アリの料理と別れの日(前)
調理中に残酷と思われる描写があります。
「僕は明日ここを出るよ」
晩ごはんを終えてゆったりとした気分だったアリは、降って湧いたような話をされた衝撃に、そのことばの意味をしばらく理解できずにいた。
「僕の魔術でも問題なく飛べる?」
いたわるようにチコさんの首筋を撫でながら、ウィル様は魔術のかかり具合を聞いている。
《えぇ、とても楽に飛べますね。ひとりで飛ぶときと変わりはないですよ》
チコさんは気持ち良さそうに身体を伸ばして、雲を追い抜きながら南を目指している。
どうやらウィル様の魔術は、私がかけたものと変わりがないようで、空気に抵抗されることなく飛べたようだ。
「チコさんは昨日、今日と連日の長距離飛行だけど、疲れてはいませんか?」
《私たちドラゴンは、魔素さえ十分にあれば疲れることなど、ほとんどないのですよ》
そうなのか。知られざるドラゴンの生態の謎が、またひとつ解き明かされたね。
ようやく青の森が見えてきたときには、日が沈んであたりは薄暗くなっていた。
「あとはセマフォロの葉を集めないとね」
後ろから顔をのぞき込まれてそう言われると、アリは驚いて身体を震わせた。
そういえば、もう少しでなくなりそうだって自分から言ったんだった。すっかり頭から抜け落ちていたよ。
「ウィル様、今日はもう遅いですし明日にしませんか?」
このままだと晩ごはんがさらに遅くなってしまいますよ。
「そうだね。今日の採取は難しいかな」
それじゃあこのまま帰ろうか。そう言われて大事なことを思い出した。
ガウターから臭いってのしかかられる前に、浄化魔術をかけておかないと。
アリは頭のてっぺんからつま先まで、念入りに汚れと匂いを落とした自分の姿を思い浮かべた。
《あり~ おかえり!》
庭に降り立つとガウターが家から飛び出してきた。出かける前は斜めだったご機嫌が、いまはまっすぐに直ったらしい。
「ただいま、ガウター。おみやげを買ってきたよ」
《わーい、なんだろうな》
ピョンピョン跳ねて喜ぶガウターをひと撫でしてから、チコさんにお礼を言ってふたりは家の中にはいっていった。
プリ先生にも帰宅のあいさつをすませると、アリは朝から開けたままだった窓を閉めようと、ベッドのそばへ近づいた。
そうだ、忘れないうちに結界と浄化の魔術をかけないとね。
まずは結界だ。家の中に小さな虫が入り込まないようにしないと。浄化は十二時ころに発動するようにした。
時計がないから、太陽が一番高い位置の時間でイメージを固める。支障があったときにかけ直せばいいのだ。
うがい、手洗いをすませたら晩ごはんの支度にかかる。
「それでは始めます。アリのワクワク魔術クッキング!」
すでに午後八時を過ぎていたため、手早く魔術で調理することにした。
ニンニクや玉ねぎのみじん切りなど簡単なものだ。フードプロセッサーの魔術は最強だな。匂いがまな板に移ることもないし、玉ねぎに泣かされることもない。
アリは豊富な魔素と自分の想像力に感謝した。
お湯を沸かしてるあいだにトマトソースを作ってしまいたい。アリはかごバッグの中から氷の袋を取り出して、その中身を流しに捨てると、カニの下ごしらえに取りかかった。
麻袋の両側から氷で冷やして、カニを麻痺させておいたのだ。
ざっとすすいで裏返すと、ふんどしをめくって縦に真っぷたつにした。それをさらにぶつ切りにする。
ニンニクと玉ねぎをオリーブオイルで炒めたら、カニを加えて火をとおす。
それに屋台で購入した林檎酒を回しかけてアルコールを飛ばし、細かく刻んだトマトを加える。
白ワインがないのだから、林檎酒を代用しても大丈夫だろう……たぶん。
水分を飛ばすように煮詰めているあいだに、沸かした熱湯にパスタを投入した。
ウィル様はいっぱい食べるだろうから、最低でも二回は茹でることになりそうだね。
パスタが茹であがるころには、ソースもいい感じに煮詰まってきた。パスタをお湯からあげると、ソースを半分別皿によせたフライパンに入れてよく絡める。
そのあいだパスタを茹でた鍋に、エンドウ豆をさやごと入れる。塩も入っているからちょうどいいだろう。
これはパセリもディルもなかったから彩りのためだ。軽く茹でたエンドウ豆は氷水で冷やしておいた。
お皿にパスタを盛りつけて、エンドウ豆を飾ってチーズを削る。
代用品が多いしコンソメや生クリームもなかったけど、味見した感じだと充分おいしいと思う。
「みんな~、できましたよ!」
テーブルにはカトラリーがセッティングされており、すでにウィル様は着席していた。
《かにっていいにおいだねぇ》
ガウターはマズルを上に向けてヒクヒクさせながら、料理の匂いを一心に嗅いでいる。
ガウターや、これはニンニクの匂いだと思うよ。それともカニの匂いを嗅ぎ分けることができているんだろうか。
プリ先生とガウターにも味見程度にお皿に盛って、アリもテーブルについた。
ウィル様のグラスには冷やした林檎酒を注いで、屋台の丸パンも出しておいた。お皿のトマトソースを拭うようにつけて食べたら、きっとおいしいだろう。
「どうぞ、召しあがれ」
「いただきます」
《いただきま~す! おいし~い》
「いただくわね」
ガウターさん速すぎですよ!
