盾ばかり。
ぼくがぼくであること、息苦しくて傷だらけな人生でも生きていること、願いと現実でちぐはぐな心と身体も一緒に生きていくこと、すべてが『ぼくらしさ』だというのに。
火傷に効く薬も、息のしやすい空気も、擦り減っていった精神も、治るようなことはあるのだろうか?
希望? 夢? 未来? 煌めき? 愛?
ーーー薬がないのなら。自分に嘘をついて、積み重なる傷も見て見ぬふりをして。いつか痺れて生きていられなくなるまで、毒をのむのだろうか。
薬がなきゃ毒でもどうだい、と古傷が手招きする。今も秒針は時を刻む。
「毒も薬もいらない。傷も矛盾もぜんぶ背負って生きていくんだ。」
この誓いは、盾となり矛となり光となり闇となる。
逸脱の性も、身を穿つような痛みも、築いてきた砂の城も、『ふつう』に呑み込まれないように守っていく。
異分子であることも、すべてがぼくの傷であり誇りだ。
これが、ぼくのミュータントな生き方だ。
「絶対に『ふつう』に負けるな」というエールをこめて。