異世界の歩き方
西のハンターギルドは南門から五百メートルくらい北西にあるので、ここから中央の噴水広場までは北東に十数キロの距離がある。歩いたら三時間くらいはかかるんじゃないかな。
このあたりは王都へ来た旅人や行商人、ハンターたちが最初に足を踏み入れるところだから、その人たちをターゲットにした小さな商店が軒を連ねている。
王都を囲む石壁の近くは、魔生物以外の馬やロバを連れた人たちのための預かり所や、厩がついた宿屋が多い。
基本的に王都の石壁内は、魔生物以外の生き物に乗ってはいけないというから、ここに馬などを預けて中心部に宿をとるか、このあたりに宿をとって乗り合い馬車で移動するんだろうな。
そして大通りに沿って街の中心に向かうほど、大きな商店が増えていく。北の王城付近は貴族街だし、中央の噴水広場から貴族街までの北寄りは、貴族相手の大商人の店が広がっている。それ以外が庶民街だ。
今日は商人や旅人向けの店ではなく、王都に住まう人々が利用する店を案内してくれるらしい。
屋台とかものぞいてみたいな。いくつかある広場では、行商人が開いている露店もあるらしいから、そこで掘り出し物を探すのも面白いかもしれない。
ただ個人カードで支払いができるのは、それなりに大きな店だけなので、私はまず自分のカードからお金を引き出さないといけなかったのか。
「ウィル様、今日の軍資金をギルドでおろすのを忘れてました。戻ってもいいですか?」
とりあえず物価がわからないから、最高金額の硬貨に合わせて、五百オーロ分の少額硬貨を持っていたらいいんじゃないかな。
「う~ん。今日は僕がいろいろ買ってあげたかったんだけどなぁ」
おぉう、それは太っ腹だね。でもいままでの生活は、全部ウィル様のおかげで暮らせてたんだよなぁ。そろそろ恩返しがしたいんだけど。
「むしろ私がウィル様にお返ししたいんですが」
「じゃあ、今日はお金を使う練習をしようか」
そう言って私に革の小袋を渡してきた。
思わず受け取ってしまったけれど、手のひらに置かれたときの音と重さから、これの中身がお金なのは間違いないね。
小さな薄茶のスエード生地には青い小花が刺繍されていた。これは身近でよく見た図柄だ。
「ウィル様、これは?」
いちおう聞く、でも何なのかはわかった。
「それはアリのお財布だよ」
ハンター登録のお祝いだからね。そう言われて頭をくるくると撫でられてしまった。
「ありがとうございます!」
ここは素直にもらっておこう。こんな風に始めから準備されていたのでは、受け取れないと我を張る方が失礼だろう。
「じゃあお昼も過ぎてることだし、まずはお腹を満たそうか」
「その提案には大賛成ですね。いまにもお腹の虫が騒ぎだしそうです」
「アリのお腹には虫がいるの?」
「どうなんでしょうか?」
管理者のお腹には寄生虫はいるのかな? アリは自分のお腹を見下ろすと上下になでてみた。お腹からの返事は当然のことながらなかった。
中央へと向かう道から逸れるように北に進むと、住宅街といった街並みに、ときおり良い香りを漂わせている建物が混じるようになってきた。
そんな場所も素通りしていくから、ウィル様にはお目当ての店があるんだろうな。
ここの通りは馬車などは走ることができないので、みんなゆったり歩いている。
「アリは欲しいものや見たいものはある?」
「ガウターのブラシとチコさん用の樽、それに歯ブラシを見たいです」
そういえばトイレの紙がそろそろ無くなりそうなんだった。トイレのって言っても、使うのはトイレだけじゃないんだよね。その紙はキッチンペーパーとしても使うし、鼻をかむときも使う。紙はそれしかないし、花粉症だから柔らかくないと辛いってこともないから、我慢はできる。
ちり紙って言ったらいいのかな。トイレットペーパーみたいにロール状じゃなくて、ちょっと固めの一枚の紙なの。
ドラッグストアやスーパーのティッシュ売り場の、片隅に置いてあるものに似てるんだよね。
ただ紙の色が薄い黄色、薄い桃色、薄い緑色の三色あった。さすがに柄がプリントされたものは無かったんだけど。そして大きさがまちまちで、だいたい両方の手のひらくらいの大きさだった。
