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6 ミルドゥナ視点


   ミルドゥナ視点


 私の開いた音楽会を、シェーラ様はとても楽しんで下さいました。

 元より人の集まる場所とあって楽団を見付けるのは苦労しなかったのですが、それが辺境伯のご令嬢に相応しいかというとかなりの難題です。

 市井の吟遊詩人を一人混ぜる程度ならお遊びで済みます。けれど全てがそうとなれば、お誘いした私がシェーラ様をその程度と軽んじている意思表示になってしまいますから。


 幸いにも慰撫にお付き合いして門へ出入りしていた私は、特別の計らいで通されていく平民の中に高名な楽団が居る事を見付けていました。

 王家との関わりも薄く、元は北方の国で名を揚げていた彼らなら、お話に聞いたシェーラ様思い出の曲も知っているかと思いましたの。


「あら……この曲」


 小さな呟きを受けて、私はこっそり合図を送りました。

 多少のお喋りは許容範囲とされていますが、演奏中の会話はあまり上品とは言えないもの。

 ヴァンオリンの爪弾くような独奏を終えて、一度演奏会は休止とさせて頂きました。


 談笑のお時間です。


 そんな中でもささやかな、美しいけれど聞き流してしまいそうな演奏を続けてくれるのだから、やはり格式高い楽団は心得ているものですね。


「先ほどの曲をご存じだったのですか? 私は初めて聞きました。降りしきる雪を思わせる、とても美しい曲でしたね」

「お母様が好きだった曲ね。まだお披露目を迎える前、何度も何度も演奏して欲しいってせがまれたのよ」


 やりました!


 シェーラ様思い出の曲を見付け出すことに成功したのですっ。

 学園では、学友同士の集まりですら場に相応しくないと教えて頂けなかったものですから、これは素晴らしい快挙ではないでしょうか!


 私は興奮を努めて抑えながら、それでも頬が紅潮するのを止められず、口元が波打ってしまいました。


 ですけどシェーラ様は思い出の中に目を向けている様で、私の様子には気付いていません。


「音楽はずっと道具でしか無かった筈なのに、最近は不思議と愉しめているわね」

「素晴らしいではありませんか」

「きっと、近くでその素晴らしさを懇切丁寧に教えてくれる友人が居るおかげかしら」


 なんということでしょう。

 私如きがシェーラ様に影響を与えていた。

 それも、私が大好きな音楽を好きになって下さっているだなんて、喜ばしいのですがとても照れてしまいます。


「シェーラ様は今、楽しんでいらっしゃいますか?」


 以前見た悲し気な表情を思い出しつつ問いかけると、彼女はやはり、学園では見た事もなかったような笑みを見せて下さいます。


「人を待つというのは思っていたよりずっと愉しいわ。そこで奏でる音楽も、不思議と熱を持つものね」

「待つ……? あぁ、避難されて来た方々を出迎えて、疲れたお心を慰撫するのは素晴らしい行いですから」

「えぇ、そうね」


 言って、シェーラ様は少しだけ葡萄酒で喉を潤しました。

 置いた銀の杯の中で、赤い液体が小さく揺れている。


 そういえば公の場でお酒を飲むお姿というのも初めて見ました。

 幼い頃から当たり前に供されているものですから、普通と言えば普通なのですが。


 今日は彼女の新しい一面を沢山見れます。


 私の歓迎で気を休められていらっしゃると思って、良いのでしょうか。


「ミルドゥナ」

「はい」


「今日はありがとう。久しぶりに内の事を思い出したわ」

「ウチ、ですか?」


 当家は貴族としての歴史が浅く、保有する商会に絡んで平民とも接する機会があります。

 特別に許された者ならば、私の手の甲へ口付けを許すこともありました。そう教わっていたので、学園で殿方の手に触れた事が無いというのが当たり前であると知って、少し恥ずかしくもあったのですが。


 そんな市井の者が、確かにウチという言葉を使っていました。


 家、という意味です。


「領内とはいえ、御家の方とは会っていらっしゃらないのですよね。お手紙などはないのでしょうか?」

「来るわよ。ちょっとうんざりするくらい」


 冗談めかして仰るので、私も混ざって笑ってみせます。


 日々の報告はしっかり行っているのに、ああしなさいこうしなさい、そろそろ戻って顔を見せろ、誰かと会わせるから時間を作れ、関係を強化しろ、そういった指示の手紙は確かにちょっとうんざりします。返事が遅いと怒られてしまうから、どんなに疲れていても受け取ったその日の内に返事を出さないといけません。


