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5 ミルドゥナ視点


   ミルドゥナ視点


 王子がシェーラ様へ婚約の破棄を訴えられた時、私もその舞踏会に参加しておりました。

 元より次代を担う派閥の末席として、シェーラ様が行う催事やその準備に全て参加させて頂くのが当家の方針でもあります。

 ですから、予めそうなる事を聞かされていたとはいえ、あまりにも無思慮無遠慮な行いで舞踏会を台無しにされた事には腹を立てました。


 いえ、シェーラ様のお怒りは私程度では到底及ばないものだったでしょう。


 公にされている王子との婚約、それは本来、未来の王妃となる栄光へ続くものだった筈。

 なのに王子は他の女などにうつつを抜かし、それこそが真実の愛だなどと吹聴して回っていた。

 それを耳にされた時のシェーラ様がどれほどの屈辱を受けたか、あの王子には分からないのでしょう。


 夢を見るかのように王子へのぼせ上がっていったあの女も、王子に追従しそれを賛美する方々も、あれが我が国を代表する貴族なのだと思えば絶望を覚えた程です。


 ですから、舞踏会で徹底的に王子をやり込めたシェーラ様に、とても胸のすく思いをしたのですが。


 最後の、あの目が忘れられません。

 女の首を前に、許さない許さないと呟き続ける王子。

 彼を見詰めるシェーラ様の目はとても冷たくて、普段私達女だけの時に見せていた、ほんの僅かに柔らかな雰囲気が嘘のようでした。


 外国から嫁がれてきたというシェーラ様のお母上は、この国の価値観に合わせながらも、とても厳しく彼女を指導したと派閥の噂で聞いたことがあります。

 殿方の前では己の表情を見せない。

 そんな彼女だからこそ、私達の前では気が抜けていたのかも。

 貴族令嬢として完璧に振舞って見せる彼女だからこそ、その僅かな表情に魅せられた者も多かったくらいです。


 だから、あの時。


 落とされた女の首を、王子を見詰めるシェーラ様が、今まで見た事のない目をしていたのが、どうしても気になってしまいました。

 冷たさの奥にある何か。

 なぜ、あのような目をされていたのでしょうか。


 気付けば私はお父様に手紙を送り、返事も待たずに飛び出していました。

 道中で慌ててアーベンドルテ家へ先触れを送ったものの、身分違いや小娘一人の思い付きとあって、追い返されてしまうかと危惧していたのですが、シェーラ様は自ら私を出迎えて下さったのです。