「あとこの紙も欲しいです」
十枚くらいを畳んで持っているのをウィル様に見せる。何かあったときのために、ティッシュペーパーの常備は必要だ。
「これはセマフォロの葉だよ。青の森にも生えてるからそこで採取したら?」
「葉っぱなんですか!? これが?」
アリは持っていた紙を広げてみる。葉脈はない、というか全体的にシワシワだからわかりにくいな。形はほとんど四角だし、葉っぱらしさはどこにも無いんだけど。
「帰りに案内してあげるよ」
ウィル様がそう言うなら、これは買い物リストから削除しておくか。
しばらく歩いてたどり着いたのは、白い壁に焦げ茶色の木製のドアがついた、こぢんまりとした店だった。窓辺には赤い花の鉢植えが飾られている。
ドアを開けるとコロンとベルが鳴り、店の奥から明るい女性の声が響いた。
「いらっしゃいませ~、お好きな席にどうぞ~」
そう言って奥から出てきたのは、小柄で恰幅のいい熊人の奥さんだった。リアル熊さんだけど、目がクリクリしていて可愛らしさが勝っているな。
顔が完全に熊だから、年齢はさっぱりわからないけど、雰囲気は三十代後半くらいかな? 黒い毛で首の下あたりは白い毛が生えているから、ツキノワグマだろうな。黄色地に赤の小花模様のワンピースを着て、白いエプロンをしている。
「あら、ウィル君じゃないの、今日は友だちを連れてきてくれたのかい?」
ウィル様は完全に子ども扱いされてるんだな。
「あんた、ウィル君が友だちを連れてきたよ」
キッチンの奥にそう呼びかけると、カウンターに近いテーブルに向かい合わせで席についた私たちに、すぐにメニュー表を持ってきてくれた。
店の中は、五人掛けのカウンターとふたり掛けのテーブルが三つ、四人掛けのテーブルが二つ置いてある。二十人は座れないけど、隣との間隔は広めだし、どっしりとした木製の家具が、家庭的なこの店の雰囲気にピッタリだ。
窓際のふたり掛けに二組の先客がいるけど、この時間に間食する人は少ないみたいだな。
「よう」
無愛想な低い声で一声かけて、すぐにキッチンに戻っていったけど、いまのはシロクマだったような。
シロクマとツキノワグマの夫婦か。アリリオの村でも思ったけど、獣族のカップリングは奥が深いな。
「あれ? ここはオムライスがあるね」
黄色い玉子の小山にケチャップがかけられている絵が、メニューを見る私の目に飛び込んできた。
「ここは五年くらい前に、ハンターから教えてもらった店なんだよ。アリはお米を食べたいんじゃないかと思ったからね」
昨日の話からお米料理があるお店を選んでくれたのか~、ウィル様は優しいな、神様はここにいたんだね。神殿のはきっと偽物だな。
「どうじょ」
「どうじょ」
キッチンからカウンターの横をとおって、ふたりの小さい熊ちゃんが水を持ってきてくれた。
木彫りのカップと熊の組み合わせは、ヒグマのイメージが強いけどふたりは白黒だ。つまり双子のパンダだな。
「ありがとう」
「ありがとう、アドラ、ラブレ」
ふたりはテーブルにカップを置くと、にへっと笑ってキッチンへと戻っていった。動きが完全にシンクロしている。
双子のちびっこパンダの女の子たちは、膝までのお揃いのワンピースを着ていてとても可愛らしい。それにしてもシロクマとツキノワグマからパンダが生まれたのか。毛の色がうまく混ざったからってパンダにはならないだろうに。
DNAの神秘に気をとられていたけれど、早くメニューを決めないとね。料理は二十品くらいあって、色えんぴつで描いた料理のイラストが載っているから、わからない料理でもイメージがつかみやすい。
「ここのメニュー、値段が書いてないですよ」
すみずみまで確認したけど、どこにもないな。
「アハハハ。ここはなんでもウィル君ひとり分さ」
値段がわからないと注文しにくいから、こっそり聞いたつもりだったんだけど聞こえちゃったのか。
獣族だから耳がいいのか、でっかい声で奥さんが教えてくれたけど、ウィル君ひとり分ってなに?
