第二十話 新たな皇帝レブナン
日が沈み、ミネルヴァとイザベルが夕食を食べ始めて、ダグの家でダンディアスが部屋に案内されている頃。
城の皇帝の間では、空の玉座をダンディアスの弟レブナンが見つめていた。
レブナンは顔のつくりも体つきも細く、兄ダンディアスを見た後ではなおさら、見た目だけでなく心の繊細さも感じさせて臣下達の心配を誘う青年だった。艷やかな銀髪と暗緑色に金の混じる瞳の美しい顔は、憂いに曇っていた。
「やっと、一日が終わりますな。レブナン様」
レブナンが振り向くと、兄に唯一強い口調で意見してきた大臣のゾルとグレスが近づいてきた。ふたりともレブナン達の父の代から仕えている老齢の男だった。
仕立てのいいレースアップブラウスに黒いスラックスと黒靴姿のレブナンが、黒いローブ姿の大柄な大臣達に囲まれるとさらに繊細さが際立つようだ。
「兵士と民の騒ぎも、ようやく落ち着きました。今日のことは、兵士達には箝口令を出しております」
「……兄上お許しください……」
震えるか細い声で呟き、悲痛に眉を寄せた。
やはり生きておられた……それなのに、私は。
思いやりからなにかと自分から兄を遠ざけてきた大臣達。その大臣達の考えに押し切られたとはいえ、兄を門前払いにしてしまうなど、後悔しないわけにはいかなかった。
そんなレブナンの肩をゾルが支えるように、後ろから触れた。
「弱気になってはいけません。レブナン様が皇帝になり国の方針を変える必要があったのです」
グレスが強気な口調で続いた。
「ダンディアス様が皇帝のままでは、いずれ、ユグドラシル帝国との争いはまぬがれなかったのです。それも、皇帝同士が戦いたいからなどという理由で国を巻き込むわけにはいかないのです。そのようなことは、我々も民も決して望まぬことです」
誰よりも自分が望んでいないことだと、レブナンは小さくうなずいた。
しかし、自分に面と向かって兄を止める力があれば、こんなことには……。
心の苦しみは増すばかりでうつむくレブナンを気にしつつも、グレスが強く前に出た。
「レブナン様、明日にも新たな皇帝として即位していただかねば。よろしいですな?」
「……兄上はどうなったのだ? どこにいるのだ?」
即断できずに、レブナンは憂いの眼差しをふたりに向けた。
「私の使い魔の小鳥が後を追っております。今は森に住む鍛冶屋ダグの家におられます」
「ダグか」
レブナンもダグを知っているので、少しばかりほっとした。
「これからは、兵士となって森で暮らすとおっしゃっておられるのです」
「兵士?」
「以前から兵士になりたかったとおっしゃっていて、皇帝に未練はないようです」
城にいるのが退屈そうな兄上だったが、まさかそこまで思っていたとは。
戸惑うレブナンにゾルはうやうやしく続けた。
「レブナン様が皇帝になった姿を見てみたいとも、おっしゃっておられました」
レブナンは驚くとともに、試されているのだろうかと思った。
兄上が皇帝になった時「俺になにかあれば、次はお前が皇帝になるのだぞ」と覚悟を求められてはいたが。こんな風に譲られるとは思ってもいなかった。
もちろん、皇帝になる覚悟は常に持ってきたが、兄上のように兵をつれて国を守ることも鍛錬もせず、いつも本ばかり読み、国の行事や民との交流ばかりしてきた自分。
兄上が一度「そうしているのが好きなのか?」と聞いてきたことがあった。はいと答えると「なら、ずっとそうしていろ」と言われた。
嬉しく思うと同時に、少し突き放されたような気がしたし、そばにいた大臣もそうとらえたようだったが。
その大臣達に見守られながら、レブナンはしばし心に意識を集中させた。
兄上、私のやり方でよろしいのですか?