「歓迎いたしますわ、ミルドゥナ」

「よろしくお願い致します、シェーラ様」


 いつもの様に完璧な振舞いを見せつつも、やはり女同士だと気が抜けるのか、少し驚いているのが分かって、私はとても嬉しくなりました。


    ※   ※   ※


 演奏を終えて門の上を通る時が一番辛く感じられます。

 外から風に吹き上げられてくる臭いは、今や門の内側に居ても感じられるものになってきているのです。


 あんなにも素晴らしい演奏の後がこれではあんまりというもの。

 ですがシェーラ様は門上での演奏を続けています。

 せめて他の方と同じ様に内階段を使って下されれば、少しは楽になるのですが。


 臭いを誤魔化す為の香も、徐々に下品と呼べる程に強くなってきてしまっています。


「無理をして付いて来なくて良いのよ」


 一度場所を移さないかと提案したのですが、こう言われてしまっては否定など出来ません。

 痛くなる目をどうに瞼を伏せて誤魔化して、用意されていた馬車へ乗り込もうとした時、門の兵士が一人、シェーラ様に手紙を手渡しにやって来たのです。


 相手は女の方でしたが、こんな場所で渡すだなんて無遠慮ではないかしら。

 不思議に思う私は、更に驚かされることとなったのです。


 シェーラ様が、指で手紙の封を破り、中身を取り出しました。


 レターナイフも使わずに、いえ、そもそも受け取ったその場で開封するなんて、完璧な淑女たる振舞いをされるシェーラ様らしくありません。

 乱雑に破られた封筒を指で摘まみながら、中身を読んでいく。

 既に殿方の前とあって、いつもの無表情に戻っていらっしゃった彼女が見せる、胸がざわつくような行動。

 何も読み取れないのに、演奏を聴いていて時折感じる、とても恐ろしい予感にも似た何かが、ずっと私を不安にさせていました。


 心配、なのかも知れません。


 私程度で出来ることなどありませんが、派閥の運営に際して時折シェーラ様が見せていた、僅かにこぼれ落ちる表情。それが私には何処か幼く感じられて、放っておいてはいけないように思うのです。


 手紙はその場で処分されました。

 火を付けられた手紙は瞬く間に燃え尽き、シェーラ様の指示で燃え滓は踏みつぶして砂に混ぜ込まれたのです。

 良かったのでしょうか。

 彼女は、この王都からの街道上に聳え立つ関所で、そこから送られてくる書状の振り分けを言い付けられていた筈です。勿論、辺境伯の側近が選別を行った上でのお役目ですから、勉強や試験としての側面が強いのだと思います。では、今の手紙は処分すべきものだった? あるいは、シェーラ様個人へ宛てた手紙だった? だからあんなにも慌てて中身を開封されて……。


 馬車で待っていた私の前に、いつもの表情でシェーラ様が座りました。

 適当な雑談を続けながら、中身が気になって仕方ない私を、彼女は見抜いていた様です。


「王都に残してきた者からの報告よ」

「……何か、異変があったでしょうか」


 疑問を覚えながらも、彼女の導きに従って会話を進めました。


「国王と伯爵の軍勢が衝突したものの、飢餓や疫病で共倒れになったみたい」

「それは」


 戦いのことは分かりませんが、王や伯爵の指示で動く軍隊が飢餓で倒れるというのはとても異常なことに思えました。

 派遣した軍隊にすら満足に食料が生き渡っていない。

 であれば、かつて豊かだったあの国は、どれほどの苦しみに包まれているのでしょうか。


「治安を維持する為の軍隊を実質的に失い、雇い入れた傭兵も質が悪くなる一方で、国内は荒れ放題になっているようね。大きな火の手はもう燃料を失いつつあるのかしら」

「では、争いは終わるのでしょうか」

「手を取り合えるのなら。幸いにもまだ夏ですから、実りを得る方法は残されている筈よ」


 背を向けたとはいえ、故郷の国が荒れているのは辛いものです。

 このまま平和になれば良い。

 本気でそう願っているのですが、今の情報とシェーラ様の行動が結び付きません。


 聞くべきなのか、沈黙を守るべきかのか。

 心配はあっても、私とシェーラ様では身分が違い過ぎます。

 こうして隣へ置いて下さっているのは、真っ先に駆け付けた学友であったことと、この門への出入りには他のご令嬢では耐えられなかったというだけ。


 そういえば、手紙を渡していた女の方……身に付けているものが他の兵士の方とは違いましたね。女性の兵士というのも初めて見ました。一体どなたなのでしょうか。シェーラ様に直接手紙を手渡すことが許されている程の方であれば、何度も出入りする内に会う機会だってあったでしょうに。


「このまま王国に平和が戻ると思いますか?」


 思考が纏まらず、会話を続ける為の言葉を差し出すと、シェーラ様はいつになく饒舌に返して下さいました。


「これからは(くすぶ)りが始まるわ。その熱は徐々に王国を焦がし、煙はあがり続ける。手を取り合う事など出来ないわ。たった一度の拒絶で、王の心は地に堕した。出来る筈がないのよ。王国は静かに焼かれ、そして」