「僕がひとりってことは三オーロ銅貨が一枚ってことだよ」
他にも管理者さんが一枚とか、この支払いはウィル様で! とか言い方がいろいろあるみたいだ。
「なるほど、みんなうまいこと考えますね」
「そのうちアリがそういわれるんだよ」
うわぁ~、それは慣れるしかないんだろうな。
ロコモコみたいな料理もいいけど、昨日はハンバーグだったしなぁ。オムライスはオムレツばっかり食べてたからちょっと飽きたし。
「よし、決めた! 私はジャンバラヤにします」
「ふ~ん、僕はオムライスとビーフシチューをパンで、あとポトフを二人前お願いするよ」
うへぇ~、よくその身体に入るよね。これでも昨日よりは少ないんだよなぁ。
さて注文はしたから、料理ができるまでの間にお金の勉強だ。教えてウィル先生。
「ここの食事は三オーロ。これはこのあたりのレストランの平均的な値段だよ」
店によって飲み物は別料金とか、量が多い、少ないはあるけれど、たいていは三オーロですむんだよ。
でも僕の場合は三倍から四倍はかかっちゃうんだけどね。
「なるほど」
それなら三オーロ銅貨が出回るのも頷けるね。
「あとは広場の屋台かな。屋台では一オーロあればたいていのものが買えるよ」
朝夕に食べていた丸パンは二個で一オーロ。
ほかに一オーロで買えるものは、お肉の串焼きが一本、コッペパンに具を挟んだものが一個、カップを持参したときのお茶やジュースが一杯。
屋台の飲み物はカップ込みだと四オーロで、飲み終わったあとにカップを返却すると三オーロが返ってくる仕組みだ。
観光で王都に来た人は記念に買ってもいいだろうし、いらなかったら返金してもらう。王都に住んでいる人は、自分のカップを持参して返金の手間を減らしている。
屋台のカップには底に焼き印が押してあって、他の店のものと混ざらないように工夫がしてあるという。
私も鞄にマイカップを入れておこう。買い物リストにカップを足した。
「アリ、いまも防御の魔術は張ってる?」
そういえば解いた覚えがないな。
「張りっぱなしだったみたいです」
「うん、管理者は使える魔素の量が多いから、それができるんだよね」
広場に行くときは忘れずに張っておくようにと、念を押されてしまった。どうやら観光客などを相手に、スリや引ったくりの被害が起きているらしい。
日用品や魔道具の値段の話をしていると、キッチンからにんにくのいい香りが漂ってきた。
「ウィル君は、どこかの王子様でも連れてきたのかい?」
なんだか何も知らない子だねぇ。料理の乗ったトレイをそれぞれ両手に持って、ふたりの前に置くと、奥さんはアリをマジマジと見てからそう言った。
いまの格好はズボンだし、暑いから首の後ろで髪をひとまとめにして、ヒモで結んだんだった。でも顔は完全に女の子だから間違いようがないと思ってたのに。
「この子はいまの管理者だよ。知らないのは転入者だからだね」
「アリといいます。よろしくお願いします」
「おやまぁ! あんたが新しい管理者様かい」
あたしはクロリンダだよ。リンおばさんって呼んどくれ。うちのは食べ終わってから紹介するよ。まずは熱いうちに食べとくれ。
奥さんもといリンおばさんはそう言うと、カウンターの中へ入っていった。
「それじゃあいただこうか」
「はい、いただきます」
お米はあるけど箸は無いんだな。カトラリーは、スプーンとフォーク、ナイフだけだった。
ウィル様のポトフとビーフシチューも運ばれてきて、テーブルの上は料理でいっぱいだ。
話しているあいだキッチンから流れてきたいい匂いで、お腹の空き具合はピークに達している。
私のジャンバラヤは、付け合わせのサラダのほかにコンソメスープが付いていた。これはウィル様のオムライスと一緒だ。
ウィル様の前には、木製の深めのスープボウルいっぱいのポトフと、白いお皿にビーフシチュー、そしてスライスされたフランスパンみたいなのがふた切れも並べられている。
一オーロって日本円でどれくらいなんだろう。このメニューだけじゃ物価がよくわからないな。でも香辛料が異常に高いってことは無さそうだな。
スプーンで掬って一口食べると、米はパラパラしていて油でべとついたりはしていないし、辛さもちょうどいい。玉ねぎの甘さで中和されているからだろうな。
