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「君との婚約を破棄させて貰う!!」
舞踏会の真っ最中、大仰な手振りで宣言を放った王子を前に、私の中には冷たい落胆だけがありました。
分かっていた事なのに、突きつけられた今、改めて実感してしまったからでしょうか。
どうにも彼は、学園へ現れた芋女……失礼、平民女に夢中なご様子で、近頃は真実の愛などと称して憚らぬご様子でしたので。
苛立ちとそこからの開放感、そしてこちらを追い込んでいるという仮初めの満足感を味わいながら笑みを浮かべる様に、私はすっと目を細めて彼の後ろに侍る者達へ促しました。
王子を囲うように立っていたのは、幼い頃より彼の周辺を固めてきた取り巻きの方々。
どなたも名立たる名家ではございますが、その半数以上が落胆の表情と共に離れていきます。
残る者も離れるに離れられないといったご様子。
何も理解していないのは王子だけの様ですね。
いえ、同じく平民女へ夢中だった幼馴染だけは、王子と同じだけの困惑を浮かべておりますが。
そうして階上を見上げる私の側へ、王子の元取り巻き達が立った所で話を始めることと致しました。
「承知致しました」
「何……?」
「ですから、私と貴方を十年に渡って縛り付けていた婚約を破棄する件、承りました。本来はこのような遊戯の場で唐突に宣言した所で、国を代表する貴族間の約定を破棄するなど出来ないのですが、特別の計らいで承知すると言ったのです」
「そ、そうか」
未だ状況を呑み込めてはいない様子で王子はかろうじて頷き、ではと話を切り上げ舞踏会を再開させようとしました。
「お待ちを」
なので私は仕方なく口を挟んで止めて差し上げました。
ため息を飲み込む間も無く言えたことを褒めて頂きたいほどです。
「王子がこの場での破棄をお望みということですので、諸所の話し合いも行ってしまいましょう」
そもそも場を台無しにするような事をしておいて、平然と遊び続けようとするだなんてなんと思慮の無い。
せめてやってきた者達へ謝罪し、場をお開きにする程度の分別は持ってほしいものですが。
「手続きだと? 書面で契約を行っている訳でもなく、口約束のようなものだと聞いたぞ」
「ですが、貴方のお父上である王陛下との手紙は我が家でも保管してあります。陛下の署名付きの約定ですので、一定の拘束力はあるものと」
態々説明して差し上げたのに、遊びを邪魔された王子は不満そう。
ですがこの場を逃せば二度とまともな話が出来ないと思いますので仕方ありません。
不承不承、苛立ちを隠そうともせず階段を降りてきた王子は、改めて私の背後へ侍った元取り巻き達を見て、鼻で嗤って見せました。
「まず、私との婚約を破棄するに当たって、分かり易いものから解消していきましょう。我がアーベンドルテ家はこの婚約によって、長年王家の借金を肩代わりしてきました。破棄為さるということですので、十年分の肩代わりしたお代は全て払い戻しをお願いします」
「…………なに?」
「当然の事でしょう。借金の肩代わりは王子と結婚することを前提として行われてきたのですから」
私が予め調べておいた金額を提示すると王子は目を剥いた。
「ばっ、馬鹿な!? そんな金額払える訳がない!!」
「ええそうでしょう。ですが事実ですので是非とも王陛下へご確認を。全ては碌に稼げもしない王家が好き放題に浪費してきた結果です」
「稼げないだと? 金稼ぎなど卑賤な行いを王族たるものが行うものか。まあいい、増税を掛ければ捻出可能だろう」
あらあら、そのようなことをこの場で言ってよろしいのでしょうか。
周囲には貴族の子弟が大勢居るというのに。
そもそも増やした税をそのまま自分の勝手で使用出来ると思っている所が間違いですね。まあ私はもう関係ありませんから良いのですが。
