第二話 ミネルヴァと皇帝陛下
ミネルヴァは惹きつけられて、皇帝陛下の姿を見つめた。
サラサラと首まで流れた金色の髪、ミネルヴァの目に焼きついていた凛々しい顔、切れ長の目元の金青色の瞳が輝いている。
見るからに強そうな体には、前立ての開いた白いシャツと黒いズボンを身に着け、赤いサッシュベルトを締めている。裸足。部屋にいる時に石像にされてしまったようだ。
改めて気の毒な思いになったミネルヴァを、皇帝の瞳がとらえた。
「お前は?」
警戒心を漂わせる低い声だった。
「わ、私は」
慌てて皇帝の瞳を見たミネルヴァは、鋭い視線にたじろいだ。
皇帝が立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。
身長も高く体格もよく、恐く感じるほどだった。
ミネルヴァは思わず半歩後ずさった。
「そう怖がるな。なにもしない」
皇帝は鋭い顔つきのままだが声は穏やかで、ミネルヴァは安心してうなずいた。
距離はわずかになり、ふたりはしばし見つめ合った。
ミネルヴァは背が低い方ではないが、それでも顔を上げなければ視線を合わせられなかった。
皇帝陛下がこんなに近くにいるなんて。
息遣いが聞こえ、体温まで伝わってきそうな距離。
ミネルヴァは信じられない思いにまた意識を奪われそうで、少しぼうっとしてしまった。
その時、頭の中にサリアの声が響いた。
“言い忘れてたけど、皇帝陛下に私のことを話したらダメよ!”
脳内に直接!? テレパシー?
ミネルヴァは突然頭に響いた声の衝撃に、顔を歪めて片手で頭をおさえた。
皇帝の目が少し見開かれた。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
ミネルヴァはそっと手をおろし、落ち着きを取り戻した。
辺りに視線を向けたが、サリアはいない。
つられたように、皇帝も辺りに視線を向けた。
「ここはどこだ?」
皇帝は腕を組んで眉を寄せた。
落ち着いているが、状況が分からず少し気が立っているようだ。
「ここは、帝都の近くの森の中です」
ミネルヴァは落ち着いたままでいてもらいたくて、刺激しないよう穏やかにゆっくり答えた。
皇帝の顔がまたミネルヴァに向けられた。
「お前は?」
「私は」
ミネルヴァは赤い頭巾を取り、頬にかかり背中に流れる髪を軽く撫でて整え、エプロンワンピースの裾を引っ張って素早く身繕いした。
そうして、膝まづこうとしたところ、皇帝が片手で制した。
「そのままでいい」
「――はい。皇帝陛下。私は、ミネルヴァと申します。あの、森に住んでいます」
まさか皇帝陛下にご挨拶する日がくるとは思っていなかったので、ミネルヴァはしどろもどろに答えた。
顔が緊張と恥ずかしさに赤くなっていくのを感じる。
けれど、皇帝は気にした風もなくうなずいた。
「ミネルヴァ。俺がなぜここにいるかわかるか?」
「はい」
皇帝の表情が険しくなった。
「話せ」
表情も態度も口調も、サリアの命令とは違い、皇帝の命令には抗えない強制力を感じた。
「はい。あの……」
サリアさんのことは話せないけど、見聞きしたことは正直に教えたかった。
「皇帝陛下は、魔女に拐われて石像にされていたのです」
「魔女に拐われて……思い出した」
皇帝は顔を上げ遠くを見つめた。
「確かに、俺は……寝室のバルコニーに現れた魔女に魔法をかけられ、意識を失った……」
意識を失った。それなら。
「石像にされていた間の記憶は、ないのですね?」
「ああ、ない」
なら、皇帝陛下が冷酷とか、行方不明になって国民がよかったと思っているとか、優しい弟のレブナン様に皇帝になってほしがってるとか、皇帝陛下が傷つくような話はなにも聞こえていなかったのね。
ミネルヴァがほっとしていると、
「石像にされていたか。油断したな」
皇帝は腕を組んだまま、目を閉じて顔をうつむかせた。
かける言葉が見つからず、ミネルヴァはただ見守るしかなかった。
「……今は、そんなことを気にしている場合ではないな」
皇帝は目を開けると、ミネルヴァを見つめた。
「お前が救ってくれたのか? どうやって?」
「あの、その……色々な幸運が重なって」
ジャムとケーキと交換で助けました。
さすがに言うのをためらった。
ミネルヴァのうつむき加減で恐縮する態度に。
皇帝は一瞬片眉を上げたが、肩の力を抜いた。
「お前を見た感じ、どうもそのようだな」
納得してくれてミネルヴァはほっとした。
皇帝陛下を石像にした魔女が偶然お得意様で、偶然魔女の大好きな商品を持っていて、商品と交換に皇帝陛下を助けることができたのだから、幸運が重なったと言って間違いないとも思えた。
皇帝陛下を助けることができてよかった。
ミネルヴァはそのことを実感して微笑んだ。
微笑みを見た皇帝の表情もやわらいだ。
「幸運だろうと助けられたのは事実だ。礼を言うぞ」
ミネルヴァは嬉しく思いつつ、お辞儀した。
「さて、帰らねば。城まで案内を頼めるか?」
「はいっ」
ミネルヴァは頭巾を被り直した。
「こちらです」
道を歩きだした時、ミネルヴァは皇帝が裸足なのにまた気づいた。
「皇帝陛下、靴をどうにかしましょうか?」
ミネルヴァは慌てたが皇帝は冷静に足元を見ると、そのまま歩き続けた。
「このままでいい。城につくまでのことだ」
「は、はい」
従うしかない。
ミネルヴァは気を取り直して危ない道はなかったかと思い浮かべ、舗装された道が続いていることにほっとした。
その間も、歩幅の大きな皇帝に遅れないよう必死に隣を歩いた。
そんなふたりの行く道の前方から、兵士がひとり歩いて来た。