プロローグ
「皇帝陛下が行方不明になられた!」
衝撃的な知らせが国中に広まってから、一週間が過ぎようとしていた。
森の中の小さな家に暮らすミネルヴァも、騒ぎは知っていた。
皇帝陛下は大切な存在。心配で夜も眠れない。
けれど、まず最初にできたことなんて、森を闇雲に歩いて探すくらい。
母と二人、森で採れたベリーや木の実で作ったジャムやお菓子を売る暮らしのあいまに。
売り歩くのは、ミネルヴァの仕事。
小さい頃から母に売り方を学び、20になってからはひとりでも楽しく売り歩けるまでになっていた。
暖かくのどかな昼下り、自家製のジャムと木の実のケーキを入れたバスケットを手に玄関を出る。
「サリアさんによろしくね」
「はい」
「悪い人に気をつけるんですよ」
「はい」
ミネルヴァは胸のペンダント、お守りを握った。
アミュレットには防御魔法が込められていて、悪意を持つ者が体に触れようとすれば自動的に守ってくれるようになっている。悪意の判定は防御魔法を込めた者が決めることができ、ミネルヴァのアミュレットには母と亡き父の魔法が込められている。下心を持つ男や悪しき魔女が悪人判定を受けてはじかれることになる。
「皇帝陛下を探す兵士さんが森にいるかもしれないわ。出会ったら、丁寧にご挨拶するのよ」
「はい。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
見送る母イザベルに笑顔で手を振ると、ミネルヴァは森の道を進み、お客の家に向かった。
お客は魔女。
サリアという年齢不詳の魔女で、魔女のなかではいい魔女と知られているが、どんなことをしているかはよくわからなかった。
ただ、ミネルヴァとイザベルが病気になった時は魔法薬で助けてくれたし、家に来て世間話をしたり食事をしたり仲良しになっている。ジャムとケーキが大好きで、いつもニコニコと出迎えてくれる。
そんなサリアに、ミネルヴァも感謝と親しみを感じている。いかにも魔女の家といった蔦の絡まる屋敷に行くのも怖くなかった。
けれど、今日は不安で胸がドキドキしていた。
行方不明になった皇帝陛下は、サリアさんの屋敷にいるのでは?
そう疑っているから。
なぜなら、サリアの屋敷内には――
人の石像が飾られているから。
石像は妙にリアルで、皇帝陛下を探すうちに石像は石にされた人ではないかとミネルヴァは疑いはじめていた。石像はしばらくするとなくなり、新しい石像に変わっている。
石像ってそんなに簡単に手に入るもの?
怖くて、なにも聞けなかったけれど。
今日は、勇気を出して聞いてみようと決めていた。
もしかしたら、皇帝陛下そっくりの石像が飾られているかもしれないし……
「こんにちは。ミネルヴァです」
玄関ドアを叩いた。
すぐにドアが開いて、サリアが現れた。
ウェーブかかった黒髪に金色猫目。
しなやかな身に黒いコタルディを着こなしている。
コタルディはピッタリとしたロングドレスで袖口が地面につきそうなほど長い。
まさに魔女といった装いに、ミネルヴァは緊張感を高めて息をのんだ。
「いらっしゃい。待ってたわ」
嬉しそうに笑う紅い唇も、魔女の妖艶なものに見える。なにか、秘密を持っている笑み。
「どうぞ、入って」
「お邪魔します……」
ミネルヴァは身の危険を感じつつ、怪しまれないようにいつもの足取りで、広い居間に入った。
貴族の屋敷のような造りの居間には、百年は経っていそうなアンティーク家具がお洒落に置かれてある。
いつもはここに、石像が飾られているのだけど。
我慢できずに、目をキョロキョロさせる。
無いと思ったら、サリアの後ろ、布が掛けられた石像らしき物を見つけた。
ミネルヴァはまた、息をのんだ。
「気になる?」
ハッとしてサリアを見ると、その顔は愉快そうに笑っている。
まさか、やっぱり。
つい後ずさりそうになるのをこらえる。
確かめたい一心でうなずく。
サリアは布が掛けられた物のそばにいった。
「いいわ。あなたにだけ見せてあげる。だけど、このことは誰にも内緒よ、約束しなさい」
もしも、皇帝陛下の石像だったら。
誰にも内緒にはしていられない。
そう考えて返答を拒んでいると――サリアの眼は見開かれ、眉はつり上がり、白い額に青筋が立ち、唇は不満に歪み、ギリギリと噛む歯をみせた。
ミネルヴァがみたこともない恐ろしい形相だった。
「ひっ!?」
「約束しなさい! しないと、あなたのママも同じ目に遭わせるわよ!」
やっぱり、サリアさんは人々を石像に!!
確信したが、ミネルヴァは反射的にうなずいていた。
布が勢いよく取られた。
現れたのは、美しい青年の石像。
「皇帝陛下!!」