「では次に、我が領地から派遣されている文官らを全て引き上げさせて頂きます。あぁコレは派閥の八割以上が抜けていくと思って頂いて結構です」
「……君と僕の婚約にどうして派閥が関わってくる。アーベンドルテ家が単独で抜ければ良かろう」
いけませんいけません、ついため息が出てしまう。
「あのですね、王子」
私は更なる落胆に堪えながら、なんとか話を続けました。
「貴方の後ろ盾となっている派閥がそもそもアーベンドルテ家なのですよ? 王家は貴方の婚約者に私を据えることで、アーベンドルテ家の力を借り、次代の王国を担う派閥を作り上げてきたのです。その我が家が抜けるのであれば、同じく抜ける者が出るのは当然ではありませんか。十年以上掛けて構築してきたものを投げ打つのは大きな損失となりますが、この件は既にお父様もご承知の事ですのでご安心を」
「アーベンドルテ辺境伯が……いや、そもそも僕は今、君に初めて婚約の破棄を宣言したのだぞ。なぜ最初から知っていたようなことを」
「学園で散々平民女を連れ回していたではありませんか。私が窘めるのも聞かず、周囲の忠告にも耳を貸さず遠ざけてきて、この程度の事が予測できないで貴族などやれませんよ」
一部、王子の幼馴染などは例外でしょうが。
大きな力から当たり前に守られていると、人は不思議と阿呆になるのでしょう。
んんっ、失礼しました。
穢れた言葉を使ってはいけませんね。
冷静に、冷静に。
「つまり王家は明日からこの国を運営する人材の八割近くを喪失することになりますので、今日戻られましたら急ぎ王陛下と相談して人選を為さいませ。特に、王家の豪遊を支えてきた財務や、国防の要となる王国騎士団からは是非にと我が領地へ来たがっている方が多いそうなので」
「そっ、それでは国が回らんではないか!?」
「自ら派閥を切り捨てたのですから当然の事です」
「っ、引継ぎを行え。十分な引継ぎ無くして職を辞すことは許さんぞっ!」
「拒否した場合はどうするおつもりですか」
「王国を揺るがす悪事に手を染めようというのだっ、処刑にされて当然であろう!?」
「承知いたしました。ですが、当家は別段強制している訳でもありませんから、引き留めは個々に行ってくださいませ。また、当家の関係者は借金の肩代わり同様に婚約の条件であった為、問答無用で戻させて頂きます。約束が履行されなかったのですから、これは正当な権利です」
唖然とする王子へ、まだまだお伝えしないといけないことが沢山あります。
「それとぉ……」
あぁ、言わねばなりませんよね。
私は左右に目をやり、自分の護衛がしっかりと脇を固めていること、王子の護衛は状況についていけず離れた場所で呆けていることを確認してから言いました。
用意していた言葉通りに、それを読み上げるように。
「大変心苦しいのですが、王子から十年来の婚約を、しかもこのような公の、戯れの場で破棄されるという侮辱を受けましたので、アーベンドルテ家は王国からの離脱を宣言いたします」
今度こそ会場中がざわめきました。
事態を察していた者も多いようですが、私達の関係がこのようなことになっていたと初めて知った貴族は実に動揺しているようです。
「かねてより王子の婚約者としての私への扱いがとても耐え難いものであったことは、学園で多くの者が見ております。式典祭典でも並んで歩くこともせず、平民の女を追い回していらっしゃいましたよね。我が家から王家へ提供している赤薔薇の園では、まるで自分のものであるかのような演説を為さって……あまつさえその平民女を園へ連れ込み…………いえ、口にするのも汚らわしいのでご自分の胸に訊いてみて下さい。警備の多くが貴方と彼女の姿を見ています。王族がいらっしゃる催事ですので、十全な警備を手配するのは責任者として当然のことですので」
