屋上➂
渋谷のセンター街に着いた託也と寿々原はコインパーキングに車を止め、瑞洲組が元締めをしているキャバレークラブへと向かう。
店に近付くにつれ、人が多くなり、進みにくくなる。
託也より背が高くガタイも良い寿々原が前に立って人をかき分けながら進み、託也は比較的通りやすくなった彼の後ろをついていく。
ようやく店がある通りへ出ると既に警察が出動し、通りを規制している姿が確認できる。
託也と寿々原は規制テープが張り巡らされている方向へ少し駆け足で近付く。
「ちょっと、待ってください!」
人払いをしていた若い警察官の一人が現場に向かって行く二人に気付き、「申し訳ありません!この先で今…」と止めに入るが、託也は「何があったかは知ってる」と彼の言葉を遮る。
「現場の目の前が俺たちの店なんだ。通してくれ」
若い警察官が「しかし…」と慌てていると「オイ」と低重音の声が彼の後ろから聞こえ、若い警察官は「ひゃいっ!」と飛び退く。
低重音の声の主は四十代くらいの男性刑事で若い警察官を呆れた顔で見て「ったく…」と悪態をつくと託也と目を合わせる。
「俺たちの店って…アンタ、瑞洲組の人間?」
首を傾げて気怠そうに訊いてくる彼の態度が気に入らない寿々原は「オイ、サツ野郎」と睨み付ける。
寿々原の態度で何となく託也の立場を理解した刑事は「こりゃ失礼」と警察手帳を胸ポケットから出して開いて見せた。
「俺は渋谷警察署の椰波田です。様子からして瑞洲組の若頭とお見受けします。御宅の店はどちらで?」
「|Permanentlyって名前のキャバレークラブだ」
託也に店名を聞いた椰波田は「えーっと…」と現場の周辺を見回す。
「ああ、あの店か。本当に目の前だ」
椰波田は歩き出しながら「どうぞ」と言って規制テープが張られた中へ入って行く。
託也と寿々原もそれに続いて中へ入ると人が落ちたであろう店の前から向こう側は周りから見えないようにブルーシートで仕切られていた。
きっと中は悲惨な光景が広がっているだろう。
託也はブルーシートの前に立っている椰波田に「ありがとうございます」と一言声をかけてから店の中へ入って行く。
ドアを開けると受付に若い衆が立っていて、託也と寿々原に気付くと「お、お疲れ様ですっ!」頭を下げた。
「瀬利沢か。大変だったな」
若い衆――瀬利沢は「お気遣い痛み入ります…」と言って顔を上げる。
「一応、うちの連中に被害者はいないみたいです。女の子たちもまだ出勤していませんので」
「まあ、まだ午前中だしな。お前は?何か用事で残ってたのか?」
「業者に十二時から店内の清掃をお願いしていたので、早めに来たんですがこれじゃあ呼べないので先ほど連絡して日をずらしてもらったんです」
託也は「そうだったのか」とドアを開け放したままの入り口に目を向け、外を見た。
十数人の鑑識が走り回り、警察官もかなりの人数が派遣されている。
「このままじゃ今日は店を開けねぇな。下手したらしばらく難しそうだ」
寿々原も「そうですね」と頷く。
三人で話し合い、とりあえず落ち着くまでは店を開かない方が良いだろうという結論に至った。
瀬利沢には他のスタッフに一週間休業することを連絡してくれと頼み、寿々原にも手伝うように言うと一度店を後にする。
外に出ると「若頭さん」と椰波田に声をかけられ、「何か?」と訊く。
「アンタに呼ばれたって言ってる人が来てるんですが」
彼が親指で指した方向を見る黒い服に身を包み、眠たそうな顔の龍司がいた。
「ああ、すみません。さっき呼んだ俺の連れです」
「そうですか。どうぞ。入ってもらって構いませんよ」
確認が済むと椰波田はスタスタとブルーシートの中へ戻って行く。
託也は手招きをして龍司を店の前まで呼ぶと小声で「どう?」と訊いた。
龍司は首を横に振って「うっすらと形跡は感じるが、本体はいないな」と言って店の向かい側にある雑居ビルを見上げる。
「全員があの屋上から一斉に飛び降りたってことか。さっき飛び降りたであろう奴らがうようよしてるぞ」
龍司と託也の目には自殺という死に方を選択したことで天に昇れず、浮遊霊や地縛霊となった男女数人の魂が見えていた。
「けど、元凶はここにいねぇな。かなり悪質な奴だ」
龍司はたくさんの野次馬が集まっている方へ目を向ける。
託也が「見つけられそう?」と訊くと「ああ」と龍司は口角を上げた。
「悪い気の匂いがプンプンするぞ」