「そうですよね。私のお母様も礼儀作法にはうるさくて。何度も鞭で手を叩かれました。シェーラ様はそのようなことは無いでしょうけど」


 今日も婆やから鞭を貰った事を思い出しつつ、完璧な淑女たるシェーラ様へ目を向ける。

 私がどれだけ同じ様に振舞おうとしても中々上手くいきません。

 やはりお生まれというのはとても重要なのでしょうか。


「そんなことないわ」

 ですが彼女は否定します。

 やや目を伏せて、相手を非難していないという意思表示を見せつつも、決して卑屈に見せない姿勢で。

「私もお母様には何度も鞭で叩かれてきたのよ。何度も、何度も……」

「シェーラ様程の方でもそうなのですか」

「鞭のしなる音だけでも身が縮んでしまいそう」

「分かります。私は相手が鞭の先端で掌を叩いている音だけで怖いです」

「あら、それは相手がはしたないわ。今度見たら、鞭を奪い取って叩いておやりなさい」


 などと冗談を交えつつ、私達は華やかな夜を過ごしました。


 最後はあの、降りしきる雪のような演奏をもう一度楽しんでから、演奏会はお開きとなったのです。


    ※   ※   ※


 いつもの様に慰撫を終えて、門を降りようとしていた所でした。

 最初は遠くで何かの演奏が行われているのかと思ったのですが、西の地平を見据えるシェーラ様の視線を辿る内に、本当の理由に気付きました。


 黒く倦んだような人の群れが、この門を目指して進んでくるのです。

 大勢の人間がただ歩いている。それだけで地面が揺れて、音を出すだなんて。


「あ、あれは……王国の軍隊、なのでしょうか」


 動揺する私に対し、シェーラ様は静かにそれを眺めて首を振りました。


「違うわ。いつもの難民の様ね」

「難民……? ですけど、街道にも収まらず、地面を埋め尽くす様な数が押し寄せてきていますよ?」

「それだけ王国を捨てて逃げ出したい者が増えてきたということよ。ただ、あの数が外の難民に加わると、大きな混乱が起きてしまうかもしれないわね」


 難民達はお触れに従って街道を開けたままその周辺で生活しています。

 驚いた事に、あんなにも大変そうなのに、彼ら相手に商売をする者や、勝手に家を建て始める者まで居るのです。

 入れないのだから別の場所へ行くべきだと私でも分かるのですが、どうにも動く気配がありません。彼らも疲れ果てているのか、それともシェーラ様の威光へ縋ろうとしているのか。


 どういう理由にせよ、仰られた通りに混乱が起きてしまうかもしれません。

 彼らは空いた街道を堂々と通って、この門まで至ろうとしているのですから。


「すぐに兵を招集しなさい。十分な数を集めたら、あの難民に街道を開けておく様に警告しに行くのです。それと今からかがり火を大量に設置しなさい」


 近くに居た見張りへ指示を飛ばし、程無くしてそれらは実行されました。

 私達はあくまで逃げてきた貴族の方々を慰撫する為に留まっているだけです。ですから、本来であればお屋敷へ戻ってしまっても良かったのですが、シェーラ様と共にじっとその様子を見ていました。徐々に大きくなる足音へ向けて、辺境伯の旗を掲げた騎士が五名で駆けていきます。


「少ないわ。呼び戻しなさい。急いでっ」


 大きな鐘が鳴らされて、私はあまりの音に耳を塞ぎました。

 止まった後も、しばらく音が頭の中に残ったほどです。


 今のが呼び戻す合図なのでしょう。

 ですが、大きな音となればあの難民達も同じくらいのもの。


「聞こえなかった、のでしょうか」

「そのようね。火矢を用意して、門前の難民を出来るだけ山中へ逃げ込む様に警告を。遅れた者に容赦はしないと伝えなさい」


 目まぐるしく飛ばされる指示の意味も、その結果も私には想像が追い付きません。

 そして騎馬隊が迫る難民の元へ辿り着き、何かを語り掛けた時、


「っ、ひ、っっ!?」


 先頭の者が騎士へ飛び付いたのです。

 慌てて払い除けようとしても、次々と襲い掛かる人々に呑まれて引き倒されてしまう。他の騎士も仲間を助けようとしましたが、すぐ数に埋め尽くされていってしまいました。かろうじて生き残ったお二人が逃げ出すと、まだ諦めていないらしい難民が走って追いかけてきました。けれど人が馬に追い付ける筈もありません。なのに足を止めません。ひたすら駆けて、門の中へ逃げ込んだその後も追いかけ続けて、最後には上から射掛けられた矢で動かなくなってしまいました。