あの女と共に王子が忍び込んだのは、幼い頃に私を連れて行って下さった東屋でしたね。
私は努めて冷静さを維持し、一度目を伏せました。
開いて見た王子は羞恥に頬を赤く染めていらっしゃいましたが、早く青褪めておいた方が良いですよ。
「一族を挙げて支援してきた十年間を否定されたのですから、侮辱としては十分過ぎるものでしょう」
事を知ったお父様は怒り狂い、王陛下へ抗議の文を認めていらっしゃいましたが、どうにも王家は揃って享楽的なご様子。
お父様は隠していましたが、別の所で調べれば分かるものです。若い頃の遊びだの、愛妾の一人二人だのと、ふざけた事を仰っていたようです。仮に第二第三の夫人を娶ることが王族の義務であったとしても、婚約者の居る場ですることではないでしょう。
王が有能である必要はないとも言いますが、分別を弁えないまま肯定者で周辺を固めてしまえば、遠からず自滅するものなのでしょう。
こればっかりは、導くべき私達の側も失敗したと言えますので、僅かながらの慈悲はあるのです。
お父様は、本当は王家へ宣戦を布告しようとしていたのですから。
どうせ返せと言った所で十年分の借金は返ってこない。
臣下に甘んじていれば冷遇されるのは明らか。
何故か、世には辺境伯とは辺境に飛ばされた敗残者や無能者という風評があるのですが、隣国と国境を接する領主を冷遇などすれば、抗すべき敵と結託して反乱されるのは当然のことではありませんか。
「あぁそうです。内の事にお忙しい王家には申し訳無いのですが、我がアーベンドルテ家は隣国へ正式に編入することが決まっております。かの国はずっと我が家との確執を抱えておりましたが、近年の冷遇ぶりを知って歩み寄りがございまして、その……私を是非あちらの王子と結ばせたいとのお話もありまして。一度学園にもいらっしゃっておりましたよね? 王子も自身と同格の者と話せるのは貴重なことだとはしゃいていらっしゃいましたね」
あぁ恥ずかしい。
あの訪問が実は私との顔合わせであったなんて、後になって知ったことです。
若い頃から戦場で名を揚げてきた御方で、自分はどうにも政治が苦手だと、はにかみながら仰っていたのを覚えています。
政治が苦手なのは王子も同じですが、己の分を知り、相手の質を見極めて何処へ配すべきかはしっかりと理解されていたものです。あれこそ王が持つべき資質なのでしょうか。
という訳で、王国を抜けた後も、我がアーベンドルテ家は厚遇が約束されており、領地は安泰ということでございます。
「このような場で言うべきことではありませんでしたね……私は婚約を破棄された傷物です。あのような方が望まれる筈もありませんし、きっと口だけのお話でしょう。ただ、これはかつて臣下の一人であった私からの具申ですが、是非とも急ぎ新たな国境線に防衛網を布かれるべきでしょう。長年我が領地が侵攻を抑えておりましたが、これからは我が領地を素通りして行きますので。ああ、他にもいくつか領地の離脱があることでしょうから、しっかりとご協議下さい。また、当家では長年防衛費を全て自領で賄っておりました。国庫から幾ばくかでも支援を得られないかと打診したこともあるのですが、認められたことはございません。ですので、新たに防衛費を捻出する必要もございますね。これは大増税になりそうです」
最早王子ばかりか周囲の貴族まで青褪める有様。
ですが仕方ないのです。
貴族にとって誇りとは命に替えても守らなければいけないもの。
侮辱を受ければ決闘を申し込み、命で以って償わせるもの。
だからこそ王族としての権威を誇示しようとする王家にも理解を示し、その権勢凄まじきとアーベンドルテ家が演出してきたのですから。
後は何かあったかしら。
借金の肩代わりが無くなること。
国営に携わる者が不足すること。
国防に携わる者が不足すること。