続いてお肉のところを食べてみる。鶏肉っぽいものとソーセージも、うま味が濃いのかとてもおいしい。
「おいしいですね」
アリが自分のお皿から顔をあげると、ウィル様はすでに三分の一を食べ進んでいた。
「ここは肉を使った料理がおいしいんだよ。さっき顔を出したのがリンおばさんの夫で、料理人なんだけどハンターでもあるから、自分で肉を狩ってるんだ」
料理人が肉を買わずに狩ってるのか。だからビーフシチューが三オーロで出せるのかな。屋台の串焼きが一オーロっていってたから、この値段は安すぎるんじゃないかと思ってたんだよね。
私がせっせとスプーンを動かしているあいだに、ウィル様は魔術のように目の前の料理を減らしていった。なんとご馳走さまのタイミングが同時だった。
「ご馳走さまでした」
「今日も美味しかったよ。会計をしてくれる?」
「はいよ! あんた、ウィル君たちが帰るってよ」
リンおばさんに呼ばれて出てきたシロクマさんは、両腕に子パンダを抱きあげていた。
うーん、熊さんファミリー全員集合か。なんだか異世界感がぐっと身近になってきた。全員獣頭だけどしっぽは確認できないな。
「初めまして、ウィル様の後任のアリです」
「アルトゥロだ」
「ラブレだ~」
「アドラだ~」
お父さんは無口か! そしてちびっこはなんでも真似したい年頃なのかな。両腕をあげてお返事してくれたのはいいけど、いまのはパパの頭をかすめた気がしたな。まったくダメージは入っていないけどね。
パパさんたちは名乗るとまたキッチンの奥へと引っ込んでしまった。
「おやまぁ! まったく困ったもんだね」
照れ屋で参るよ。なんて言いつつも旦那さんにベタぼれなんですね。わかります。
「じゃあお会計はウィル君が五人だよ」
わかるかな? って聞かれたけど、さすがに一桁のかけ算は大丈夫だ。
「十五オーロですね」
もらった財布を開けると、思ったよりも高額硬貨が入っている。
「ウィル様、大金が入っているんだけど」
「大丈夫、まだまだ買うものはあるからね」
アリは財布から十オーロ銅貨と一オーロ銅貨を五枚出すと、奥さんへ手渡した。
奥さんの手のひらには肉球はなかったが、ふんわりとした丸みのある手だった。
また来るとあいさつしてからお店を出ると、ハンターギルドに戻るように、来たときと違う道を進む。たぶん南東に向かっているんじゃないかな。
これから向かう先は日用品などの雑貨屋さんが多い通りのようだ。
「ウィル様、私のお財布って拡張と重量軽減の魔術がかかってませんか?」
「小さいからね。でもそれくらいが限界かな」
「いや、そういうことじゃなくてですね」
お財布にここまでの機能はいらないんじゃないのかな。私の鞄みたいに袋の口を開けたら中身がわかるんだよね。
財布の中には一オーロが二十五枚、三オーロも二十五枚、十オーロが二十枚、五十オーロが六枚入っていた。
さっきの十五オーロを引いて、残りは五百八十五オーロである。
子どもに渡すおこづかいのレベルをはるかに越えてるんだよ。さっきのランチが二百回は食べられるじゃないか。
「僕は前世で魔道具の研究をしていたからね。こういうのは得意なんだよ」
財布はウィル様の手作りでしたか。模様に見覚えがあったから、買ったものに刺繍したんだと思ってたよ。
刺繍の部分には小さな魔石が縫いつけられていて、大気中の魔素を自動で吸収するように魔術を組んでいる。だから青の森にいる限りは、魔石を取り替えなくても大丈夫らしい。
「アリ、硬貨は意外と重いんだよ」
「十オーロ銅貨は確かに重たいですね」
真剣な顔でそういうので、アリもついつい真面目に返してしまった。
青銅貨はたぶん直径が三センチはあるな。十円玉と同じ茶色だけどサイズと重さが全然違う。雄大な山脈と森がデザインされた硬貨だ。
硬貨だけを入れておくなら、この袋のサイズでも拡張魔術がかかり中身がわかるけど、ほかの物を入れてしまうと取り出さないとわからなくなってしまうらしい。
魔道具の小型化はいまだ研究中で、実用化するには遠い道のりなのだそうだ。
アリはウィル様の話のすり替えに気がつかず、財布の中身が大金だという話を追及し忘れた。




