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小さな命を狙うもの

残酷な描写ありです。


「先生、子どもたちは安全かな? 肉食獣が近づいてない?」


「ええ、いまのところは」


 森には団体で入ったし、泉でしばらく休憩をとったからか、その場から逃げた生き物の方が多く、警戒して近づく様子はないらしい。

 ただそこが水場なので、いつまでもつかはわからない。



「トルトゥーガさん、問題はないですか?」


「アンタねぇ。それはガウターをパララッカさんって呼ぶのと同じことよ」


「えっ、そうなの?」


 スゴくカッコいい種族名だな。私なんて種族名が管理者なんだけど。


「失礼しました。それではなんとお呼びしたらいいでしょうか」


《ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ》


 ふたりのやり取りを聞いて、高齢のトルトゥーガはこらえきれずに笑いだした。

 その笑い方はちょっとだけオババを思い出させるものだった。


 トルトゥーガのお爺さんは愉快そうに笑うと、自分のことは爺でいいと言ったので、私は敬意を込めて爺様と呼ぶことにした。話し方も気にしなくていいらしいが、さすがにタメ口で話す気にはなれない。


 先生は私が妙な名前を付けるんじゃないかと、ハラハラしていたようだけど、大先輩の名付け親にはなれないよね。



 広い川を斜めに進みながら渡ると、そのまま対岸に近い場所を泳いでいく。

 実際に渡ったからわかったんだけど、この川は思ったよりも大きい。たぶん川幅は二百メートル近くあるね。河口付近はどうなってるんだろうか。


 それに支流の川沿いを歩いていたときは、どんなに狭くても川から森までの間に二メートルくらいのスペースがあった。

 しかし本流の川岸は、ギリギリまで木が生い茂り、崖のようになっている場所もあったので、川に沿って歩き続けることは難しそうだ。


 アリリオはこのあたりを流されてきたんだろうな。

 アリは電車の中から見ているかのように、どんどん後ろに流れていく景色を眺めながら、そんなことを考えていた。



 疲れていないかと爺様に聞けば、水の中では手脚で水を掻いているわけではないのだと、笑っていた。魔素で自分の身体を押すようにして移動するのだそうだ。


 たしかに爺様の脚は海亀のヒレとは違い、陸で生活する生き物同様に爪のついた形だった。けれど陸亀にしては甲羅が平らに近かった。ドーム型というよりはどら焼きのような形をしている。

 まあ、そのおかげで甲羅の上には立ちやすかったのだが。


 爺様はトルトゥーガという魔生物だから、亀とは根本的に違うんだけど、あの空き地で亀たちの長として、のんびり暮らしているのだそうだ。

 ちなみにあの亀たちは、水陸どちらでも生活できる種類と、陸亀が一緒になって暮らしている。小さいものはまだ甲羅が五センチほどだそうだ。


 石ころだと思っていたものが亀だったらどうしよう。踏み潰していないことを切に願う。



 しばらく進むと南側に流れる支流との合流地点が見えてきた。この川はいったい何本に分かれているんだろうか。

 南側に流れていく川は本流の半分の幅もなかった。その流れは自然とカーブを作り、森の中へと消えていった。

 この流れの先は南側の海に出るんだろうね。


 海に流れ出るところは漁業が盛んだというが、森の最南端では船を出すものもいない。絶対に入れ食い状態に決まっている。いつか私が魔術で網を作って、どっさりと収穫しようと思う。


 時おり近づいてくる大型の魚を結界の魔術ではね飛ばす。イメージは下敷きでボヨンと弾く感じだ。これは先生が話していた三メートルの凶暴な魚だった。名前はモレナだったかな。

 縄張り意識が高いから、縄張りから追い出すまでしつこく襲ってくるのだ。


 体当たりされたくはないが構ってやれるほど時間があるわけでもない。雷はこちらにも被害が出そうだし、倒しても回収している暇はないから、勿体ないことはしたくない。

 なにより食べる予定のないものを、進んで狩る気にはなれないのである。



 南へと流れゆく支流を見送った場所から、一時間は経っただろうか。向かって左側、つまり北から流れてくる川との合流地点にようやくたどり着いた。


 爺様が岸にあがると同時に、アリとガウターはその背中から飛び降りた。岸は意外としっかりしていてぬかるむことはなく、かけていた魔術は到着と同時に解いておいた。


「爺様、ありがとう。お礼は――」


《よいよい。早く行きなさい》


「メロコトンはお嫌いでしょうか?」


 鞄からひとつ取り出してみせながら、アリは爺様の好みを聞いてみた。魔生物だから要らないかもしれないけど、おやつは大事だ。使った魔素の補給もしてもらいたい。


《うむ………いただこうかのぅ》


 爺様の真っ黒なオニキスのような目は、メロコトンを捉えてキラキラと輝いていた。


「よかった。これはたくさんあるんです」


 アリは鞄からメロコトンを十個ほど出すと、草の上に置いた。

 川岸のなだらかな斜面には背丈の低い草が繁っているが、その幅はわずか三メートルほどなので、爺様が休むには少し狭いような気がした。


《帰りも困るじゃろぅ。ワシはここで待っておるよ》


「それはとても助かります」


 メロコトンの甘い香りに目を細めている爺様は、それでも口には入れずにアリたちを見送ってくれた。

 帰りもこの川を渡らなければいけないから、爺様の申し出はとてもありがたいものだった。


 アリは待っているあいだ危険な生き物が寄ってこないよう、爺様を中心に半径十メートルの結界で囲んだ。爺様が動けば結界も動き、危険な生き物は決して近づくことができない強固なものだ。