そもそもそれらを補填できるお金も供給源も無くなるので、新たに迎え入れる者には薄給あるいは無給を告げねばならないことくらいは……おそらくですが理解為さっていることでしょう。
王子は安易に増税を口にしましたが、各領地が素直に出すかは微妙でしょうね。
アーベンドルテ家の威光を失い、王子が平民女と結婚するなどと吹聴しているならば、最早王家を支える基盤は無いも同然。
あぁそうですね。
「そういえば」
「そういえば」
不意に見つめ合う私と王子。
いやだわ被ってしまいました。
貴方の瞳を眺めるのもこれで最後と思えば、そっと目を伏せたくなるのも仕方なき事。
どうぞと王子へ促しました。
「……今日、ここへ来るはずだった……彼女は」
「そう。ソレなのですが」
大変。
済んだことなので忘れるところでしたわ。
私は控えていた者を呼んで、彼女を王子へ差し出しました。
首だけですけれど。
「っっっっっっ!? わ、っ、ああああああああああああああああああああああ!?」
「取り乱さないで下さいませ。たかが平民の首一つ。国の大事を前にされた王子からすれば些事ではありませんか。えぇ、私もやり過ぎではないかと思ったのですよ? 領地は宣戦を布告せず、隣国へ併合されるという穏当な形を取ったのですから、彼女にも相応の始末で良いではないかと。ですけど、当家の、いえ、派閥十年の悲願を台無しにした者をそのまま生かしておいては落胆する彼らへ満足に頭も下げられないのです。国を担う重責から王子が安息を求めたのは無理からぬこととは存じておりますが、だからといって王子の心を惑わし、王妃の座を狙おうとした賊である、と言われてしまっては返す言葉もありませんでした」
目の前に置かれた彼女の首を、恐れるように後退っていく王子。
階段を降りた所でしたので、幸い転倒することなく腰を落とすことになりましたが、嗚咽を漏らすその様はなんともみすぼらしく、多くの落胆を呼んだようです。
可哀そうな王子。
こんな女に騙されて、進むべき道を誤ってしまったなんて。
そして、王子を正しく導くことが出来なかった私もまた、罪を背負うべきなのでしょうか。
最早王子からの言葉も無くなった為、私は周囲の者へ声を掛けました。
「王子はお疲れのご様子です。残念ですが舞踏会はここでお開きと致しましょう。既に破棄された身ではありますが、王子の元婚約者として閉幕を宣言いたします。皆様どうか、帰り道にはお気を付け下さい。本当に」
用意していたお詫びの土産品を、帰る貴族らへ渡していく。
本来は王子がすべき事ですが、私も無関係ではありませんからね。
冷静に、冷静に。
貴族の令嬢たるもの、安易に感情を見せてはなりません。
例え氷のようだと言われても、お母様から教え込まれたこの凍り付いた表情で、これからも貴族社会を乗り切っていきましょう。
「…………許さない」
見送りも終わり、後は場を辞するばかりとなった頃、ずっと座り込んでいた王子がぶつぶつと呟き始めました。
たった半時も無い内に頬はこけ、瞳は落ちくぼみ、廃人のような様相になっていた彼に、流石の私も動揺致しました。
……それだけ王子にとって、彼女との恋は深いものだったのでしょうか。
既に終わったこととはいえ、私も物言わぬ彼女の首をじっと見詰めました。
汚らわしい、カラスのような黒い髪には血の色がこびり付いています。王子へ向けて差し出したモノですから、表情までは伺えませんが。
やがて彼は瞳の奥に刃よりも鋭い輝きを込め、私を睨み付けました。
「キサマは、キサマらは必ず殺してやる。彼女の仇を取る。絶対に。絶対に許さない」
「承知致しました。出来るのならば、王国を背負う者として相応の覚悟を為さって下さいませ」
応じたつもりでしたが、王子はひたすら許さない許さないと呟くばかり。
既に心はここに無いのでしょう。
残念です。
えぇ。
「それでは王子、ごきげんよう」




