プロローグ
7月25日、月曜日。今日から夏休み。田舎の大学に通う二年生である俺は、一人暮らしの特権を利用し、誰にも邪魔されない暇を謳歌しようと目論んでいた。
その目論見は兄から来たLINEの通知によって悉く破壊されることとなる。その通知は夏休み一日目の朝、だらだらとスマホで動画を視聴している時に来た。
『おーいまこと。お前今夏休みで暇だろ?七日間だけでいいからうちの娘のことみてくんない?』
という内容だった。
25歳の兄には今年で小学四年生になる娘がいたはずだ。兄は実家ぐらしだからもし仕事が忙しかったとしても、両親が面倒を見てくれるハズだが。何があったのだろうか?
『父さんと母さんはどうした?』
『それがさー父母は今アメリカへ旅行中で今から帰ってくるとしても三日はかかるんだよ。その間は俺も休みを入れてたんだが、外せない仕事が舞い込んじゃってさ。一週間ほど家を空けなくちゃいけなくったんだ』
俺は兄の娘とはほとんど面識がない。なぜなら実の娘ではなく、二年前に養子になった子だからだ。俺がちょうど家を出るときに入れ替わるように養子になった。どのような経緯で養子になったのかは知らないが、恐らく兄の仕事と関係しているのだろう。
なにはともあれ、ほとんど面識のない小学四年生を七日間も面倒見るのは不安である。去年帰省した時に会う機会があったが、俺にビビっていたのか全く話さなかったし、俺も俺で話す気がなかった。
しかし、旅行と仕事。やむを得ない事情だ。受けるしかないだろう。
『わかったよ。いつから?』
『今日の13時頃に荒津駅で集合しよう。なるべく早く来てくれ』
今日からか~。だろうなとは思っていたけど。
『あい了解』
俺の了承に対して兄はキツネのスタンプで返してきた。それを見た俺は深くため息をついてスマホをテーブルに置き、部屋の片づけにに取り掛かった。
○○○3時間後○○○
俺は最寄り駅である荒津駅に到着した。
荒津駅。ここは一応この辺りでは一番大きい駅だが人がぽつぽつといる程度で、都会の駅と比べると小さい。構内には売店が一つと自動販売機が二台あるくらいだ。
急いで部屋の片付けを終えた俺は、駅前の古いベンチに座って待っていた。現在の時刻は12時45分。早く来いと言われたので約束の時間よりも早く来たが、兄の車が来る気配はない。もっとゆっくり準備してよかったな。
俺が住んでる荒津町は田舎で田んぼと山しかない癖してとても暑い。着ているTシャツも汗でびっしょりだ。
少しでも涼んだ気分になろうとスマホで北極の温度を眺めていると、一台の青い軽自動車が駅の駐車場に入ってきた。兄の車だ。
車は適当なところに駐車すると中からスーツ姿の背の高い男と、黄い色の髪の少女が出てきた。
「おーい兄貴ー」
ベンチから立ち上がって車に近づくと、スーツの男は笑顔で手を振った。
「お、ちゃんと時間通りに来たんだなまこと」
「そりゃあアパートから駅近いからな。そんなことよりも俺にあやちゃんの面倒任して大丈夫なのか?」
俺があやちゃんと呼んだ少女には普通の小学生には見られないある特徴があった。
「ああ……あっちで面識ないやつに任せるより、自然に近い場所で面識ないやつに任せる方がいいだろ」
彼女の頭には人間にはない獣のような尖った耳が付いている。スカートからはふさふさのしっぽが伸びている。それらは同様に黄褐色で、まるでキツネの耳としっぽをそのまま人間につけたような感じだ。
そう。高橋あやはキツネ娘である。このキツネ娘という存在が具体的にどいうものなのか。俺には一切わからない。両親から孫ができたよーなんて送られてきた写真を見た時は、質の悪い冗談だと思って実際に会うまでは全く信じていなかった。
ここまで目立つのになぜネットとかで話題になっていないのかも分からない。実家は東京だし、あやは普通に小学校に通っているらしいから目立ちまくるはずだ。しかし、ネットで調べても直接的にキツネ娘の高橋あやにつながるような情報は見当たらない。
兄の仕事柄こういうのが来ることは予想していたが、キツネ娘を養子にするのはさすがに予想外だった。
「いや、まぁ、そうなんだろうけどよ……」
「耳とかにはついては安心しろ。騒ぎにならないような呪文を施してある」
呪文。きょうび聞きなれない単語だ。兄は俗にいう「陰陽師」のような仕事をしている、らしい。にわかに信じがたい話だ。
実際、俺は兄が仕事をしているところを見たことないし、仕事の話も聞いたことがない。
「ああ、わかったよ」
「じゃあ……これがあやの荷物だ。一週間分の着替えは持ってきたが、必要があったら洗濯してくれ」
そう言うと兄は車からピンク色のスーツケースを取り出した。そこそこ大きい。
「もしなんかあったらすぐに連絡してくれよな。すぐ行くから」
「了解了解。任せてくれよ」
スーツケースを俺に渡すと兄はあやの方を向いた。何かを呟いているようだが俺にはよく聞こえなかった。
「じゃ、頼んだわ。来週またここで迎えにいくから」
そう言うと車に乗り込み、駅の駐車場から走り去っていった。
駅の駐車場にはキツネ耳の少女と俺だけが残った。