龍司と託也は規制テープの外に出ると人混みの中へ入って行った。
龍司は手に紅い数珠を持ったまま人混みの中を足早に進んでいく。
託也は迷子にならないようにその後ろを必死に追いかけた。
渋谷センター街から井の頭通りへ出てとある雑居ビルの中へ入り、エレベーターで最上階まで行く。
エレベーターを降りて階段を昇り、屋上に出ると黒い霧を纏った何かが柵の向こう側にいた。
下を見ると人の足らしきものが確認できたので、生きてはいないが元が人間であることは間違いなさそうだ。
『……しぬ………しねばいい…楽に…』
小さくブツブツと呟く声は男であったり女であったり、しわがれていたり、子供のように幼かったりと様々な声色で、統一性がない。
「こりゃ大物だな。“集合体”か」
龍司は右手に紅い数珠を持ち直し、左手には【縛】と行書体で大きく書かれた札を持って、託也は黒い数珠をポケットから出す。
龍司が“集合体”と呼ぶ黒い物体は二人の存在に気付き、ゆっくりと身体を反転させた。
途端に黒い物体を包んでいた黒い霧が晴れ、その姿が露わになる。
『楽、ニ……死んだら……一緒に…勇気出して…イコ…』
元は人の形と思われるが、顔にいくつもの目がある頭を囲うようにたくさんの小さな人間の頭が生えており、若い女や年老いた男など年齢も性別もバラバラだ。
肩や腕にも小さな頭が生えており、手首から掌にかけてはたくさんの口で埋め尽くされている。
その姿を見ただけで「ぐっ…」と口元を押さえて気持ち悪そうにする託也を庇うように龍司が前に出る。
「託也、下がってろ。お前は人一倍”敏感“な体質なんだからな」
「…うん…」
託也は幼い頃から霊の力の影響を受けやすい体質であるため、龍司が力を籠めた黒い数珠を肌身離さず持っている。
影響を受けやすいと言っても相手の想いにつられるのではなく、その“存在に対しての反応”が人一倍敏感である。
一般人で霊が憑いていると肩が重い、頭が重いという反応を示すものが、託也のような敏感な体質だと霊が自分の間合いに入ってこようとするだけで体調が悪くなり、酷い場合は吐き出してしまう。
それは相手の力や存在が大きければ大きいほどひどくなるもので、龍司と会うまでは病弱な子供として見られていた。
「さってと。随分とたくさんいんなぁ。一体どれだけの“思念”が集まってんだ?」
龍司が言う“思念”とはいわゆる“残留思念”のことで、何か思いを抱えたまま死んだ人間はそれが未練となり、成仏できずに彷徨う形になってしまう。
その“思念”が負の感情であればあるほど同じ思いの霊たちが引き寄せられるように集まり、集合体として強力な悪霊になる。
『うるさい…行コウ……きっと、楽に…寂しくナイ』
集合体は様々な声で龍司に話しかけてくるが、もちろん彼は耳を貸す気はない。
【縛】の札を胸の前で構えて「悪ィな」と口角を上げて、集合体を見る。
「俺、死ぬなって言われてるから一緒に行けねぇわ」
龍司が札を投げると集合体はビルから飛び上がり、浮遊して距離をとるが、彼の狙いは本体ではなく、柵だった。
札が貼り付くと柵から無数の鎖が飛び出し、集合体に巻き付き、身動きが取れなくなる。
ただの物体ならすり抜けられるが、鎖はこの世のものではないため、不可能だった。
抵抗も出来ず、引っ張られ、ビルに戻された集合体は全ての目が見開いた状態で大声を上げる。
『離せ!』『ふざけるな!』『シンデ…』『お前ニ何が分カル!』『一緒に来い』『シネ…しね死ねッ!』『一緒ニ楽ニナロウ…』
彼らの声に龍司は口角を下げて再び「すまねぇな」と謝った。
「俺にはアンタらを救うことは出来ねぇ。神様でも仏様でもねぇからな。アンタらみんな生きていた時に色々辛いことがあって、生きることが苦しくなって自殺を選んだんだろ?けど他の人を巻き込んじゃいけねぇよ。自分の中では正しいと思うことを他人に擦り付けちゃならねぇ」
集合体はただ黙って龍司の話を聞いている。
「もしかしたらその相手はまだどこかで頑張ろうとしてたかもしれねぇ。それなのに、それを潰すようなことをしちゃ相手もアンタらも浮かばれないんだぜ?」
龍司は【剪】の札を取り出し、集合体の後ろに放った。
紅い数珠を鳴らして現れた黒い鉄の扉を開くと鎖に包まれたままの集合体を中へ誘導する。
「また来世があったら、今度は幸せになってくれ」
集合体が送り込まれると龍司は再び紅い数珠を鳴らして扉を消した。