 ですが、それで終わりではありませんでした。

「お嬢様!!」

 崩れ落ちた私の身を婆やが支えてくれます。

 けれど、目に焼き付いた光景がどうしても消えません。


 彼らは、騎士の乗っていた馬へそのまま喰らい付いていたのです。

 まるで騎士を呑み込んだのがついでで、目の前にあった食料へ飛び付いた様な振舞いに、果たしてあれが同じ人間なのかと震えが止まりませんでした。


「大丈夫です……、なんとか、立てます」

「立たない方がいいわ」


 どうにか淑女としての振舞いを取り戻そうと婆やの手を借りる私へ、冷たく凍り付いたシェーラ様の声が降ってきました。


「もっと悲惨な事が始まったから」


 ただただ頭が痛くて、ただただ苦しくて。

 その悲惨な出来事を想像することも出来ず、凍える身体を抱いたまま、私は泣いてしまったのです。


 今日までは確かに平穏があった。


 難民は増え続けていて、酷い臭いに苦しみはしましたが、門の外でも同じだけ平和そうに見えていたから。

 いつか混乱が収まって彼らが故郷へ帰ることが出来たなら、その背を見守る日もあるのかと、甘い妄想に浸っていました。


 王国は、あの美しかった日々は、もう二度と戻らないのだと、私はようやく確信したのです。


 悲鳴のあがる門の向こうから、血の臭いが舞い上がってきました。


    ※   ※   ※


 あの日から私は、どうしても門へ向かうことが出来なくなりました。

 近くへ行くことも、姿を見るのも怖くて、部屋の中で引きこもってしまうことが増えていったのです。

 シェーラ様が時折見舞いにきて下さるのですが、その度に今日こそはと奮起しても、迎えの馬車へ触れる事も出来ず逃げ帰る日々。


 自分のあまりもの弱さに愕然としました。

 シェーラ様は今でも毎日通い続け、あそこで慰撫の演奏を続けていらっしゃるというのに。


 大きな混乱は初日だけでした。


 なのに数日経っても血の匂いが門のこちらへ流れてきていたのです。

 聞こえてくるのは人の悲鳴ではなくなり、カラスの鳴き声ばかりになりました。


 最初は荷物を纏めて逃げ出した人々も、門が健在であると知って少しずつ戻ってきています。

 加えて新たに騎士団が派遣されてくることが決まり、私も両親から領主の館へ戻ってこいと言われているのですが、どうしても背を向けることが出来ずに留まり続けています。


 同じく留まっているシェーラ様も徐々に口数が減ってしまい、演奏会で見せて下さっていた笑顔は霞となって消えてしまいました。

 気丈に振舞われていらっしゃいますが、あんなことがあったのですから、お心を痛めていらっしゃるのは当然の事でしょう。

 せめて私がしゃんとしなければいけないのに、どうしても、思い出してしまうのです。


 やがて夏が終わり、秋の匂いが漂い始めた頃、私は彼女の元を尋ねました。


「なんだか久しぶりね」

「はい……まだ、どうしても門へお供することが難しくて」

「それはいいわよ。元から私一人でするつもりの事だったから」


 離れた日の数だけ、私達には隙間が出来てしまったのでしょうか。

 不出来な私を見限り、遠ざけようとしているのでしょうか。


 嫌な考えです。

 自分が卑屈になっていることは分かっているのに、余計な想像ばかりしてしまう。


「少し痩せたかしら」

「はい。あまり食欲が無いもので」


 無理にでも食べて下さい、そう婆やは言うけれど、食べるという行為があの馬へ齧り付いていた人々を思い起こさせてしまうのだから、どうしようもありません。


「私の事は気にせず――――」


 その時、乱暴に扉が開け放たれ、あの女兵士が入ってきました。

 護衛の騎士や側仕え達が引き留めようとしますが、強引に押し留めることが出来ずに私達の前までやってきます。


「コレを」


 差し出された封筒をシェーラ様が指で破いていく音に身が縮む思いでした。

 なんという無礼で不躾な振舞いでしょう。