 馬車が強く跳ね、思わず声が出てしまう。

 同じく衝撃を受けたシェーラ様も姿勢を崩していて、大丈夫ですかと声を掛けても、すぐに返事はありませんでした。


 お怪我を成されたのかと近付こうとしましたが、彼女がようやく顔を挙げて押し留めて下さいました。


「また跳ねるといけないわ。座っていなさい」

「はい……ですが、どこか痛むのですか?」

「大丈夫。心配掛けたわね」


 痛まない筈もありません。

 彼女に責任など一切無いものと思いますが、自身と王子との婚約が破棄されたことで、ここまで大きな事が起きているのですから。


 とてもお辛いことと思います。

 もしかしたら、だからこそこのような場所で、人々を慰撫為されているのではないでしょうか。


「何かあったら教えて下さい。微力ですが、お力になりますよ」

「えぇ、ありがとう、ミルドゥナ」


 僅かにこぼれた表情は、私の想像を裏付ける様に何処か悲しげで。


「どうかしたかしら」

「いえ」


 なのに何故か、いつもより口の端が広がっていました。


    ※   ※   ※


 私は朝が苦手なのですが、今日ばかりは違いました。

 婆やに起こされるより早く起き出して、用意してもらった水で身を清め、手早く服装を整えてからお気に入りの香水をほんの少しだけ振り掛ける。

 部屋を飛び出す様は、餌を用意してあげた時の兎と同じだったわ。

 はしたないですよ、そう言う婆やもいつもより楽し気です。


「よしっ、頑張りましょう……!!」


 まずは買い出しです。

 既に東国との交易が始まっている為、辺境伯領にはとても珍しいものが溢れています。

 ましてやここには王国から逃れてきた貴族や富豪が多く通る場所。シェーラ様が留まっていることもあって、多くの商人達が集まり、荒れ果てていく王国が嘘のように活気があります。門を抜けると在りし日の王国を思い出す、そんな詩を込めた演奏が流行っているのだとか。やはり民にも音楽を楽しむ心があるのです、と思う一方で、僅か三か月と少しの間に、人々の中でかつての平和だった日々が過去となっていることに驚きました。


