第十七話 これから 皇帝
皇帝の突然の宣言に、まずサリアが口を開いた。
「皇帝を辞めて弟に譲るですって?」
さすがに深刻な表情と口調だった。
「……私の思っていた通りになった。私にはまさか、予言の力があるのかしら?」
真剣な顔つきのサリアを、きょとんとした顔でミネルヴァと皇帝が見るなか、ダグがこめかみに血管を浮き立たせた。
「ええい! そんなことを気にしている場合ではないだろう!?」
「気にしてる場合よ! 予言ができれば、魔女としてランクアップできるんだから!」
「お前にランクアップされてたまるか! そ、それに、そもそも陛下が皇帝を辞めなければならなくなったのは、お前の仕業だろう。予言などではないのだ! 仕込みだ! インチキだ!」
「あ、そうか。そうかも、そうかしら?」
諦めきれないサリアに、ダグは早々に背を向けた。
そして、皇帝にすがりつくように歩み寄った。
「あぁ、陛下。辞めなければならないなどと言いましたが、そんなはずはありません! なんとか、そうです」
ダグは冷静さを取り戻して、森の向こうに目を向けた。
「砦にいる仲間達を集めて、陛下が城に戻れるように計らいましょう。必ずできるはずです」
詰め寄るダグに、皇帝は冷静な面持ちのまま。
「気持ちは嬉しいが、それでは砦がガラ空きになるだろう。それに」
言いかけたところで、ミネルヴァも詰め寄った。
「陛下! 皆さんに協力してもらってください。お城に帰れないなんて、そんなこと……」
泣きそうになって目を伏せたミネルヴァの肩に、皇帝の手がおかれた。
ダグともサリアとも違う、優しい触れ方。
ミネルヴァは大きな手と心配している顔を見た。
「ミネルヴァが思い悩むことはない。俺が決めたことだ。助けられておきながら、城に帰らなかったのはすまないと思うが、俺はこうなってよかったと思っている」
優しい眼差しながらもどこか不敵な笑顔に、ミネルヴァは心まで一瞬奪われた。
「兵士になり、もっと自由に生きてみたいと思っていたのだ。それに、レブナンが皇帝になった姿を見てみたくなった」
目を閉じて、弟の姿を思い浮かべる。
ミネルヴァはそんな皇帝に困惑して、
「で、でも」
こんな形でなんてよくはないと、言いかけたところにダグが言った。
「いいわけがありません! 私が城に行って話してきます……!」
断固として訴えたダグだったが、それ以上に皇帝の顔つきが厳しくなったことにたじろいだ。
「ダグ、俺の決めたことに従えないならもういい」
「そ、そんな……」
皇帝はダグに背を向けた。
切り捨てられる。多分物理的にも。
そう察したダグは、心底動揺しながら皇帝を見つめた。
ダグは皇帝の前に片膝をついた。
声には無念がにじんでいたが、はっきりと告げた。
「……わかりました。陛下に従います。このまま」
「わかってくれて嬉しいぞ」
皇帝は表情を和らげて、ダグを見すえた。
その光景を見守るミネルヴァの耳に、サリアの呟きが聞こえた。
「あらあら、皇帝と忠実な配下。素晴らしい光景ね」
素晴らしいけど……。
ミネルヴァはハラハラせずにはいられなった。
「それから、もう跪く必要はない。これからは一兵士として接してよい」
「そんなこと、無理です!」
立ち上がり詰め寄るダグに、皇帝は困り気味に眉を寄せた。
「無理でもそうしてもらわなければ、おかしいだろう」
「ですが……そうです、主従関係にある者は一般兵達にもいます。私のこの態度も不自然ではありません!」
「そうか?」
「はい!」
「……わかった。好きにしろ」
「ありがとうございます」
話が完全に、皇帝陛下が皇帝を辞めて一般兵になる方に進んでいる。
ミネルヴァはまた皇帝に詰め寄った。
「陛下っ、やっぱり、お城に帰らないなんて」
「ミネルヴァ」
厳格な表情と声音が遮った。
「お前は、俺が森に住むことになるのが嫌か?」
「えっ? そんな、ことは……」
予想外の問いかけに、ミネルヴァは体を跳ねさせた。
陛下が森に住んでくれたら、嬉しいに決まっている。
けれど、喜んでもいけないような。
そんな複雑な思いは顔に出て、皇帝も困惑させた。
そんなふたりをまた、サリアが助けた。
面白がるように、ニヤつきながら。
「嬉しいに決まっているじゃない! もう心の中はウキウキよ!」
「や、やめてください!」
今度はサリアに詰め寄ってから、ミネルヴァは赤くなっていく頬を両手で隠し下を向いた。
いつもなら、本人の言ったことしか信じない皇帝だが、ミネルヴァの顔を見た感じサリアの言うことを信じることにした。
「ならば、なにも問題はないな」
皇帝も不敵に笑い、森の方を眺めた。
「これからは、楽しく森で暮らすとしよう」
楽しげな皇帝の横顔を見て、ミネルヴァの胸はおさえきれない喜びに高鳴りはじめた。