 このサイズの結界なら、さきほどからんできた大型の魚も近寄ってはこられまい。明日は雨だし、三日くらいしたら自然に消えるようにしておこうかな。


「行くわよ」


 準備ができたところでプリ先生が出発を促した。


「うん」


 アリはこれから進むことになる、わずか五十センチばかりの水の帯の先を見やった。


《いこう》


 その川は周りの木々が取り囲んでいるから、直径二メートルのトンネルのような見た目だ。

 深さはブーツの足首を越えているから、十センチほどだろう。水は澄んでいて川底がよく見える。傾斜は感じられないが、水が流れているのだから、北の方がわずかでも高いのだろう。


 アリは再度自分たちに結界の魔術をかけると、狭い緑のトンネル内に足を踏み入れた。


《くらいね》


「そうだね、明かりをつけるか。魔素さんよろしく」


 車のヘッドライトをイメージしたら、額から前方に向けて光の道ができた。

 まさか私の頭から光が出るとは思わなかったが、これは洞窟探検家か鉱夫って感じだな。


「それじゃあ先を急ぐよ!」


 プリ先生を先頭にして、アリとガウターは揃って川の中を駆け出した。




 まるで秘密の抜け道のように、この川は木々によって隠されており、動物の気配がまったくしなかった。いるのは小さなイモリのような両生類か、薄暗い場所や湿気を好む虫である。

 アリは子どもの命には変えられないと、ムカデのようなものの間を足早に駆け抜けた。

 それになぜだか全力で走っていても、石や苔に足を取られることがない。


「ガウターは大丈夫?」


《まだへいき》


「アリ、大丈夫だから急ぎなさい」


「わかったよ」


 なんだか不思議だ。いくら毎日のように庭を走っているからって、こんなに疲れないわけがないんだよね。

 クエルボのフンのせいで、森から家まで走ったときみたいだな。あのときは息を止めていたから途中で休みはしたけれど、今回はそんなこともないし。


「プリ先生、あとどれくらい?」


「半分ってところね。この川はちょっと蛇行してるのよ」


 森の中をまっすぐに走れば泉までは四十キロくらいだけど、途中で肉食獣と出くわす可能性がある。それを倒す必要はないけれど、子どもたちがいる場所まで追ってこられたら大変だ。


 川の小路はそれよりさらに十キロ以上の距離があるけれど、このトンネルには小型の生き物しか入ってこられない。それに目的地の泉から流れているから迷いようがない。


 すでに二十キロ以上走っていることには驚くが、まったく疲れていないことは驚き以上に恐怖すら感じる。プリ先生が魔素でどうにかしているんだろうか。



《あり、なんだかへんなにおいがする》


「うーん、私にはよくわからないよ。先生にはわかる?」


 息を深く吸い込んでみても、私の嗅覚では水と土の匂いしかわからなかった。


「チッ、もっと急いだ方がいいわね。アリ、覚悟をしておきなさい」


 先生舌打ち~。それに覚悟って、明日はのたうち回るほどの筋肉痛ってことなの? 疑問はあるが、いまはただひたすら前に向かって足を動かした。



《なんかにおいがこくなったよ》


 ガウターは全力で走りながらも、知らないものの匂いが気になっているようだ。


 気が遠くなるくらいの時間を走り続け、ようやくトンネルの先に明かりが見えてきた。

 眩しさで目が眩むかと思ったがそれほどでもない。そう思った私の視界いっぱいには、対岸にいる親子と、それに対峙している巨大な姿が入り込んだ。


「壁~!! 城壁くらいの~!」


『助けなければ』そう頭に浮かぶよりも早く、脊髄反射で思いっきり叫んでいた。



 女性たちをひと息で飲み込もうと一気に距離をつめた巨大な蛇は、魔素で作った透明な壁にぶつかった。

 反動で大きく後ろに仰け反った蛇の開いた口は、女性の背丈をゆうに越えるサイズだった。


 開けた場所に飛び出し、その速度を緩めることなく狭い土手を駈けあがった私は、その大きさに唖然とした。これが昨日話していたナンバーツーなのかと。



 巨大な身体には大したダメージにならなかったのか、チロチロと舌を伸ばして鎌首をもたげながら、身体を左右に揺らしている。透明なのに壁があるのがわかるらしい。

 そして親子は、いまの衝撃から倒れ込んで動かなくなってしまった。


「囲んで!」


 横たわった母親らしき女性と胸に抱えたおくるみ、そしてその身体にすがっている小さな子どもを確認して、すぐさまドーム型の結界に取り込んだ。


 ギリギリだけど間に合ったのか? 血が流れているようには見えないけど、ちょっと遠すぎてわからない。小さい泉って言ってたのに、ここから対岸までは五十メートルはありそうだ。