問いかけると、少し前向きな気持ちになった。
顔をあげて大臣達にうなずくと、ふたりとも笑みをみせた。
「それでは、速やかに即位の儀の準備をいたします」
「それから、ダンディアス様の退位の理由ですが」
「行方不明では、問題があるだろう?」
「はい。ですからここは、ダンディアス様自ら急な退位を申し出て森に引き込もられたと、嘘偽りない理由にしておくのがいいかと」
「理由はなんであれ、生きておられることは知らしめておきましょう。ダンディアス様のお力はあらゆる者への抑止力となっていました。それを今失ったと思われるのは危険です」
「幸い、近隣諸国とは平和的な関係ですから、レブナン様が皇帝になることを歓迎することでしょう」
「ユグドラシル帝国はどうでると思う?」
ゾルがしばし考えて答えた。
「……皇帝の性格からして、好敵手であるダンディアス様がいなくなったとなれば戦う気を失くすことでしょう」
グレスがうなずいた。
「そうなれば、アシリア帝国などの外の国に目を向け始めるでしょうな」
希望的観測に、レブナンの不安は消えなかった。
憂いの視線を下にして、両腕をかき抱いて立つ姿は繊細で心もとなかった。
「もしも、我が国に攻めてきたら。兄上抜きで対抗する力はあるのか?」
「砦を守る者達は、ユグドラシルの武将達に劣らぬ実力者です。ダンディアス様がそう誇っていましたからな。それに、そのダンディアス様が、ユグドラシル帝国の皇帝クロノイドが攻めてくれば黙って見てはいないことでしょう」
「城に入れずに退位させておきながら、兄上の力に頼るのか?」
さすがに怒りを感じて、レブナンは眉を上げた。
「頼らずとも、ダンディアス様自ら出てくるのではないかということです。我が国の兵士になられるということですからな」
「兵士か、そうだったな……」
怒りが消えて困惑が生まれた。
「そもそも、こうなった原因は。兄上はなぜ行方不明になったのか。城から連れ出した者がいるなら、その者は誰なのだ?」
「それも、今日、ダンディアス様を追った小鳥が知らせてきました。森に住むサリアという魔女が関わっているようです」
「サリアという魔女が協力したのか? 拐ったのか?」
「そこまでは……」
窓が閉まっていたために、小鳥は話を聞けなかった。
「どちらにしろ、兄上は新たな生き方を決めたということか……」
レブナンは確かめるように言った。
「はい。なんにしても、秘密裏にサリアを城に引き立て話次第では処罰いたしましょうか? サリアは魔導師タルタロスの妻ですが」
「タルタロスには国を守るために、世話になっているではないか。その妻を処罰など……タルタロスは妻のしたことを知っているのか?」
優しさを見せるレブナンに、ゾルは声音をやわらげて答えた。
「いいえ、タルタロスはダンディアス様が行方不明になられたことに驚いておりました。行方不明になられた時は城におり、今は東の砦を守っています。妻が関わっていることを知らないのでしょう」
「妻といえど魔女ですからな。夫に秘密で好きに行動しているのでしょう」
やれやれと言いたげに、大臣達は顔を見合わせた。
「……ならば、砦を守ってくれているタルタロスを取り乱させることはやめておこう。兄上も無事なのだし、魔女のことは……今は不問としよう」
「はい。いずれ、タルタロスの知るところになりましょう。処罰はタルタロスに任せてもよいですな、厳格な男ですから」
「そうしよう」
魔法書を読む際の師としてタルタロスを知っているレブナンは、安心してうなずいた。
「ただ、城の防御魔法を破られたことは問題です。魔女の行動にはこれからも注意しておきましょう」
「防御魔法もより強力なものにしませんとな。そして、なるべく早くダンディアス様のお部屋と寝室に移られるようにいたしましょう」
うつむき加減だったレブナンは顔を上げて、即座に言った。
「いいや、部屋は移らない。兄上の部屋も寝室もそのままにしておいてくれ。動かせないものもあるだろう」
兄の剣が寝室の壁に掛けてあるのを思い出していた。
剣のそばで眠れる気がしなかった。
「はい……」
レブナンの憂い顔を見て、大臣達は大人しく引き下がった。
兄ダンディアスが姿を現したことで、急速に事が動き出したその日の夜、寝室のベッドに横になったレブナンは落ち着いていた。
10代の頃に父と母を流行病で相次ぎ亡くして以来、兄だけを頼りに生きてきたため、兄が行方不明になっている間はよく眠れなかった。
生きているとわかり、安堵し目を閉じた。
兄上、見ていてください。平和な国にしてみせます。
そう誓った途端、心配に目を開けた。
心配の種はユグドラシル帝国だ。
大臣達にはいい顔をしなかったが、ユグドラシルの皇帝とは兄上が戦ってくれればいいのにと思った。
それに、そうなれば会う機会もありそうだ。
やはりこんな突然に、このまま会えないのはつらい。
どんな形でも再会を願いながら、レブナンは眠りについた。