 挨拶一つせず、渡したその場で膝を付くでもなく見下ろしてくるだなんて。


 何者かは存じませんが、いい加減言って差し上げなくては。

 そう思って立ち上がろうとした私の目の前で、シェーラ様が読んでいた手紙を滅茶苦茶に破り捨ててしまったのです。


 蹴立てた椅子に見向きもせず背を向けて、けれど思い出した様に言いました。


「全て燃やしておきなさい」

「はい」


 そうして女兵士が撒かれた手紙に撒いた液体が何であるか、近くに居た私はすぐ理解しました。


「お、お待ちを! こんな室内で火を床に放つおつもりですか!? 館が燃えてしまいます!」


 私の抗議はなんとか届いてくれました。

 既にこの場を辞すると決めたらしいシェーラ様が少しだけ悩んで、ため息と共に言います。


「分かったわ。後の処理は任せるから、ちゃんと燃やしておいて下さいね、ミルドゥナ」

「はい、承知致しました」


 あまりに異常な行動を受けて、流石の私も不信感が強まってしまいます。

 共に出ていった女兵士、彼女が門の守備隊の者でないことはもう分かっています。

 時折やってきては手紙を渡し、内容も知られぬまま灰となっていく何か。


 友人を疑うことも、託された信頼を裏切ることも私が嫌悪するものです。


 ですが、あの手紙への反応はあまりにもシェーラ様らしくありません。


 集めさせた紙片を相手の居なくなったお茶の席へ広げて、その再生を試みますが、思っていたより細かく破られていて容易くはありませんでした。

 陽が暮れるまで奮戦した結果、読めるようになったのは僅かな一文だけ。


「『王子は、未だ赤薔薇の館にあり』」


 この瞬間に至るまで、私は彼のことを忘れていました。

 大きな存在であったことは確かなのに、既に終わった存在として考えていたのです。

 ましてやシェーラ様からすればその名を聞くのもご不快であろう人物。私も努めて意識に上げず、絡んだ話題が出ない様にと配慮していました。


 その彼の動向を調べていらっしゃった?


 何故?

 だって、事はもうお二人の関係など通り過ぎて、王国の噂でも王が何をした、どこかの貴族とまた争い合った、そんな話ばかり耳にします。

 ですが思えば不思議な話です。

 王子もまた王族。

 混乱を引き起こした重罪人とはいえ、本来であればこの混乱を誰よりも治めるべく奮闘すべき方。

 そんな彼が今まで一度も名を語られる事無く、何をしていたのでしょうか。


『王子は、未だ赤薔薇の館にあり』


 赤薔薇の館といえば、シェーラ様のお父上、アーベンドルテ辺境伯が王都に建てられた迎賓館です。

 多くの催しがそこで開かれ、私も末席ながら参加させて頂いたことのある場所。

 本来は辺境伯の持ち物とはいえ、館を持ってくることは出来ませんもの。ですが放棄された館に王子が居る、居続けているらしいというのが分かりません。

 かつての思い出に浸る為?

 いえ、そもそも婚約者を蔑ろにしていた王子がシェーラ様との思い出に縋るというのも妙です。

 それに、もし詫びて王国へ戻って欲しいのであれば、そのような手紙を出してくるべき。

 この手紙はどう見ても王子が寄越したものには思えません。


「あぁ……もうっ、意味が分かりません。ご友人に背いてまで覗き見た内容がこれでは、ただただ罪を負ったばかりです」


 明日からどのような顔でシェーラ様と会えば良いのでしょうか。

 もう考えるのもうんざりして、はしたなくも机へ突っ伏してしまいました。


「あの頃が懐かしい。この秋が過ぎ、冬を越えれば、またあの頃のような一年が始まるのでしょうか」


 私の願いは季節の廻りを待つまでも無く、その翌朝に叶わぬ夢であったことが分かりました。

 今や辺境伯へ付いた貴族らにとって新たな主と言うべき東国の王が、西方の王国に対して、宣戦を布告したのです。






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