ペロリとお皿を舐めるようにして口に入れると、ゴクンと飲み込んだガウターは、やっぱりワンコだよね。
「うん、ソースが濃厚でおいしいね」
ウィル様はフォークで口に運ぶ姿が優雅だけど、相変わらず手と口の動きが三倍速だね。
「トマトも青臭くないのね」
プリ先生のパスタは、喉につまらないように短くカットしているし、ほんの少しでいいらしいから小皿に少しだけなんだけど、おいしいと言ってくれた。
このトマトはほどよい酸味だから、ウィル様も大丈夫だったみたいだ。
「たくさんおかわりしてくださいね」
《あり~、もうすこしたべたいよ》
「僕も!」
ふたりのお皿に、フライパンのパスタを盛りつけて渡したあとで、取り分けておいた残りのソースをフライパンへ戻した。
エンドウ豆を調理したあとにお湯を捨てて、再度沸かしていた鍋でパスタを茹でる。
そのあいだに私も食事を再開する。冷たいお茶で喉を潤すと、もちろん主役のカニ様からいただくのだ。
爪の部分は、身を取りやすく味もつきやすいように割っておいたから、フォークを差し込むだけでスルリと殻からはずすことができた。
「うんまぁ~い! 身はプリプリで甘味があるね。あのおじさんから買ったのは間違いじゃなかったよ」
前世に食べた冷凍でスカスカなものとは違って、肉厚な身がギッシリと詰まってるよ。
メスがいなかったのか、それとも産卵の時期ではないのかわからないが、内子を持ったカニはいなかった。ふんどしの幅が狭かったから、たぶん七匹ともオスだろう。そのかわりに身が重い。
お皿についたソースは丸パンできれいになった。お腹も満足、皿洗いも楽チンだ。
二回目のパスタをお湯からあげると、ソースを絡めているあいだに鍋を片づけた。そしてウィル様がもう充分だと言ったので、残りはボウルに入れて鞄にしまった。
これでいつでも出来立てを食べられる。
そして食後のお茶をいれてお土産を披露した。
「これはね、先生のお風呂だよ」
先生の粉っぽいのが減るといいね。
「あら、ありがとう」
きれいな模様ね。プリ先生はテーブルに置いた小鉢の周りを、ちょこちょこと歩き回り、小花の模様をくちばしで突っついた。
「こっちはねぇ、ガウターのブラシだよ」
クシとブラシの使い心地を試すように、アリはガウターの背中の毛を優しくとかした。
《きもちいいねぇ》
どこかふわふわしたような返事をしたガウターは、気持ちがよくて眠ってしまいそうだ。
こんな感じでまったりとしていたときに、その爆弾発言がなされたのである。
「えぇっ!」
やっぱり三日を過ぎると罪の証が額に刻まれるんですか? もっと一緒に過ごせるんだと勝手に思ってたよ。
「そんなぁ、明日って朝起きてすぐじゃないですよね?」
「そうだね…………準備もあるし、お昼前には立とうかな」
ここから一番近いセマフォロの木はどこだったろうかと、ウィル様は斜め上方に視線を向けて、人差し指を頬にあてている。
「もっとゆっくりしていけばいいのに」
「アリ、ウィルにも都合があんのよ」
「だってまだ二日だよ」
「諦めなさい」
プリ先生にたしなめられて、アリはガックリと肩を落とした。
「アリ、僕との別れを惜しんでくれるのは嬉しいけれど、これで永遠に会えないわけではないんだからね」
《あり~げんきだして》
「ううっ」
ガウターからもなだめられて、アリはとうとうテーブルに突っ伏してしまった。
私って人との縁が異常に薄すぎないだろうか。
「赤、白、黒の森をめぐって、管理者たちに魔術の話をしないとね」
「そっかぁ。ほかの管理者たちは、いまでも倍の時間をかけて移動してるんだもんね」
そんなに長くはかからないけれど、その間チコさんはウィル様と一緒だ。問題はないかと聞かれたから、しばらくは調薬をするつもりだと答えておいた。
う~んと考え込んだアリは、いいことを思いついたとばかりに先生に尋ねた。
「遠話魔術でなんとかなりませんかね?」
期待を込めてプリ先生を見つめる。
「僕はアルメンドラしかわからないけど」