 門の向こうでは、今日も中へ入る事の出来ない難民が、真っ白な街道の上だけを避けて延々と地の果てまで連なっているというのに。


 いいえ、今は気を取られていてはいけません。


「お嬢様、買い付けなど人をやってする事です。任せておけば良いのではないですか?」

「あら、私の我儘で始めたことですもの。自分の足で歩かなくては、日々ご自身で皆様を慰撫されているシェーラ様に顔向け出来ませんわ」


 市場で御用商人からの意見を貰いつつ食料を買い、


「これは何という宝石かしら、見た事が無いわね」

「お嬢様、それは東より流れてきたというガラスです。色を付けて、宝石のように見せているだけですよ」

「まあっ、そんなことが出来るだなんて、東の国はとても優れた技術を持っているのね。ならこの値段も納得だわ」

「お嬢様、それは詐欺でございます。幾らでも作れるものに、宝石同様の値段を付けているのです」

「まあ貴方。人を騙して財を得ようなどと、お母様が泣いていますわよ。ねえ婆や、困っているのなら少しくらい恵んであげても」

「お嬢様、もう逃げました」


 適当に歩き回った先で嘘吐きの困った露天商の方と遭遇し、


「元気になるお薬……これを飲めば、シェーラ様も元気になって下さるかしら」

「あー、うー、あー。お嬢さん、それは確かにそうなんだが、お嬢さんが使うというよりは相手が使わないとだな」

「お嬢様、それを手放して下さいませ。今すぐに」

「あらどうして? このカイクジン、とかいうもの、とても興味がありますわ。一つ頂けるかしら」

「お嬢様、後で話があります。そこの者、すぐに商品を下げなさい」

「は、はいぃっ」


 折角見付けたお薬を何故か売って貰えず、


「今のは東国の歌でしょうか!? 楽器も見たことが無いものですっ。よく見せて頂いてもよろしいかしら!」

「えぇ喜んで。貴女のような美しい方となら、そこのお店でゆっくりと語らいたいものだね」

「東の話を聞かせて頂けるのなら喜んで――――あいたっ、ば、婆や、どうして鞭で手を叩くのですか!?」

「そこの者、腕ごと切り落とされたくなければ、すぐお嬢様から手を離しなさい。そしてお嬢様、少々馬車に戻ってお説教を致しましょう」


 はしゃぎ過ぎたことを婆やから厳しく叱られたりもしながら、どうにか必要なものを買い集め、借りていた場所へ運び込む様にと手配致しました。

 外出していたので一度身を清め、服を着替えてからは再びのお仕事です。


 家具を入れ替えたり、絵画の位置を調整したり、カーテンも雰囲気に合わせて取り換え、厨房では時間通りに出来上がる様予定をしっかり打ち合わせて。

 人の手配も学園でお手伝いをしていた時ほど簡単では無くて、お呼びする相手の格へ合わせた馬車もこちらで手配しなければなりません。

 最初は何度も手伝ってきたことですから、もっと簡単に用意出来ると思っていたのに、改めてアーベンドルテ家が築いていた派閥の力を思い知りました。思えば、シェーラ様はこういう学園外での事もご自分で為されていたのでしょう。当然私のようにはしたなく歩き回ったりはしていないでしょうが、個別に与えた指示をちゃんと記憶し、全体の流れへ合わせて調整するだけで目が回ってしまいました。

 結局は婆やと、買い付けで力を借りた御用商人とで多くを動かして頂きましたが、私も負けずと奮起したことは褒めて頂きたいですわ。


 そうして、夜。


 いつものように慰撫へ出掛けていらっしゃったシェーラ様へ馬車を送り、私自らが突然の申し出を受けて頂きたいと懇願したのです。

 予め彼女の予定をやりくりしている辺境伯の側近の方とも相談し、内部的には承諾済みの事でしたが、シェーラ様には驚いて頂きたかったので内緒にしちゃいました。


「日々多くの方を慰撫為されているシェーラ様に、是非ともお心を休める時間をと思いまして。本来であれば私もいつものように同行すべきだったのでしょうが、どうしても自分の脚で品を見て回りたかったので、今日だけはお暇を頂いてしまいました。まだまだ未熟な出来かもしれませんが、私の用意したささやかな演奏会に、参加しては頂けないでしょうか」


 お誘いした私にシェーラ様は、やはりどこか幼く感じられる戸惑いを見せつつ笑って下さいました。

 こんなにもはっきり笑顔を見せることなど滅多にありません。

 学園で密かに結成されていた、シェーラ様の微笑みを愛する会の者が見れば、感動のあまり失神者が出たことでしょう。


「どうやら予め予定は抑えられていた様ね」

 何の口も挟まない側近の方を見て、私の企みは呆気無く見破られてしまいました。

「ご不快でしたら謝罪致します。その、驚いて頂けるかなと思いまして」

「そうね。とても驚いたわ。でも、そうね」


 言って、そのまま止まり、じっと私を見て口を噤む。


 どうしてしまわれたのでしょうか。

 もしかして、乗り気ではない……?

 確かに音楽の布教には熱心ではないと仰ってはいましたが。

 どうしましょう。

 今からでも演奏会からお茶会にすれば来て頂けるかしら。


「あぁ違うの。行くわ。貴女の手腕を堪能させて頂きましょう」

「そ、それはあまり期待しないで頂けますと」

「あら、この私を除け者にしてまで準備をしておいて、不出来なものだったら容赦無く指摘するわよ。採点が楽しみね」

「出来ればせめて音楽を楽しみにしていただけませんかぁ」


 はいはい、と適当に流しつつも、用意した馬車へ乗り込んで下さいました。


 顔を伏せて一歩引いていた側近の方と目を合わせ、思わず両手を握り込むと、とても微笑ましそうに笑われてしまいました。

 恥ずかしいけど良いのです。

 今は何を置いても、シェーラ様に音楽の素晴らしさを堪能して頂きましょう!


 はしゃぐ私は、彼女の足元に燃え滓となった手紙があることには、まるで気付いていませんでした。






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