「壁で蛇を押しやって!」


 透明な壁はゾリゾリと地面を削りながら蛇を押していく。それはまるでショベルカーのようだった。しかしそのせいで壁の幅がわかったようで、蛇は壁を回り込むように身体をくねらせた。


 こちらで妨害しているのに、蛇は獲物と決めた女性たちから目を離すことがない。これでは埒があかない。


「先生~。巨大なのは南にいるって言ってたのに」


「アタシたちと同じところを通ってきたようね。諦めなさい」


 先生は情けない声を出す私を叱咤する。


「ううっ」


 いい加減、覚悟を決めないとダメなのかな。


《あり、ぼくがやっつけようか?》


 真横にいるガウターが私を心配そうに見上げているけど、ちょっと前まではドラゴンにビビってたんだよね。


「いや、私がやるよ。私の仕事だからね」


 頼もしいことだけど、ガウターに頼むなんてできっこないよ。一度お願いしちゃったらズルズルと引き延ばして、どうにかやらないですむ方法ばかりを考えそうだ。


 ここは青の森に入ってから数時間でたどり着ける場所だから、放っておいたらいつハンターとかち合ってもおかしくはない。

 それにこの蛇がここにいるだけで、このあたりの生態系が崩れてしまうかもしれないのだ。


 南の地にいたなら誰にも知られず生きられたと思うが、もう中央よりも北に来てしまっている。


「魔素さん、あっちの結界を磨りガラスみたいにして」


 女性たちから見えないように結界を曇らせた。気を失っているようだが念のためだ。


「ふぅー」


 これも管理者の仕事と言えるだろう。遭難者の救助と危険な生き物の排除だ。

 息を整え、いまだに親子を飲み込もうとしている姿を真正面にとらえると、その頭を指差した。


「魔素さん、切り落として」


 自分の声がイヤに冷たく響いた気がして、身体がブルリと震えた。

 自分の中を魔素がスルリと通り抜けた感覚のあとに、泉の水面が揺れるほどの地響きがあがった。それと同時に、頭部を失った蛇の長い身体が力を失い、その断面からはドクドクと赤黒い液体が流れ出ている。

 このままでは泉が汚れてしまうだろう。


「蛇を包んで、落ちた血は浄化!」


 断面をラップで圧迫するイメージで押さえると、これ以上血が流れ出ないようにした。

 首を落としたのに、身体がビクビクと動いていて気持ちが悪い。


「アリ、頭も囲んでおきなさい」


 先生の助言に従い、切り落とした頭部にも結界を張った。すでに黄色の眼には光がないが、念のためぐるりと囲むようにした。


 小さな泉をクルリと回って蛇の側まで行き、その巨体を鞄にしまう。たしかに絶命しているらしく、ピクピクと痙攣している巨大な身体は、あっさりと鞄の中に納まった。そして頭も同じように回収しようと手を伸ばしたところで、死んだはずの蛇が突如大きく口を開いた。


 アリがペタリと腰を抜かしていると、結界に阻まれた頭はすぐ側にゴロリと転がっていて、徐々に瞳孔が開いていった。


「アリ、大丈夫?」


「めっちゃビビった!」


 なにあれ? あの状態で動くんだ?

 アリは立ち上がると蛇の頭を鞄に入れた。頭部だけで二メートルはありそうだ。


「先生ありがと~」


 頭を囲んでいなかったら、あの牙はもっと近くまで迫っていただろう。

 自分に張った結界は身体から十センチも離れていない。あんなデカいのからそこまで近寄られたら、身体中の穴という穴から液体が出て干からびてしまう。


「ここまで大きいと生命力が強いのよ」


「このあたりには、もう危険な生き物はいないかな?」


《においはしないよ》


「近くに反応する魔素はないわね」


 あたりを見回し血の汚れも臭いもしないと確認してから壁を解除した。

 結界をもとの透明に戻し、身体から五十センチほどに縮めておいた。


 地に倒れている母親を仰向かせると、子どもと赤ん坊をしっかりと抱きしめて気を失っていた。

 自分たちに向かってくる巨大な蛇を目の前にしたのだ。きっとハンターだって腰を抜かすだろう。


 女性の首筋に指先を揃えて当てると、ゆっくりだが脈打っていて目立った外傷は見られなかった。


 アリはカラカラに乾いた口の中を唾液で湿らせると、震える手でそっとおくるみをめくった。自分の鼓動が早いリズムを刻んでいるのが、胸に手を当てなくても感じ取れた。


 赤ん坊はもぐもぐと口を動かし、身体の不調を訴える様子はなかった。


 女性の横に倒れている子どもは五歳くらいで、ワンピースを着た女の子だった。

 ざっと確認してみたが、身体も呼吸もおかしなところはないようだ。

 下半身が濡れてしまったのは、あまりの恐怖に失禁したんだろう。小さくたっておねしょは恥ずかしいだろうから、目を覚まさないうちに浄化して乾かしておいた。


「はぁ~。よかった、生きてるよ」


 私たちは間に合ったのだ。


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