ウィル様も困ったように先生に視線を向けた。
「アタシにもできないことはあるのよ」
ふたりの視線に耐えかねて、プリ先生はため息をついた。
残念ながら赤の森より遠い白と黒の森には、遠話魔術が届かないようだ。
就寝のあいさつをしてテントに入るウィル様を、アリは玄関でしょんぼりとしながら見ていた。
やらなければいけないことはあるのだが、いかんせんやる気が出ない。それでもハバリーの肉を冷蔵庫に移し、貯蔵庫の薬とは反対側の棚に購入した野菜などを収めた。
ウィル様から借りた器の中身を皿に移し替えると、きれいに洗ってテーブルに置いた。
これは朝ごはんのときに返せばいいね。そんなことを肘をついてぼんやりと考えていた。
「いい加減にしないと明日起きられないわよ」
「はぁ~い」
ようやく重い腰をあげて寝支度を整えると、おやすみのあいさつをしてベッドに入った。
気が高ぶって眠れないかと思ったが、朝から歩き回って疲れていたのか、数分後にはあっさりと寝息を立て始めた。
翌朝、心地よい眠りから目覚めたアリは、日課のストレッチをして身支度を整えると、鞄を肩にかけて川へと向かった。
すでに魔術で水を出すことができるのだが、樽に川の水を入れておくためだ。
鞄から樽を出して、川の水を魔術ですくい持ち上げる。持ち上げられた水は踊るように樽へと収まった。
「やったね。昨日の林檎酒よりもうまく入れられたぞ」
もしかしてこれで魚も捕れるんじゃないかな。ちょっとだけ試してみると、キラキラと光を反射させていたウロコを持つ魚が、川の水と一緒に浮かび上がった。
これはガウターには内緒にしないとね。アリは魚を川に戻すと気分よく樽を鞄にしまった。
どうやらガウターは、私のために魚を捕まえたいようなのだ。それなのに私が先に捕まえてしまったら、拗ねまくるに決まっているのだ。
畑に戻ると、ウィル様のテントを囲むピョップン以外の薬草に、ていねいに水をかけていった。
ピョップンたちは散歩ついでに川まで歩き、流れに足、というか根っこを浸しているときがあるのだ。だから畑にいないときは、追いかけてまで水をかける必要がないことがわかった。
昨日の魔術によるゲリラ豪雨で根腐れを起こした様子もなく、ツヤツヤとした葉が光を受けて輝いている。
さてと、朝食の準備でもするかな。お休み中の人がいるから、庭を走るのはあとでもいいだろう。
アリは鼻唄混じりに裏口へと歩いていった。
食事を終えたら今日の予定を打ち合わせる。
採取するのはなるべく早い方がいいだろうと、これからセマフォロの葉を取りに行くことに決まった。
「もうそろそろかな。チコ、三番目の湖に降りてくれる?」
《かしこまりました。ウィル様》
チコさんは、南から少しだけ東よりに方向を変えて飛んでいる。
「ウィル様、三番目って大きさですか?」
「そうだよ。この森にはチコが降りられる場所は少ないからね」
「こんなに広い森なのにですか」
上空から見下ろすと隙間なく木々が繁っていて、見える範囲には空き地がなかった。
「森を歩いていて拓けた場所はあったかい?」
そう言われて、いままで行った場所を思い出してみる。南はムリだな。崖まで行くあいだにはどこにもなかったし、森を抜けても崖までは五、六メートルだから、チコさんは降りられないな。
西は磯浜で、岩場になっているところ以外は空き地はなかったかな。
「家の周りにはないみたいですね」
私の行動範囲はまだ狭いのだけれども。
この森はだいたいが密集した木々でできていて、湖が数ヵ所と自然にできた空き地はニ、三カ所あるだけなのだそうだ。
数分後にチコさんが降りた湖のほとりは、水際まで二十メートルくらいあったから、寝そべっても少し余裕があった。
ここでチコさんには待っていてもらい、私たちはウィル様を先頭にして、セマフォロの木に向かって歩きだした。
そして歩くこと数十分、目に入ってきた光景に、ついつい驚きの声をあげてしまった。
「マジかっ!」
異世界って凄いな。私は一年前に生まれ直してから、何度そう思っただろうか。