「ふい~一件落着だな」と数珠を袖の中に仕舞いながら託也のところへ戻る。
「平気か?」
「ん…何とか」
託也はようやく楽に呼吸が出来、大きく深呼吸をして自分を落ち着かせる。
龍司は「ゆっくり呼吸しろ」と彼の背中を擦った。
「後は店の方に戻ってさっき死んだ奴らを成仏させねぇとな。五、六人はいたか?最後にたくさん巻き込みやがって」
淡々と話している龍司だが、心の内では怒っていることを託也は気付いていた。
人はそれぞれ、生きている内に辛く苦しい壁にぶつかることがある。
壁にぶつかった際に、状況を解釈し、その先の答えを出すには個人差というものがある。
今を乗り越えればきっと明るい未来が待っていると考える人間と、もう自分はこれ以上頑張れないと諦めてしまう人間がいるだろう。
最初はネガティブでも徐々に明るい答えに辿り着く者もいれば、そのまま負の感情に飲み込まれて絶望し、自ら死を選んでしまう者もいる。
事情は分からなくないが、龍司はそれでも自殺するという選択が嫌いだった。
人間はそれぞれ必要だからこそ生まれてきて、その理由が分からなくとも生まれるだけでその存在に意味があると龍司は考えている。
大きなことを成し遂げなくていい。
日常の中のほんの些細な事でいい。
存在しているだけで十分なのだ。
だから生きていて欲しい。
龍司の持っている願いの一つだった。
ずっと一緒にいる託也はそれを分かっている。
「落ち着いたか?」
「うん、ありがとう。行こうか」
託也の呼吸が整うと二人は事件が起きた雑居ビルの前まで戻った。
捜査中のため、ビルの中には入れないので下から見上げた状態で先に浮遊霊となった魂を成仏させる。
龍司が白い数珠で魂の数だけ鳴らし、その隣で託也が【天】と書かれた札を用意して龍司に手渡した。
龍司が祈りを込めると札が白く光り、いくつかの半透明な球体へと姿を変える。
球体はふわりふわりとゆっくり舞い上がると浮遊している魂を優しく包み込み、上へ連れて行く。
託也がホッとしていると「ちょっと」と聞き覚えのある声が横から入った。
「御宅ら、何してんの?」
刑事の椰波田が疑わしい目でこちらを睨み付けており、龍司は「あ、ど~もすんません」と着ているトレンチコートの内ポケットから名刺入れを出して一枚椰波田に差し出す。
「一応こうゆうもんでして」
「黯藤心霊事務所…ほお。御宅が噂の幽霊事務所でしたか」
椰波田がなるほどと納得した表情で龍司を見た。
龍司が「よくご存じで?」と返すと彼は「ああ、いや。すいませんね」と警察手帳に名刺を仕舞う。
「新宿署の森口さんと結構長い付き合いでしてね。彼からよく話を聞いてました」
「へえ、森口さんと。先輩後輩とかですか?」
「まあ、そのようなもんです。我々も何か不可思議な事件が起きたら頼るとしましょう」
椰波田が去ろうとすると龍司が「すんません」と声をかける。
「何か?」
「そっちのビルにいる霊を祓いたいんですけど、入っちゃダメ?」
龍司が「お願いします」と手を合わせると椰波田は少し考えてから「外階段からならいいですよ」と背を向けて去って行った。
龍司は「ありがとうございま~す」と言って託也と共に鉄骨がむき出しの外付け階段を上って屋上まで行く。
託也は少し息が上がるくらいで済んだが、龍司は膝に手をついて激しい呼吸を繰り返している。
「義兄さん。体力落ちた?」
「体力とかっつーより、八階分だぞ…?普通にキツイって…」
「寝てばかりだから運動不足もあると思う。普段からもう少し運動しときなよ」
龍司は「う~…あと五年若けりゃ…」と白い数珠を構え、屋上に残ってしまった地縛霊を成仏させる。
無事、魂が上へ上ると託也は「あ、そうだ」と何かを思い出した。
「父さん。会いたがってたよ。顔くらい見せたら」
龍司は嫌そうな顔をして「行ったら最後だろ」と口をとんがらせる。
「そんないきなり縛ったりしないって。父さんにとったら義兄さんも息子みたいなもんなんだし、シンプルに会いたいんだと思うけど?」
託也が子供のように笑って言えば、龍司はむず痒そうな顔をして「考えとく…」とぶっきら棒に言って踵を返した。
階段を下りて行く龍司の後を追いながら託也は「じゃあ連絡しとくね」とからかう。
龍司が「やッ、めろ…」と反抗すれば託也は再び子供のように笑った。
ここまで読んでいただき誠に感謝申し上げます。